第160話:黒の森11
7月21日、土曜日。外に出ると、東の方に雲は残っているが、西の方は良く晴れていた。今日も暑くなりそうだ。
今日の朝ごはんはビーフンだった。米粉だけでは粘りが足りず小麦粉を混ぜているそうだが、俺にはビーフンにしか感じられなかった。お酢をたっぷりかけていただきました。今日のカットフルーツもうまかった。
朝の講義はミドガルト語の朗読はお休みにして、黒の森に出没する魔物に関する質疑応答の時間になった。先生によると、昆虫系の魔物の中で一番厄介なのが蟻、つまり殺人蟻なのだそうだ。
別名、軍隊蟻と呼ばれる通り、将校蟻の命ずるまま自分の命を顧みず突撃してくるので、倒すか倒されるかの二択しかないらしい。ちなみに気がついたら囲まれているという状態が普通なので、空でも飛べない限り第三の選択肢、つまり逃げるという選択肢は無いのだそうだ。
蟻を倒すという事はつまり最後の一匹まで全滅させるということであり、とどのつまりは数の戦いに巻き込まれることになる。となると圧倒的に数が多い蟻が有利になってしまうという訳だ。
蟻と言うが、まずでかい。地球の猫位の大きさがあるそうだ。その上鋼なみの強度を誇る外殻につつまれ、強力な顎と牙、さらに鉄をも溶かす蟻酸という強力な武器を持っている。
防御面でも、物理的な攻撃に強いだけでなく、風魔法・水魔法・土魔法、さらに生物が苦手な火魔法に対してもある程度耐えるので、厄介なのだそうだ。幾つか頭の中でシュミレーションしているうちに講義は終わった。
ラウンジでぼんやりしていると、志摩から声をかけられた。
「出来たぞ!」
どうやら碁石が出来たらしい。部屋まで連れていかれた。
床に敷いた布の上に計量した砂を置くと、志摩は杖を構えて呪文を唱えた。最後に「メイク・ストーンズ」と唱えると、砂は眩い光に包まれた。光が収まると、そこには灰色の碁石が山のように出来ていた。
「全部で三百個ある。今の所一度に作れる上限だ」
志摩は額の汗を拭いながら説明した。
「黒の森もあるから、寝る前に作れるだけ作るようにするよ」
寝れば魔力は回復するので、これが現実的だと俺も思う。碁石は通常、黒が181個・白が180個なので、一回の魔法で約一セット分の碁石ができるわけだ。これでは到底間に合わないなと思いながら俺はこたえた。
「ありがとう。無理のない範囲でやってくれ」
塗装は俺がやるので、今まで出来た分の碁石、約千個を預かった。当座の材料分の砂を預けてラウンジに戻る。アイテムボックスを操作しようとしたら、江宮から声をかけられた。
「決まったぞ」
「何が?」
「厨房の什器の入れ替え日だ。明後日23日・火曜日の夕食後にやる。片付けが終わったら作業開始だ。夜中まで付き合ってもらうかもしれないが、いいか?」
24日が月曜日で休日なのでいろいろ都合が良いらしい。もちろん俺が断る理由はない。
「分かった。事前に準備することはないか?」
「レイアウトと工事の段取りは後で打ち合わせるから、そのつもりでいてくれ」
俺たちは本当に異世界で冒険しているのか疑問に思いながらも頷いたのだった。
食堂に行ってお昼ご飯を受け取るついでに、ある物を譲ってもらった。出来ればこれを使う状況にならなければいいのだが・・・。時間になったので玄関に行くと、馬車が七台待ってた。三平は今日もトライするらしい。うまくいくことを祈って、手を振りながら見送った。今日は太郎が同行するので、一緒に馬車に乗る。
馬車の中ではアイテムボックスを操作して残り四匹のオークの解体を行った。次に碁石を五百個づつに分けて白と黒の塗料の壺に入れ、取り出してから乾燥させた。三回同じことを繰り返すと、それぞれ真っ白&真っ黒になった。
人間の視覚的な錯覚で同じ大きさだと白い方が大きく見える(逆に言うと黒い方は締まって見える)ので、黒はさらに一回塗装と乾燥を繰り返した。0.01ミリ単位の話なので、自己満足と言えば自己満足なのだけれど、やらないよりやった方が良いだろう。後は志摩の頑張り次第だな。終わった頃に広場に着いた。
いつも通りロボが待っていた。藤原も鳩を連れてきている。なお、名前はポッポちゃんだそうだ。そのままだな。冬梅が猫娘を召喚しようとしたのを止めて、送り犬を召喚してもらった。
「どうして送り犬なの?」
「ロボと被る所はあるけど、犬の方が鼻が利きそうな感じがしてさ・・・」
「蟻?」
「その通り」
丁度ヒデが打ち合わせから戻ってきた。今日の目的地は噴水跡から西に四百メートルほど進んだ野外劇場跡だそうだ。ここも魔物除けの魔法陣が縁石に刻んであるので、安全地帯になっているそうだ。
冬梅が召喚した送り犬にはくれぐれも蟻に注意するよう念を押してから出発した。昨日は炎の剣が最後だったので、ガーディアンが先鋒を務めることになった。もちろん、志摩と藤原も一緒だ。太郎は俺の左横を這っている。ガーディアンで斥候を務める羽河が俺の右隣にやってきたので、話しかけた。
「一日目は蚊、二日目は蜂に蛭だったけど、三日目はなんだと思う?」
羽河は笑顔でこたえた。
「おはよう。さっぱり分からないわ」
「俺も見当つかないけど、蟻だけはいやだな。勝ち筋が見つからない」
「そうね」
羽河は意識を前方に向けたまま話していた。広場から集会所跡、集会所跡から噴水跡まで、志摩と一緒に道幅の拡張を続けながら進む。将来の職業の選択肢に木こりを入れても良いかもしれない。食肉植物の群生地の前後には昨日立てた看板がしっかり立っていた。
噴水跡には先客がいた。三人組の冒険者が女神に祈りを捧げながら、水筒に水を詰めている。泉の水は枯れていないようだ。真夏に遠征先で水が補給出来たら助かるよな。俺達も一息ついてから、西に向かって道路開拓をスタートした。ここまで何も無かったので、先鋒はそのままにした。
進み始めてしばらくすると、誰かの視線に気づいた。木々の葉の隙間から、茂みの中から、草むらの間から誰かが俺達をじっと観察している。しかし、その視線にはいかなる感情も感じられないのだ。
これが人間や動物ならば好奇心・警戒・恐怖・悪意・敵意・殺意など何かの色がつくのに無色透明なのだ。俺は確信した。こいつは人間じゃない。そして視線のエネルギーは徐々に高まっていく。
そう思ったのは俺だけじゃなかったようだ。エネルギーが爆発寸前まで高まった時に羽河が叫んだ。
「佐藤、結界を張って!何か来る」
同時に木田が詠唱を始めた。結界が俺達を包むと同時に、木田は最後のキーワードを唱えた。
「呼べよ風、吹けよ嵐!」
次の瞬間、ドンという音と共に出来たばかりの結界が壊れそうなほど軋んだ。佐藤の顔が青ざめた。結界の外はいきなり台風が来たように滅茶苦茶になっていた。北からの暴風にあおられて、直径一メートルを超える巨木の幹が今にも折れそうなほど曲がっている。風速五十メートルを超える台風のど真ん中に俺たちはいた。
「吹けよ風、呼べよ嵐」はプログレッシブ・ロックの雄、ピンク・フロイドの初期の代表曲です。曲名としてはオリジナル(One of These Days)より日本語版の方がかっこいいと思う。曲中のニック・メイスン(ドラムス)の叫び声(One of these days, I'm going to cut you into little pieces=いつかお前を切り刻んでやる)なんて呪いそのもの。フォークを武器に世紀の悪役として全日本プロを盛り上げたプロレスラーのブッチャーが入場曲にしていました。ブッチャー=肉屋なので台詞がぴったりだったんでしょうな。とりあえず木田は曲名を間違って覚えていたようです。