第136話:炎獄ってなーに?
俺達が中に入るとぴたりと騒ぎがおさまり、一斉にひそひそ話がはじまる。もちろん、平井や藤原に注目が集まっているのだけれど、それと同じ位注目を集めたのはイリアさんだった。
「炎獄だ!」
「炎獄じゃねーか」
「炎獄だな」
「炎獄だとは・・・」
「炎獄って誰だ?」
「うるさい、静かにしろ!消し炭にされるぞ」
「炎獄の隣にいるのは誰だ?」
「炎獄の情夫か?」
「馬鹿野郎、声がでかい」
とりあえずイリアさんが冒険者に相当恐れられていることは理解した。皆はさっさと三班(食堂のカウンターで注文、掲示板見学、席取)に分かれたので、俺はカウンターに向かった。
サンドラさんの列に並ぼうとしたら、また「どうぞどうぞ」攻撃を受けて、一番前になった。サンドラさんはイリアさんと腕を組んだままの俺を見て、にやにや笑いながら紙切れを受け取った。
「その子が男に利き手を預けるのを初めて見たよ。あんたなかなかやるじゃないか」
「恐縮です。いつもお世話になっているので、エールを一杯奢ろうと思ったんです」
「その子の好物は串焼きだよ。エールに付けてやりな」
「ありがとうございます。先輩方にもエールを一杯ずつと串焼きをお願いします」
「毎度ながら気前の良いこった。まあこれまでの稼ぎを考えればどうってことないか」
サンドラさんは金貨三枚と銀貨五枚を見せると大きな声で叫んだ。
「ジョーイ、ろくでなし共にエールを一杯ずつ、それとテーブルごとに大皿で串焼きを出しな。タニヤマの奢りだよ」
食堂が歓声に包まれた。みんな喜んでいるみたい。サンドラさんは笑顔で尋ねた。
「奢りとあんたらの分を差し引くとこんなもんだね。どうする?このまま現金で受け取るかい?それとも口座に振り込むかい?」
とりあえず現金は必要なさそうなので、口座に振り込むように頼んだ。イリアさんと腕を組んだままテーブルに向かうと、洋子が目を吊り上げて迎えてくれた。イリアさんは申し訳なさそうな顔をしながら腕を外してくれた。
「菅原様、申し訳ありません。久々の冒険者ギルドで高揚してしまい、つい調子に乗ってしまいました」
テーブルには人数分のエールと大皿で串焼きが置いてあった。カウンターに行くと問答無用で渡してくれたらしい。
まずは生ぬるいエールで乾杯した。左隣に座ったイリアさんがすごく喜んでいるような気がする。その分右隣の洋子の機嫌が悪いので、火と氷に挟まれたような気分だった。すると正面に座った藤原が悲しそうな顔で聞いた。
「たにやんは年上が好きなの?」
今それを聞くのか。そんなに火中にガソリンをまいて嬉しいのか?テーブルの下の俺の右足はもう折れそうだ。なんとか雰囲気を変えようと思って、「炎獄」の意味を聞いてみた。イリアさんはあっさり答えてくれた。
「私の一番の得意なのは火魔法ですが、たまにオーバーキルになってしまうことがあるのです。それを見た人間が『赤子を笑いながら焼いた』とか『山ごと灰にした』とか根も葉もないことを触れ回ったのでついた不名誉な二つ名です」
今更事実確認することはできないが、「炎獄」は炎の地獄という意味だそうだ。さぞかし凄い魔法なんだろうな。イリアさんはエールをちびちび飲みながら、魔法の神髄について話してくれた。
イリアさんによると、レベルやスキルがいくら上がっても、でかい魔法を全力で放つだけでは長生きは出来ないらしい。むしろ初級や中級の魔法を磨いて、相手や状況に応じて使い分けることが肝心なのだそうだ。魔力を効率的に使うことが重要なんだな。
だから、ファイアーボール(炎の球)を使えるようになっても、ファイアーアロー(炎の矢)をおろそかにせず、一度に打てる個数・精度・速度を上げ、発現までの時間を短縮することが大事らしい。やっぱコントロールやクイックモーションは大事だな。ヒデが大きく頷いていた。
「特に来週鍛錬する森林地帯は可燃物だらけです。大きな火魔法を使って森林火災を起こすと、自分だけでなくパーティが危なくなったり、想定外の強力な魔物を呼び覚ましたり、果ては魔物の集団暴走を起こす可能性すらあります。くれぐれも用心してください」
イリアさんは自嘲気味に続けた。
「私が得意なダンジョンは水系統でした。氷雪系も嫌いではなかったです。なぜだか分かりますか?」
江宮がこたえた。
「力の加減が不要で常に全力で撃てるからですか?」
イリアさんは微笑みながら頷いた。確かに底知れない魔力を感じるもんな。さっきの発言と真逆だが、何も考えず全力を出せるのは確かにやりやすいかも。
ここで夜神が手を挙げた。
「魔法の力の加減が良く分らんのやけど」
イリアさんは柔らかな声でこたえた。
「昔、一割刻みで威力を調整できるという人がいたらしいですが、それは例外と言うか奇跡です。通常は、少し・普通・全力の三段階で調整するのが良いでしょう。だからなおさら、初級魔法や中級魔法を極めることが大事になるのです」
利根川が続けて聞いた。
「具体的にはどう調整したらよいですか?」
イリアさんは落ち着いて応えた。
「分かりやすくいえば、ファイアーアローの本数です。少しで一本だけ、普通で五本、全力で十本という形にすれば、目に見える形で調整できます。火の温度を変えるのも一つの方法です。温度によって炎の色は変わるので、分かりやすいと思います」
木田が真面目な顔で聞いた。
「他に注意すべきことはありませんか?」
イリアさんは数秒考えてからこたえた。
「森林は草原と比べると魔物の種類が圧倒的に多いのですが、特に昆虫系と植物系には気を付けてください。毒持ちや群れをなすものは要注意です。また、オークやオーガなど人型の強力な魔物と遭遇すると思います。集団戦闘に慣れる必要があります。それと・・・」
イリアさんが言い淀んだので聞いてみた。
「何かあるんですか?」
「今回はそれほど奥に行く予定はないので大丈夫と思いますが、もしもビッグブラザーが現れたら何も考えずに全力で逃げてください」
浅野が聞いた。
「ビッグブラザーって何ですか?」
「トロールの通称です。あの森の王様です。巨大で怪力なだけでなく、不死に近い再生能力を持っています。一撃で生命力を断ち切る力が無いと討伐は無理です」
イリアさんでも森を焼き尽くす覚悟が無いと戦えないそうだ。森を焼き尽くすとなると、当然こっちも無事では済まない。それほどの相手なのだろう。
それ以外では昆虫系と聞いて女の子達が嫌な顔をしていた。確かに講義で聞いた虫系の魔物はどれも非力ではあるが毒を持っていたり、蜂とか蟻のように集団で襲ってくる奴が多かったような気がする。あんなのと森の中で戦いたくないな。虫除けスプレーが欲しいぜ。
イリアさんの話を聞いて、明日は三パーティとも練兵場で訓練することにした。ついでに明後日はどうするか話したところ、希望者多数で湖沼地帯になった。そんなにいいかな?
丁度エールを飲み終わったので、宿舎に戻ることにした。食堂の先輩方は歓声で見送ってくれた。なんとなく、帰ってくれてありがとう的な空気を感じたけど、気のせいだよね。
宿舎に戻ってまずは食堂に行った。平野にお土産(レイジングブルのヒレ・サーロイン・ロース・赤身・肝臓・腎臓・ラード+ワイルドボアのロース)を渡す。全部で重さにして二百キロ以上あると思う。ついでに羽河から預かった角兎を渡した。
「ありがとう。これ、レイジングブルとワイルドボアだよね。肉がきらきら光っているよ。ラードもありがとう。助かるよ」
次に庭に行った。「太郎~」と声をかけると足元の植え込みから真っ黒い頭を持ち上げた。相変わらず心臓に悪いぜ。お土産に持って帰ったレイジングブルの内臓を出すとガツガツ食べた。おいしかったみたい。うっかり頭を撫でそうになった。注意しよう。
食堂からラウンジに戻る途中で厨房リニューアル準備室に行くと、江宮が昨日に続きミニチュアを作っていた。既に出来上がった冷蔵庫を手に取ったのだが、上下三段・左右二枚に分かれたドアはちゃんと開閉するようになっている。このまま模型として売れそうなレベルだった。もちろん、色は全てステンレスの様な銀色だった。流石だぜ。
ラウンジに戻るとカウンターから呼ばれた。
「商業ギルド様が会議室でお待ちです」
とりあえず羽河を呼んで貰い、一緒に会議室に向かった。
ジョージさんは挨拶もそこそこにゴムの契約書の雛形と冷蔵庫・冷凍庫・製氷機・加湿器・食器乾燥機の別紙の雛形を渡してくれた。異例の速さだな。大丈夫かな?
「ありがとうございます。確認してからお知らせします」
羽河の力強い言葉を信じよう。これで今日の用件は終わりなのだが、ジョージさんは遠慮しながら聞いてきた。
「先ほど入室する際に隣の部屋のドアに目が行きましてな、厨房のリニューアルを行われるとお見受けしました。ひょっとすると皆様も関係されているのでしょうか?」
目ざといな~。俺は羽河と顔を見合わせてから返事した。
「仰る通りです。しかしまだ始まったばかりで、まだお見せする物は何もありません。お見せできるようになったら、声をおかけしましょうか?」
ジョージさんは即答した。
「ぜひお願いします」
俺はついでに聞いてみることにした。
「先日、打ち合わせのために娯楽ギルドのことを木工ギルドさんにお話しした所、今後新しいギルドを立ち上げる際には是非加わらせて欲しいと頼まれました。魔法科学ギルドのことについてお知らせしても良いでしょうか?」
ジョージさんは慌てることなく返事した。
「内密に、という条件付きで結構です。ただし、出資比率は商業ギルドが一番大きくすること、これだけはご理解頂けますでしょうか?」
俺は頷きながらこたえた。
「それで問題ありません。木工ギルド以外にも鍛冶ギルドと雑貨ギルドにも声をかけても良いですか?」
ジョージさんは笑顔でこたえた。
「先ほどの条件がかなうならば問題ありません。また、我がギルドにも参加して欲しいギルドが幾つかございます。出資するギルドと比率は我がギルドで調整しますので、ご安心くださいませ」
こういうことには慣れているんだろうな。娯楽ギルドについては、軍の了承が出次第、商品の発売時期やカップ戦の詳細を決めることにした。次のネタを掴んだ感触があるからだろうか、ジョージさんは笑顔で帰っていった。
羽河と二人きりになったので、魔法科学ギルドへの出資について聞いてみる。
「木工ギルドと鍛冶ギルドと雑貨ギルドに声をかけていいかなあ?」
「たにやんの判断に任せるわ」
笑顔の羽河とラウンジに向かって歩きながら、デザインのことを聞いてみた。
「トートバッグ用のデザインの話はどうなった?」
羽河は嬉しそうに答えた。
「みんなやる気になっちゃって大変よ。二~三日で内覧できると思うわ」
とりあえず、出来上がったら見せてもらうことにした。そのままカウンターに行って、ターフを取り寄せてもらうように頼んだ。サイズと枚数を聞かれたので、サイズは五メートル四方・枚数は予備を含めて三枚でお願いした。
ついでに敷物を二枚、あわせて頼んでおく。
羽河と分かれて少し早めに食堂に行くと、チェンバロの所で野田とベルさんが打ち合わせている。がらんとしたダイニングの中、先生が夕日を背にしてぽつんと一人で指定席に座っていた。目の前には小鉢とグラスが一つ。不思議に思って声をかけてみた。
「先生、早いですね」
「夕食前の刹那のひと時、私のささやかな楽しみを知られてしまいましたね」
先生は静かに笑った。
事の次第を聞いてみると、ある時、丁度仕事が終わったので、早めに食堂に行ったら賄いを小鉢に入れた物とウイスキーのロックを出してくれたそうだ。それ以降、早めに行くとお酒と簡単なつまみを出して貰えるようになったとのこと。
つまみはオークの燻製だったり、野菜の酢漬けだったり、その日によって異なり、お酒もつまみに合わせて変わるのが何よりの楽しみなのだそうだ。
「こうして厨房の喧騒を聞きながら一人静かにお酒を味わっていると、一日の終わりが始まるという気分になって、それがなんとも贅沢で嬉しいのです」
ちなみに今日のつまみは蟹味噌で、お酒はウイスキーのロックだそうだ。
「美味しいですか?」
「最高です」
先生は幸せそうに微笑んだ。俺は夕食が始まるまで先生と他愛もない話をして過ごした。
野田の演奏は「二人のシーズン」が日本でも大ヒットしたゾンビーズの特集だった。ドアーズもそうだけど、鍵盤楽器で作曲した曲とギターで作曲した曲はどこか何か雰囲気というかニュアンスというかアプローチが異なるのが面白いと思う。
今日の晩御飯は平野曰く「湖のパエリア」だった。キングクラブ・ストーンクラブ・マッドクラブという蟹三種とジャイアントロブスター、小エビ、アサリ、さらにキラーフィッシュも入っている魚介系がメインのパエリアだった。
蟹・海老・貝・魚から出る濃厚な出汁が御飯にしっかり染みて最高にうまかった。これもお供えしよう。
デザートは意表をついてオールレーズンだった。正方形で柔らかいクッキー生地に干しブドウがたっぷり入っている。これもお供えしなければ。
部屋に戻って出窓にラーメン(魚介)、ローストビーフサンド、湖のパエリア、梅酒のゼリー、オールレーズンを並べ、手を合わせて目を瞑った。すると「美味し!」という声と同時にペタン・ペタン・ペタンという謎の音が響いた。
目を開けるとお供え物はきれいに無くなっていた。喜んで食べてくれたようなので、良しとしよう。
一日の贅沢な終わり方を教わりました。