第15話:死者の書
王宮の地下で秘密の会議が行われたのと同時刻、宿舎の一室でも小規模な会議が開かれようとしていた。参加者は夜神光と得体のしれない男。素肌に黒の上下を羽織っている。ただ、その男の態度はあまりに不敬だった。机にだらしなく腰掛け、赤い実を手掴みでほおばっている。
「あんた誰や?」
ラウンジから部屋に戻ってきた夜神は悲鳴を上げる代わりに詰問した。ドアを閉めて振り返ったら、知らない男が窓際の机に腰掛けていたのだ。ドアを開けた瞬間には確かに誰もいなかった。それは間違いない。
しかし、扉を閉めて振り返ったら魔法のように現れたのだ。瞼のないむき出しの目に上下ともピラニアのような鋭いぎざぎざの歯、ツンツン逆立った髪、身長は2メートルを軽く超えるだろう。一目見てわかった。こいつは人間じゃない。
「俺はルークス。死神だ」
「死神はん、随分と早いお出ましやなあ。でもあんたなんか呼んだ覚えはないで。それと話しながらもの食べるのはやめといてんか。行儀が悪いで」
死神と名乗った男は肩をすくめてから果物を机の上に置いた。
「これは失礼。まさか異世界でもリンゴを食えるとは思わなかったのでな。お前も食うか?」
「いらんわ。それにあんたが食ってたの、リンガやろ?」
「この世界ではそう言うらしいな。味はマッキントッシュに似てる。少し酸味が強いが、爽やかでリンゴらしいリンゴだ」
「リンゴの味をパソコンに例える人を初めて見たわ」
「知らんのか。元々マッキントッシュ(Mcintosh)はカナダ原産のリンゴの品種だ。旭という和名もあるぞ。アップルの創始者が『a』の一文字を追加してパソコンのブランド名(Macintosh)にしたのは有名な話だ」
「ハロウィンの仮装したホストみたいな死神にパソコンの名前の由来を教えられるとは思わなんだわ」
夜神は少し脱力した。自分の命を取りに来たわけではないかもしれない。
「リンゴの話はもうええ。それより私に何の用や」
夜神は懐の中の杖を汗ばんだ手で握りしめた。頭の中は部屋に入ってから警報が鳴り続けている。
「何の用?強いて言えばご挨拶だな」
「隣の部屋に越してきましたとか?な訳があるかー!」
死神がぱちぱちと拍手した。
「いやー、きれいなノリ&ツッコミだった」
「ええから分かるように説明しいや」
死神の説明を記すると以下のようになる。
・夜神の家系はいつの代からか死者の書を伝承していた。
・夜神に死者の書が宿った。
・異世界召喚の際、渡し守の祝福の一つ、健康によって、死者の書が強制的に排出された。
・本来なら長い時間をかけ夜神の悪想念を吸収して成長するのに、完成前の段階で排出されたため、不完全な状態になっている。
・死者の書の所有権は夜神にある。
夜神は黙って本棚から表紙がピンク色のノートを取ってきた。表紙には白抜きで「ですのーと」と可愛らしい丸文字の平仮名が書いてある。昨日、ラウンジから自分の部屋に入ったら机の上に置いてあったのだ。
「これか?」
「おおそれだ。本来ならば表紙は黒一色で、タイトルも『DEATH NOTE』になるはずなのだが」
「これで何をしろというねん?好きな男の名前でも書けというんかい?」
「それはお勧めできんな。書いた後一日以内にそいつは死んでしまうぞ」
「なんやそれ?」
「それがDEATH NOTEだ。名前を書くと一日以内にそいつは死ぬ。名前が平仮名になっても、表紙がピンクになっても、それだけは変わらん」
「私に殺人者になれいうんか?」
「そうは言ってない。ただ、お前が望めば自分も含めて誰でも殺せる、その力を得たというだけだ。むろん、その力を使うかどうかはお前の自由だが」
夜神は衝撃のあまりへなへなと座り込んだ。体操座りになって頭を膝に押し付ける。そのまま5分が過ぎた。死神はまたリンゴをかじりながら待った。長い時を待ち続けた死神にとって5分など一瞬にも満たない。
夜神は立ち上がった。再起動が完了したようだ。
「幾つか聞きたいことができたわ」
「何でもどうぞ。夜は長い」
「一番の問題はそのノートが本当かどうか、うかつに試すことができないということやな」
「安心しろ、本物だ。お前だって殺したい奴の一人や二人いるだろう。そいつの名前を書いて試したらいい」
「幸か不幸かそこまで憎んでいる人間はおらんのよ。逆に命かけても守りたいのはおるけどな。なんせ、この世界来たばかりやから誰もよう知らんし」
死神はため息をついた。クラスメート以外は初めて会う人間ばかりだ。こいつ死んでもいいや的な人間はこの世界にはまだいないだろう。
「わかった。実証実験は後日としよう」
「試しで人を殺すようなことはようせんて」
夜神は頑なだった。死神は肩をすくめた。
「他に聞きたいことは?」
夜神は死神を睨んだ。
「そもそも死神てなんや。死者の書とどういう関係があるんや」
「死神はその名の通り人の死を管理する神だ。そして死者の書の所有者でもある。はるか昔に散逸した死者の書の一つがお前の血筋に入り込んでいたのだ。俺は千年もの間探し続けていたが、この異世界召喚でようやく探し当てたという訳だ」
「あんたの目的はなんや」
「お前の破滅と死だ。死者の書を持った状態でお前が死ねば、死者の書の所有権は俺に戻り、回収は完了という訳だ」
「それはあんまりやないの?人にこんな物騒なもの押し付けて挙句に死ねと。死んだら私どうなるねん?」
「天国でも地獄でもない何もない場所で永久にさまようことになる」
夜神は崩れそうな体を怒りで支えた。
「ふざけんな。そんな未来は受け入れられん。まったくもって理不尽すぎるで。私の破滅がどうのこうの言ってたけど、もしかすると死者の書を使い続けるとそういうことになるんか?」
「者の書にそういう機能は無い。ただ、人の心は弱い。使い続けると精神のバランスが損なわれ、やがて崩壊する。崩壊した魂は死んでもどこへも行き場所がない。人の心は人間の生死をおもちゃにできるほど強くないようだ」
夜神は叫んだ。
「私にええこと一つもないやないの!」
死神は落ち着いて応えた。
「そうか?人の死を神に代わって自在に管理できるのだぞ。出世も富も名声も全て思うがままだ。現生での栄達や正義の実現にまたとない力になると思うが」
夜神は冷ややかな笑みを浮かべた。
「分かった。あんた死神やない。悪魔や。今までもその口で何人もの人間を誘惑し狂わせ破滅させてきたんやろ」
「俺は悪魔ではない。死神だ。それに何一つ嘘は言っていない」
「確かに嘘はついとらんかもしれん。でも、知ってることを全部教えている訳でもないやろ?」
死神は肩をすくめた。
「信じてもらえないのは悲しいことだ」
「よう言うわ。でもこのやり取りのお陰で、私にも一人殺したい奴がいることを思い出したわ」
夜神はテーブルの前の椅子に座り、死者の書を開いた。ポケットから愛用のボールペンを取り出す。中学一年の誕生日に鷹町から貰ったお気に入りのペンだ。夜神はペンを構えて深呼吸した。覚悟が決まり、さあ書き出そうとした瞬間、死神が死者の書をひったくった。
「何するねん!」
夜神が怒声を上げた。
「それは俺のセリフだ。お前、今あれを書こうとしただろ」
死神がめずらしく焦っていた。
「あれってなんや?死神とか書かんで。安心し」
「あれはあれだ。ほら、あれだよ」
「あれじゃわからんて」
死神はしばらく考えてからあきらめた。
「正直に言おう。今、魔王と書こうとしただろ?」
「そうや。なんか悪いんか」
死神は額に青筋を立てて怒鳴った。
「悪いに決まっているだろうが!これから冒険の旅が始まるとワクワクしている少年少女の夢をぶち壊すのか?国を傾けるほどの労力をかけて勇者を召喚した王女様たちの努力を無駄にするのか?」
夜神は怒りを抑えた低い声で返した。
「あんた分かってるのか?私たちの目的は日本に帰ることなんよ。魔王を倒すのはそのための手段なんや。目的と手段を間違えてどないするんや。どういう手かて魔王を倒せばいいんよ。サクッと死んでもろうてサクッと帰る、誰も死なないし傷つかん。王女様だって大喜びや。人的損害も物資の消耗も無しで魔王を倒せるんよ。どこが悪いの?」
「いやそれでもな。せっかく異世界に来たんだし、モンスターを倒したり、ダンジョンに潜ったり、魔法を使ったり、みんなもいろいろやりたいんじゃないかな」
「あほか!そんなん命あっての物種や。遠足は帰ってくるまでが遠足なんやで。命の危険があるのに何言うてるねん。修学旅行やないんやで」
夜神はぶつぶつ文句を言いながら死神から死者の書を取り返した。再度ボールペンを握り、書き出そうとすると、死神は奇声を上げて死者の書を奪い取った。
「あきゃきゃきゃー」
夜神はあきれた顔で死神を見た。
「そんなに魔王と書くのが嫌なんか?それと今の声、どっかの世紀末世界のザコキャラみたいやったで」
死神は額の汗をぬぐいながら言った。
「いやいやいやいや、とりあえずザコキャラはやめてくれ。これでも死神の一柱なんだ。そ、そうだ、もし同姓同名で『魔王』さんがいて、そっちが死んでしまったらどうするんだ。父親の突然死、呆然とする妻、何も知らずに無邪気に遊ぶ子供たち。何の罪もない幸せな魔さん一家をいきなり不幸のどん底に突き落としてお前は平気なのか?鬼・悪魔・人でなし!」
死神は夜神を指さして攻め立てた。
「あんた頭大丈夫か?」
夜神はあきれていた。
「多分、いや絶対に大丈夫だ。世界の魔さんのために俺は戦うぞ!」
死神は死者の書を振りかざして勢いよく宣言した。まるで正義の味方だ。
「どこに魔王ではない魔王さんがいてるねん。焼酎じゃあるまいし、姓が魔で、名が王とでもいうんかい?確かに世の中に変わった奴はぎょうさんいてると思うけど、わざわざ魔王なんて名前を付ける奴なんかおらんやろ」
「しかし、魔王さんがいない、ということをお前は証明できるのか?」
「なんか悪魔の証明みたいやな。でも逆言うたら魔王さんがいることをあんた証明できるんか?」
「できん。俺が言っているのはあくまで可能性の話だ」
「可能性の話なら簡単や。いいか、仮に魔王ではない魔王さんが死んだとする。しかし、私らにとっては見ず知らずの赤の他人が死ぬだけや。しかも、死んだかどうかを知ることすらできん。反対にうまくいけばリスクなしで目的達成や。どっちがええか誰でも分かるやろ」
夜神は死神の手から死者の書を再度取り返した。今度は立ったまま書こうとする。
「ちょっと待ったー!」
死神が右手を前に突き出しながら叫んだ。
「今度はとんねるずかい。忙しいやっちゃな」
夜神はペンを置いて死神を見た。
「お前さっき言ったろ。試しで人を殺すようなことはようせん、と。つまり、見ず知らずの人間でも、うっかり殺せないということだろ。だったら、死者の書を魔王で試すのはやめてくれないか。頼む」
死神は夜神に頭を下げた。夜神は冷たく拒絶した。
「魔王は人やない」
「確かに人ではないが、種族が違うだけで人語を解す知的生物だ。人間と同等の高等生物だぞ」
「俺の目的はお前の破滅と死だ、と言ったのはどこの誰やったかいな。いきなり人道主義者になっても信用できへんで」
夜神は余裕の表情でくるくるとペンを親指と小指の間で回した。死神は降参とばかりに両手を上げた。
「分かった。俺の目的はお前の破滅と死だ、というさっきの発言は取り下げよう」
「ふーん、どないしようかなー」
「さらに、この世界にいる限りできるだけお前に協力しよう」
「協力って何してくれるねん?」
「基本的に何もしない。見守るだけだ。ただ、お前が望めば、関係する人間の余命を教えてやろう」
夜神は数秒考えた後で決断した。
「余命はええわ。けど、ひとまずかんべんしたろ。とりあえず魔王と書くのは止めとくわ」
死神は胸を撫でおろした。
「一つ教えておこう。知らない誰かを殺そうとしたら、名前を書くだけでは死なない。最低限、そいつの顔をその目で見て確認する必要がある」
「知らん奴はIDの他に顔認証が必要ちゅうことかいな。だったら魔王と書くだけじゃ発動しないんやないの?」
「そうかもしれん。ただ魔王は特別だ。唯一無二の存在として顔とか認識とか関係なく発動する可能性がある」
「あんた見かけによらず慎重派やな」
「長生きも芸のうち、だ。もう一つ教えておこう。死者の書はスキルとして登録されている」
「え?私のステータス見ても光魔法しかないで」
「まあまあ、もう一度ステータスを見てみろ」
夜神は言われるまま呪文を唱えてステータスを開いた。
「やっぱ光魔法しかないで」
「光魔法に指をあててずらしてみろ」
夜神が半信半疑で指をあてて上にずらしてみると、文字が動いた。光魔法の下には「偽装」の文字があった。
「なんやこれは?」
夜神は驚いて叫んだ。
「もう一度やってみろ」
「偽装」に指をあてて今度は下にずらしてみると、再び文字が動いた。「偽装」の下には「死者の書」と書いてあった。
夜神は驚きのあまり声も出ない。死神が得意げな顔で説明した。
「偽装は死者の書の機能だ。偽装によって、死者の書は隠されている。並みの鑑定では決して見破れないだろう」
「はあ・・、本人にも分らん隠しスキルとかチートすぎるで・・。それにしても光魔法と死者の書の両方持っている私ってなんなの?」
死神はにやりと笑った。
「地獄の天使とでも呼んでやろうか?」
「それは勘弁しといてんか。だいたい私、バイクの免許持ってへんで」
「なら、これはどうだ。にっこり笑って人を殺る」
「いくらなんでも国定忠治は古すぎるわ。それにまるでシリアルキラーやないの」
死神はへこたれなかった。
「ちなみに、殺るは英語のKILLとかけてある」
夜神は大きく息を吐くと死神をまっすぐ見た。
「英語を使ったダジャレとかあんた一体何者やねん。まあええ、最後に一つ聞いておくわ。なんでそないに魔王が死んだら困るねん」
死神はあきれたような声で言った。
「魔王が死んだら遅かれ早かれ帰還だ。つまりこの世界とはおさらばになってしまう。それは困る」
「なんで?」
「だって見るもの聞くもの全てが古くて魔法で面白いんだもん。これから先に直面するであろうモンスターと魔法、そして魔法を使ったバトル、異世界と現代日本の価値観の衝突とトラブルなんてのもありそうだし、キャラも各種そろっている。どうかすると王道の恋と剣と魔法の異世界ファンタジーが期待できそうじゃないか」
「あんたライトノベルの読みすぎやで」
「それに・・・」
死神には夜神の言葉が耳に入らなかったようだ。
「まだお土産を買っていない」
夜神は死神を諭すのをあきらめた。駄目だこりゃ・・・。
また会話だけで一話終わりました。最後の「にっこり笑って人を殺る」は、本当は「にっこり笑って人を切る」です。