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日記1

作者: 五月 幸

 外は雨が降っていた。心療内科に行くつもりだったが、悩んでいるうちに電車に間に合わなくなり予約をキャンセルしてしまった。

 出かける支度は済ませていたのでひとまず駅へと歩き出す。特にやりたいことも見つからぬまま、会社へ向かういつもの電車に乗りこんだ。定期で職場の最寄り駅へ行ってぷらぷら散歩でもしようかと思ったが、仕事の疲れを癒すには物理的な距離も必要だと思い直し八王子へ向かうことにした。

 八王子では昨日から好きなアーティストの展示が行われている。電車で2時間ほど掛かるが、幸い時間はいくらでもある。


 職場の最寄りで電車が止まる数分間にふと昔一緒に住んでいた恋人のことを思い出した。運命の愛を謳っていた彼は今、職場で新たな彼女と仲良くやっているらしい。顔だけは良かった彼と別れてしまったことに未練はなかったが、どうせならイヤホンから流れる歌のようにアボカドを投げつけるような面白い別れ方をしておけばよかった、と少しだけ残念に思った。

 電車が動くと同時に窓の外の景色も時間を取り戻した。しかし相変わらず曇天とビニール傘を差した人々しか映さない灰色の車窓はつまらないモノクロ映画のようだ。

 しばらくすると昔住んでいた家の最寄り駅に止まった。聞きなれたホームのアナウンスに耳を傾けながら今日もアボカドを持っていない自分にがっかりする。しばらく乗り換えもないので私は眠りにつくことにした。

 次に目を開けると電車は川の上を渡っていた。川を渡り終えても世界は灰色のままだったが先ほどまで同じ高さを歩いていた人々は眼下に散らばり、視界がビルの腹で埋まる。東京の景色だ。


 乗り換えの時間が10分ほどあったのでホームのコンビニに入った。特に欲しいものがあったわけではなかったが、痛いほどに冷たい1月の雨を少しでも凌ぐためだ。

 そこは大学の時仲の良かった先輩の通っていた大学院のある駅だった。卒業してからずっと会いたいと思っていたが忙しさを言い訳に会いに行かないまま、ただ会うという簡単なことすら叶わない世の中になってしまった。私自身こんな世界の残酷なストーリーに打ちひしがれる一人だが、せめて乗り換えの10分間、先輩の健康と幸せを祈った。


 無事に乗り換えを終え席に着く。気づけば車窓は灰と黒を交互に繰り返していた。同じモノクロの世界でも私は黒の方が好きだと思った。明度のない世界の中では全てのものをはっきりと捉えることができる。

 最後の乗り換えを終え間もなく八王子に着く頃、地面は目線の高さに戻っていた。


 八王子は思ったよりも大きな駅だった。大都会というわけではなかったが、建物も道路も何もかもがカラフルで、そこは大きなおもちゃの町のようだった。人も車も町の大きさに反比例するように小さく見えた。

 町を眺めながら目当てのCDショップにまっすぐ向かった。期間限定の展示を一通り見て記念にグッズを買った。退店間際、勇気を出して店員に声を掛け、展示のパネルと写真を撮った。写真に映る自分の姿は、田舎から出てきたオタクそのものだったが、後悔はしなかった。


 夕方になっても雨は降りやまなかった。雨の八王子は夜に向けてゆっくりと灰色から黒へと姿を変え、アスファルトに反射する町の明かりとのコントラストを増していく。

 帰りの電車に乗る頃、外は真っ暗だった。車窓は右から左へとエンドロールを流していた。明日東京には雪が降るらしい。

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