妹と僕は電車に乗る。
バードストライクという現象がある。
飛行機が飛ぶときにおこる、不運な交通事故だ。
まあ、ジェットエンジンに巻き込まれて命を落とすのは鳥であることが救い――-――なんていうと、鳥を愛する協会的なものから叱られるかもしれないが。
人間じゃないだけマシである。
巨大な歯車を思わせるファンに人体が巻き込まれて骨と肉が引き離されるよりは、いくらか目に優しい映像だろう。
「ぶはっ!」
顔に何かがぶつかった。
翼を慌てて広げなおし、体勢を整えて飛び去っていったからには、何らかの種類の鳥だろう。
真っ黒ではないからカラスではないと思うが。
俺は鳥の種類など知らない。
植物もそうだ。
布団に描かれている花の柄もわからない。
まるで覚えられないのだ。
ファイアローとかムクホークとかの種族値だけは種族値まで覚えている、今どきの男子である。
僕は妹に背負われ(絵的に兄として情けないが)、空を飛んでいた。
目標は電車。
一端、地面に着地し、もう一回爆発で飛翔する。
宙空で爆発を繰り返し、さらに追いかける。
電車は平常時とほぼ同じような速度で走っている。
この状況で平常運転は尋常ではない。
運転手はどんな神経で運転しているんだ………線路上に石が落ちているとかいうレベルじゃあない。
むしろ石の方が多い、それもあり得ると予想したのだが。
「速い………!お兄ちゃん、飛ばすよっ!」
「お、おお――――いや待て」
さらに飛ばすのか?
もう結構風圧で顔が引きつってるんですが。
「誰が運転してるんだ、くそ………!仕事熱心だ、結構なことだなあ!道なき道を進むとかいう精神は鉄道会社が持ってちゃ駄目なやつだぞ!レールが敷かれた人生を生きろよ!電車なら!」
「黙っててお兄ちゃん、舌噛む!」
「………」
「待って、今考える………」
そういって妹は、爆発飛行を小規模化し、低空をバッタのように跳ねた。
無論、足で飛んでいるわけではなく、着地するという瞬間に妹の靴の下で爆発が起きるのだ。
そうして、電車の最後尾の、さらに後ろを走る。
景色が高速で移動するが、そちらに意味はない。
電車に捕まりさえすれば、この危なっかしい走法も終わりにできる。
爆発によって、おそらく線路はねじ曲がるだろうが、ちゃんとは見えずに視界の後方に消える。
「追いつけそう」
待てよ、電車の上に送電線がない―――そういえば切れてるのか。
気づけば顔に当たる風は減っていた。
電車の後ろだからか。
こんなところでスリップストリームを実践するとは。
すべての地域ではないと思うが。電車の先頭の方は、ほぼ見えなかったが、あれは――-――。
「もう少し!」
言って妹は最後の爆発で空中をダッシュし、俺たちは開きっぱなしのドアに腕をかけた。
そこから車内に入ると、ようやく風圧から身体を解放された。
「やった………高速道路って実際走るとこんななのかな。お兄ちゃん」
「ひとまず安心、していいのか?いや、でも本当にこれでよかったのかな………高速道路を走るとして、次からは窓ガラスが欲しいね」
開きっぱなしだったドアを見る。
自力で閉じようとしたが、途中で、ここは逃げ道として使えそうでもあるので開けておこうと思い直す。
「やっぱり鉄道会社が、ちゃんとした運転をしているという線は薄いかもな――どう思う」
「走らせてるのは『妹』………まずそう思ってるけど」
「………」
悪いパターンとしては、考えておかなければなるまい。
車内での戦闘もあり得る。
車内。
電車の車内。
今までとはこうやってみると、違う。
通学目的で乗る時のように、アイポッドを弄りながらというわけにはいかない。
違った見方をせねばなるまい。
その車両を進む。
いや、進まない。
なぜならば、席の影にどんな危険人物が潜んでいるかわからないからだ。
僕は妹を見て、車内に響かないように呟く。
がたんごとん、という音がいまだに響いていることにようやく気付き、音を立てないようにしすぎるのも考えものだなと思いつつ。
「………僕にはチカラがない。盾になれない」
「お兄ちゃん。私を盾にしてって」
言ったでしょう、と、麻衣が言う。
よく出来た妹である。
しかしこの環境に適応しすぎているな、こいつは。
今こうして話しているときも、戦いの渦中であることを忘れていない。
軍役したとか、中東に何年か派遣されていたなどという経歴はないはずなのだが。
ある意味、こいつが一番狂っているのでは?
そう思いながら、とりあえずこの車両の先頭まで行く。
「車両は、全部で3つだったっけ?」
「ああ………いや、二つだったかな。地方鉄道だし、二つで走ってる時の方が多い」
じゃあ、あと一つか。
前の車両を覗きこむ。
運転席の方は遠いが………確かに人がいる。
それは見えた。
どうしたものかと僕が考えていると、麻衣は
「必ず戦いになるわけじゃない」
そう言って、がらりとドアを開けた。
「おっ、おい!」
心臓がきりきりした。
これで県庁所在地まで行ける。
そうすればヒントは多いはず
運転席から、人が振り向いた。
僕はその人物を見て少し安心する。
まったく知らない男だったが、歳が近く、そして特に怖そうでもなかった。
なにより『妹』ではない。
「リン、続けていていいぞ」
男は前方に向かって言う。
なんだ?
どこに向かって言ったんだ?
そういう疑問は持ったが、男はゆっくり歩いてきた。
そして言う。
「お前たち、どこから………?なんだ、俺は確かに、誰もいないのを確認したんだが」
信じられないという目をした。
「ああ、最初に言っておく、争う気はない!今、乗り込んだんだ………これが、どこに向かうか、気になって」
出来るだけ誠実に聞こえるように、捲くし立てた。
「何か、変な電車だったから………こんな時に走ってるし」
「なに………?」
男が怪訝な目をする。
好戦的ではないにしろ、距離感を図っている目である。
制服は着ていないが、やはり高校生くらいだろう。
ちなみに僕は朝登校した時のまま、学生服である。
家で着替えようとも思ったが、学ランは他の服よりも丈夫そうなので、気休め程度の防御力強化のつもりで、そのままにした。
「変な電車だから、乗り込んだっていうのか?走ってる電車に………」
そこで男は麻衣を注視する。
ぎょっとした表情になった。
どういう手段で飛び乗るに至ったか、完全ではないにしろ察したらしい。
麻衣は
「はじめまして」
と言って頭を下げた。
礼儀正しくて結構なことだ。
態度を正さないと、危険人物だとみなされる恐れがあるので、そこは助かる。
「こいつも乗せてくれ………俺の、」
妹というワードを使うのは、なんとなく躊躇した。
「お兄ちゃん!なんかあったのー?」
それは麻衣の声ではなかった。
俺は辺りを見回す。
―――まずい!敵か?だが、どこに
「大丈夫だ!お前は前だけ見てろ!」
男が運転席に向かって言った。
怒鳴ったと言ってもいい。
なんだ?
誰かと受け答えした?
でも僕が見た限り人はいない………誰も座っていないように見える。
と思ったが、いた。
背が低いので………麻衣よりも低い。
年下となると六、七歳くらいにも見えるが、運転席に座っているらしい。
髪をしばっている可愛らしい頭が、わずかに見えた。
「ああ、人がいたのか………」
「ああ、凛―――俺の妹だ」
「そ、そうか………なあアンタたち、この電車はどこに向かっている?」
「どこにって―――町の方に決まってるじゃねえか、レールの上しか走れないのが電車だぜ。このままいけば県庁所在地につく。そうすれば――――」
「何があるんだ?」
「いや――――人が多いと思って」
「………」
ちい、俺と同レベルかよ。
まあ安心するけど。
親近感は沸きましたとさ。
「頼みが………僕たちも乗せて行ってくれないかな」
「ふん………まあすぐに飛び降りろとは言わないがよ、君らは何か目的が?」
「いや、この騒ぎの元凶を探している。旅の途中ってわけだ」
「そうか………」
「あーっ!」
運転席からこちらを向いて女の子が叫んだ。
ツインテールがぴこぴこと揺れる。
「お、お兄ちゃん!ヒトがいるよ、誰そのヒト!うっわ、女の子もいる!ど、どうしよ!」
「大丈夫だリン、任せろ………早く前を向けお前は、死ぬぞ!」
リンと呼ばれたその子は、ツインテールを振り、しぶしぶ前方、つまり線路上に向き直った。
………死ぬぞ?
「ああ、妹が失礼した………ちょっと取りこんでいてな。あ―――………」
男が言い淀んだ。
「名前を頂戴したい。俺は九里坂だ」
彼は名乗る―――おっと、そうか。
名乗ってなかった。
「香田だ。香を焚く、田んぼで香田………妹は麻衣………今、取りこんでいるというのは?」
「線路を綺麗にしないといけない。レールの上を今、凛が掃除してる。そうして進んでいるのだ、いるんだ。」
僕は運転席を見せてもらった。
そして、状況を理解した。
凛ちゃんが
「えいっ」
と呟くと、前方で爆竹のような爆発が起きた。
そして、レールの上にあった石のようなものが、砕け散った。
電車はそこを走り抜けていく。
旅はかろうじて、快適を維持している。
爆発を見た瞬間に反射的に体が強張ったが、大丈夫、敵ではない。
少なくとも今のところは。
「そうか。だからここまで走ってこれたのか………考えたな」
「いや、状況はそう簡単ではなくてな。実はこの電車、止まらないんだ」
九里坂が聞き捨てならない発言をした。
「………なんだって?」
「止め方はわかるんだが、どうも操作が利かなくてな………速度調節のレバーがあるだろ?たぶんショックで壊れたんだ。もう馬鹿になってんだ」
「………ちょっと、僕に貸してもらっていいか?」
「どうぞ。俺はもう、さんざん試したからな」
僕は運転席にお邪魔し、凛ちゃんの前にあるレバーをさわって、引いたりした。
「どうだ?」
「ううむ………」
景色の過ぎる速度が変わらない。
エンジンの音………電車の機関部のことを正確になんというのか存知ないが、とにかくその音も変わらなかった。
九里坂が
「ガレキはそこまで多くない。駅のホームに注意すれば、あとは田んぼも多かったからな………」
と言う。
たしかに、走り抜ける景色は緑が多い。
しかし。
「どうしてこんなことに………」
「これを走らせるだけで随分と苦労したんだ。発車の時にいろいろとあってな………まさか壊れてしまうとは思わなかったけどよ」
九里坂がしみじみと回想するような表情をする。
そんな風に目をつぶられても僕にはその映像が見えないんだが。
言いようのない、苛立ち―――と言うほどでもない何かを覚えた。
「僕―――本当にヤバい時は飛び降りるからな………悪いけど」
「それをお勧めするよ。悪くなんかねえ。わざわざ乗車してくださったところ悪いが、タイタニック号より不味いぜ」
「………いいよ、どうせ無賃乗車だし。妥当かもな」
死亡フラグを立たせながら四人を乗せ、疾走する地方鉄道は椎ノ木駅を過ぎるところだった。
俺の家の最寄駅から、既に三駅も通り過ぎたことになる。
スピードは申し分ないな。
「あの………」
麻衣が九里坂におずおずと声をかけた。
「手伝いましょうか、その………線路、キレイにするの」
「ん………いや、いいよ」
九里坂はすこし考えてから、そういった。
僕は、開け放たれているドアから吹き込む風で少し揺れている吊り革をつかみながら、座席に向かう麻衣を眺めていた。