第16話:歴史
異世界に来て三日目の朝が来た。昨夜は寝る前に観月法の練習を試みたけど初めて五分で熟睡したみたいだ。てへへのへ。初日が日曜日だから今日は風曜日か。まったく実感はないけど。時計の針は三時過ぎ。
窓から見上げた東の空の端はほんのり明るい。今日も快晴!顔を洗ったらランニングだ。外に出ると冷たい空気が肌にピリッときて気持ちいい。どうやら一番乗りっぽい。一周回ったところでヒデと青井が並んで玄関から出てきた。俺は二人の背中に「おーい」と呼び掛けた。
「おお、早いな」
青井は振り返ってシャキツとした顔で返事した。ヒデはまだ半分寝ぼけたような顔でもごもご口を動かしただけだった。こいつまだ顔も洗ってないな。とりあえず、昨日のことを相談しよう。
「ランニングだけどさ、どっち回りでいくか決めておかないか」
「俺は右でも左でもどっちでもいいぞ」
「・・・・」
ヒデが目線で左回りを希望していたので、とりあえず左回りで仮決定!走っているうちに徐々に回りが明るくなっていき、夜が朝に切り替わっていく感覚が朝のランニングの醍醐味だ。それに監視の視線が夜ほど気にならないのもありがたい。走りながら昨日、思いついたことを試してみた。お掃除大作戦、なんちゃって。
まずはアイテムボックスを起動する。走りながら前方を見て石ころを見つけると、すぐさまマーキング!すると足元に近づいた瞬間にスッと消えて無くなるのだ。なんか自立型掃除機になった気分。青井からランニングスイーパーと呼ばれてしまった。
おかげでランニングが終わった頃には道は掃いたようにきれいになっていた。収納する訓練にもなるから良いんじゃない?
二周・三周する間に楽丸に尾上や千堂、さらに一条や洋子、初音や平井など女子も出てきたので、同様に回り方を相談して、左回りでいくことに正式決定した。野球のベースランニングや陸上のトラック競技と一緒なので、みんな異存はなかった。
ランニングを終えて宿舎に戻ったが、朝食まで時間があったので、一人で食堂の前の遊歩道を歩きながら掃除していると、突然後ろから声をかけられた。
「谷山様」
振り返ると見事なまでに赤い髪の少女だった。肩までのストレートなのだが、オレンジぽいきれいな赤毛だった。染めているのかな?
「エレナ・プラステートと申します。浅野様のお傍係を務めております」
そういえば、召喚の日に見た記憶がある。
「どうしたの?」
とりあえず話を聞くことにした。
「浅野様のことでお話をお伺いしたくてお呼び止めしました。お時間よろしいでしょうか?」
「いいよ、別に」
「ありがとうござます。実は木田様や楽丸様に先にお聞きしたのですが、何も教えてもらえなかったので」
あいつらのことだ。いろいろ考えて警戒したんだろうな。
「質問があるならどうぞ。ただし、答えられないこともあるぞ」
「ありがとうございます。もちろん、質問によっては答えられないこともあることは理解しております」
「それならいいよ」
「浅野様は召喚前は男の子だったのは間違いないのでしょうか?」
「間違いない。召喚前は確かに男だった」
「正直に言えば信じられません。でも、もしそうだとしたら、天地がひっくり返るような衝撃であったと思います」
「その通り。だから、あいつは自分が女であることを受け入れるまで、これからもずっとつらい思いをすると思う」
エレナさんは大きく頷くと続けて聞いた。
「ではやはり帰還したいと」
「今回召喚された三十人の中で一番帰りたいと思っているのは浅野だ。帰還=元に戻ること、だからな」
「よく分かりました。ありがとうございます」
深く一礼して帰りかけたエレナさんを俺は呼び止めた。
「ごめん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
エレナさんは不思議そうな顔で俺を見た。
「ゴミ捨て場を教えて」
エレナさんがずっこけた。
「ご、ご、ゴミ捨て場ですか?は、はい、こちらです」
早足で先導するエレナさんを追いかけた。ゴミ捨て場は南西の角にあった。焼却炉とその横に煉瓦の枠で囲った不燃物置き場がある。
「燃えるものは職脚炉の中に、燃えないものはこの枠の中にどうぞ」
「ありがとう」と答え、アイテムボックスから落ち葉は焼却炉に、石ころの類は煉瓦の枠の中に放り込んだ。
エリナさんが聞きたそうな顔をしていたので説明した。
「せっかくアイテムボックスを持っているからさ、掃除の真似事をしてみたら結構たまったんだ」
「谷山様がお掃除をされたのですか?」
「そうだけど・・?」
「申し訳ございません」
エレナは90度の角度でお辞儀した。俺は慌ててエレナさんを起こそうとしたが、頭を上げようとしない。
「どどどどうしたの?掃除したら駄目なの?まずは説明して」
エレナによると、俺たちは他国の貴族として扱うように厳命されているそうだ。即ち、マナーや慣習は異なるが、貴い身分の方であり、失礼があったらいけないと。掃除をさせるなど、論外というかあってはならないことらしい。
俺は慌てて説明した。俺たちは学生であり、学生のうちは自分の身の回りを掃除するのは普通のことであること。それが俺の国のしきたりであること。今回も俺が好きでやった事であり、特に気に病む必要はないこと。
これで分かってくれるかと思ったら、甘かった。エレナによると、俺たちが勝手に掃除すると仕事がなくなる人間が出てくるらしい。外回りの掃除はぎりぎりOKだけど、庭の掃除はやめて欲しいということだった。雇用に関係すると言われたらどうしようもないな。気を取り直して朝ごはんを食べに行った。
朝ごはんはメインがベーコンエッグ(卵の数が一個から三個まで選べる)で、パン・スープ・サラダにジュースを付けて美味しく頂きました。
小山の忍術が見たかったなあと思いながらデッキに出てみると、花山と花山のお世話係と思しき茶色い髪をお下げにした少女とメアリー先生が本棟と南棟の間、丁度男子風呂の裏あたりに立って何か話していた。花山が先生に何かお願いしているぽかったが、内容は分からなかった。なんだろ?
今日の講義は昨日のテストの結果発表から始まった、全員六十点、すなわち満点だったそうだ。俺は正直胸を撫でおろした。良かった良かった。クラスの大多数は同じ気持ちだったと思う。小学生レベルの問題を高校生が間違えたら恥ずかしいもんな。満点取って当たり前と言われると逆にプレッシャーかかるもんだね。
先生から過分なお褒めの言葉を頂いた後は、デルザスカル大陸の歴史の講義だった。いろいろ細かい話もあったが、大筋は以下の通り。
まずは約二千年前、ミドガルドにとある王国が生まれ、大いに繁栄した。王国は何回か名前を変えながら約千年かけて南北の山脈に挟まれた中原の地をあらかた平定した後、ミドガルド王国の建国を宣言(これを古ミドガルド王国と呼ぶ)し、余勢をかってエルフの国に攻め込んだ。兵力差は圧倒的だったが、エルフは森の外には決して出てこない。
業を煮やした人間は森の中に侵入するが、それはエルフの罠だった。エルフは木々を巧みに遮蔽物として利用し、神がかった弓の腕で昼夜問わずじわじわと人間の数を削っていく。恐怖に駆られた将軍は自暴自棄で森を焼こうとするが、精霊たちの怒りを買い、魔物の群れに襲われ殲滅の憂き目にあった。
最終的に全兵子の三割が死亡、五割が負傷したそうだ。輜重などの後方部隊も含めての数字なので、前線に投入した部隊はほぼ壊滅したのだろう。
王はエルフから攻め返され、滅ぼされることも覚悟したが、エルフが送った使者が持ってきたのは、降伏勧告ではなく相互不可侵の永世契約だった。
もちろん王は喜んでこの提案を受け入れ、以降これまでこの契約は王家が代わっても代々受け継がれ今だ破られたことはない。
次の代になって古ミドガルド王国は軍備を整えたのち、北の山脈を超えてのちのハイランド王国となる地に攻め込むと、長征による補給と草原を縦横無尽に走り回る精強な騎兵に苦しむものの三代約百年を費やして平定。
山脈を挟んで大ミドガルド王国として繁栄した。一度も外征することなく崩御した四代目と比べ、五代目は南の山脈を越えて後のネーデルティア共和国となる地を攻略。山や川や谷、盆地や砂漠や沼地など複雑な地形に苦しみながらも、群雄割拠する豪族たちを時間をかけて個別に撃破していき、多大な消耗を強いられるもののやはり三代約百年をかけて平定した。
こうして古ミドガルド王国は七代約三百年をかけて大地溝帯から東、エルフの森を除いたデルザスカル大陸の東半分を統一した。当時まだ二十代だった国王は大陸統一という王家の悲願を達成し、このグルスウールの地でデルザスカル帝国の建国を高らかに宣言した。
北から南まで統一された王国は大いに繁栄したが、王の衰えと共に跡目争いが激化。後継者を明確に決められなかったため、王の崩御と共に第一王子、第二王子、第三王子とそれぞれの支持者による血みどろの内戦が勃発。三百年かけて成就した帝国は一代であっけなく滅びた。
帝国の崩壊と共に内戦を避けて北に逃げ延びた第四王子がハイランド王国の建国を宣言し、デルザスカル帝国から独立した。第一王子、第二王子、第三王子は子供も含めて内戦で全て死亡したため、ハイランド王国の建国書にはハイランド王国がデルザスカル帝国の正式かつ唯一の後継であることを明記している。
南も帝国の内戦と共に各地の豪族が復活し、二十以上の独立国が生まれた。このままでは元通りだが、数十年後には外敵に対しては共同で防衛する責務を負い、域内の通貨・税制を統一し、域内の関税を無しにすることを条件にした枠組みに最も有力な三か国が合意した。
時が過ぎるごとに枠組みに参加する国が増え、百年後には南のすべての国が合意してまるでEUのような共和国連合に生まれ変わった。親子三代にわたって骨肉の争いを演じてきた隣国の領主であっても、外敵(主にミドガルド王国)と戦う際には一致団結して戦うのだ。
これは、大ミドガルド王国に攻められた際に諸国がばらばらに戦って結果的に個別撃破されたことがトラウマになったとか、デルザスカル帝国の内戦時に一番の切れ者と言われた宰相と彼を慕う若手官僚達の多くが南の各地に逃げ延び、連絡を取り合いながら共和国連合の建国を裏から操ったからではないかと言われている。
ちなみにその宰相の名前がネーデルなのだそうだ。国によって多少の違いはあるが、税制や法律や社会制度において最も先進的なのがこのネーデルティア共和国と言われている。
肝心のミドガルド王国は元平民の母から生まれた第五王子を神輿にかつぐ地方軍閥が地獄の内戦に勝利し(どちらかというと有力者達が共倒れになった後、棚ぼたで勝ちを拾った感じ)、ミドガルド王国の再建を宣言し今に至るという訳だ。
三つの国の人間性を比較すると、とかくハイランド王国の人間はプライドが高い。デルザスカル帝国の正式な後継者であることを鼻にかけてる。
ネーデルティア共和国は独立独歩かつ自由で先進的な気風を自慢に思っている。彼らに言わせるとミドガルド王国もハイランド王国もカビの生えたパンなのだそうだ。
ミドガルド王国は中原の地の覇者であること、そして三国の始まりの地であることをなによりの誇りに思っている。
ついでにいうと勇者の召喚は一回目が約五百年前、二回目が約二百年前、今回が三回目なのだそうだ。もしかすると以前も行われていたかもしれないが、内戦時の混乱で記録が残っていないらしい。
北と南の山脈地帯には先の時代に辺境伯が治めていた領地が独立した公国、ドワーフ族の国、獣人の国などが合計で十ケ国以上あるそうだ。ドワーフや獣人という言葉にクラスの半分位が反応した。やっぱ、エルフがいるならドワーフや獣人だっているよな。いよいよ異世界ファンタジーだぜ。
いつしか三国志になったりして。ないない(笑)。