妹は僕と飛べる。
同じクラスの女子生徒が、誰かの妹である---という可能性は、大いにある。
僕はそこまで思い至っていなかったが、そうなると、気づいてしまうと、クラスの人間を見る目が変わりそうである。
あの佐藤さんも。
兄と遊んだり―――俺の知らないところで、だ。
仲の良い人間がいて。
楽しく遊んで、、思い出を作り、ケンカして時にいじわるされたりした経験はあるのだろうか。
投げ渡された妹の赤いランドセルを、俺はしっかりと抱いていた。
妹は苦戦していた。
爆発合戦はさっきの高校でもあったことだが、佐藤さんは飛行少女よりも手ごわそうに見える。
というのも、妹がやや、動きにくくしていることに気づき始めたのだ。
じわじわと押されているように見える。
身体の動きに精彩がない………まさか、さっきの疲れがあるのだろうか、体力の。
僕ならばあり得るが、妹はどうだろうか。
僕の妹に限らずその可能性はなんとなく無い、と思った。
小学生というのは身体だけは無尽蔵に遊ぶもの、そういうふうに出来ているものだという印象があった。
子供だから体力がない。
そう表現する人は確かにいるけれど、大体は大人が言ってきたことだけれど、俺にはよくわからない。
色んな奴がいたので、子供だからという法則はないと思う。
爆発合戦は、少しずつ小規模化した。
妹の火力があきらかに低い。
殺さない程度にいたぶられているような感覚。
破壊するよりもデッキの一番上に戻される方が、プレイヤーにとっていやらしいのだ。
何を言っているのだ僕は。
この戦いを遠くから眺める人がいたとして、戦いは小規模に見えたかもしれないが、リング脇にいる僕は気が気でなかった。
そう、リング脇。
あの二人は距離的に、リングで戦っているようだった。
戦争ではなく殴り合い。
爆発はボクシングのインファイトの趣を見せた。
見ていて、よりひやひやする。
その赤いグローブに詰められたのは綿ではなく燧石なのだろう。
爆発の連続フックを、熱線ならぬ爆線を躱わしつつ反撃。
次の瞬間にでも顔面が生々しく吹き飛ぶのではないかという、狭く、しかし最速の戦り取り。
いや、今の常軌を逸した二人なら、防御力の類も上がっているように思われるので、それはないと思うが。
妹………なんていう戦いだ。
なぜ妹が戦っているのか、僕にはいまだ把握しきれないが。
妹の攻撃が、爆発が佐藤さんの左半身を覆った。
攻撃が当たったのかと思ったが、佐藤さんが妹から離れた。
爆発を―――違うタイプの爆発を起こした。
すなわち、離れるための、移動のための爆発である。爆風に乗り、クラスメイトの女子は、投げたボールのように空に離れていく。
そんな場合ではないが、おもわず見入ってしまった。
――――逃走?
それもよい、助かる。
妹はここまで来ても、疲れはあっても大きなダメージはなく、これ以上の戦いは無意味と感じたのか、あの、佐藤さ………敵は。
そもそもまともに考える思考回路が、もう残っていないのかもしれない。
「あははは――-――っは――-――」
その声は離れていく。
やがて、ガレキよりも何よりも、遠くなって、見えなくなっていった。
「麻衣………!助かった。逃げたのか、奴は!」
僕は妹に駆け寄る。
「………」
「おい!」
「そうよ、奴らの目的は私やお兄ちゃんを殺すことじゃない。………追っていけば、『元凶』がもしかしたら現れるかも」
「奴をあんな風にした元凶は、やっぱりいるんだな」
佐藤さんは正気ではなかった。
精神状態は酔っぱらいのそれに近いのかもしれない。
本物の戦闘狂になられるよりは、あるいはマシなのかもしれないが。
「わからない………けど、このままではどうしようもないよ。どこに行けばいいのか」
「追いかければ………」
「え?」
「追いかければわかる、と思うんだが」
何かが。
その何かが何なのかわからなかったが、荒野で立ち尽くしてコンクリートの断面の眺め、黒いミミズのような鉄筋を観察し時間をつぶすよりはいいと思った。
「確証も何もないよ。確かに、全力で戦って倒すよりも―――そうするより、あの人、佐藤さんのこと、わかるかもしれないけれど」
「………」
俺は考える。
追いかければ―――佐藤さんがくるってしまったのは残念だが、追いかければ今度こそどちらかが大けがをするであろう可能性、大だ。
避けたい。
しかし―――。
妹はさっきから何を考えているかわからない。
次に何をするかわからないのは妹も、そういう意味では同じなのかもしれない。
何か思いを巡らせているんだろうが。
「なんにせよ、お兄ちゃん、迂闊すぎる。私以外の女に近づかないで」
「………うん」
「少なくとも、私を盾として使って」
そりゃあまあ、そうなのだろう。
今さらめちゃくちゃな発言だというふうに聞き流せない。
実際死にかけたからね。
生きてただけで良しとするか。
ずいぶん歩いた。
この辺りは知った道ではある。
「お兄ちゃん、やっぱりウチに戻って荷物をとってきた方がいいよ」
なんとなく予想した答えではあった。
ウチというのはつまり自宅のことだろう。
親に聞いても何の進展にもならないと思うが。
ちなみに父は、車を動かして出ては行ったものの―――おそらくこのボロボロの地面のどこかで立ち往生し、引き返しているだろう。
「長い旅になる………」
「―――それ、マジで?」
そういう趣旨なのか。
「うん、一端準備をするんだよ」
「えー………」
「お父さんお母さんには、おとなしくしている方がいい、『奴らに気をつけて』とだけ言っておけば」
「お前は家に閉じこもるのか?」
「私にはチカラがある。どうやらこれを使って奴らを止めることができるはず―――」
「………危険だな」
小さく、それだけ言うのが精いっぱいだった。
線路を渡る。
もはや言っても仕方がない、意味のないような気がしたし、自宅がある辺りまで近づいてきたので口をつぐんだ。
「なんだ、やっぱり戻ったのか、よかった」
びっくりするぐらい平和な返事をしてきた。
「父さん、大丈夫だった?」
麻衣が聞く。
「大丈夫なわけがないだろう、めちゃくちゃだ」
我が家は比較的ダメージが少ない方だった。
しかしこの父親、状況がすべてはわかっていない様子である。
ああ、そうか………。
「『妹たち』とはまだ、出くわしていないんだね」
「………?」
案の定、何を言っているんだこいつ、といった表情である。
僕と妹は、朝から今までにあったことを、すべてではないが、その中で特に安全にかかわることを説明した。
主に妹が話している流れになったので、おれは同時に、カバンに最低限の食料を詰め込んだ。
財布―――財布、いるかな。
まあやっている店もあると思うし泥棒はよくないな。
「―――というわけで、とりあえず女の子は危険なの」
麻衣がそうやって話を終える。
「マジか?」
お父さんが半笑いで僕の方を向いた。
「マジだよ、父さん。町がぶっ壊れてるのはもう知ってるでしょ」
「そりゃあ、わかるが………え、妹?妹って、『いもうと』か。」
「それ以外に何があるの」
「テレビで見るタレントの………」
「たぶんイモトのことだと思うけど、関係ない」
「小野妹子?」
「もう亡くなっています」
ついでに言えば女ではない。
僕はカバンを背負う。
「さっきから気になっていたんだが――-――何の荷物だ、そりゃあ」
「出かけてくる。僕と妹で、この原因を突き止めてくるよ」
「………お父さんもなぁ」
ため息をつく父。
父親モードだ、保護者的な意見を言ってくるのだろう。
「お父さんも、こういう時じっとしていることができなくて、とりあえず車を走らせてしまうタイプだ。何もしないよりはいいと思って。だが、お前たちはやめておけ」
常識的な返しが来た………ある意味すげえよ、なんつーかリアクション取りづらいもん。
ものすごく厳格なわけでもなく、引き止めてきた。
こういうまともな親がいたら、週刊少年紙では話が進まねえだろうな。
主人公が不良っぽくなる余地がねえよ。
「お父さん、お兄ちゃんもちょっと外に出て。庭にガレキがあったよね」
妹がそう言って玄関の方に戻る。
「あ、ああ―――」
ちょっと何を言っているかわからなかったが、後ろからついて行った。
親に買ってもらった靴に肉づきの少ない足を通す姿は紛れもなく小学生である。
―――がたん、ごとんと、電車の音が遠くから響いた。
ガレキは確かに庭の一部の、じいちゃんが趣味で整えている花壇を押しつぶしていた。
「『妹は爆発する!』」
目を驚愕で見開いた父の前で、その倒れた壁は、重機を用いずに粉々になり、食べやすいサイズにカットされた。
「私とお兄ちゃんは大丈夫。チカラがあるし、だから―――」
―――がたん、ごとんと電車の音が鳴り響く。
「お兄ちゃん。私の背中に乗って、今すぐ」
「え?」
言うが早いか、妹は俺のふところにもぐりこむ。
投げ技か何かをかけられることはなく、されるがままに、俺は妹に背負われた。
「『妹は爆風に乗る』」
そう言うと、俺の後方で爆風が起こり、二人は空に投げ出される。
空の上に駆け上がり、町を見下ろした。
「う、うわあああ!」
僕は叫ぶ。
妹の髪がはためくのが見えた。
「大丈夫だよ、痛くない! ―――これは移動技だから。『そらをとぶ』だと思ってよ」
「だからと言って、急に………なにすんだよ!お前、ナニ考えて………」
耳に強風が掠る。
妹も、大きな声で返す。
「お兄ちゃん!『電車』に乗るよ!」
「ああッ?」
なんだって?
風が五月蠅い。
「電車が動いてる!」
眼下を見れば、さっき通り過ぎた踏切を、電車が走りすぎるところだった。
「電車が動いてる!走れるとは思えないのに!」
………?
何を言って――――。
自分の意見を構築しようとして、その電車を見る。
よく見る型の電車は、今日も走っている………そうだ、今、線路は無事なのか?
ガレキは?
ここまで何キロか、走ってきたのか?
その車両の先頭の前で、きらきらと光るフラッシュのようなものが見えた。
「なんだ、あれ………」
「追いついてみる!」
「ま、待て!」
追いかける父。
目の前で彼女が起こした、強力なチカラ。
その爆発を見て、加速力を目の当たりに、追いつけるはずはないと思いはするものの、父親の手は常識など考慮しないで動いた。
空を飛ぶ点となった二人の方に伸びていた。
晴れてきた砂けむり。
そのなかで立ち尽くす彼の後ろから、優しく近づく影があった。
今年で七十七歳となるおじいちゃんが、彼の肩を叩く。
「可愛い子には、旅をさせろ」