第110話:フォースアタック4
藤原の前の真っ黒い塊の正体に気が付いた俺は血が凍った。とぐろを巻いたブラックスネークだった。軽く開けた口の中で赤い舌がちろちろと動いている。噛まれたら三十分以内に対処しないと、半身不随の重症、運が悪ければ死ぬという猛毒の蛇だ。
俺はアイテムボックスの中から金の斧を出すと静かに近寄った。頼む動かないでくれ、という俺の心の声が聞こえなかったのか、藤原は振り返らずに声をかけた。
「たにやん、大丈夫だよ」
その瞬間、ブラックスネークを大きく鎌首をもたげ、口を目いっぱい開けて威嚇した。人の頭を丸ごと飲み込めそうなでかい口の中で二本の白い牙が陽光に反射した。体長は四メートルはあるだろう。ああいかん、全然勝てそうにない。絶望した俺に藤原は落ち着いた声で続けた。
「太郎、どうどう。たにやんだよ。挨拶して」
ブラックスネークは藤原の声が分かったのか、パタリと地面に首を落とすと蛇独特の動きでしゅるしゅると近寄ってきた。
「大丈夫だから動かないで」
はい、言われるまでもなく動けません。ブラックスネークはスルスルと俺の右足から巻き付くと、胴体を一巻きして俺の顔を正面から見た。真正面から蛇と見つめあったのは生れて初めてです。やっぱ目が独特ですね。人間と根本的に異なります。本当は気絶しそうです。
ブラックスネークは俺の鼻先1センチまで顔を寄せると、赤い舌で俺の頬をちろりと舐めた。永遠に近い一瞬が終わると、締め付けを解いて藤原の前に戻った。俺は大きく息を吐いて冷や汗を拭った。とことん説明して貰おうじゃないの。俺が口を開ける前に藤原が話し始めた。
「昨日はレベル15、今日はレベル20になったじゃない。だからブラックスネークでもティムできそうな気がしたんだ」
俺は腕組みしながらこたえた。
「よりによってなんでブラックスネークなんだ。危ないだろ」
「たにやんの言いたい事は分かるよ。でも、蛇を何とかできなければ、ドラゴンなんて挑戦すらできないよ」
藤原はまっすぐ俺の目を見て言いきった。そうか、ドラゴンか・・・。俺は草原で草蝮をティムしようとして失敗した藤原を思い出した。
確かにティマーとすれば、最大の目標はドラゴンをティムすることなんだろうな。それに蛇は四足動物のトカゲから進化したらしいから、どこかつながりがあるかもしれない。トカゲとドラゴンを一緒にしたらいけないかもしれないけど。
それにしても困った。草蝮のことを思い出すと文句が言えなくなってしまった。でもこれだけは言っておこう。
「分かった。だけど、これから新しいことにチャレンジするときは、前もってみんなに相談してくれ。何かあった時に取り返しがつかないから」
藤原は大きく頷いたが、続けて驚くべき野望を告げた。
「ねえ、太郎を宿舎に連れて帰っていいかな?」
「どうして?」
びっくりしてつい大声になってしまった。
「駄目だろそれ、絶対無理だろ」
蛇と言うだけで拒否反応があるのに猛毒持ちだぞ。
藤原はとつとつと説明した。
「一応ティムは成功したんだけど、まだ完全じゃないんだ。安定していないというか、周波数がまだ完全には合っていない。だからこのままティムしたままにして、感情を完璧にシンクロできるようにしたいんだ」
藤原が言うには、ティムする時は感情の周波数を相手に合わせる必要があるのだけれど、蛇の場合は周波数が高い低いというよりは、位相が逆転してマイナスの周波数になっているような感じで、とにかく難しいとのこと。
俺はなんとなくラジオを思い出した。放送局毎に異なる周波数を合わせることで番組が聞こえるが、そんな感じなのかな。
「分かった。まずは羽河に相談してみよう。でもハードルは高いぞ」
藤原は満面の笑みで頷いた。
俺は羽河を呼んで藤原と三人で話した。藤原の決意が通じたのか、羽河は悩んだ末に建物に入るのはダメ、玄関もダメ、飼うのは庭だけという条件を出した。
「三つの条件を守って、皆が良いと言えば、反対しないわ。でも、先生はどうするの?説得する自信はあるの?」
俺はにやりと笑ってからこたえた。
「分からん。でもやるだけやってみる」
羽河がため息交じりでこたえた。
「俺に任せろ、なんて言わない所が逆に信用できるかもね。じゃあみんなを集めるわよ」
皆が集合すると、羽河は太郎(ブラックスネーク、十才?)を紹介した。
「新しい仲間を紹介します。ブラックスネークの太郎君です」
複数の悲鳴が上がった。続いて藤原が説明した。
「今日、初めてティムに成功しました。おそらく十才です。皆を噛むことは絶対ありません。だから宿舎の庭で飼わせてください」
藤原は太郎をティムした理由と自分の目標を切々と語った。百パーセント賛同してくれたわけではなさそうだけど、「何かあったら谷山君が責任とるから」と言う羽河の言葉でみんなは納得してくれた。なんで?
鷹町が変なことを言い出した。
「庭にしかいないのなら御庭番だね」
ごく一部の人間にウケていた。確かに、うまくいけば番犬の代わりになるかもしれない。吠えないけど。
そのまま全員の匂いをかがさせて貰った。ユーザー登録のようなものだろうか。気絶する奴が出るのではと心配したが、大丈夫だったみたい。
なんでもブラックスネークの毒は二種類あって、致死性の毒とは別に麻痺毒もあるらしい。塀を乗り越えてきた不審者を噛む時は麻痺毒だけ、と教え込むそうだ。くれぐれも死人が出ないようにして欲しい。
一宿一飯の義理を期待する訳ではないが、太郎に蒸し蟹を一匹やった。
殻まるごとはつらそうな気がするので、適当に殻を割ってやったら静かに食べていた。ロボと違って、おいしいのかまずいのか感情がさっぱり分からないのが爬虫類という感じだ。
「大丈夫だよ」
藤原が頷きながら説明してくれた。
「今凄く喜んでいる」
「本当か?」
思わず聞いたら、太郎は食べるのをやめ、首をもたげて俺の顔を見た。分かっているのかもしれないけど、やっぱり感情が読めない。なんとなくイリアさんに似ているな。本人には絶対言えないけど。俺は太郎に話しかけた。
「まあ、これからよろしく頼むわ。藤原のいう事をよく聞いて、もめ事を起こさないでくれ」
太郎はしばらく俺の顔を見てから食事に戻った。なんとなく大丈夫そうな気がした。
まだ時間はあったが、精神的な疲労を考えたのか、このまま引き上げることになった。賢明な判断だと思います。流石、伯爵。
しかし、帰りの馬車が問題になった。当然かもしれないが、誰もが藤原と一緒になるのを嫌がったのだ。責任を取りなさいと言われて、俺+藤原+太郎の二人と一匹で馬車に乗ることになったのだ。洋子もヒデも同乗を嫌がった。なぜだ?
王都を目指す馬車の中で藤原は自分の夢を語ってくれた。最終的にはドラゴンをティムし、騎乗して空を飛ぶのだそうだ。ドラゴンライダーか・・・、ちくしょう、カッコいいじゃないか。
「誰より早く誰より強いドラゴンに乗って、風になりたいんだ」
「仲間外れにされてもいいのか?」
藤原は俺の目を見てこたえた。
「そんなの平気だよ。それに・・・」
藤原は横を向くと小さな声で続けた。
「たにやんがいるし・・・」
ちょっと恥ずかしかったが、嬉しかった。俺は照れ隠しに馬鹿な事をやった。
「太郎、お手!」
太郎は目の前に差し出された俺の手を遠慮なく噛んだ。痛かった。体が徐々に痺れていく・・・。
「駄目だよ。犬じゃないんだから」
仰る通りでございます。確かに蛇に手は無いよな。太郎、すまんかった。俺は返事をしようとしたが、言葉にならない。藤原が慌てて解毒ポーションを飲ませてくれた。
ブラックスネーク、カモン!東京コミックショウを思い出しました。ただ、東京コミックショウにはブラックスネークはいないのですが(左から赤・黄色・緑だったと思う)。