第7話~代償~
ヨハンの姿が見えなくなった。
ここ2、3日家に現れていない。
毎日のようにロミルダに会いに来ていたヨハンが突然来なくなるなど不自然なことだった。ロミルダも不安そうに窓の外をずっと眺めていた。
その間にもグレゴールはマッチを2本擦っていた。残り13本である。
「お外で遊ばないのかい? ロミルダ」
退屈そうなロミルダにグレゴールは優しく声を掛けた。
「ヨハンがいないならつまらないんですもの」
ロミルダは窓の外を眺めたまま寂しげに言った。
ロミルダの具合はマッチの火のお陰で相変わらずいいがただただ寂しさが滲み出ていた。
グレゴールはロミルダのカップに温かいミルクを淹れてやった。
それしか今してやることはないのだ。
ヨハンは森の中を歩いていた。
もう森に入り5日は経つだろうか。
グレゴールの言っていたマッチをくれた老婆をただ宛もなく探し続けた。
森の中は当たり前だが木しかない。どっちへ向かっても似たような木々が延々と続くだけだ。もう来た道さえ分からない。食料は木の実などを取ってなんとか食い繋いでいた。だが、それでも空腹は満たせずヨハンは死を覚悟した。
ロミルダの為に魔法のマッチを貰いに行こうと思ったのに自分は何も出来ずに死ぬなんて……
ヨハンの目の前は次第にぼやけてきた。
もう疲れた。
グレゴールの言う通り、この森には入っては行けなかったのだ。
言いつけを破ったことを後悔しながら、ヨハンは仰向けに倒れ、空を覆い尽くさんばかりの木々を見た。
その木々もだんだん見えなくなってきた。
次に目が覚めた時には見知らぬ場所にいた。粗末で小さな家である。グレゴールとロミルダの家ではない。
どうやらヨハンは生きていて誰かに助けられたようである。
ヨハンはゆっくりと上体を起こし辺りを見回した。
「気が付いたかい?」
ヨハンの視界に老婆が映り込むと同時にその老婆はヨハンに話し掛けてきた。
「森の中で衰弱して倒れていたんだよ。まったく、子供がこんな森に1人で何しに来たのかね?」
老婆は椅子に腰掛けながらニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながらヨハンの顔をしげしげと見詰めた。
間違いない。この老婆がグレゴールの言っていた老婆だ。風貌は完全に魔女だった。
「あ、俺、魔法のマッチを貰いにあなたを探していました。おじいさんにマッチを渡したのはあなたですよね?」
ヨハンは恐る恐る、その得体の知れない老婆に訊いた。
「ああ、確かに最近1人のじいさんにマッチを渡したな。わざわざ貰いに来たと言うことは、もうマッチを結構使ったんじゃないかい? 少年よ、あのじいさんはまだ生きてるのかい?」
老婆はニヤニヤしながら言った。
「どういうことですか? おじいさんはまだ元気ですよ?」
ヨハンは老婆のその質問の意味が分からなかった。
「そうだ、言い忘れていたよ。わしも歳でね。つい言い忘れてしまうことがあるんじゃよ。いいかい、あのマッチは確かに人を長生きさせる為の魔法のマッチだ。だがな、マッチを擦った人間は、同時にそのマッチの火に命を吸い取られているんじゃよ」
「え!??」
ヨハンは老婆の衝撃の言葉に思わず声を上げていた。
「だからあまり何度もマッチを擦らんほうがいいのじゃ。もともと老い先短いじいさんじゃ、永くはもたんだろう」
その言葉を聞いたヨハンは老婆に掴みかかっていた。
「ふざけんなよ! 初めからおじいさんを殺すつもりでマッチを渡したのかよ!?」
老婆の顔の前で怒鳴り散らしたが老婆はニヤけたまままったく動じた様子がない。
「殺す? 何の為にわしがあんな老いぼれを殺すんじゃ? なんの恨みもない初めてあったじいさんじゃぞ? それに、放っておいてもその内死ぬじゃろ? わしがわざわざマッチを使ってじいさんを殺す理由などあるもんかね」
老婆はニヤけてはいるがその言葉はどこか鋭くヨハンの心を抉ってきた。確かにこの老婆の言う通り、怨恨でなければグレゴールが殺される理由はない。グレゴールに目ぼしい財産などないのだ。
老婆の瞳は垂れ下がっているぶよぶよの瞼の隙間から不気味な光を放っているように見えた。もはや人間ではないもののようだ。まさに”魔女”というべき容姿である。
ヨハンはその”魔女”から発せられる雰囲気に恐怖を抱き、胸ぐらを掴んでいた手を放した。
すると魔女はまたニヤリと微笑んだ。
「マッチはやるよ。いくらでも。金はいらない。好きなだけ持っていくといい。今日わしに会えたのは奇跡みたいなものじゃからな。この機会にありったけ持っていけばいい」
魔女の提案にヨハンは目を見開いて驚いた。魔法のマッチがたくさんあるということ自体驚きだが、そのマッチをいくらでもくれると言った。しかも金はいらないときた。
魔女は相変わらずニヤニヤと笑ってこちらを見ている。
ヨハンは考えた。マッチの代償。血をマッチに吸わせた人間はそのマッチで擦った火が燃えている間は命が延びる。しかし、マッチを擦った人間の命は吸い取られる。
つまり、ロミルダは生き長らえるが代わりにグレゴールが死ぬということだ。
「くそっ!! どうしたらいいんだ!!」
ヨハンは頭を掻きむしった。これでは結局誰かが死ぬではないか。しかも近いうちに。
マッチを貰っても擦った人間が死ぬならそれこそ擦ればいいという問題ではなくなる。やはり一度点けた火をどうにかして長く燃え続けさせる方が正解だったのか。
「提案があるのだが聞くかい?」
突然魔女が言った。
ヨハンは魔女の方を見るとヨハンはまだ何も言っていないのに勝手に話し始めた。
「じいさんの命はもう短いが、お前の命はまだまだ永いだろ? だったらお前がじいさんの代わりにマッチを擦ればいいんじゃよ。丁度、お前達が助けたい娘はお前と同じくらいの歳じゃろ? お前がその子と同じ時を過ごしたいなら、お前の命をその子にくれてやるつもりでマッチを擦ればいい。ほれ、早く決めなさい。早く帰らないとじいさんがマッチを擦り尽くして死んでしまうぞ?」
ヨハンは頭の中がぐちゃぐちゃだった。もう何が何だか分からない。頭の中でただ一つ鮮明に見えるのはロミルダの笑顔だけだった。
「帰り道は心配しなくて良いぞ? そこの扉を開ければお前が良く知っている道に出る。どうするか決めたら早く出て行きなさい。お前が森に迷い込んでから今日で丸1週間経つのじゃからな」
魔女の言葉を聞きヨハンは固まった。
1週間。そんなに経ってしまったのか。だとするとグレゴールはもう何本もマッチを擦っているのではないか。
ヨハンは立ち上がった。
目の前でニヤついてこちらを見ている魔女の前に立った。
もう時間がない。
ヨハンは魔女に答えを伝えるとすぐに扉から飛び出して行った。