第156話:黒の森7
ここで先鋒はクレイモアから炎の剣に変更することになったのだけれど、異を唱えるものが一人いた。夜神だ。昨日に続いて出番ゼロだったのが、納得いかないらしい。仕方がないので、残留を許可した。
炎の剣で偵察を請け負う小山の先導で進んでいたが、大きな木の前で小山がぴたりと止まった。
「猫娘の様子がおかしい」
立ち止まって前方を注視すると、猫娘が大きな木からぴょんと飛び降りると弾むような足取りで戻ってきた。
「どうした?」
猫娘はさばさばした口調でこたえた。
「ちょっと遠回りした方がいいわよ」
「どうして?」
俺の疑問に猫娘はにやりと笑って左手の袖を捲り上げた。
「これがいるから」
サンダルくらいの大きさの緑色の物体が白くて細い腕に張り付いていた。黒や赤、茶色の斑点が散らばった表皮が脈打つようにぴくぴく動いている。巨大な蛭、サイレントグリーンだ。こいつに取りつかれると、血を吸われるだけでなく、吸われた後の傷口は血が固まらずに出血が止まらなくなるという厄介な魔物だ。
「大丈夫か?」
慌てて叫ぶと、少し膨らんだ蛭はボトリと地面に落ちた。そして焼いた餅のように一気に膨らむと内側から弾けてシュワシュワ泡を噴き上げながら溶けていった。猫娘は口の端を上げて笑った。
「妖怪の血を吸うからよ」
ちょっと怖かったが何も言わなかった。俺は迷った。人間の俺たちは回避すべきだろうか・・・。すると夜神が手を挙げた。
「私にまかしとき」
俺は思わず聞いた。
「大丈夫か?」
夜神は余裕の表情で頷いた。左腰には昨日渡したウォーターシャークのポーチが下がっている。
そして愛用の黒い鞭を腰のポーチから取り出すと、空中で数回勢い良く振った。バシッという音と共に青紫の火花が空中でパチパチと飛び散った。
「このポーチ、戦神の斧以外も入るんやな。気に入ったで」
確かに単なるフォルダなので実は何でも入る。容量的には一立方メートル(縦横高さ全て1メートル)の不定形に設定している。いろいろ試してみたんだな。
夜神は呪文を唱えながら歩いて行くと、大きな木の前で止まった。鞭の先端を飛び出た枝に絡ませ、静かだが力強い声で告げた。
「青い稲妻!」
黒い鞭の根元から先端に青い光が走って行き、光は枝から木全体に広がった。まるで木全体が青く発光しているように輝いて見えた。とてつもないエネルギーが木に集まっていることが分かる。木の悲鳴が聞こえそうだった。
「みんな、目え閉じといて」
一声かけると、八神は鞭を枝から離しながら叫んた。
「閃光!」
一瞬の間を空けてドーンという雷が落ちたような轟音と共に、閉じていても目がくらむような真っ白い光に包まれた。光と共に大量の高圧電流が放出されたようで、ゴムが焼ける様な独特の焦げ臭い匂いがあたりに充満した。
俺は逆立った髪の毛を撫でつけながら目を開けた。大きな木を注視すると、何かがぼとぼと大量に落ちてくる。近くに寄ってみると、蛭の死骸・・・かと思ったが、電気ショックで気絶しているだけのようだ。とりあえず全部アイテムボックスに収納した。気絶していれば生き物でも収納できるみたい。
髪の毛をブラシで整えながら夜神が自慢そうに言った。
「どうや。なかなかのもんやろ。例のミスリルのおかげや」
俺は大きく頷きながらこたえた。
「さすがは夜神だ。あと二、三本ありそうだから頼むぞ」
その後は猫娘にチェックして貰いながら進んだ。合計で三回、黒い森に青い稲妻が走った。お陰で進路は曲げずに済んだ。蛭は全部で千匹位捕獲した。後で利根川にやろう。
伯爵は声も出ないようだった。イリアさんは淡々と褒めてくれた。
「雷魔法を使えるとは、流石は夜神様でございます」
とりあえず、夜神にはマジックポーションを渡した。蛭のゾーンは抜けたようなので、先頭を炎の剣に交代することにしたが、平井が残留を志願した。暴れたりないそうだ。元気が余っているようなので、そのまま残って貰うことにした。
黙々と木こりを続けていると、猫娘と炎の剣で斥候を務める小山が戻ってきた。前方に食虫植物が幅数百メートルに渡って群生しているらしい。遠回りするのも大変そうなので、強行突破することにした。
利根川を呼んでナパームで焼き払うのが簡単なのだが、山火事は起こしたくないので、草刈り作戦でいくことにした。月に向かって撃てから一条を呼んで、一条・平井・尾上の剣士三人で切り込むのだ。後詰めに小山と工藤がいれば問題ないだろう。
群生地前の木を切り倒すと、むわっとする湿気と共に、バニラのような甘い匂いに包まれた。空気に砂糖を溶かしたような、空中から蜜が零れ落ちるような、脳が溶けそうなほど濃厚な匂いだった。何も考えずに一歩足を進めようとした俺を猫娘が止めた。
「腐った肉の匂いがする」
目が覚めた。俺達の前には吐き気がするほど美しい絵が見えた。悪夢に出てきそうな食虫植物の群れが左右にひろがっている。食虫植物と言ったが、サイズ的にも巨大で、捕食対象は人間をはじめとする動物なので、食肉植物といったほうがいいかも。
薄緑色をした巨大なウツボカズラ(通称:お化けカズラ)と濃いめの緑色をした巨大なハエトリグサ(通称:緑の牙)の二種類しかいない。お化けカズラは高さ五メートル、捕食する壺の長さが二メートルもある巨大な植物だった。二階建ての住宅と同じ高さなんて植物と言うより木だな。一本の茎に壺が三~四個ついている。
葉っぱとは別に二本の長い弁を鞭のように使って獲物を捕らえ、壺の中に叩き込むらしい。壺は強力無比な消化液のプールになっており、たとえ人間でも僅か一時間でピンク色のスープに変えてしまうそうだ。
この消化液が曲者で、最初にひっかかりそうになった甘ったるい匂いの元凶がこいつだ。匂いにだまされ警戒心が無くなった状態でふらふら近寄ると、お化けカズラの左右に生えた緑の牙が待っている。
緑の牙は、高さ三メートルほどの赤い極太の茎の先に、広さが畳一枚ほど、厚さが三十センチ位の巨大な捕食葉二枚が対になって並んでいる。捕食葉の縁には銀色に輝く長さ三十センチほどのトゲトゲが、葉の内側には長さ十センチほどの短いトゲトゲが並んでいる。なんと茎を曲げることによって、この葉が動物の頭のように上下左右、自在に動くのだ。
射程距離に入ると捕食葉は虎のように噛みついてくる。嚙みつかれたら最後、捕食葉に挟まれ短いトゲトゲから体液を全て吸い取られてしまう。半分ミイラになった所で捨てられると、お化けカズラが残骸を回収して壺の中で溶かしてしまうわけだ。食材を無駄に捨てることなく全て美味しく頂くわけですな。
流石に大きな骨は溶けないので、何体か処理して底にゴミ(骨)が溜まると壺ごと切り落とす。すると新しい壺が生えて来るのだ。お化けカズラの匂いでおびき寄せ、緑の牙が仕留めることで効率よく獲物を狩るシステムになっている。よく見ると、お化けカズラの足元には白い骨がうずたかく積もっていた。
丁度俺達の前ではオークが一匹お化けカズラに向かってふらふらと歩いていた。あと三メートルくらいの所で、緑の牙が首を曲げてオークに襲い掛かった。突然上半身が挟まれたオークの絶叫が響いた。絶叫がいったん収まると、緑の牙は一度口を開けて改めてオークの全身を挟み直した。再び悲鳴が上がった。
挟みきれなかった頭と手足の先っぽが捕食葉の縁で切られてぼとぼと地面に落ちた。すかさずお化けカズラの鞭が動いて、パーツを壺の中に回収する。捕食葉はオークを挟んだままで、首を戻してまっすぐに立った。太い茎がはっきり見えるほど脈動している。体液を吸引しているのだろう。捕食葉の縁が鮮血で赤く染まった。もう悲鳴は聞こえない。
思ったより早いし、パワーもあるな。あれは植物じゃない。歩かない肉食獣だ。攻略方法を思案していると、利根川が先頭までやってきた。
「お化けカズラの壺の中の消化液が欲しいの。きっと凄く効率の良いたんぱく質分解酵素が含まれているはずよ。なんとか零さずに手に入れて頂戴」
相変わらずこいつは無理を言いなさる。俺も前線に行かねばならないようだ。小山にお願いした。
「頼む」
小山は余裕の顔で笑った。
「あなたは死なない。私が守るから」
作戦はシンプルだ。まず、後方支援部隊を用意する。利根川と夜神と木田の三人だ。利根川は中央で火の魔法のデモンストレーションを見せる。軽い脅しだ。夜神と木田は風魔法で常に南向きの風を起こして、俺達が匂いを吸わないようにする。
前線部隊の動き方も決まっている。お化けカズラの繰り出す鞭を搔い潜る→緑の牙を始末する→お化けカズラの鞭を切り落とす→壺を無傷で手に入れる。最後に茎を切り落としたら作戦完了だ。あとはそれを繰り返すだけ。
「せーの」の合図で作戦は始まった。風速五メートル位の風を背中から受ける。大型扇風機を背負っているみたい。システムは2-2ー3。もちろん俺のポジションは小山と一緒に最後尾の2だ。初戦の攻防は熾烈を極めた。
正面からは緑の牙の噛みつき攻撃。その間隙を縫ってお化けカズラの鞭が飛んでくる。お化けカズラの鞭は早いうえに変幻自在。抜群の反応速度を誇る平井でさえ押され気味だったが、次第に相手の攻撃パターンが読めてきたみたい。
三人は一瞬顔を見合わせると、次の瞬間には鞭を掻い潜って一斉に緑の牙の懐に飛び込んだ。岩をも斬る剣にはただ太いだけの茎など意味をなさない。あっというまに緑の牙は根元から倒れた。
鞭だけになればしめたもの。あっという間に切り落とすと、平井がジャンプした。次々と壺の上下につながった蔓を切っていく。後はそれを順番に収納していくだけだった。群生地の奥行きは三十メートルほどあったが、応援で花山と青井が盾役に、楽丸とヒデがバックアップに来てくれたので、背後を気にすることなく戦う事が出来た。
最終的には群生地のど真ん中を幅二十メートルに渡って切り開いた形になった。志摩に頼んで根っこも掘り返した上に、切り開いたスペースの両端に高さ五メートル・長さ五十メートルの壁を作ったので、これからは安全に行き来できるだろう。志摩にはマジックポーションを渡した。
念のため、適当な丸太を三メートルほどの長さで二本切って、半分に割って壁の前後に埋めた。こういう時も土魔法って便利だな。看板の地上に出る部分にはイリアさんに頼んで「危険!食肉植物群生地!」と大きく火魔法で焼き付けて貰った。もちろん、念入りに強化の魔法をかけたので、大丈夫だろう。
伯爵は目を白黒させていた。俺たちがやっていることが理解できないようだった。イリアさんが面白そうに聞いてきた。
「どうして全滅させないのですか?」
俺はこたえた。
「食肉植物でも生きてますからね。俺達が全滅させる権利はないと思います。それにもし全滅させるなら、とっくに焼き払ってますよ」
お化けカズラの壺は全部で百個位集めることができた。消化液は一個当たり千リットルくらい入っているので、十分だよね。切り倒した緑の牙も収納した。利根川はいらないと言ってたが、念のため冒険者ギルドに持っていこう。緑の牙は六十本位あった。
巨大蛭に巨大食虫植物、現実に存在したら悪夢ですね。ブルーサンダーは昔観た映画(ブルーサンダー/1983年/アメリカ)から取りました。主演のロイ・シャイダーがクール!ラストも超カッコイイ。ベトナム戦争の香りが全編に漂います。