第112話:初めての冒険者ギルド2
伯爵が冒険者ギルドの扉を開けた。喧騒と活気に満ちた空気が流れてくる。続けて中に入ると正面は役所の様なカウンター、左手は大小の紙が雑に貼られた掲示板、右手はテーブルが並んだダイニングホールになっており、その先には酒場のカウンター、さらにその奥には厨房が見えた。
円形で六人掛けのテーブルが二十個ほど並んだホールは、打ち合わせと食事と宴会とケンカを隣り合わせでやっているというカオスな空間だった。
俺達が中に入ると、中にいた人間全員の視線が体中に突き刺さった。やばい、学期半ばにやってきた転校生の初日の気分だ。伯爵がカウンターを指さしたので、俺は紙きれをもって進んだ。ええい、どうにかなるだろ。
「こんにちは。サンドラさんはどなたですか?」
おずおずと尋ねると、カウンターにいた五人の中で左端の女が手を上げた。銀髪のワンレンクス、目はアーモンド色で大柄な女性だった。
「どうした坊や。誰かのお使いかい?」
俺は返事をせずにサンドラさんの前に行った。黙ってイントレさんから貰った紙を差し出す。
「イントレさんが、何かあったら俺が責任を取ると言いました」
サンドラさんは紙を見て一瞬固まった。目を丸くすると俺と伯爵を交互に見てから確認する。
「責任を取る、と言ったんだね」
伯爵が黙って頷いた。
「分かった。ちょっと待っときな」
「待ってください」
後ろを向こうとしたサンドラさんを引き留めた。ついでにあれを頼もう。
「なんだい、こちとら清算で忙しいんだよ」
「代金の中から、テーブル席の先輩方にエールを一杯ずつ奢りたいんですが」
サンドラさんは再び目を丸くすると、次の瞬間には大声で笑い出した。
「気に入ったよ、あんた。男はこうでなくっちゃね。名前を聞いとこうじゃないか」
「た、谷山です」
何でこういう時に俺はどもってしまうのだろうか。我ながらカッコ悪い。
「タニヤマだね、分かった」
サンドラさんは続けて大声で叫んだ。
「ジョーイ、ろくでなし共全員にエールを一杯ずつ配りな。タニヤマの奢りだよ」
テーブル席から拍手と歓声が上がった。回りの雰囲気が少しだけ柔らかくなったような気がする。
伯爵が大声で続けた。
「キングメタルクラブ討伐の祝いですぞ」
テーブル席が、いやギルド全体が沸いた。皆、口々に叫んでいる。本当か?嘘だろ?信じられん!という三つのキーワードはよく聞き取れた。
当然、俺達に直接絡んでくる奴もいる訳で・・・。
「なあ姉ちゃん、あんたドワーフだろ。なんで人間とパーティ組んでいるんだよ」
平井がチンピラ風の若い男に絡まれていた。
「うるさいわね。あたしは人間よ。それに誰と組もうがあたしの勝手でしょ」
チンピラは鼻で笑った。
「そんなチビじゃその斧ろくに振れねえだろ。俺が貰ってやろうか?無料で」
チンピラの仲間が爆笑した。こいつら平井のスイッチを押したな。知らんぞ。
平井は静かな声で告げた。
「あんた、頭の上に虫がいるわよ」
男は手を動かそうとして止めた。顔が少し引きつっている。
「虫なんかいねえよ。変なこと言うんじゃねえ」
平井は首を振って続けた。
「いや、確かにいるわ。でっかい虫がもぞもぞしている。ねえ、そうでしょう?」
ヒデが悪ノリした。
「おお、確かにいるぞ。緑色したでっかい虫が乗っかっている」
平井は大きく頷くと断言した。
「虫は潰さなきゃね。刺されたら大変だもの」
男は立ち上がって逃げようとしたが遅かった。電光石火の早業で振るわれた斧が、男の額の直前、数ミリしか離れていない場所で止まっていた。がやがやしていたギルドが一瞬で静まりかえった。
男は震える手で斧を掴み払いのけようとしたが、斧は一ミリも動かない。平井は鼻で笑うと、左手一本で斧を持ち上げた。男は斧をしっかり掴んでいたので、そのまま空中で斧にぶら下がることになった。
片手一本で大の男を吊り上げている小柄な少女というシュールな光景に誰もが驚愕していた。男は悲鳴を上げながら手を放した。床に落ちて尻もちをついたが、腰が抜けたのか立つことができない。
「いま退治してあげるわ」
平井はものすごい笑顔で斧を振り下ろした。今度は男の額の一ミリ手前で斧は止まった。これが本当の寸止めだな。男の尻の下から黒い染みが床に広がっていった。
「虫は潰したわよ。刺されなくてよかったわね」
平井は最後まで笑顔だった。笑顔が恐いと思ったのは・・・久し振りでもないな。
これで終わりかと思ったら違った。
「お待たせ~」
やってきたのは藤原だった。ただし、余計なものがついていた。藤原は太郎を体に巻き付けて登場した。
「太郎を巻き付けるのに時間がかかって遅くなっちゃった。ごめん」
真っ黒い蛇は後ろから股の下をくぐり、右の腿を回ってお尻の上を通ってから左腰から前に出て、お腹を一回りして背中を抜けて左肩の上に顔を出していた。合計で体を二周回っているような感じ。
まるで「服を選んでいたら遅くなっちゃった」みたいな藤原の言葉は誰にも理解できなかったようだ。回りは俺達も含めて全員引いているぞ。というか、俺達以外は至近距離で見る猛毒の蛇にパニック寸前だ。
美少女+猛毒蛇という最新のコーディネイトは世間的にはいささか刺激が強すぎたようだ。恐れを知らぬ藤原は床に座り込んだ男を指さして無邪気に聞いた。
「ねえ、あれ食べさせて良い?」
俺は知っている。藤原が指さしたのは男の後ろでチョロチョロしていた鼠だったことを。でも、回りは誰も鼠に気が付かなかった。ヒデがまた余計なことを言った。
「やめとけ。あんなの食ったら腹壊すぞ」
藤原の言葉に刺激されたのか、太郎は首をグツと前に伸ばした。太郎に睨まれたチンピラは白目を剥いてばったり後ろに倒れた。気絶したようだ。男の頭が床に当たってゴンという大きな音がした。このままではいけないと思った俺は、藤原を説得した。
「とりあえずあいつは食べちゃダメだ」
「分かった」
「それとペットと言えど蛇は駄目みたいだから馬車に戻ってくれ」
「分かった」
藤原は残念そうな顔をしたが、理解してくれた。太郎を体に巻いたまま器用にお辞儀した。
「みなさんびっくりさせてごめんなさい。どうぞこれからよろしくお願いします」
四十五度に傾いた藤原の上半身の上で、垂直に体を伸ばした太郎が大きく口を開けて「シャア」と威嚇した。
退場する藤原の回りにはバリアを張ったみたいに常に半径三メートルの空白地帯が出来ていた。俺の言葉でさらに誤解をさせたかもしれない。太郎の尻尾が扉の向こうに消えると、全員が大きなため息をついた。
「あんたも大変だねえ」
サンドラさんが同情するように話しかけてきた。
「待たせたね。清算が終わったよ。エール代と掃除代で金貨一枚枚引いといたからね」
同情はするけど金は別という事か。しっかりしているな。
キングメタルクラブはなんと金貨千枚で引き取ってくれた。特大の水の魔石はもちろん、大量の蟹肉と蟹味噌も価値があり、なんといっても金属製の殻が武器や防具のまたとない上質な材料になるのだそうだ。
なんとなく蟹の缶詰を連想したがちょっと違うか。差し引き金貨九百九十九枚は持って帰るのも大変なので、クラン「三年三組」名義の口座を作ってそこに振り込むようにしてもらった。俺と羽河の冒険者カードがキャッシュカード代わりになるそうだ。便利だなこれ。
平井や浅野はまだ見学したいとゴネたが、藤原が(というより太郎が)心配だし、夕方には雑貨ギルドが来る予定なので、無理やり皆を急き立てて馬車に戻った。再訪することを約束させられたが、太郎を連れてくることはおそらく無いので、大丈夫だろう。
玄関の外ではイリアさんが待っていた。「私が一緒だと悪目立ちするので」と言って同席を遠慮されたのだけれど、一緒に来た方が良かったかもしれない。中で何があったか簡単に説明すると、なぜだか喜んでいた。
「いつもながら皆様素晴らしい対応です」
俺は思わず聞いた。
「どうしてですか?どう考えてもまずいでしょう?」
俺の疑問にイリアさんは首を振ってこたえた。
「冒険者は実力の世界です。皆様はその実力をいかんなく発揮されました」
あかん・・・。時々この人の言っていることが全然分からなくなる。
俺は馬車の中で藤原に聞いた。
「なんでまた太郎を連れてきたの?」
藤原は、はにかみながらこたえた。
「太郎を置いていけないし、室内に手放しで連れて入るのもまずいと思ったんだよね。でも、首輪もリードも無いし、抱っこするのも難しかったから体に巻きつけるしかできなかったんだ。でも、少しはペットぽかったでしょ」
俺は心の中であの時冒険者ギルドにいた人すべてに謝罪した。
「そうか。でもこれからああいうのは抱っこしてても室内に連れ込むのはやめてくれ」
「分かった」
素直に頷いたのだが、本当に理解してくれたのだろうか?不安が消えない俺なのであった。
平井さんと藤原さんがやってしまいました。黒歴史になりそうな冒険者ギルドデビューとなりました。