第107話:フォースアタック1
7月10日、火曜日。湖沼地帯の攻略も四日目。今日の課題は何だろうか?
外に出ると、強烈な日差しが目に突き刺さる。見上げると、西の空の端っこにわずかに白い雲が浮かんでいるだけの夏空が広がっていた。谷岡ヤスジ風に言うならば「ナツー」という感じだろうか。
夏の空 朝から暑い ホトトギス
唐突に頭の中に浮かんだ一句。完全に不意を突かれてしまった。収まったと思っていたのに、ホトトギスは死なずということなのだろうか。ショックに耐えてちゃんと走り終えた俺を誰か褒めて欲しい。
ラウンジに戻ってカウンターで冷たいお茶(レモングラスとミントを冷水に漬けたもの)を頼んでいると、後ろから話しかけられた。誰かと思えば夜神だった。
「朝から珍しいな」
「ちょいと困っているんや。相談に乗ってえな」
飲み物を貰ってテーブルに座ると、夜神は手に持っていた黒い鞭を差し出した。
「俺はそっちの趣味は無いぞ」
「そう言わずに一度だけでも・・・、違うわ!」
夜神は立ち上がって文句を言った。相変わらずノリツッコミが得意なようだ。
「まあまあまあまあ」
羽河が後ろから夜神を抑えてくれたので、尋ねることができた。
「鞭がどうかしたのか?」
夜神は一度深呼吸すると話しだした。鞭を杖代わりにしようといているのだが、魔力の通りが一向に安定しないそうだ。使い込めば落ち着くかと思っていたが、全然思い通りにならないらしい。
「なんとかしてえな」
本当に困ってるみたい。きっと浜辺で後方に回されたのが不本意だったんだろうな。光魔法持ちなんだから、回復係としてドンと構えていればいいのに・・・。
まあ、ここは人肌じゃなかった一肌脱ぐべきだろう(人肌脱いだら大変なことになるし)。決して鶴じゃなかった、狸の恩返しを期待している訳じゃないぞ。俺は笑顔で鞭を受け取った。
「調べてみる。来週まで預かっていいか?」
「ええんか?ありがと。助かるわ」
「うまくいくとは限らないぞ」
駄目だった場合を考えて念押ししたが、夜神は笑顔で席を立った。
「もう何か考えているんでしょう?」
羽河が面白そうに尋ねたので、俺は片目をつぶってこたえた。
「まあな。あまり期待しないでくれ」
ウインクが下手過ぎたのか、羽河は大笑いしてくれた。
今日の朝ごはんはニンニクとハーブの香りが鮮烈なペペロンチーノだった。具はほとんど入っていないが、横に大きなソーセージとスクランブルエッグが添えてあるので、食べ応えがあった。いつもどおり、カットフルーツとミックスジュースで美味しく頂きました。
ラウンジで紅茶を飲もうとカウンターに行くと、エレナさんとハンスさんから昨日の蟹のお礼を言われた。生れて初めて蟹だけでお腹いっぱいになったそうだ。ついでに、雑貨ギルドが今日の夕方に訪問するとのこと。納品か見本が出来たんだろうな。
紅茶を持って席に座ろうとしたら、隣のテーブルにいた利根川に呼ばれた。
「どうした?」
利根川の手の中から何かが飛んだ。とっさに左手を顔の前に出すと何かがぶつかった。床に落ちたのは輪ゴムだった。
「輪ゴムができたのか?」
「正確に言うとショーツ用のゴム紐ができたの。輪ゴムは試しに作っただけ」
俺は紅茶をテーブルに置くと、床から輪ゴムを拾って両手で伸ばしてみた。
「すごいな。輪ゴムそのものだ」
「でしょう、ゴムには苦労したんだから。ブラジャーにも使えるのよ。まだ細かい問題はあるけど、とりあえずゴム紐は完成。見て欲しいのはこれ」
利根川が取りだしたのは、青みがかかった真っ黒い塊だった。手にするとごつくて黒く重い物体Xだが、わずかな弾力がある。
「これもゴムか?」
利根川は笑顔で頷いた。
「試行錯誤している時に出来たんだけど、これ何かに使えないかな?」
何も思い浮かばなかったけれど、とりあえず受け取った。
「お預かりします」
「来週くらいにサニタリーショーツ・ナプキン・ブラジャーの打ち合わせをしたいの。商業ギルドに伝えてくれる?」
「分かった」
ここで終わっておけばよかったのに、俺はつい言ってしまった。
「輪ゴムが出来るならシュシュも出来るんじゃないか?」
回りの雰囲気が一変した。このパターンは三度目か。俺が観念したところで、利根川が悪い流れを断ち切ってくれた。
「それいいわね。一緒に製品化しましょ」
利根川は本当は常識人だったのか。こういう当たり前の対応を求めていた俺は心の底から感謝したのだった。
今日のミドガルト語の講義は、朗読の続きだった。子供向けの絵本みたいなのを一行ずつ読んでいくんだけど、耳からの情報と目からの情報が頭の中で同時に処理されることで、なんかこう言霊がリンクする感じがある。
受験勉強でも、暗記するときには目で読んで、口で喋って、それをまた耳で聞くことが大事なので、これ良いかもしれない。講義が終わってからそのことを先生に伝えると、感激して喜んでいた。
時間になったので、食堂でお弁当と飲み物を貰ってから馬車に乗る。いつも通り、西門の外にはロボが待っていた。送り狼ではなくて、迎え狼だな。
馬車の中では携行型クーラーのことが話題になった。クーラー以外の試作も進んでいると知ったらみんな驚くだろうな。
目的に着いたら冬梅に頼んで河童を召喚してから湖に向かう。今日の課題は「ストーンクラブを三十体以上討伐すること」だった。昨日の調子なら何とかなるだろう。
今日は川は三本に戻って、全部幅二メートル位の水路になっていた。全て足場板でクリアできたので、助かった。
二番目の水路にジャイアントロブスターがいたので、三平に頼んで十匹釣ってもらった。これでエビフライができることは皆知っているので、文句を言う奴はいない。
湖に着いた。昨日と同じ位置にトイレを設置した所で、伯爵の所に行った。
「タニヤマ様、いかがなさいましたか?」
俺は夜神から預かった鞭を差し出した。
「鞭を杖代わりに使いたいのですが、魔力の通りが安定しないんです。どうにかなりませんか?」
伯爵は鞭を受け取ると、数回曲げたり振ったりした。
「おそらくこの鞭は芯に鋼線を使っていると思われます。鍛冶ギルドに頼んで、芯線を魔力の親和性が高い素材、例えばミスリルに代えてみますか」
「お願いします」
伯爵は笑顔で預かってくれた。出来上がりは来週の予定とのこと。
夜神さんも地味にバージョンアップするようです。