困ったこと
『……
困ったことになっております。この度わたくしの方から直々に、今では互いに宥和的であるとはいえ、敵方である貴殿にお手紙を差し上げておりますのは、わたくしには貴殿より頼むものがいないからでございます。
一国の姫であるわたくしは、元来、下々の生活などといったことには、まったく無頓着であらねばなりませんし、実際、わたくしはそう育てられておりまして、わたくしの周りに居る男性たちはもとより、母や姉なども、わたくしが「知っている」ことなど、つゆも疑っておりません。ですから、このお手紙の存在は、くれぐれも内密に保っていただきたいのですが、さしあたり貴殿にそうしていただく現実的な理由がない以上、わたくしが貴殿にこうしてものするのは、わたくしにとってたいそうな危険であり、愚かな行為でさえあるのです。貴殿には、こうするよりほかなかったわたくしののっぴきならない窮状を、ご察しいただけることと存じます。
わたくしは無知であることになっていると、先ほど申し上げました。事実、わたくしには、漢籍和歌の教養に関して一家言あるの自負はあるものの、政や財など実際的な物事については、これ空っきしでございまして、わたくしが今から申し上げることも、どこまで正確なのかは保証しかねます。しかし、どうか最後まで辛抱なさってください。
夏は舟遊びにうち興じ、冬は童どもの雪遊びに微笑をもらし、春秋は野に出でて歌を詠むを、ほとんど永劫なる仕事のようにしておりますわたくしにはしかし、親切な僕べがおりまして、そのものがわたくしにある程度の学を授けたのでありますが、昔から内緒でわたくしに、わたくしが本来知っていてはいけないことを伝えられておるのでございますが、このたびの「困ったこと」も、内々にそれから口授されたのでございます。それは次のようであります。
*
率直に言えば、我々の領地の端にある某大農村が、我々の与り知らぬ間に、壊滅していたのであります。その魔の手は我々の方にまで降りかからんとしているようです。
何があったのか。わたくしはもう唖然とするほかなかったのです。
その村は三方を山に囲まれておりまして、一方は海に面しておるのですが、漁撈は芳しくなく、米などものきなみ凶作ということが、実は我々の領地全域にわたって、もう数年続いているとのことでした。が、その村を治める地主は、よくあることでしょうが、暴政を敷いて年貢を強奪するように取り立てさせ、かき集めた質の悪い米を酒にし、今年のもまた不味いなあと、飲み暮らそうとするような、そういうものであったようです。
他の村なら、そういう飢饉にあっては、有力な商人らが地主側と癒着結託して、農民は彼らに搾取されるがままに、ばたばたと飢え死ぬのでしょう。そして実際そうであったようです。わたくしも、飢餓に死んだ母の乳を、死んでいると気づかずに吸い続ける赤ん坊の話を、かの僕べから聞かされたものでした。ですが、それならまだよかったのです。まだ安心なのです。中長期的に見てそういった村も再建可能であろうことは、いろいろの伝話や書物が語っていることです。が、しかしこの村の農民は、数十年前豊作に豊作が相次いだかつての黄金時代に、今は亡き前地主の指導の下、一定の学を身につけてしまっておるのでした。そう、この村は、豊饒な自然と指導者の正義感を背景に、ある種の理想郷を体現しておったらしいのです。
ですから、現暴君に臍を噛んで自発的に服従するということが、彼らにはどうしてもできないのでした。圧政は、民の無知なしには成り立ちません。その圧政がなんらかの正当性を持っているように見せかけるためには、無批判的な盲目的隷従が必要なものです。が、彼らは知識あるがゆえに、そしてまた、それに一定の自負あるがゆえに、おとなしくしていられないのでした。
彼らはその苛酷な貧窮と納貢の緩和などを上告致しましたが、それが効果を及ぼすとは、彼ら自身もおさおさ期待しておりません。むしろ、不合理にはねつけられることを、彼らは心待ちにしておりました。それは彼らの行為に一種の免罪符を与えるものだからでありましょう。思惑通りそうなりますと、彼らは、思いもよらぬ行為に、いきなり打って出たのでした。というのは、年貢を取り立てようと一家の玄関にやってきた役人を、茂みなどに隠れていた村民数人がかりで、後ろから一瞬の不意を突き、鍬や鋤などで、ひどく合理的に殺してしまうのでした。そしてその死体処理も大したものです。というのは、その脂ののった肉を熱湯に入れ、芋などとともに岩塩で煮て、骨で良い出汁を取りつつ、肉吸いにしてしまい、骨は粉々になるまで臼にかけて畑にまいたり鶏や豚のエサに混ぜたりするのでした。おかげで痩せていた野菜も、ほんの少し立派になったり、乏しい飼料をかさましできたりしたようです。
地主の側は、当初何があったのか、同僚はどこに消えたのか分からずじまいで、気づけば役人は半分ほどに減っているのでした。山には山賊がおり、数十年前の黄金時代には駆逐されたはずなのですが、それがまた勢いを増してきたのか、とも揣摩されました。ですが、どうも違和感があります。だいいち、だれも山賊の姿など目にしていません。しかしそう説明するほかなかったのです。どうして農民が役人を計画的にひっとらえて喰っているなどということを思いつけるでしょうか? 彼らは狡猾にも、すべての役人をひっとらえることはしないで、三回に二回ぐらいは、役人に、多少の卑しい抵抗心さえ見せながら、結局はしおらしく米を渡すのでした。ですから、農民どもは、着実に「敵方」の数を減らし、食料を確実に得さえするという、一挙両得の戦法を取ったのです。しかも、彼らは、卑怯卑賤な農民によく見られる、あの黙々とした強欲さとそれを糊塗しようとするずる賢さを、隠そうともしません。それゆえに役人たちは、かえって安心していたものと見えます。いったい、臆面もなく地を出している人間には、人はかえって心をゆるし、何が見え隠れしようと真に受けないものです。
役人が次々に神隠しにあっている、それも年貢の取り立てに出かけたときに決まってそうなるのだ、という風説は、役人をおびえさせました。あるものは、山の主たる大熊が、飢饉の時分に農民どもから年貢を収奪せんとする役人を、穴倉に引きずり込んで食い殺すのだと言い、彼の説では、その熊はまず役人を見つけると、その大きな体躯を薄汚れた夜の帳のように広げ、轟くような吠え声をあげながら、
のっそりのっそり、俺は熊ぁ、
振った刀はたちまち折れてぇ、
俺の身体はだいじょうぶぅ、(あるいは、『俺の身体は鋼並みぃ、』)
どっぷりどっぷり、俺は熊ぁ、
輝く朝日はわれを呼びぃ、
森のこづえに遊びだすぅ……
さればいざ行かん! わが気高き両の眼が! 牛の乳のようになるまで!
と歌うと、役人どもはみなギョッとして立ちすくみ、俺を呼んだのはお前らかと訊いて、返事がなければ、今の歌はどうだったかと訊き、それでも返事がなければ、カッと苛ついた末に、その凶暴な爪を振り下ろすということでした。この馬鹿馬鹿しい話はなぜか流行しまして、役人どもは、その熊を呼んだのは我々だと答えるべきなのか、我々はお前を呼んでいないと答えるべきなのか、この歌は素晴らしいと言わねばならないとか、そういうことについて、傍から見ればたいそう下らない議論を、年貢の取り立てにもぐずぐずとして行かずに、始終白熱させておりました。
しかしどうでしょう、その稚拙な童話じみた話を最初に役人どもに吹き込んだのは、どうもあの小賢しい農民どもだったようなのです。
そのころになると、農民どもは、役人だけではなく、何も知らずに森の近くにひょいとやってきた民どもを、無差別に「収穫」するようになっておりました。がっしりした筋の硬い男や、でっぷり太った男よりは、しなやかな弾力のある女や、まだ肉の柔らかい子どもの方が、ずいぶん良い出汁も出て、おいしいらしいのでした。いや、彼らはもう、人の肉の味の虜になっていたので、なかなか餌食になりに来ない役人どもを待てなかったのでしょう。しかしそれは数としてはそれほど甚だしくありません。年貢を取り立てに行く役人ばかりが消えるのをカモフラージュするのが、彼らの第一の目標だったようです。おかげで町民は、森や山賊をばかリ怖がるのみで、農民どもはどうして神隠しを恐れないのか、いや農民どもはそもそも神隠しに遭っているのか、それどころか飢饉のはずなのになぜ空腹に喘ぎ苦しみ悶えていないのか、誰も関心をもたなかったのです。
いやおそらく、貴殿は信じておられないでしょう、農民が、いや人が、人の肉を煮て食べるなんていうことは。しかしわたくしは、その是非はともかくとして、事実をありのままに述べるより致し方ないのです。それがどれほど途方もない小説じみたものに聞こえましょうとも、わたくしにはどうともしようがないのです。
ただ間違いないのは、彼らが人の正道をやすやすと越えて、しかもその踏み越えている足をこっそり闇に隠すという、類いまれなる狡知を、しかも彼らの浅薄で凡庸な精神のままに、徐々にしかし着実に為していたということなのでした。しかし彼らはまだ共食いはしていなかったようなのです。それはどうも、彼らの賢しらな思想の中に、農業至上主義的な精神があって、自らの食い扶持を自分の力で得ようともせずに、胡散臭くて虚栄に満ちた偽善的な生業ばかりをして農民に寄生しようとする虫けらどもは、農民にとっては家畜と同然だ、というイデオロギーがあった模様です。元来人間と自然は対等で、その親密な調和をこそ彼らは毎日の労働において体現するというのが彼らの使命であるようで、彼らはかねてより自らを「自然に選ばれし民」と呼んで暗々裡に一致団結していたようです。そう、飢饉と暴政というお決まりの舞台セットが、彼らのもとにやっと成立し、やっと人民を家畜扱いしてもいいであろう理由を自らに用意できたのでした。
*
さて、巷に
のっそりのっそり、俺は熊ぁ、
振った刀はたちまち折れてぇ、
俺の身体はだいじょうぶぅ、(あるいは、『俺の身体は鋼並みぃ、』)
どっぷりどっぷり、俺は熊ぁ、
輝く朝日はわれを呼びぃ、
森のこづえに遊びだすぅ……
さればいざ行かん! わが気高き両の眼が! 牛の乳のようになるまで!
というあの歌が、今ではほんの少しになってしまった人通りの唇の端から聞こえるようになると、というのは民は神隠しを恐れて出歩かなくなったのですが(依然として死体も人骨もなにひとつとして出てこないし、山を捜索しても山賊の「さ」の字も見つからないのです!)、また違う歌が流行りはじめまして、
布団をかぶった幼子が、
きゃあきゃあこんもりとするように、
山々もたった今、大地から顔を出したかのように、
うれしそうに、こんもりこんもり。
朝日は山の間の、空気の水色になったところを、
白く湿らせて、きらきらさせて、
白銀いっぱいの稲穂はいっせいに敬礼した。
いよぉ! いよぉ! いよぉ! と。
という奇妙な歌なのです。蓋しこれも農民どもが吹き込んだものなのでしょう。
町は、年貢の取り立ての不思議な失敗が重なって、深刻な米不足の陥っており、商人たちがここぞとばかりと備蓄米を売っておったようですが、町の庶民には手が届かず、なんと農民の集落にのこのこ赴いて直に買いに行く人までいるではないですか。そして彼らの一部は、農民らの殊勝な恭しい、力強い態度に感銘を受け、またその一部は、農民らの干し肉になりました。農民らも最近は農業をおろそかにしているようで、無尽蔵の「家畜」を少しずつ絞めるほうが楽なことに気づいてしまったようです。彼らにとって、農民でない者はすべて、いつ死んでもよいかわいそうなクズらしく、その外的な証拠としては、農民でないものは必ず農民よりも鼻が短くて嗅覚が退化しているのだとか、足は農民よりも短いとか、そういったことがもっともらしく言われましたが、どうやらそうやって農民たちの団結と統制を図っている強権的なリーダーがおるようなのでした。
そういうわけで、飢饉によって停滞する社会の中で、農民どもだけがある一定の経済力を、知らぬうちに得ていたのです。その上、彼らはまるであたかも疲弊しきっているかのような面を取り繕い、それがいかにわざとらしい物腰であろうと、それを怪訝に思ったり詮索したりする物好きも暇人もいないのでした。実際、農民というのは、社会の表に生きる人にとっては、食料を供給するための合理的な、都合の良い機関ぐらいにしか考えられないので、そうなるのも当然の仕儀と言えるでしょう。
すると、酒好きの領主は、おちおち酒ばかり飲んでもいられなくなりました。米の取り立てが滞っている、それは確かなのですが、それはなにぶん、直接的には農民のせいでも飢饉のせいでもなく、単に役人どもの「減少」と「怠慢」のせいなのでありまして、臣下たちも心底困惑しておりました。というのは、どんな政策を講じても、またどんな汚い取引を行っても、またどんなに役人の募集をかけても、一向に好転どころか暗転すらなく、ただ農民から直接米を買おうとする町人どもを強く規制するぐらいしかできないのでした。領主は激怒しました。炭がパチパチして発するような火花が、目から鼻から出ているのが目に見えるようでした。が、彼はただ憤怒し、女の身体でそれを発散するのがオチなのでして、なにか具体的な策を弄じたりする才には、決定的に欠けているのでした。
臣下どもはまず、この意味不明な不景気の原因を探ろうとしましたが、それはつまり、なぜ役人が減ったのか、という問題の原因究明と軌を一にしておることは、一も二もなくはっきりいたしました。しかしそれがどうしても解けない謎なのでありまして、世間では実際、途方に暮れた庶民どもが、神仏に必死に願をかけて祈祷するのでした、『神隠しに遭った人々をどうか我々のもとにお返しください』と。たぶん農民どもは心中に腹を抱えてののしり嘲笑い、それを表に出さないのに一生分の苦労をさえ要した違いありません。というのは、彼らはその神仏への祈願を、彼らの胃への馬鹿らしいお願いだとしか聞けなかったでしょうから、『胃よ、どうかあなたが胃酸を用いて消化した肉を、元に戻してください』というふうな。
そういうわけで、闇米が流通しだしました。役人どもは目玉をぐるぐる回さんばかりにきりきり舞いしてその規制に奔走し、あたかも年貢の取り立てを忘れたかのようでした。というのは、そうやって押収した米を、取り立てた米だということにしてお上に献上できたからでありましょう。そしてどういうわけか、町人は神隠しの対象にはまったくされず、かえってちらほら、役人のみが闇討ち的に消えていくのでした。すると農民たちは私腹を肥やします。町人を味方につけ始めます。徐々に領主への信用が失墜してまいります。実際、その領主は、より一層権威的な、暴力的な政策に打って出た一方、自らの力を削り取られていくような心地が他方ではして、日に日に痩せていっておしまいになったのです。
しかしこの農民どもの狡猾さは、やはり彼ら由来のものではありますまい。農民ふぜいに、そんなことは到底信じられるものではございません。そう、やはり指導者がいるに相違ないのです。わたくしどもはまだそれを特定できておりませんが、警護を付けている役人を闇討ちしたり、経済的な術策を弄したり、その他もろもろのことを考慮に含めますと、その指導者は、なんらか領主側の人間であることは、予想がつくものでございます。もしかしたら彼自身さえ役人かもしれないのです。でも、その目的は? ただ腹いせに政府を転覆したいという愚かな考えなのか? それとも傍若無人な暴君への義憤なのか? それとも哀れな農民らへの憐憫なのか? わたくしどもには全くもって見当がつきかねます。それにしても、やり方があくどすぎる。それは刀ですぱりと居合切り的に切り殺すのではなく、毒をもって数か月じわじわと苦しめた挙句に、あたかも潜伏せる病気であるかのごとき印象を与えつつ相手を殺そうといったような、手に負えない悪趣味ささえあります。
領主は体調をお崩しになりました。それは内密な情報のはずだったのですが、その翌朝、なんと、不満に不満を重ねて膨れ上がった町民どもが、農民どもとともに一揆を起こしたではありませんか。役人どもは日々の恐怖からひ弱で、栄養失調もさることながら、役人特有の鈍麻さを惜しみなく発揮して、その下民たちの蜂起にもオドオドとしておるばかりなのでした。卑賤な反乱者どもはいとも軽やかに、この貴顕なる城郭に土足で踏み入り、ものの数時間で、しかもほとんど無血で、制圧してしまったのでした。ただかの暴君の胸元から迸り出た血以外は。
とはいえ、誰かの手引きがなければこんなことが上手くいくはずはなかったのです。そう、かの指導者が一枚かんでいるに違いありません。しかも領主の寝込みを襲うとは、そのタイミングさえばっちりなのですから、領主の体調さえ直接に掴むことのできるほどの側近のはずなのです。なんという汚らしいやからでありましょう、その男は。そうやってこの町を上から下までちゃぶ台返しにひっくり返して、いったい何が得られるというのでしょう? その上、彼は表に出て気もしないのです。この反乱を表向き指揮した或る町民は、名士として一応名を馳せている男なのでありましたが、彼のその異様な気位の高さと、鼻にかかるわざとらしい、芝居がかった、もったいぶった物腰を別にすれば、なんてことのない凡庸な人間であることは、周知の事実なのでした。この事件は、その蜂起の真の首謀者が誰にも、蜂起を先頭切って引き起こした張本人のその名士にさえ、分からないという点で、どこまでも無気味なのでありました。幽霊を掴もうとでもしているような、いやむしろこちらが掴まれているのではないかというような(いや実際彼らはその幽霊に侵されたのでしたが)。
しかしそれでどんな「良いこと」が彼らに待ち受けていたでしょうか? ……そう、より一層荒廃したのです。
外部の他地域からの圧力には、町民たちが何とか対抗しようとしましたが、武人には思いがけない角逐の末、町民どもは鎮圧せられました。そこには予想をはるかに上回る数の犠牲者が出ました。しかるにそのなかに農民は一人たりとも含まれておらなかったのです。こうしてこの領域は無法地帯となりました。
そんなときでした、冷害が極度に達したのは。わたくしにはよく分かりませんけれど、涼しすぎる夏には、米は育たないものらしいですね。農民どもは金をもってはいましたが、米さえ自分で食べる分の米さえ収穫できず、かといって町が機能停止していた当時、商人から食料を買ったりすることさえままならず、外部地域からの占領者たる武人たちも、手を差し伸べてはくれないようなのでした。そう、農民らはやはり社会において等閑に付され、米を生産するだけが能の機械人形のように、当然見なされていたのでした。
しかしこうなると、農民どもには人間という家畜がもはや残されておりません。農民どもは人の肉の味をしめているので、また冷害のせいで農業をしても見返りが少ないので、なんとか新鮮な人肉が得られないものかと考えあぐねました。
……この飢饉の末の帰結が、かかる首魁の指揮のもとになされたものなのか、それは定かではありません。とにかく、事情はこうです:農民どもは共食いを始めました。
まず子どもが標的となりました。諸家族のあいだで、その主人が暴力的な意味でより力あるそれの主導で、こんな取り決めがなされます、おまえらの家の子どもを先に煮て食べたあと、我々の子どもを煮て提供しよう、と。か弱き家族どもは力でねじ伏せられた挙句、まだ言葉も話せない子どもを奪われ、ぐつぐつ煮え立つ塩水の中に、わめきたつその子を投入するのでした。その絶叫はお湯に入ったとたんに、熱湯のぶくぶくする音にとって代わり、その水面に丸く白い肉がポッと浮かび上がるのでした。そして面白いことに、自分の子どもを奪われたその肉親らも、涙ながらに我が子の残りカスを喰うのでした。子羊や子牛同様、人間も若ければ若いほど肉は柔らかいのでした。
しかし力ある家族どもは、なかなか自分の子どもを拠出しようとしません。か弱き家族どもは、憤怒に目を怒らせ、復讐心に一致団結して、今度はその子どもらを夜闇に紛れてもぎ取って熱湯に入れてしまいました。こういうときは糾弾ではなく実行が、最も効果的であることを、彼らは経験から知っていたのです。彼らは今度は、仕返しのように、その肉吸いを自分たちだけで平らげました。しかし彼らの子どもらは戻ってきません。奪った彼らの子どもらは数日、もしかしたら数時間のうちになくなります。その村からは子どもが激減しております。彼らは虚ろになりました。
すると力ある家族どもは激怒に膨れがって、その無力で無抵抗な家族どもをひっとらえ、これまた一致団結して、男や老女や石女はこれを熱湯に投入して食料にし、まだ生殖行為可能な女は、これを子どもの生産機械に貶めました。というのは、力ある男どもは彼女らを監禁し、毎時間のように凌辱して、妊娠すればそのお腹の中の子をある程度育てたあと、食料にするのでしたが、女子が生まれた場合はそのいくつかは残しておいて、また食料生産の手段にするというシステムなのでした。こうやって力ある男たちは、肉欲のはけ口と食欲のはけ口を一挙に見出したということなのでした。そしてそうやって虐げられた女たちは、生まれてこの方暴力にさらされていた人々にありがちなように、暴力に鈍感になっていき、不合理なほど従順で、人の肉を喰わされながら肉の欲望を満たす道具になり果て、また人の肉を生産し、もはや人間の顔をしていないのでした。そして、またいつのまにか、力ある男どもは、自らの妻や娘さえをも力でねじ伏せ合って、そういう地位に貶め始めましたし、新しく生まれた男児は、自分たちの食い扶持のためにも、これを肉吸いにしました。
ああ、なんということでしょう、そのすべての所業が、彼ら農民どもの間以外にはまったく露呈することなく、居残ったほんの一握りの武人どもや生き残った町民どもは、完全に無知らしかったのでした。
しかしこんなシステムが長続きするものでしょうか? いや、しません。そもそも効率が悪すぎるのです。人間が生まれるのには結構な時間がかかりますし、そういった劣悪な環境で生まれた子どもが、ひ弱で未熟であろうことには疑いありません。また心理面での荒廃も当然あって、それがむしろ裏目に出たようなのです。というのは、もうここまで来たのならと捨て鉢になって、農民どもはその持ち前の力で町民どもさえこのシステムに組み入れ始め、徐々に徐々に隣町へも、その魔の手を伸ばしていたらしかったのです。そしてそのすべての動向が、たかが社会の裏方である農民だという事実でもって、注目されなかったのです。
わたくしにはもうこれ以上、情報がございません。というのは、何もかもについて無知であるべきわたくしに、これらのことを伝えてくれた臣下が、最近はぱったり姿を消してしまい、その消息をそれとなく尋ねても、みながみな口裏を合わせたように、空とぼけるのです。
わたくしは不安で不安でたまりません。いったい社会がどうなっておるのか、どういう様相を呈しておるのか、そしていったいなぜわたくしどもの生活は、こうやって伝え聞いた下々の無残さにもかかわらず、何も変化が起こらないどころか、今まで通り舟遊びに歌会などを遊び興じておれるのか。わたくしは不思議を通り越して無気味さを覚えます。
わたくしがこの手紙で本当に貴殿にお伝えしたいことは、お分かりかもしれませんが、ただ一つなのであります:わたくしを娶って、この国から救ってはくれますまいか。たしか数年前に、わたくしが貴殿の方に嫁に入るという話が、立ち消えになったことと思います。今さらその話を蒸し返すのは大変恐縮なのですが、わたくしはもう、不安で寝も寝られぬほどなのでございます。婚姻につきましてはわたくしは、ゆくゆくこの領地の支配権すべてを貴殿に奉上するよう、陰に手を回して取り計らうつもりでございます。
もしこの話が信じられないようでしたなら(いやこんな恐ろしい話、疑団を挟んで当然であります)、密偵でもなんでもお遣わし下さい。その者が貴殿にこの国の状況をまざまざとお伝えするでしょう。
……』
かかる文を落掌する約三か月以前より、この将軍(文中の『貴殿』)はかの姫と、ほとんど恋文といってもよいものを密かに通じ合っていなさったのであるが、この度かような内容のものを受け取るになるに及んで、些少お疑いはなさったものの、もうこの姫をもらい受けることにほとんど決めてしまわれた。そもそもこの姫の美しさは諸国に知れ渡っており、その艶めかしい、子羊のような目のじっと相手の眼を見透かすようなのは、見られる者をして何か、胸の奥底をまで見透され、彼女の寡黙も相まって、妙な危機感をさえ覚えさせるようなところがあった。男はそんな、ほとんど挑発的ともいえる目でグリグリと剔抉するように見つめられると、自恃なきものなどは、目を泳がせて手の置きどころをば、そわそわと探す始末なのである。
さなきだに彼女はまたその詩的才能においても、その浮き名を世に知らしめておったし、かの恋文らしきものにも、教養のほどを見せつけるまでには至らない、古雅な詩情の横溢せる歌を、花や枝などとともに書きつけており、それに返り事をいたす折、かの将軍は、好き者で知られる側近ただ一人に助言をお求めなさって、お頭を悩ましながら返歌をしたためなさったものであった。輓近、殿上は武芸の稽古もお忘れになって、夢うつつのようであると、他の臣下たちもたいそう心配しておったが、実はかかる事情があったのである。
しかしやはり、一旦姫をお迎えなさるとなれば、どうしても公にせざるを得ないし、本当にあの恐ろしいことがかの隣国で起っているとなれば、姫の救出は、恋沙汰では終わらぬ問題である。そもそもこの二国は先代よりの確執によりて、互いに反目し合うような関係であったのだが、子々孫々の代に至って、その敵愾心も薄れ、あるいは形骸化し、頑強で厳密な関所も廃止してなんらかの交易をした方が互いに裨益をもたらすのではと、前々からすこし議案があったぐらいなのだが、しかしこのような極悪無法なる事態に至っては、当地の民のためにも、なにか強制的な手段に打って出るべきではないかと、かの将軍には思われなさった。
将軍は密偵をお遣りになるとともに、姫に文をものされ、もし当地の統治能力に限界が来ておるようであれば、我が姫をもらい受けると同時に、その地をももらい受けるべきであると思われるが、姫の意見は如何、というものである。姫はさっそく返事をよこし、わたくしもそれを望んではおりますが、わたくしには政に口を出すことは能いませぬ、しかし民はいまや疲弊しきっており、武力も少衰、農民はかの指導者を筆頭に、財力と投げ槍さと「或る程度の」武力をたくわえてきておるようで、統治能力に限界が来ているのは火を見るより明らかなのです、知恵に乏しいわたくしがお頼みするのは失礼でしょうが、どうかここは、思い切ってこの国に攻めてくださいませんか、と来た。しかも、どこから仕入れた情報なのか、この国の国境で兵力の手薄いところや、枢要な統治機関のある場所なども説明されておった。しかし密偵は、なかなか帰ってこなかった。
将軍はもう攻め落とすことしかお考えにならなかった。臣下たちは手紙を拝見して、しかしどうも腑に落ちず、こんなものは姫君の作った酔狂な物語か、そうでなければ鬼にでも取り憑かれたのだ、と諫言したが、将軍はもう自身の考えを押し通しなさり、せめて密偵が帰って来てからというのにも応じなさらず、姫君の逼迫せる状況は刻一刻を争うのだと、早々進軍してしまった。ただ臣下たちの頑固な諫めに譲歩なさって、姫君の提示した進軍ルートとは別方面からも軍をお進めしたが、そのことは姫への裏切り・姫への猜疑心の表現になるのでは、と将軍の御心は気が気で仕方なかった。それへの言い訳のためにも、臣下の大反対を押し切って、将軍その人が手づから、姫の助言通りのルートで進軍を指揮し、姫への忠義を示そうとお考えになった。自分を待っているであろう、あたたかな姫の手を馬上から取り、後ろに乗せて連れ帰ることを夢見なさったのである。
たいして戦気も高くないこの度の軍はしかし、あたかも待ち構えていたかのような敵軍の猛攻撃に遭い、ほとんど壊滅した。加えて、この進軍のさなかに隙をついたように敵国も進軍し、国はほとんど乗っ取られた。高級臣下は戦に出ていた半数が殉死し、将軍は容易く捕虜に成り下がりなさって、かの姫と対面させよという願いも聞き届けられないままに、公衆の面前で首を刎ねられたが、その公衆たるや砂漠にちらほら生えた灌木のごとくまばらで、ここは戦場なのではとさえ思われるほどの殺伐たる気配を滲ませていた。敵軍も、面と向かって戦っていたときには気づかなかったものの、数は異様に少なかったし、目はギラギラ怪しく光っていた。姫の書き送ってきた話は、あながち嘘ばかりではないのかもしれないと将軍はお思いになった。
最も有力な説は一方、そもそも姫の書いたような話は全て姫独自の創作で、人喰いなど全くなく、ただ大飢饉があっただけだというものであるが、怪しいのは、当時のその地の記録文書が一切後世に伝わっておらず、まるで敢えて口をつぐんでおるかのような印象を与えることである。またそうであるとすれば、この姫はほとんど奸佞狡知の権化であるといってもよいが、彼女が何を目的にそれをしたのか、いまいちピンとこないのである。しかし他方で、マイナーな一説ではあるが、この姫の書いたことはそのまま事実で、実はこの姫こそ、農民に人肉の摂取を勧め、農民の一揆を招いた張本人、つまり「指導者」なのではないかとも目されている。というのは、彼女の日記に、農民への憐憫についての記述、人肉を褒めたたえているともとれる奇妙な歌、一揆の計画書と思しきものが発見されたからであるが、それによって彼女自身が、彼女が自分で名指しているところのあの「裏の指導者」であったことが証明されるわけではないし、どうやって農民どもとコンタクトを取ったのかも不明である。
ただ謎は残るばかりである。ちなみに、その歌は次のようなものであった。
口に良く 人を痴れさす 血のさけの さけへぬ人は にくくはあらねど
姫はその後も悠々自適に遊び暮らし、ある高位な官職につく貴族に嫁ぐと、四人の子を産んで、四十五でなくなったようである。
ちょうど今日から数えて五五一年三ヶ月と二四日前のことであった。