第12話:名前で呼んで!
その時、練兵場の中心付近で騒ぎが起こった。キャーという悲鳴や、水、水とかバケツを出せ、とか意味不明の叫び声が聞こえた。慌てて駆けつけると、木田や利根川など野次馬の中心に水の入った小さなブリキのバケツがあり、中には金魚が二匹泳いでいた。
なんなのこれ?俺の無言の問いかけに中原が頭をかきながらこたえた。確か中原は召喚士のはずだ。
「はじめはドラゴンとかさ、戦闘に役立ちそうなのを召喚しようとしたんだけどさ・・・」
「いやまあ、いきなりドラゴンは無理だろ」
最初からドラゴンなんて、素人がいきなりF1カーに乗ろうとするようなものだし、本当に召喚に成功したらそれこそ逆に困っていたのではなかろうか?
「大体俺この世界のモンスターなんて見たことないからイメージが沸かなくてさ・・・」
「それで金魚なのか?」
「いきもの係になってはじめて世話したのが金魚だったんだ」
中原の後ろにいた緑のローブ姿の神官が厳かに宣言した。
「召喚は成功しました」
たとえ金魚が二匹とはいえ、成功は成功だ。そう考えよう。やりきったという顔の中原を見ながらそう思った。二匹の赤い金魚はブリキのバケツの中を嬉しそうにくるくる回っている。イメージが大事、というのが魔法の基礎であることを改めて思い知らされた。
「バケツは幸ちゃんが、水は私が出したんだよ」
木田が誇らしげに言った。そういえば利根川は錬金術師、木田は水魔法の使い手だったな。ファンタジー世界では錬金術師はポーション作りがメインのイメージがあるのだが、イメージ通りのものが作り出せるならまるで人間3Dプリンターだ。ちょっと見直したぜ。
錬金術と言えば中世では金を生み出すことがメインテーマで、その意味では利根川にはぴったりの職業だと思う。利根川は肩までのセミロングで、見かけはちょっときつめのクールビューティなのだが、とにかく金に汚いというか細かい奴だ。割り勘するときも一円単位できっちり計算する。それも暗算で。
小学校の時からお年玉を元手に積み立て型の株式投資をはじめたというだけに、銭勘定だけでなく将来設計もしっかりしているみたい。なのになにかと佐藤にちょっかいをかけるのはなぜだろうか?
一句詠もうとした中原を手で押さえて俺は周りの気配を探った。感じる、負のオーラを・・・。柄にもなくカッコ付けてすみません。中原のすぐ近くで冬梅が体操座りで俯いていたんです。
中原と同じ召喚系の職業だが、冬梅はネクロマンサーなので、死体を操ったり死霊を召喚するのが得意のはずだが、もしかして失敗したのか?冬梅の前には見慣れない小柄な婆さんがいて、一生懸命冬梅を慰めている。こんな人いたっけ?
「冬梅、どうした?」
冬梅はのろのろと顔を上げた。何か喋ろうとしたが、うまく言葉にならないようだ。俺はせかしたい気持ちを抑えて待った。
「谷山君、僕も召喚できたんだけど、召喚できたのが・・・」
冬梅は黙って正面の婆さんを見上げた。ひょっとして召喚できたのは・・・。
俺は冬梅の後ろに回って婆さんを正面から見た。ざんばら髪の隙間から覗く血走った大きな目、土気色の肌、紫色の唇、黄色い乱杭歯、おまけに影が無いときた。どうみても生きた人間ではありませんね。
「こいつは誰だ?」
緊張でしわがれた俺の声にこたえたのは婆さんだった。
「なんじゃと、わしを知らんのか?」
怒鳴り声をあげると、いきなり右手を振って砂をばら撒いてきた。目に入ったぞ、こんちくしょう。痛いじゃないか。
「やめろ、砂かけ」
冬梅が鋭く静止した。冬梅が召喚したのは日本の古式ゆかしい妖怪、砂かけ婆だった。
「なんで日本の妖怪なんだ?」
冬梅は淡々と説明した。
「骸骨を呼び出す呪文を教えてもらったんだけど、何もひっかからなくってさ、試しに交信のスキルを使って呼びかけたら反応があったんだ。やった!と思って、わが召喚に応じよ、と唱えたら・・・」
こいつだったのね。
冬梅がため息をつくのを我慢しているのが分かった。
「こやつを見てわかったろう?わしの砂かけは日本一ぞ」
小柄な婆さんは胸を張って威張った。夜の薄暗がりの中で見たら怖いかもしれないけど、真昼間の明るい屋外で見たらただの小汚い婆さんだ。それに砂かけが日本一と言われてもなあ・・・。
「なあ、冬梅。ひょっとしてお前が見えていたものってこれだったの?」
「僕に見えたのは影みたいなものだから断言はできないけど、多分そうだと思う」
冬梅は地面を見つめながらこたえた。
「よかったじゃないか」
「え?なんで?」
振り返ってやっと俺の顔を見た。
「影の正体がわかっただけでもすっきりしただろ」
「それはそうだけど・・・」
「人間をラジオに例えるとさ、冬梅の可聴周波数帯は普通の人間よりずっと広いんだよ。だから普通の人間には聞こえない声が聞こえ、見えないものが見える。それは冬梅の個性であり、長所であり、可能性だと思う」
冬梅の顔が徐々に明るくなっていった。同時にあたりに漂う負のオーラが消えていくのが感じられた。
「そうかな?ほんとうにそうかな?そうだといいんだけど」
「間違いない。俺が保証するよ」
「なんだかわからんがわしも保証するぞ」
話を全く理解していない砂かけ婆も便乗してきた。まあいいか。冬梅の横にいた緑のローブ姿の神官がすました顔で宣言した。
「召喚は成功しました」
あんたひょっとして中原の後ろにいたやつの兄弟か?
冬梅は婆さんにまかせることにして武闘組の方に戻ったら、楽丸が槍の投擲を習っていた。左ではなく、利き手の右で投げるみたいだ。数歩助走し、気合と共に放たれた槍は一直線に飛んだ。ガンという音と共に二十メートル先の丸太の中心を見事に貫いている。的中だ。スピード、威力、正確さ、どれをとっても問題ない。
右の大砲は健在だな。この威力だと後衛から直接、敵の司令塔を狙うような攻撃もできるんじゃないか?流石だと思ったが、なぜか右手を抑えて顔をしかめている。
近寄ってみると手のひらの皮がベロリと剥けていた。投擲のパワーに皮膚が耐えられなかったようだ。洋子を目で探していたら、夜神がかけ寄ってきた。
「まかせとき」
懐から黒い小杖を取り出し、ちょっと気取ったポーズで呪文を唱える。
「ヒール」
最後の掛け声と共に青みがかった淡い金色の光が楽丸の右手を包み込んだ。洋子の太陽のような濃い金色の光とは異なる優しい光は、なぜかとても切なく懐かしいものに感じられ、思わずつぶやいてしまった。
「きれいだ」
夜神はキュートな狸顔をほころばせながら嬉しそうにこたえた。
「正直すぎるのも困りもんやな。彼女持ちが人前で堂々と他の女くどいたらあかんで」
「いや、違うって。夜神のその、光がきれいだって・・・」
「告白の次は名前呼びか。かなわんなあ」
ううっ、しまった。夜神の下の名前は「光」だった。にまにま笑っている夜神にどう返事するか迷っていると、横から助け船が来た。
「光ちゃん、からかうのはそれ位にして。谷山君、困っているよ」
救いの神は鷹町だった。
「ごめんごめん、ただの冗談や。かんにんしたって」
夜神が笑いながら謝ったので、ひそかに胸をなでおろした。こんなところを洋子に見られたらどうなるか考えたくない。からかわれただけと分かっていたが、焦ってしまったぜ。
今のやり取りで分かるように夜神は関西弁だ。関西生まれではないが、両親が関西出身だったので、自然とそうなったらしい。だから千堂とは話が合いそうで合わないのが面白いところだ。それとも京都と大阪のノリの違いみたいなものかな?
身長155センチ位と小柄で肩より少し上のボブカット。愛らしい顔と柔らかい関西弁、さらに人当たりも良いので人気があるが、一番仲が良いのが鷹町だ。本が好きで図書委員を務めているが、羽河によると本来は生徒会長を務めるほどの器なのだそうだ。それにしては人をからかうのが趣味なのか?まあ、あやまってくれたので、良しとしよう。
「でも、これからは私のこと、名前で呼んでもええよ」
ウインクしながら言いやがった。やっぱりこいつは腹黒狸だ。俺は黙って両手をクロスしてお断りした。すんません。千堂君の真似しましたー、なんて。それ位可愛かったからだと弁解したが、納得できなかったみたい。
口を尖らせて文句を言おうとした夜神にイリアさんが話しかけた。
「夜神様はすっかりヒールを使いこなしているようですね。流石です。負傷部位だけにかけることで、魔力の消費を最小限に抑えることをができます。魔法は威力も大事ですが、同時に効率も大事です」
蚊帳の外に置かれていた楽丸もようやく発言した。
「夜神、ありがとう。さっきもびっくりだったけど、ヒールってすごいな。痛くないし、違和感も全然ないや」
右手をグーパーしたり、手のひらを抓ったりしながら感心している。
「確かにヒールは部分的な負傷や浅い火傷には効果がありますが、欠損や切断には対応できません。回復魔法があるからといって油断していると、取り返しのつかないことになることがあります」
最後はイリアさんが締めてくれた。
突然、練兵場に馬の嘶が響いた。入口を見ると白地に黒毛が混じった馬が一頭、優雅なギャロップで走ってくる。跨がっているのは、なんと藤原だった。凛とした掛け声が聞こえた。
「ハイヨー、シルバー」
黄金バットの次はローン・レンジャーか?いくらなんでも古すぎるぜ。
これは一言、言っておかなければならない。俺は近寄ってきた藤原に手を振って止めた。
「藤原、その馬の名前、シルバーじゃないだろ?そもそも白馬じゃないし」
藤原は素直に謝った。
「ごめん、でも馬に乗ったら、どうしてもあれ言いたくなるんだよね」
気持ちは分からないでもないので、これぐらいにしておこう。
「うまくいったみたいだな」
「うん、馬以外にも試してみたけれど大丈夫だった」
屈託のない明るい笑顔が俺にはまぶしかった。藤原は家がそこそこ繁盛している豆腐屋らしく、小さい頃から自転車で配達を手伝っていたそうだ。身長160センチ位でそれほど大きくないのに、重い豆腐の配達は結構大変だったのではないか?
お得意様が近くの山の中に住んでいるらしく、自転車でお届けすることで足腰と峠を攻めるテクニックを学んだそうだ。ざっくりカットしたショートカットのせいで目立たないが、実は驚くほど整った顔立ちをしている。浅野とは逆に、男装したら女子に大人気なのではなかろうか?
峠で鍛えた下地があるせいか、騎乗のスキルは大したものだった。手綱も鞭も必要ないのだ。話しかけたり軽く叩いたりするだけで意思疎通できてるみたい。おまけに、馬を走らせながら鞍の上に立ったり、逆立ちしたり、片足を上げて水平バランスをとっても、まったく危なげない。まるでサーカスの曲芸を見てるみたいだ。
そろそろ時間かと思っていたら、イリアさんが大声で皆を呼んだ。何かと思って集合すると、練兵場の中心に騎士が四本の杭を打ち、杭の間にロープを張って、十メートル四方のリングのような空間を作っている。
全員揃ったことを確認すると、イリアさんは何か入ったズタ袋を持って中に入った。リングの四隅の杭には緑色のローブを着た神官がそれぞれ一人づつ立って呪文を唱えている。イリアさんはいつも通り淡々とした声で告げた。
「今、このロープの中は結界で覆われました。解除するまで何人たりとて出ることも入ることもかないません。今から皆様にお見せするのは、皆様がこれから先対峙することになる魔物でございます」
張り詰めた空気を楽しむかのようにイリアさんがズタ袋の紐をゆっくりとほどいた。手に持っているのは小さなナイフが一本だけ。袋の中から現れたのは大きなウサギが一頭だった。あれはひょっとすると・・・。
ウサギは袋の中から飛び出すと一跳ねしてイリアさんから距離を取り、後ろ足で立って耳を立てた。頭に角が一本、生えている。女子の中から「可愛い」と声がかかる。ウサギは鼻で空気を嗅ぐと、一直線にロープに向かってジャンプした。脱出成功と思ったら、ドンという音と共にガラスの壁に当たったようにはじかれた。
その後何度かトライするも結果は全て同じ。ウサギは脱走をあきらめたのか、イリアさんを正面から見据えた。目が禍々しい赤に染まっている。よく見ると額にも赤い宝石のような光が見える。
ウサギからガラスを爪で引っ搔いたような、耳をふさぎたくなるような不快なうなり声が聞こえる。あれは可愛いウサギなんかじゃない。得体のしれない肉食獣だ。固唾をのんで見守っていると、不意にウサギがイリアさんの顔をめがけてジャンプした。
声にならない悲鳴が聞こえた。確かに早いがよけられない動きではない。だがイリアさんはよけずに左手を突き出してガードした。ウサギは当然とばかりに素手に激しく嚙みついた。回り中から大きな悲鳴が上がった。
血がだらだらと流れ、腕を伝わって地面に落ちた。イリアさんはウサギを腕にぶら下げたままゆっくりと一回転してみせた。
「これがおそらく最弱の魔物である角兎です。最弱といえど牙を持ち人を襲います。嚙まれれば、痛いし、血も流れます。噛まれどころが悪ければ死ぬことすらあるでしょう。さあどうするか。答えは一つです」
イリアさんは右手を振り上げるとナイフを鋭く振り下ろした。自重で伸びきった首は一撃で切断され、血を吹き出しながら胴が地面にぼとりと落ちた。イリアさんは眼をむきだしたウサギの頭を腕につけたまま、再度一回転した。
「この世界では人間と魔物は互いに殺しあう関係であることをよく理解してください。魔物に出会ったら、殺すか逃げるかのどちらかです。それ以外の選択肢はありません」
結界が解かれ神官が集まると首が外され、牙に穿たれた血だらけの手にすぐさまヒールがかけられる。地面に落ちた首の額から赤い小さな宝石みたいなのがころんと落ちた。イリアさんは何事もなかったかのように左手で宝石を拾い上げると、高く掲げた。石がルビーのように光った。左手には傷一つ残っていない。
「魔物や魔族と動物や人間との違いはこの魔石の有無となります。魔石は魔力の塊です。魔物の種類や大きさによって、その色・大きさ・透明度が異なり、それに連動して魔力量も変わります。魔石はその魔力をランプの光源やコンロの熱源などに利用するだけでなく、素材や媒体としても広く使われているので、その獲得も討伐の大きな目的となっています」
イリアさんの目は最初から最後まで青く澄んでいた。それがなぜか怖かった。彼女は終始変わらぬ落ち着いた声で続けた。
「最後に魔法使いの皆様にお勧めの訓練法があります。魔法の源泉は個々の願望です。願望を早く正しく精密に創像することがなにより大事です。私のお勧めは『月』です。
昨日は新月ですから全く見えませんでしたが、この世界にも月があります。毎夜、頭の中で夜空に煌々(こうこう)と輝く満月を描いてください。それが願望を心中で作り上げる鍛錬となるでしょう」
工藤が低い声でつぶやいた。
「観月法か・・・」
確か瞑想とかスピリチャルとかそういった分野のお話だと思います。頭の中で完璧な満月をイメージすることが、イメージ作りの完成度や速度を上げる訓練になるのだろうな。
そういうのって、アイテムボックスにも関係あるかなあ?とりあえず実技演習はこれにて終了となった。密度が濃いというか、すごい終わり方だった。帰りの馬車の中はしばらく無言だったが、ヒデがぼそりとつぶやいた。
「馬車が出るまでの間、たまたま傍にいたからイリアさんに聞いたんだ」
「何を聞いたの?」
初音が尋ねた。
「イリアさん、わざと素手を嚙ませたろ、なんでかなと思ってさ」
俺もそう思った。
「そしたら何と答えたと思う?」
皆、無言で続きを催促した。
「ローブ越しに噛まれると、穴が開くのが嫌なんだってさ。お洒落ローブが傷つくのが嫌だったらしい」
冗談だと思うが本当かもしれない。
「イリアさん曰く、人でも物でも修復する魔法は苦手なんだって」
「え?だって光魔法の使い手だろ?」
俺は思わず聞き返した。
「それが本人によると、光魔法と水魔法は大の苦手なんだそうだ。光魔法で使えるのは光だけ、水魔法で使えるのは水だけらしい。教会の魔法使いでヒールが使えないのは多分私だけと笑っていた」
「でも、噛まれたらヒールがいるだろ?」
「角兎程度の傷なら初級ポーションで直るから、と言っていた」
実技を見たときにしょぼいと思ったのは当たっていたようだ。やっと皆の顔がほぐれた。それをきっかけに実技演習の感想で話が盛り上がった頃、宿舎に到着した。馬車を下りて西の空を見るとオレンジ色の夕焼けが始まっていた。受付の時計は九時を過ぎていた。
話の続きは晩御飯を食べながらだな。ヒデのお陰で美味しく頂けそうだ。おっとその前に昨日から楽しみにしていた風呂の時間だぞ。俺たちがルンルン気分で(死語)ラウンジに入っていくと、メアリー先生に呼び止められた。
やっと練兵場の巻が終わりました。長かったー。