第166話:黒の森17
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脱力していた先生が復活した。
「おそらくそれでしょう。あなた達のお傍係には王国の各派閥、すなわち王様・王妃様・教会・有力貴族とつながった人員も紛れ込んでいます。そこから話が伝わったのでしょう」
俺は反論した。
「しかし、動機が、動機が分かりません」
先生は授業中のように厳粛な顔で告げた。
「今から申し上げることは決して口外してはなりません。最悪の場合、不敬罪に問われる可能性があります」
俺と羽河はごくりと唾を飲み込みながら大きく頷いた。息を止めたまま先生の言葉を待つ。先生は固い声で続げた。
「今回の事案は三つの悲劇が偶然重なったことで起こったのです。まず、王妃様は貧乳です。文字通りツルペタ絶壁なのです。妊娠中はふくよかだったのですが、出産を重ねるごとに胸が小さくなっていったのです。これが第一の悲劇です」
俺はひっくり返った。羽河はかろうじてこらえた。流石は委員長だ。
「そして、王様は美乳派だったのです。これが第二の悲劇です」
恐ろしい。俺は床から立ち上がることができなかった。先生は俺を見ることなく話し続けた。
「最後に、第二夫人は貧乳ではなかったのです。これが第三の悲劇でした・・・」
俺は震える足で立ち上がった。先生は静かに告げた。
「三つの悲劇が重なることによって偶然は必然になってしまったのです」
俺は思わず叫んだ。
「まさか王妃様は・・・」
「そのまさかです」
「そんな馬鹿な・・・」
「馬鹿は死ぬまで治らないという言葉もあります。あ、今のは失言です。忘れてください」
俺は椅子に座りなおすと羽河と顔を見合わせた。羽河は黙って首を左右に振った。あきらめろというのか・・・。しかし、そんな無法があっていいのか?
「俺たちはどうしたらいいんですか?」
先生も悲しそうに首を左右に振った。
「私たちにできることは何もありません。浅野様が無事に帰ってくることを祈るだけです」
手紙によると、お茶会は来週の土曜日、26日の午後・王妃殿で行うそうだ。七時に迎えの馬車をよこすとのこと。非公式の内輪だけの会なので、服装は普段着、献上品も不要、言葉も礼儀作法も一切気にしないで良いとのこと。
先生は最後に笑顔で告げた。
「王妃様の私的なお茶会のお誘いとなれば断ることは難しゅうございます。その代わりと言ってはなんですが、王妃殿の案内も兼ねてお茶会への同席を賜るよう王女様経由で依頼をかけます。うまくいけば私も同行できるでしょう」
先生が付いてきてくれたら浅野もさぞかし心強いだろう。俺と羽河は何度も先生にお願いして引き上げた。食堂からギターの音が聞こえたので、そのまま食堂に行った。なんか音が違うなあと思ったら、伊藤は指ではなくピックを使って弾いていた。
曲が終わった所で聞いたら江宮が幾つか作ってくれたらしい。形はおにぎり型(三角形)と涙型の二種類、硬さも三種類(硬い・普通・柔い)で、合計六種類作ってくれたそうだ。どれにするか全部試してみるとのこと。ついでに弦は魔物の腱を加工して作っているらしい。ちなみに今日は伊藤が一番得意な七十年代の日本のフォークの特集だった。
今日のご飯は緑の牙の捕食葉のステーキだった。魔物や人間の生き血を吸ってできた肉と思うと微妙な感じもするが、直接であれ間接であれそれが生の営みだと割り切るしかないだろう。
肉は柔らかいのにしっかりした噛み応えがあり、さっぱりしているのに脂のうま味が感じられるという不思議な肉質だった。おまけに筋みたいなのが全然ないんだよね。高級な和牛の霜降り肉から脂っぽさだけ取り除いたような感じ。
控えめにふられた塩胡椒だけでも十分においしいんだけど、フルーツをベースにしたソースが二種類ついていた。一つはオレンジベースで、オレンジの香りと甘みが鮮烈、もう一つはキウイベースで、キウイの香りと酸味が爽やかだった。
デザートはカヌレだった。外側はカリカリ、中はしっとり。ウイスキーの香りがほんのり漂う大人のデザートだった。部屋に戻るとお供えを並べる。今日は緑の牙のステーキ二種のフルーツソース添え、カヌレ、ポンカンのジェラートだ。
手を合わせて目を閉じると「美味し!」の声と共に、ペタン・ペタンという音が響いた。明日も無事に過ごせますようにと祈りながらベッドに腰掛けると、誰かの視線を感じた。前後左右を見るが、誰もいない。気のせいかと思った時、「ニャア」という鳴き声が足元から聞こえた。
俺はギョッとしながら下を見た。黒い影の中にでかい猫の顔が浮かんでいた。二つの目がダイアモンドのように輝いていた。俺は思わずベッドの上に飛び上がった。気のせいだ、錯覚だ、幻だと考え、深呼吸した。
靴を履いたままベッドの上からそっと覗くと、真っ黒い猫が床の上に寝そべっていた。尻尾をゆっくりと左右に振っている。残念ながら幻ではなかった。昨日遭遇したヘルキャットのボスだった。
とりあえず敵意や殺意は感じられなかったので、声をかけた。
「こんばんわ」
すみません。何を言っていいのか分からなかったんです。こういうシュチエーションに慣れていないので。まあ慣れている人はいないと思うが。
ヘルキャットは顔をこちらに向けると、相変わらず気持ちの悪い笑顔で、気のない返事をした。両の瞳は普通に戻っていた。
「ニャ」
あんた寝ぼけているの?と言っているように聞こえた。猫娘はいないので、自分でなんとかするしかない。とりあえず、話しかけた。
「なんか用か?」
ヘルキャットは質問にこたえなかった。尻尾が上下に揺れているだけだ。素直に答えるつもりはなさそうだな。仕方がないので、感じたままに話しかけた。
「お前、その顔、作り物みたいで気持ち悪いぞ。それに笑っているのか、怒っているのかも良くわからん」
ヘルキャットの笑顔が固まった。ショックだったみたい。しばらくすると力が抜けたのか、仮面を外したみたいに素の顔になった。大きさが違うだけで普通の猫にしか見えない。多分雌だ。
「まるで別猫だな。決めた!お前の名前はTWO FACEだ」
見たままの何の捻りも無いネーミングですみません。俺は続けて話しかけた。
「あんたヘルキャットのリーダーだろ。雌だったんだな。もしかすると困りごとか?」
「ナーゴ」
なんとなくミルクの匂いがしたので聞いてみた。
「もしかすると子育て中か?」
ヘルキャットの目が真ん丸になった。ひょっとすると当たった?
「もしかすると子育てがうまくいってないのか?餌を食べないとか?」
「ナーゴ」
ヘルキャットは短く答えた。肯定しているように聞こえる。
俺はベッドから床に降りると、靴を履きなおした。
「良いものを持って来てやる。そのまま待っていろ」
返事を聞かずに部屋を出て食堂に行った。明日の準備をしている平野に声をかける。
「お客さんが来ているんだ。卵を二十個くれないか」
平野は首をかしげながら、取っ手の付いた籠に卵を二十個入れてくれた。こういう時にあれこれ聞かないのが助かる。まあ忙しいんだろうけど。
部屋に戻って扉を開けるとヘルキャットは待っていた。ベッドの真ん中で悠々と寝そべっていました。物憂げに尻尾が左右に揺れて、自分の部屋みたいに完全にリラックスしています。俺はTWO FACEに話しかけながら、籠を床に置いた。
「鳥の卵だ。お子様たちにプレゼントだ。持って帰ってくれ」
ヘルキャットは頭を上げ鋭い目で卵を見つめると一瞬で床に飛び降りた。俺を見上げると大きな声で鳴いた。
「ニャーニャニャー」
なんか礼を言っているような気がする。両足に体をこすりつけると、籠の取っ手を口で咥えて、俺の影の中に飛び込んだ。まるで黒い水たまりに落ちたように体がずぶずぶと沈んでいく。これが影道か。見事なもんだ。
王妃様の狙いは分かりました。浅野君はどうなるのでしょうか?主人公はブラックスネークの次はヘルキャットを餌付けしているようです。