第105話:楽器ギルドといろいろ
野田はチェンバロを左の低い音から順に鳴らしながら要望を説明した。
・鍵盤の数を八十八に増やして欲しい(現在は七十鍵)。
・音階はド/レ/ミ/ファ/ソ/ラ/シで一回り(1オクターブ)。
・ド/レ/ファ/ソ/ラには半音上げた音を付けて欲しい(黒鍵)。
・左端をラ、右端をドにして欲しい。
・四十九鍵目のラの音を基準音にして欲しい。
・基準となる音の目安として音叉を使って欲しい。
ナルエイさんが固まってしまったので、キラキラ星の楽譜を渡して、楽譜通りに弾いてみせた。一分ほど待っていると、ナルエイさんは再起動した。
「率直に言って驚きました。端的に言って何をお望みでしょうか?」
少し混乱しているみたいだ。
野田は落ち着いてこたえた。
「今は無理やりのチューニングで再現している音階を正しく鳴らせる楽器を作って欲しいんです」
ナルエイさんは再び思考の海の底にもぐってしまった。しばらく待っているとうめくように答えた。
「分かりました。明日以降職人を派遣しますので、改良点をご指示ください」
俺は野田と顔を見合わせた。なんとかなりそうな予感がする。続けてリクエストを出した。
「リュートについても、幾つか改善を希望です。こちらもお願いしてよろしいですか?」
伊藤が真剣な目でナルエイさんを見つめた。
ナルエイさんはやはりうめくような声で了承した。チェンバロとは別に職人を派遣するそうだ。リュートはチェンバロ程大掛かりにはならないことを伝えると、少しだけ喜んだように見えた。ナルエイさんはサンプルとして渡した音叉を握りしめたまま、ふらふらと帰っていった。
「大丈夫かなあ、あの人」
思わず口に出た言葉に野田は笑顔でこたえた。
「大丈夫だよ。きっと頭の中では解決までの道筋を、あらゆる方向から計算していると思う」
とりあえず明日以降の打ち合わせは全て野田と伊藤の二人に任せることにした。ついでにレベルアップのことを聞いてみる。
「昨日レベル7に上がったばかりなのに、今日はいきなり15になったからびっくりしたよ」
横では伊藤がうんうんと、うなずき君(正式な名前は忘れたけど、大昔のマックにそういう無料ソフトがありました。何を語りかけても、おじさんがうんうんとうなずいてくれる)のように首を縦に振っていたので、二人とも恩恵を受けたようだ。ちくしょう・・・。
せっかく食堂に来たので、平野にお土産を渡そう。
「おみーやげーはなーあにー」
と歌いながらやってきたので、笑顔でこたえた。
「蒸し蟹が千杯」
平野は笑顔を貼り付けたまま後ろに下がりはじめた。
「いらない、そんなの受け取ったら厨房が蟹で埋め尽くされちゃう。パンもワインも何もかも全部蟹の匂いになってしまう」
俺は前進しながら追い打ちをかけた。
「車よりでかいのが十二匹ある」
平野は口をパクパクさせながら首を左右に振った。声も出ないみたいだ。
「お前は蟹だ。蟹になるんだ」
俺は両手を左右に広げ、人差し指と中指でチョキチョキしながら追い詰めた。やがて平野の背中がカウンターにぶつかった。もう逃げられない。
やったね、形は少し違うけど人生初の壁ドンだ。涙目の平野を観察していると、足を蹴られた。
「いい加減にしなさい!キャンサーマスクじゃあるまいし」
洋子だった。俺は頭を掻きながら平野に謝った。
「ごめんごめん。ちょっと調子に乗ってしまった。許して」
その後、真剣にあやまったら何とか許してくれたが、残念ながら平野が俺の胸をポカポカと叩くイベントは発生しなかった。それにしてもキャンサーマスクってなんだ?タイガーマスクの間違いだろ。
とりあえずジャイアントロブスターを十匹と蒸し蟹を十五杯渡した。蒸し蟹は厨房のスタッフに配ってくれと頼んだら喜んでくれた。
今日持ってきた植物のことを話すと平野は目を輝かせた。
「早く見せて!」
とせがむので、庭に降りて菜園に向かった。もちろん鍬も持っていく。
久し振りに見る菜園は広さが倍になっていた。植えてある野菜や果物の種類も増えている。
「知らない間に立派になったな」
なんだか田舎のじいちゃんみたいだ俺。
「凄いでしょ。水野君と志摩君が手伝ってくれたんだよ」
良かった。平野のツッコミは入らなかった。
「三種類あるんだ」
俺は菜園のはっしこのスペースに持ってきた植物を並べた。浜茄子の木(高さ一メートル位)を三本、イエローベリーの木(高さ一メートル位)を三本、蛇苺の蔓(根っ子を含めて長さ二メートル位)を三本。平野はどれも初めて見るみたいで驚いた。まずは浜茄子を指さした。
「これは何?茄?」
俺は自信たっぷりにこたえた。
「浜茄子だ」
平野は一瞬言葉に詰まった。
「え?私の知っているハマナスと違うよ。あれはバラ科だし、実もこんなのじゃない。もっと小さくて、赤いよ」
「浜で育つナスだから浜茄子だ。そういうものだと考えてくれ」
平野は浜茄子の実に手で触れて口の中でぶつぶつ呟いた。頭の中の情報を更新しているのだろう。平野は数秒後、笑顔で振り返った。
「分かった。育ててみるよ」
平野は次にイエローベリーの実を手に取った。手のひらの中で夕日に染まったミカンのようにオレンジがかった黄色が輝いた。
「文字通りだね。実が黄色だからイエローベリーか。うん、これも大丈夫」
最後にしゃがんで蛇苺を手に取った。
「これは何?野イチゴ?」
俺はアイテムボックスで表示された通りこたえた。
「蛇苺:食用になる。極甘。蛇は食べない」
平野は驚いて叫んだ。
「え?蛇苺は食べられないよ」
俺は自信たっぷりにこたえた。
「大丈夫。この世界の蛇苺は食用になるんだ」
平野は半信半疑で一粒口にすると、目を見開いて再び叫んだ。
「普通の苺より甘いよこれ、びっくりだ」
三種類とも全て植えました。「砂」フォルダの砂を土に半分混ぜたので、大丈夫だと思う。蛇苺は蔓を這わせるための柵も立てた。
ご機嫌な平野を残してラウンジに戻った。そのままカウンターに行って蒸し蟹を三十杯出した。
「お裾分けです。お傍係の方、全員分あります」
セリアさんとメリーさんが恐縮しながらも嬉しそうに受け取ってくれた。大きさによっては銀貨一枚もする高級品だけに内心は相当喜んでいるみたい。カウンターが蟹臭くなったけど、仕方ないよね。
頼んでいた魔石は明日納品の予定だそうだ。江宮に渡すように頼んだ。一息つこうと思って紅茶を頼んでテーブルでボケッとしていると、江宮と浅野がやってきた。江宮がポケットから取り出したのは、Slitsのロゴだった。
「ロゴの複製が出来たぞ」
ありがたく受け取り、魔石は明日納品の予定と伝えると、満足げな顔で頷いた。浅野が持ってきたのはワインのラベルだった。ミケのビーナスに頭が付いていたらこんな感じかな?というようなデザインのイラストに手書きの文字が入っている。
「極上の葡萄酒 赤 女神の涙 二十年」
俺の背中から羽河が読んでくれた。
「良いじゃない。ネーミングもばっちりね」
羽河の賞賛に江宮が異を唱えた。
「『王様の涙』とかぶらないか?」
「王様と女神じゃ全然違うわ」
羽河は落ち着いてこたえた。俺もそう思う。熟成違いが出来たら、「二十年」の所だけ変更しよう。特に問題ないだろうと考えて、そのまま江宮に渡して複製を依頼する。女神様には事後報告になるが、なんとかなるだろう。
ついでに、羽河に楽器の改造がスタートしたこと、明日から楽器ギルドの職人が出入りすることを伝えた。羽河は大きく頷いた。
「分かったわ。先生には私から報告しとく」
とりあえずこれで終わりかなと思ったら、甘かった。
「商業ギルド様がお見えです」
会議室を抑えてもらって、お茶の手配を頼んだ。
いよいよピアノとギターの改造にとりかかるようです。