第192話:白いドレスの女4
「まあ、それはなんですの?」
王妃は驚いた。恐らくこの世界には無い宝石、ダイヤモンドの十カラットものだ。俺以外の全員、先生・執事・侍女までもが目を皿のようにして俺の手の中の宝石を見つめた。
「先日、ヴィーナスの神殿を復活させた際に、浅野が女神から褒美として授かった宝石でございます。魔王討伐が完了するまで、王妃様にお預けしましょう。ご自由に使って頂いて結構です。浅野の代わりに可愛がってくださいませ」
俺が小箱を差し出すとお付きの侍女が震える手で受け取った。そのまま王妃に捧げると、王妃は目線で執事を呼び単刀直入に聞いた。
「これはいかほどの価値があるかえ?」
執事は宝石を穴が開くほど見つめてから首を振ってこたえた。
「残念ながら私では評価致しかねます。あえて言えば小国が買える価値があるかと」
王妃は深く頷いた。
「カオルにはそれほどの価値があるということですね。良く分りました」
王妃は俺を見た。凄みのある笑顔だった。
「タニヤマ様、確かにお預かりします。もしよろしければ、この宝石のいわれなどご存じないでしょうか?」
とりあえず適当に答えておこう。
「この宝石はペアになっており、TWO FACE、すなわち『二つの顔』という名前がございます。ヴィーナス様は愛と美という二つの権能をお持ちですし、愛するあまり憎しみに裏返ったり、ある者には善なる事でも他の者には悪になることもございます。物事の裏表や二面性を表わしているのでございます」
王妃は深く息を吐くと静かに頷いた。
「この宝石を持つ者は思慮深くあらねばならぬということですね。良く分りました」
とりあえず、シリアスモードはこれ位にしておこう。シャンプーやリンス関係の話として、ドライヤーのことを話したら物凄く食いついてきた。早速、商業ギルドに問い合わせるそうだ。
ついでにという訳ではないが、浅野達が着替えた服の販売を始める事にも興味があるそうだ。侍女の制服として使えないか検討したいとのこと。これについても商業ギルドに問い合わせて頂くようお願いした。
最後に浅野は王妃様に声をかけた。
「通常、あの施術は三回に分けて行うのですが、お忙しいだろうと思って一回にまとめました。そのため、夜に痛みが出たりむずむずすることがあるかもしれませんが、ご容赦ください。早ければ三日後から効果が出てくると思います」
王妃は何度も浅野に礼を言った。俺はどさくさに紛れてあるお願いをした。
「俺たちは元の世界に帰還することを目標としています。そのためには魔王の討伐を一番に考えなければなりません。もしも今後俺たちに何か頼みたいことがある場合は、王女様を通していただけませんでしょうか」
王妃は笑顔で了解してくれた。お茶会は無事終わった。俺たちは執事と侍女たちに見送られて青の宮殿を後にした。馬車が青の宮殿の門を出ると馬車の隅の影が揺らぎ、小山が現れた。どうやら無事のようだ。
「どうだった?」
小山は唇を嚙みしめながらこたえた。
「建物の中には入れたが、中庭には入れなかった。あの執事は強い」
そりゃそうだよな。王妃の傍に警備の兵はいなかったものな。頷いていると俺は全員から攻められた。
「王妃様を王女様の妹だなんて、何みえみえのお世辞を言っているの?恥ずかしくないの?」
「あんた馬鹿なの?死ぬの?いなくなるの?」
「そうだ、馬鹿にされたと思われて打ち首にされてもおかしくなかったぞ」
軽いジャブのつもりで言ったのに、死刑覚悟で冗談をかました馬鹿扱いされてしまった。仕方がない、素直に反省しよう。先生が取りなしてくれたので、なんとか収まった。次に聞かれたのはダイヤモンドのことだ。浅野が聞いた。
「あの二つのダイヤモンドは何なの?」
俺は頭を掻きながら説明した。
「すまんすまん。あれはまぐれで出来たダイヤモンドだ。いざという時はあれを渡すと言えば、浅野の身代わりになるんじゃないかと思ったのさ」
木田が聞いた。
「あれはダイヤモンドなの?赤いダイヤモンドって凄く貴重という話だけど」
俺は頷いた。
「あれもダイヤモンドだ。結晶構造はダイヤモンドなんだけど、色がついている超貴重なダイヤだ。特に赤いのであの大きさは珍しいというか初めてだと思う」
今度は俺が聞く番だ。
「なんで王妃様はあんなに浅野が気に入ったんだ?」
浅野は考えながらこたえた。
「お風呂に入ってシャンプーとリンスの使い方を教えた後、王妃様から胸を大きくして欲しいと言われたんだ。確かに以前のボクと同じくらいまっ平だったけど、一緒に入った侍女と同じくらいの大きさにしてくれと頼まれてさ・・・。Cカップ位だったからなんとかなるかと思って・・・。それと乳首をピンク色にしてくれと頼まれた」
俺は浅野の目を見て聞いた。
「それだけじゃないだろ」
浅野は口ごもりながらこたえた。
「マッサージしている間、なんか無言で胸を揉むのが気まずくて歌を歌ったんだ。そしたら『時には母のない子のように』で、王妃様が号泣してしまって・・・」
木田が口を挟んだ。
「それがメインだけど、歌の前に浅野の事を話したのが効いているんじゃないの?」
浅野は頷いた。
「僕が一才の頃に母が亡くなり、母のことは何も覚えていないことを話したけど、関係あるかな?」
試してみよう。俺は浅野に頼んだ。
「すまん、もう一度『時には母のない子のように』を歌ってくれないか?」
浅野は嫌がらずに歌ってくれた。俺は先生に注目した。一番が終わったあたりで、先生の目から涙が流れ始めた。
俺は続けて頼んだ。
「次は『竹田の子守歌』を歌ってくれ」
浅野が歌いだすと先生の涙が止まらなくなった。俺は確信した。みんなは唖然としていた。先生が泣きながら謝った。
「誠に申し訳ありません。なぜだか分からないのですが、涙が止まらないのです」
俺は静かにこたえた。
「すみません。先生は悪くありません。どうしても試したかったんです」
俺は言霊を連想した。ギフトの言霊ではない。本来の意味の言霊。そう、言葉には魂が宿るというやつだ。この世界にはそれがスキルとして実在し、浅野は無自覚でそれを使っているのだ。セイレーンや先生に効果があるのに俺たちには効かないのは、ギフトで与えられた健康が俺たちの精神を守っているからではなかろうか。
俺は頭を振って想像を止めると浅野に聞いた。
「前から不思議に思っていたんだけど、どうして浅野はそんなに昔の歌に詳しいの?」
浅野は淡々と話してくれた。
「うちの母方は古い家系で、お母さんは一人娘だったんだ。お父さんと恋愛結婚したんだけど、家を継ぐ関係でお父さんが婿に入った訳。でもお父さんとおばあちゃんの折り合いが悪くてさ・・。僕が生まれてから一年後にお母さんが亡くなったんだけど、お父さんはだんだん家に帰って来なくなって」
浅野の父は大手レコード会社の制作部の偉い人だったらしい。それだけでなく原盤や著作権を管理する会社を立ち上げたり、国内外のアーティストの興行や宣伝まで音楽関係の仕事をしていたそうだ。
民謡・演歌・歌謡曲・ポピュラー・ジャズ・ブルース・ロック・メタル・レゲエ・ラテン・ゴスペル・民族・前衛までクラシックを除く幅広いジャンルを担当していたらしい。また、音楽絡みでアニメ・映画・ゲームの製作にもかかわっていたそうだ。
浅野が小学校に上がる頃には、父はほとんど家に帰ってこなくなり、浅野は父が仕事に使っていた離れに入り浸って、音楽・マンガ・アニメ・映画・ライブの膨大なコレクション(音楽はソノシート・アナログレコード・オープンリール・カセットテープ・CD、映像はベータ・VHS・レーザーディスク・ビデオディスク・8ミリ)と山のような音楽雑誌(ミュージックマガジンが創刊号からあったらしい)を鑑賞していたそうだ。そのうちに七十年代から八十年代のロックや歌謡曲にはまったらしい。
離れには小さなスタシオまであって、インベーダーゲームやブロック崩しの筐体やファミコン・MSX・スーパーファミコンも置いてあったそうだ。
「お父さんが何を好きなのか、何の仕事をしているのか知りたいと思って聴き始めたんだけど、だんだん自分も好きになってのめりこんでしまって・・・」
俺は続けて聞いた。
「良く分ったけど、それにしてもなんで『時には母のない子のように』を歌うんだ?」
浅野は細い声でこたえた。
「あの歌って、歌詞だけ見るとお母さんがいる人の歌なんだけど、そうじゃないんだよね。故郷に帰りたいけど帰れないところがなんか僕たちと似ているような気がしてさ・・・」
この歌は元々は19世紀アメリカで生まれた黒人霊歌=スピリチャルソングだ。奴隷狩りによって故郷アフリカから拉致され、二度と故郷には帰れない、二度と母には会えないという過酷な運命を嘆く黒人労働者の望郷の歌だ。
話を聞いた先生の目に再び涙が浮かんできた。どうこたえたら良いのか考えていると、浅野が明るい声で話し出した。
「でも、今日はお祭りみたいで面白かったね。セイレーンまで出て来てさ」
みんな口々に賛成していると、浅野はぽつりと漏らした。
「孤児院の子供たちが楽しめるようなお祭りをやれないかなあ」
楽丸と木田が真っ先に賛成した。
「夏祭りか?いいな、それ」
「孤児院だけでなく回りの住民も参加できたらいいね」
「屋台をもっと充実させてさ、花火も欲しいな」
ある意味俺たちも娯楽に飢えているので、お祭りについて盛り上がっているうちに、宿舎に着いた。最後は明るい雰囲気になって良かった。
羽河がラウンジにいたので、そのまま王妃殿のことを話した。羽河曰く、王妃による浅野取り込みを阻止し、今後何か要望があった場合でも、王女を通す形にしたのは大きな成果ということだった。
また、シャンプー・リンス・ドライヤー・洋服については、前途有望な販売先を開拓したという点で良かったとのこと。唯一のマイナスは王妃との漫才ということで、正直なんでこんな危ない橋を渡ろうとするのか意味不明と言われた。厳しいな。
浅野の言霊の問題については、俺の考えすぎではないかと言われた。確かにそうかもしれないが、この先大きな問題になっていきそうな予感がする。仮にだ、浅野が周りの人間を声を使ってコントロールできるとしよう。もし浅野が何かに絶望して世界の終わりを望んだとしたら・・・。俺の予感が外れることを祈ろう。
「王女様にはどう説明しようか?」
「ありのままを話すしかないでしょうね。でも、言霊の事は言わないほうがいいと思う」
俺は黙って頷いた。
羽河が引き上げた後、一人反省会をしていると、雑貨ギルドのニエットさんが来たので、碁石を納品した。雑貨ギルドでの生産も軌道に乗ってきたので、娯楽ギルド立ち上げの日に商品が足りない、という事態は避けられそうとのこと。また、九月一日の一般向けの発売日には十分間に合うことを告げられた。
確かに今まで約五百セット分の碁石は作ったので、結構頑張ったのではないかと思う。とりあえず、こっちでの製造は明日の納品までで良いということになった。良かった。
今日の晩御飯はシーフードグラタンだった。ジャイアントロブスターをはじめ、蟹・魚・貝類が盛りだくさん。ホワイトソースに少し焦げたチーズの香りが最高でした。パンと一緒に美味しく頂きました。
デザートはういろうだった。甘くない羊羹と揶揄されることもあるが、俺はそうは思わない。ういろうは羊羹とはまったくべつのお菓子だ。名古屋名物として知られるが、発祥の地は福岡という説もあるそうだ。
ういろうは二種類あった。一つは緑色をしたミントのういろう、もう一つは赤黄色をしたオレンジのういろうだった。ういろうといえばなんとなく控えめなお菓子というイメージがあるが、色といい、香りといい、かなり刺激的で平野らしかった。シーフードグラタンのデザートとしては意表をついているが、おいしければそれでいいのだ。
部屋に戻ると月の光が部屋の中に差し込んでいる。すると足元の陰からするりと巨大な猫じゃなかった、TWO FACEが現れた。律義なことに前回渡した籠の取っ手を咥えている。
「どうした?卵が欲しいのか?」
「ニャウ」
違うと言っているような気がする。
「魚が良いのか?」
「ナーゴ」
「分かった。待っとけ」
俺は籠を持って食堂に行った。厨房に行くと、丁度平野がマグロの頭を割っていたので、頼んで半分貰った。でっかい籠に入れてもらって部屋に戻る。TWO FACEは俺のベッドで横になり、枕に頭を乗せていた。
「持ってきたぞ」と言って、俺の影の中に籠をおいた。TWO FACEはベッドからゆっくりと降りると大きく鳴いて俺の足に体をこすり付けた、なんとなく、「撫でろ」と言っているような気がしたので、頭と背中と喉を撫でた。
TWO FACEは満足したのかごろごろ喉を鳴らすと、籠の取っ手を咥えて静かに影の中に沈み込んでいった。浅野の囲い込みを阻止できたのはあのダイヤモンドのお陰という面もあるので、そのきっかけを作ったTWO FACEにはこれ位やっても良いだろう。
今日のお供えは、うどん・バケットのサンドイッチ・シーフードグラタン・ういろうだ。目を瞑って手を合わせると、「美味し!」の声と共に、ペタン・ペタン・ペタンという音が響いた。さらに、「クリア」という声も聞こえた。
スキルレベルを8に上げるポーションがまた貰えるようだ。前回三平にやった際に、次回は利根川に譲る約束になっていたと思う。今度、女神の森に行く際に貰ってくることにしようと考えたら、「よかろう」と返事があった。早いよ。
王妃殿の訪問が無事に(?)終わりました。浅野君は王妃様にロックオンされたようです。