第153話:黒の森4
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「危なかったですな。ヘルキャットは小型ながら鋭い爪と牙を持つ天性のハンターです。生まれつき隠密の術を会得しており、中には影道の術を使う者もおりますので、森の中で襲われると厄介な魔物ですぞ」
伯爵がハンカチで汗を拭いながら話しかけてきた。影道とは仲間の影の中に身を潜めたり、影から影へ移動できるスキルらしい。暗殺にもってこいだな。
それにしても数は力だ。一匹一匹は非力でも百匹以上で連携して襲ってきたらそれなりの被害は受けただろう。平井が「乗りたかった」と呟いたが、いくらなんでもサイズ的に無理ではなかろうか。
「戦わずして引き分けることも大事ですね」
勝つではなく引き分けというところがカッコ悪いと思いながら冗談で返したが、伯爵は真顔で頷いた。
「仰る通りですな。損害は最小限にすべきですぞ」
特に戦闘したわけではないが、精神的な消耗を考えて先頭は工藤がリーダーを務める「炎の剣」に代わった。パーティの中で斥候を務める小山が俺の横、藤原が俺の後ろにやって来た。
「今の所まっすぐ進んでいるよ。目的地まで百メートル位!」
藤原は鳩を撫でながら言った。要所要所で鳩を飛ばして、鳥の目で確認していたそうだ。幸いなことに、方角はあっているようだ。やがて前方が明るくなってきた。そろそろ到着かという所で、小山に止められた。
「どうした?」
小山が黙って指さした先には太郎とロボが、そしてその十メートルほど先には体長二メートルほどのワイルドボアがいた。俺たちに向かって突っ込もうとしたワイルドボアに対して太郎とロボが立ちふさがり、にらみ合いになったようだ。
三匹のにらみ合いは十秒ほどで終わった。突撃を阻止されて気をそがれたのか、一対二は分が悪いと思ったのか、ワイルドボアは森の奥の方に去っていった。太郎&ロボの勝利だ。誇らしげに戻ってきた太郎の顎の下を撫でてやった。
俺たちは無事集会所の跡地にたどり着いた。ここも石畳になっていて縁石に魔物除けの魔法陣が刻み込まれており、約五十メートル四方の跡地は安全地帯になっているのだ。集会所の痕跡は中央付近に立つ四本の柱だけだった。
昼時なのでそれなりの数の冒険者がいたが、構うことなく東南の一角に簡易トイレを出した。続いてその隣にターフと竹で日陰を作り敷物を引いた。休憩所の出来上がりだ。
こんなことやっているのは俺たちしかいないので、大勢人が集まって来るかと思ったが、太郎を怖がって誰も寄ってこなかった。冒険者ギルドでの噂(悪名)が機能しているのだろう。ちょっと悲しい気分。
今日のお昼ご飯はアイルランドの国民食であるソーダブレッドのサンドイッチだった。イースト菌の代わりに重曹(炭酸)を使ったパンだ。ひょっとすると女神の森産の炭酸水を使ってこねているのだろうか?生地にトウモロコシの粒を混ぜているのは平野流のアレンジか?
生地を膨らませるのに重曹(炭酸)を使っているので、ホットケーキの仲間みたいな感じがするが、卵も牛乳も使っていないのでれっきとしたパンだ。具はオーソドックスにハム・チーズ・レタス・トマト・キュウリ・ベーコン・ローストチキンなどが挟んである。
飲み物はこれもオーソドックスにオレンジジュースと冷やした紅茶だった。こっちの世界では紅茶を冷やして飲む風習は無いので、護衛の騎士たちが驚いていた。デザートはリンゴのジェラートだった。これも定番で珍しくはないんだけど、熱い昼間に外で食べるのってなんか最高。
太郎に何もやらない訳には行かないので、俺のサンドイッチを半分やった。ご褒美は宿舎に帰ってからと説明したら、分ってくれた。良い子やなあ。猫娘は自分で狩った獲物を食べて満腹みたいだ。何事も新鮮なのが一番だな。
利根川の集会所周辺の薬草採取が一通り終わったので、広場に戻ることになった。伯爵の終了の号令を聞いてからターフを片付け、トイレも収納する。
引き続き志摩が先頭に来てくれたので、道路の拡張は順調に続きそうだ。帰り道の先頭はガーディアンなので、パーティの中で斥候を務める羽河が隣に来てくれた。
「たにやん、相変わらずやることが無茶苦茶ね」
俺は斧を振るいながらこたえた。
「え?なにが?」
羽河は腕を組みながら答えた。
「後ろを見てよ。みんな遠足気分で歩いているわ」
利根川と佐藤は行き道で取りこぼした薬草の採取で忙しいが、それ以外は雑談しながらのんびり歩いているようだ。ジュースを飲んだり、お菓子を食べながら歩いている。なんか楽しそう。
「まずかった?」
俺は額の汗を拭いながら聞いた。羽河はため息をつきながら答えた。
「悪くはないわ。あなたが高村光太郎のファンである事は分かったけど、これでいいのか少し疑問に思ったのよ」
確かにまともに戦ったのはクレイジーモスキートだけみたいな気がする。経験値稼ぎと言う意味では失敗かもしれないが・・・。
「まあ、初日だし・・・。誰も怪我しなくて良かったんじゃないか?」
羽河は渋々頷いた。確かにこれで冒険と言えるかどうか疑問ではあるが、ヘルキャットの件は結構危なかったのではなかろうか。でも、解決方法が買収というのはまずかったかもしれない。反省しよう。
帰り道は何事もなく広場にたどり着いた。行きは一時間(地球時間の二時間)ほどかかったが、帰り道は一刻(二十分)しかかからなかった。これで明日以降も効率よく進めるだろう。集会所に続く道は幅四メートルほどに広がってた。
俺たちは馬車に乗り込んだ。ロボには浅野経由でウォーターシャークの肉を十キロほどやったら、喜んで食べていた。帰りの馬車も何もなかった。なぜか最後黒の森に向かって手を振ってしまった。
馬車の最後部で太郎に絡まれながらぼんやり考えた。もうちょい馬車の速度を上げる方法は無いのだろうか。だって、行き帰りの時間が無駄というか、もったいないんだもん。それともこういう考え方そのものがこの世界にはあってないのだろうか。
暇だったので、アイテムボックスに入れたクレイジーモスキートの灰を調べると、灰の中に直径一ミリほどの小さな魔石があることが分かった。魔石の大きさは体の大きさに比例するんだろうな。仕分けして集めるとソフトボールくらいの大きさになった。千粒くらいあるみたい。何の役に立つか分からないけど、取っておこう。
森の中で伐採した木は枝葉を落として皮を剝いだ。原木と果実は種類ごとにまとめておく。枝葉と根っこと草は粉砕した。粉砕後は堆肥フォルダに移動する。「堆肥を作りますか?」というメッセージが出たが、ある程度量が貯まるまでこのままにしておこう。
予定よりかなり早めに戻ったのだが、ラウンジでは商業ギルドのジョージさんが待っていた。既に会議室を用意してくれていたので、羽河と三人で移動する。
「鍛錬は順調そうですな」
「お陰様で。今日から黒の森です」
「魔物はおりましたか?」
「クレイジーモスキートとヘルキャットに遭遇しました」
ジョージさんは眼を大きく見開いて叫んだ。
「ご無事でしたか?」
「はい、クレイジーモスキートは焼き払い、ヘルキャットは買収しました」
?を顔に貼り付けたようなジョージさんに構わず打ち合わせを始めた。まずは、娯楽ギルドの契約書と汎用的なデザイン提供の契約書を受け取る。羽河が確認と署名に行っている間、ジョージさんが聞いてきた。
「先ほどの買収とはどいういう意味でしょうか?」
俺は正直に答えた。
「大鯰・マッドクラブ・キラーフィッシュ各一体と引き換えに道を開けてくれるよう、ヘルキャットに頼んだだけです」
ジョージさんはさらに驚いた。
「それが通ったのですか?」
俺は頷いてこたえた。
「はい、猫娘が通訳してくれましたので」
「仰っていることがさっぱり理解できませんが、皆様が人知を超えた技をお持ちであることは理解しました」
俺はついでに頼みごとをした。
「小柄な女の子用にワンピースを二、三枚用立ててもらえませんか?」
ジョージさんは笑顔で聞いた。
「承知しました。サイズはどの位ですか?」
「身長は百五十五センチ位。膝丈でお願いします」
「そのサイズですと子供用になりますが、よろしいですか?」
「それでお願いします」
「色はどうしますか?」
「赤・オレンジ・青でお願いします。無ければ他の色で」
「かしこまりました」
丁度羽河が戻ってきた。
「契約書に問題はありませんでした。娯楽ギルドの契約と汎用的なデザイン提供の契約はこれで成約となります」
羽河が差し出した汎用的なデザイン提供の契約書を受け取ると、ジョージさんは握手でこたえてくれた。着席したジョージさんは懐から小さな瓶を取りだした。
「お陰様で火酒の蒸留が始まりました。出来上がったものの見本をお持ちしましたので、ぜひ試飲をお願いします」
俺は笑顔で受け取った。
「ありがとうございます。後で利根川に渡します。何か問題があれば連絡します」
「よろしくお願いします。それと一つ気になる情報がございます」
「何でしょうか?」
ジョージさんは、紅茶を一口飲んでから告げた。
「菜種を採取するために川沿いの土手を作業していたところ、東の街道の最初の橋の近くにある川沿いのアズの林の中に果物が実った聖域がありました」
「聖域?」
「そうです。聖域です。広さはおおよそ五十メートル四方くらいでしょうか。そこだけ切り取られたように各種の果物がたわわに実を付けているのです。中に入れないわけではないのですが、神聖な場所であり勝手に取ってはならないと感じました」
俺は心の中で冷や汗を流した。孤児院の子供たちとピクニックに行った時のバーベキューの会場の跡ではなかろうか。何か感づいたのだろう、羽河が横でため息をついていた。仕方がないので、思い付いたままを話した。
「きっと女神様と縁があるのでしょう。東の教会にまかせたらよろしいかと思います」
「かしこまりました」
なぜ俺の思い付きをそのまま信じてくれるんだろうか?
ジョージさんは笑顔で帰っていった。蒸留が軌道に乗れば、樽の材料になる原木を売って欲しいそうだ。ラウンジで見送ると羽河は笑顔で聞いた。
「何をやったの?」
俺はびくびくしながら答えた。悪い事は何もしていないはずだ、多分。
「ピクニックに行った時に子供たちが走れ回れるところが欲しくて、金の斧と金の鍬で臨時の運動場を作ったんだ。そこに二回目に行った時に、なればいいなと思って果物を適当にばら撒いてきた」
「聖域ってどういうこと?」
「すまん。さっぱり分からん」
羽河はもう一回ため息をつくと、呟いた。
「特に害はないみたいだから何もする必要はないけど、教会のフォローはしておいてね」
「分かった」
お説教は無かった。ちょっと嬉しい気分。俺はそのまま庭に出て、太郎にご褒美をやった。ウォーターシャークの内臓の残り全部だ。太郎はお腹がすいていたのかうまかったのか、ほとんど全部食べた。
ラウンジに戻ると利根川がいたので、まずはジョージさんから預かった原酒の見本を渡した。利根川は原酒を受け取るとじっと見つめた。鑑定しているみたい。利根川は顔を上げると笑ってこたえた。
「問題ないわ。あとは樽に入れて、既定の期間熟成させるだけよ」
次にクレイジーモスキートの灰と魔石を見せたら、大喜びした。それも灰の方を喜んでいた。珍しいそうだ。全部やった。隣で紅茶を飲んでいた江宮が魔石を見つめていたので全部やったら同じく喜んでくれた。小さな魔石も希少らしい。
今日の晩御飯は、肉野菜炒めだった。味付けは生姜・ニンニク・果汁・酒・塩・胡椒・砂糖をしょっつるでまとめた焼肉のたれだった。肉と野菜を切って炒めただけなのに、なんでこんなにうまいのだろうか。みんな話もせずに一心に食べていた。
デザートはみたらし団子だった。しょっつるつながりなんだろうけど、この素朴さが最高。今日のお供えはボンゴレ・ロッソと肉野菜炒めとみたらし団子だ。「美味し!」の声と共に、ペタン・ペタンという音が聞こえた。利根川が喜ぶ日も近いようだ。
とりあえず黒の森一日目は無事終わりました。道路を作っただけみたいな気がします。