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第4話~マッチの力~

 夜が明けた。

 窓から朝陽が射し込んでロミルダの寝顔を照らした。

 結局グレゴールは一晩中マッチ箱を握り締めたまま、どうするべきか考えていた。

 仕事に行っている場合ではない。ロミルダがいつまた苦しみ始めるか分からないからだ。

 ロミルダが目を覚まさないのでグレゴールはマッチ箱を机の上に置き、ロミルダの顔を濡らしたタオルで拭いてやった。

 一晩中考えたが、やはり得体の知れない老婆から貰った怪しいマッチなど使うことは出来なかった。

 ロミルダが目を覚ましたのはその日の夕方近くだった。

 グレゴールは椅子に腰掛けいつの間にか眠っていたが、ロミルダが声を掛けてくれたのでハッとして飛び起きた。


「大丈夫かい? ロミルダ、具合は」


「大丈夫よ、あら、私、こんな時間まで眠ってしまったのね。おじいさん? お仕事には行かなくていいの?」


 ロミルダは横になったままグレゴールに微笑み掛けた。


「ああ、仕事は今日はお休みを貰っているからね。それより、何か食べたいものはあるかい?」


 グレゴールの反応にロミルダは悲しそうな表情をした。


「いらないわ。何も食べたくない。お水だけちょうだい」


 グレゴールはコップに水を入れ、ゆっくり上体を起こしたロミルダの口元に運んだ。

 グレゴールのコップを持つ手にロミルダの小さな両手が添えられて自分で口に水を流し込んだ。

 するとロミルダは口を抑えてむせ始め、その口を抑えた手の隙間から血を流していた。その血はぽたぽたとロミルダのベッドのシーツにも跡をつけた。


「ロミルダ!」


 グレゴールが声を掛けて背中を摩った。


「ごめんなさい。私、もうお水も飲めないみたいね。あまり長くはないみたい」


 ロミルダには余命の話はしていないが、自分の体調の悪化具合を見てさすがに悟ったのだろう。

 ロミルダは目に涙を浮かべながら悲しげに言った。

 もうこんな苦しそうなロミルダは見てられない。

 グレゴールは水の入ったコップを机に置き、ロミルダの血塗れの手を握った。


「そんなこと言うもんじゃないぞ。どれ、少し魔法を掛けてやろう」


 グレゴールはそう言うと立ち上がり、キッチンの棚から小さな蝋燭を取り出した。そして、ロミルダの血が付いた手でマッチ箱を開け、中のマッチを全て握り締めロミルダの血を付けた。


「おじいさん?」


 おじいさんのおかしな行動にロミルダは首を傾げた。


「見てご覧、この蝋燭。この蝋燭に今から火を点けるよ。その火を眺めていると不思議と元気が湧いてくるんだよ」


「ふふ、それは凄いわね」


 ロミルダは袖で涙を拭い、笑顔を作って見せた。

 グレゴールはロミルダの血が付いたマッチを擦り火を点け、蝋燭にそっと火を灯した。

 灯された火はゆらゆらと揺れた。グレゴールとロミルダはその火に不思議と心を奪われほんのひととき言葉を忘れて見入っていた。


「不思議ね……。なんだか、心が安らぐわ。こんな気持ち初めて」


 先に口を開いたロミルダにふと目をやると今までの青白い顔色が嘘のように血色が良くなっていた。グレゴールはタオルでロミルダの口元の血をを拭ってやるといつもの元気で可愛らしいロミルダに戻った。

 グレゴールは歓喜した。本当にこのマッチの火でロミルダの具合が良くなった。こんな状況を目の当たりにして信じないわけがない。すぐにグレゴールは水の入ったコップをロミルダに差し出した。


「水、飲めるかい?」


 ロミルダは小さく頷くと恐る恐る水を口に含み、そして飲み込んだ。


「大丈夫……飲めたわ。何ともない。いつも通りよ!」


 ロミルダは笑顔でグレゴールに言った。


「良かった! 本当に良かった!」


「この蝋燭凄いわね! おじいさん、まるで魔法使いみたいよ」


 ロミルダは蝋燭が凄いと思っているようだ。本当に凄いのは蝋燭ではなくマッチなのだが、訂正はしなかった。自分の命が得体の知れないマッチの火に繋がれているなどとは知りたくないだろう。


「そうだ、ヨハンは? おじいさん、ヨハンは私が眠っている間訪ねては来なかった? 私、彼に謝らないと」


 ロミルダは突然思い出したようにヨハンの名を口にした。


「いや、彼は来ていないな」


 グレゴールが首を振るとロミルダは寂しそうに下を向いた。


「私が泥棒呼ばわりしたから、嫌われて当然よね」


 ロミルダは机の上の花瓶の青いアネモネの束を悲しそうな眼差しで眺めた。


「そんなに彼に会いたいなら、わしが探してきてやろう」


 グレゴールが立ち上がろうとした時、玄関の扉が叩かれた。


「おじいさん! おじいさん! 俺だよ! ヨハンだよ! 開けてくれよ!」


 グレゴールとロミルダは驚いて顔を見合わせた。


「凄い! 噂をすれば影ね! おじいさんは本当に魔法使いなんじゃないかしら?」


 ロミルダは嬉しそうに言ったがグレゴールは目を丸くしたままきょとんとしていた。本当に探しに行こうとした矢先にヨハンが現れたのだから驚かないはずはない。

 グレゴールは玄関の扉を開けた。

 相変わらずボロボロの薄汚い格好でヨハンは立っていた。ただ、何故か汗だくで息を切らしている。


「おじいさん、俺、村の噂でロミルダがもう長くないって聞いて、隣村もそのまた隣村もそのまた隣村にも行って腕の良い医者を探したんだけど……見付からなかった。あの、ロミルダは、ロミルダの様態はどうなんですか??」


 ヨハンは泣きそうな顔をして必死に言った。目の前のヨハンはグレゴールの知るやんちゃばかりしていた村のヨハンではなかった。真剣にロミルダのことを心配してくれている。


「ありがとう、ヨハン。ロミルダは今落ち着いたところだよ。まぁ、中に入りなさい」


 グレゴールはヨハンを家の中に招き入れた。その行動に驚いたようにヨハンは口をポカンと開けたまま固まっていた。まさか家に入れてくれるとは思わなかったのだろう。


「ヨハン!? あなたなのね! 私の為にお医者様を探してくれていたのね! ありがとう!」


 ロミルダの元気そうな顔を見て、ヨハンは安堵の表情を浮かべた。


「ありがとう、ヨハン。わしは君のことをただのゴロツキだと誤解していたよ。済まなかった」


 グレゴールが頭を下げるとヨハンは首を振った。


「いいえ、おじいさんの言う通り、俺はゴロツキです。でも、ロミルダに叱られて考え方が変わりました。盗みや暴力は良くない、違う方法を見つけようって」


 グレゴールは人がこんな風に変わる様を初めて目の当たりにした。ロミルダがヨハンを変えたのは明白だ。

 ロミルダはヨハンがここに来た時の表情とはまた別の申し訳なさそうな表情をしていた。


「ごめんなさい。酷いこと言って……そのお花、あなたがお金を貯めて買ってくれたものだったんでしょ?」


 ロミルダは机の上の青いアネモネの花束を指差しながら、勇気を振り絞ってヨハンに言った。だがヨハンはニコリと微笑んだ。


「いいんだよ、そんなこと。俺の方こそ不快な思いさせてごめん」


 ロミルダはヨハンの返事を聞くと天使のような笑顔を見せて微笑んだ。


「それじゃあ、ヨハン。仲直りも出来たことだし、改めて私とお友達になりましょう! いいでしょ? おじいさん!」


「勿論だとも」


 グレゴールもロミルダが元気になったことと2人が仲直りしたことに満足そうに微笑んだ。


「友達……そうだな! うん、そうしよう、ロミルダ! 今日から俺と君は友達だ!」


 ヨハンは今まで見たこともないような飛び切りの笑顔を見せた。


「ロミルダ。ヨハン。今日はご馳走を作るぞ。うちも貧乏だから、あまり大したものは作れんがな」


 グレゴールが笑うとロミルダとヨハンも笑った。

 机の上の蝋燭の火はまだ小さく燃え続けていた。

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