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  作者: 大場 みや
6/12

第六話

 何度も、何度も頭を下げ駅員室を出た。


 駅にはたくさんの音が溢れている。この場所で無音になるなど有り得ない話だった。


 時計を見ると、19時を少し回った所だった。

 ホームに下りる階段の途中で、綾子は足を止めると、隣のホームに向かった。


 先ほど男が立っていた場所に目をやるとそこには男の姿は無かった。

 辺りを見回してもそれらしい人物は見当たらなかった。


 夢だったのかもしれない・・・。


 小さくため息をつき、それでもあたりに目を配るとベンチに先ほどの男が座っていた。

 虚ろな目をして、ただぼんやりと電車を見送っていた。

 電車を待っているわけでも、人を待っているわけでもなさそうだった。

 綾子は肩にかけた鞄を両手で握ると、男に近づいた。

 隣のベンチに腰をかける。

 隣で見る男の顔はよく見るといい男だった。端正な顔は無精ひげと、暗い表情に沈んでしまっていた。胸を見るとやはり小さな花が2輪、風に揺れていた。


 綾子がちらちらと男を見ていると、男もそれに気付き綾子を見た。目を細めて、口をゆがませると、男は小さく鼻をならした。


「自殺は失敗か?」


 綾子は言葉の意味がよく分からなかった。

 そして、その意味に気付くと首を大きく横に振った。


「違います!自殺なんてするつもりないです」

「ふーん。そんな風には見えなかったけどな」


 男は綾子の顔を見ず、そう言った。


「どんな風に見えていたんですか?」


 綾子は男の横顔を見つめながら聞いた。


「別に。電車や人なんかまったく目に入りません~。って感じで電車に突っ込んでいこうとしたようにしか見えなかっただけだよ」

「・・・・・・・・・・・・・。その通りですよ。まったく見えていなかった。自分でもどうしてそんな風になったのか分からないんですけど、あの時は電車も見えなかったし、何の音も聞こえなかった」


 男は綾子の顔をちらりと見ると、薄く笑った。


「それだけ追い込まれて立って事じゃないの?まあ、死ぬ気がないのに電車に飛び込んで、大騒ぎして。俺としては先を越されたから、ちょっと頭に来るけどな」


 男はそう言うと席を立った。

 綾子も慌ててその後を追いかける。


「先を越されたって。死ぬつもりだったって事ですか?」

「あんたに関係ないでしょ」

「そうですけど・・・」


 口調だけはしっかりしていたが、ふらふらとおぼつかない足取りで男は階段を上った。


「体調悪いんですか?」

「あんたに関係ないでしょ」

「でも・・・・」

「だから・・・」


 男はいらいらと振り返るとその場に、ずるずると倒れこんだ。しっかりと手すりをにぎった右手以外は、力を感じることが出来なかった。

 階段の途中で倒れこむ男に、周りの人は怪訝そうな視線を向けたが、駆け寄る人は居なかった。


「大丈夫ですか?」


 男が階段から転げ落ちないように体を支えながら綾子は男の顔を覗きこんだ。

 顔は真っ青で、額には汗がにじんでいた。

 男の左手を肩にかけて、綾子は階段を一段ずつ下りた。いつ右手から力が抜けてしまうか分からなかったからだ。

 腰に手を回すとその細さに驚いてしまった。頭一つ分大きいのに、腰は自分より細い感じがした。

 大の男を支えながら歩くのは予想以上に大変だった。

 徐々に体調が回復しているような感じはしたが、目はぎゅっと閉じられたまま開こうとはしなかった。

 タクシー乗り場まで来ると、綾子は男をタクシーに押し込めた。

 明らかに様子のおかしい男女にタクシー運転手はバックミラー越しに怪訝な顔をした。


「どちらまで?」

「あっ、えっと、ちょっと待ってください」


 綾子は男のゆすりながら耳元で声をかけた。


「病院でいいんですか?この時間だと緊急外来とかになると思うけど」


 男は眉間に皺を寄せたまま、声を出す事が出来ないようだった。


「あ~・・・。病院にしちゃいますね。あなたのご自宅わからないし」


 綾子がそう声を掛けても、男はただ黙っていた。

 運転手に声を掛けようとした時、綾子に膝にボスッと何かが落ちた。

 男は財布を綾子の膝に投げていた。


「お金なら別に・・・」


 そう言いかけで、綾子は男を見た。


「病院はいやって事ですか」


 財布を開き、免許証を取り出すと綾子は運転手に住所を告げた。

 住所の場所はここから車で30分の所にあるらしい。

 街頭や街のネオンがタクシーの車内に入り込んでくる。

 タクシーに乗る前にコンビニで買った水を袋から取り出し、男の手に握らせた。しかし、男の手に力はなく、水は座席に落ちた。

 汗も止まり、眉間のしわも僅かに和らいだようだった。

 しばらくして、男から小さな寝息が聞こえてきた。


 流れる街並みをぼんやりと眺めていると、今日あった出来事が次々と頭に浮かんでくる。

 電車であった奇妙な人間、錯乱に近い感情、現実感のない出来事。

 もし、あの時止めてもらわなかったら自分はここに居ないかもしれない・・・。

 ガラス越しに伝わってくる秋の冷気が、綾子の頬に触れた気がした。ゾクッと寒気がしたのは、冷気のせいだけではないだろう。

 タクシーは街を離れ、住宅街を走った。

 高そうなマンションの前でタクシーは止まった。


「着きましたよ」


 10階以上はあるマンションをタクシーから見上げていた綾子は慌てて鞄を開けた。


「カードで」


 いつの間にか目を覚ましていた男は、カードをタクシーの運転手に渡していた。

 走り去っていくタクシーを見送りながら、綾子は自分も降りてしまった事に気付いた。

 あのまま乗って帰ればよかった。

 そう思いながらふと男を見て、綾子はぎょっとした。

 マンションの玄関に立つ男に無数の蔦が伸びていた。それは玄関のさらに置くからにょきにょきと伸び、男を絡め取ろうとしているようだった。


「悪かったな。迷惑かけて」


 男の顔色は僅かに悪かったが、それでもだいぶ体調がよくなったようだった。はじめてあった時の攻撃的な感じは消えうせ、綾子に対して非常に申し訳なさそうな顔をしていた。

 しかし、声を掛けられても綾子はただ呆然と男を見ていた。


「おい。大丈夫か?」


 そう声を掛けられて、やっと綾子は我に帰った。


「今度はあんたの方がまずいんじゃないか?」


 男はそう笑った。

 長く伸びた髪と、髭で分かりづらかったが、男は笑うととても優しい顔をしていた。


「ここから、どうやって帰っていくんだ?」

「えっと、タクシーで」


 そういいながら辺りを見回したが、住宅街にはタクシーが往来しているような気配は微塵もなかった。


「呼ぶしかないですね」


 はは・・・。と笑いながら頭をかいた。送る事ばかりで自分の事をすっかり忘れてしまっていた自分が情けなかった。

 綾子はいつも人に対しては100以上の力を出す事が出来るのだが、自分の事と成ると0以下になっていた。自分をないがしろにしている訳ではないのだが、どうしても自分の価値を低く見てしまう傾向があるらしい。


「なら、待っている間、上がっていればいい」


 男はそういうと、玄関を入っていった。


「あっ、いや・・・」


 家に上がる事をまったく考えていなかった綾子は男の後ろをついていく事が出来なかった。

 そんな様子の綾子を見て、男は笑い声を上げて笑った。


「女がこんな時間に一人で外に立っていると危ないだろ。それに悪いがあんたには何にもしないよ」


 「あんたには」の部分に引っかかるものを感じたが、タクシーが来るまでの時間誰も居ない路上で立っている事を考えたら、綾子は大人しく男の後をついていく事を選んだ。


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