表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 大場 みや
2/12

第二話

 秋の明け方と夕方は、昼間が嘘のように冷える事がある。

 綾子は明け方に寒さに目が覚めてしまった。


 冬物の布団を出すのをめんどくさがったばかりに、まだ掛け布団一枚で寝ていたのが悪かったらしい。

 掛け布団を体に巻きつけ再び眠りに付こうとしたが、冷え切った体は眠気も覚ましてしまった。

 

 まだ少し早いがそのまま寝ていてもしょうがないので、ぽりぽりと頭をかきながら起き上がる。


 コーヒーメーカーから芳しい香りが漂い、部屋を包む。

 カーテンを開けると、丁度朝日が顔を出し始めた頃だった。

 太陽の光がわずかに差し込むだけで、冷え切った部屋の温度が少し上がった気がした。

 

 上京して3年。

 

 一人で生活する事に不安がなかった訳ではないが、世の中何とかなるものだ。

 ずぼらで、めんどくさがりの綾子だったが、なんとか人並み程度の生活を送っていた。

 

 これといって特に楽しい事もなければ、辛い事もなかった。ただ平凡に毎日が過ぎていく。

 朝は決まった時間に起きて、コーヒーを飲み、会社に行く。

 会社で仕事をして、たまには同僚とお酒を飲んで帰ってくる。

 そして、また朝になる。

 すべて同じ一日だとは思わないが、まったく違う一日だという感覚もない。

 

 綾子には癖があった。

 

 いつも数時間後、数日後の自分を考えてしまうのだ。

 数時間後の自分は会社に居て、きっと「ああ、数時間たってしまった」と思うだろう。

 

 一週間後の自分は自宅のソファーで「また休みが来た」と思うだろう。と想像する。


 そして、実際に数時間後、一週間後にその事を考えて、憂鬱になるのだ。


 時計の音を聞いていると、まるで何かに急かされているような気がした。

 なんとなくそんな状態に嫌気が差し、長い有休を取ったのが昨日の事だ。 

 しかし、久しぶりの休みは何をしたらいいのか分からない。

 社会人になってからは友人が出来ないと聞いた事があるが、それはどうやら本当の事らしい。会社の同僚は多くいるが、休みに何処か行くような友人は居なかった。


 あげく、休みだというのにいつもと同じ時間に起きてしまった。

 テレビを付けると朝のニュースが流れていた。

 いつもなら会社に行く為にスーツに身を包んでいる時間だ。

 コーヒーを注ぎ、ソファーに体をうずめる。


 何もする事がないので、体全体が鉛のように重かった。

 今の自分には無気力という言葉がよく当てはまると思った。

 忙しい時はあんなにも休息したいと思っていたのに、いざ休みになると働きたくなる。


「本当、世の中うまくいかないものね」


 綾子はそう呟いて、コーヒーを飲み干した。

 コーヒーの無くなった空のカップを弄びながら、綾子はソファーの上でゴロゴロした。

 なんとかリラックスしようと、何度も体勢を変えてみるが、どうもしっくりこない。


 太陽が昇り、本格的に日が差し始めた時、綾子はため息をついた。

 どんなにリラックスしようとしても、頭では仕事の事など色んな事を考えてしまっていたからだ。

 

 これじゃ、ゴロゴロしていても余計疲れてしまうだけだ。

 

 電車に乗って本屋に行こう。

 本を買って喫茶店でゆっくり読書しよう。

 雑貨屋を巡ったり、新しい新譜でも見つけて気分転換をしよう。

 綾子はそう決めると、バスルームに向かった。



 平日に私服で電車に乗るというのは、なんだか妙な気分がした。

 いつもなら髪を一つに束ね、カチッとしたビジネススーツに身を包み、黒ぶちの眼鏡をかけて颯爽と出勤しているはずだ。

 しかし今は、ブルージーンズにスニーカー、黒のニットにベージュのトレンチコートといういでたちで綾子は駅のホームに立っていた。


 外の風は少しだけ寒かった。枯れ葉が風にさわさわと揺れていた。長い栗色の髪が、ふわりと風をはらんで揺れた。

 段々と冬の気配を色濃く感じてきた。


 それでも今日は気持ちいい位の秋晴れだった。

 澄んだ空気が、空を高く青く見せていた。

 

 こんなに天気がいいのなら、公園で散歩するのもいいかもしれない。

 

 外の新鮮な空気が肺に入るだけで、少し体の気だるさが薄れるような気がした。

 電車に乗り込むと、すでに出勤するサラリーマンや、通学の学生が車内を埋め尽くしていた。


 綾子は舌打ちした。


 どうせ休みなんだから、通勤時間をずらせば良かった。


 腕時計を見ると、いつも電車に乗り込む時間と同時刻を指していた。

 習慣とは恐ろしい。満員に近い電車の中でそう思った。

 いつもは音楽を聴き、周りと遮断するように通勤しているのだが、今日はなんとなく音楽を聴く気にはならなかった。音楽を聴いていると、思考が鈍り、何かを考えるという行為が出来なくなってしまう。その為、綾子はぼーっとしていたい時こそ音楽を聴くようにしていた。

 電車が走り出し、いつも見慣れている景色がゆっくりと外を流れる。

 

 3年間、晴れの日も、雨の日も、風の日も。電車からこの風景を見ていた。

 いつもと変わらない毎日、いつもと変わらない風景、いつもと変わらない自分。

 

 走る電車の中で、綾子はぼんやり色々な事を考えていた。

 子供の頃、25歳はすごく大人で、かっこよくて、なんでも出来るものだと思っていた。


 でも、実際は何も変わらなかった。


 お酒を覚え、化粧を覚え、男を覚え。

 自分の理想の大人にも、かっこよくもなれなかった。

 

 むしろ、大人になったから出来なくなってしまった事の方が増えてしまったように感じる。

 隠す事やごまかす事ばかりがうまくなってしまい、素直に何かをする事が出来なくなってしまった。

 何も変わってないと思っているのは、自分だけなのかもしれない。

 

 あの頃の自分が見たら、きっとがっかりするだろう。かっこよくなっているはずの自分が、こんな臆病者になってしまったのだから。

 毎日の中で、どんどん鈍感になっているような気がした。

 

 喜び、悲しみ、怒り。

 

 感情に対しても、どんどん鈍くなり、あきらめる事が普通になってしまった。

 綾子はため息をついて、車内を見渡した。

 新聞を読む人、座席で睡眠時間を確保する人、音楽を聞いて遠くを見る人、しきりに携帯をいじる人。

 

 この人たちはいつか夢見た理想の自分になれているのだろうか。

 子供の頃、目をキラキラさせていたあの頃の夢を叶えたのだろうか。

 

 扉に背をもたれながら綾子はガタガタと電車の振動に体を揺らしながら、ぼんやりとそんな事を考えた。

 

 綾子と丁度反対側のドア付近に女子中学生が2人、教科書を開き楽しそうに話をしていた。

 鞄にはキャラクターやリボンのアクセサリーがぎっしりとつけられ、後ろから見える教科書にはカラフルなマーカーが教科書に記されていた。

 2人は時折、ひそひそ話をしながら、楽しそうに笑っている。

 授業中に手紙を回したり、放課後の教室でふざけ合ったりした時がふっと思い出された。あの時は毎日がただ楽しくて、将来の事に不安を感じる事もなくて。

 毎日、テストの点や好きな人の事で一喜一憂したり、友達と遊ぶ事で頭がいっぱいだった。


 そんな微笑ましい姿に、なんとなく顔が綻んでしまった。

 車内に次に停車する駅名が流れると、少女たちは教科書を鞄にしまい、綾子の隣で開いたドアから降りていった。

 目の前を通り過ぎた少女たちを、綾子はすぐ目で追ってしまった。

 横を通り過ぎた少女たちの胸に、小さな葉が見えたような気がしたのだ。セーラー服の胸辺りに確かに緑の小さな葉が見えた。それは胸にささっているのではなく、まるで胸から生えているように見えたのだ。


 電車の扉が閉まり、電車が動き出してもまだ綾子は少女たちを眼で追った。動き出した電車の中で、階段を上がっていく少女たちが見えた。


 気のせいだろうか・・・?


 もしかしたら、見間違いかもしれない。それに最近の流行り物という事も考えられる。

 元々、考えても仕方のない事は考えない性格の綾子はすぐにさっき見たものを頭から追い出そうとした。


 再び、電車が動き出し、綾子はまた車窓に流れる風景を見た。

 流れる風景を無心で見ようとするが、どうしてもさっきの少女たちに生えていた葉の事が頭から離れなかった。


 頭から追い出そうと何度も目を瞑るが、なぜか分からないが無性に気になって仕方がない。

 追い出そうとすればするほど、少女たちに生えて居た葉が鮮明に頭に浮かんでくる。

 小さな柔らかい若葉。まだ緑色にもなっていないその葉は、キラキラと光っているように見えた。


 う~っと、頭を抱えると大きく深呼吸する。


 きっと、もう一度今の少女たちに会う事は不可能だ。そして、考えた所で何もならない。


 忘れろ、忘れろ、忘れろ・・・。


 呪文のように呟くと、綾子は顔を上げた。


 顔を上げると、向かいのホームに男子学生の集団が電車を待っていた。

 ドアを叩きつける音が車内に響き、乗客がいっせいに綾子に視線を集めた。しかし、綾子の目には写っていなかった。

 ホームの向かいには紫のジャージを着た高校のような体格のいい少年が10数人居た。それぞれ、大きなスポーツバックを肩から下げ、何かを話しながら電車を待っている。

 そして彼らにも、先ほど少女たちに見たような、小さな葉が手や足、胸などに生えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ