僕の妹は何をやっているんだ。
あけましておめでとうございます。
複雑にいりくんだ路地の隙間に、土砂崩れのように壁のタイルがはがれ落ちてくる。
昔は―――私が生まれる前くらいの時代にはもう少ししっかりとペンキが塗ってあったりしたのだろう、古いマンション群だった。
旧市街。
路地裏。
ビル街。
根元付近を爆破して、そして後ろから追う炎の虎を撒こうと試みた。
「ああ、撒いちゃダメなんだった………連れて行かないと」
やや息を抜いて、速度を落とす………そもそもゆっくりにならないと、壁に激突してしまうのだが。
ビルとビルの隙間を、アクション映画さながらに、飛んでいく。
麻衣に続いて、炎の虎がその隙間を走った。
ビルの隙間は人がすれ違える程度の広さだが、炎の虎の大きさ、体躯の幅は優にその五倍はあった。
後ろから轟音が聞こえる。
轟音が、轟音のまま追ってくる。
「うっ………!」
虎が、ビルの壁を削りながら追ってくる。
壁が火花を散らせながら、ぼぼぼぼ、と、聞いたことのない炸裂音を鳴らす。
「トラックじゃないんだから!」
「トラック?トラックとは?」
「あんたの爆発がでかいってこと!………もう、戦車じゃん、こんなの!」
「戦車?それは何ですか?」
「面倒だな!」
この世界の単語を知らない、いや物を?
物を知らないのは疲れる。
虎のプレッシャーにもさすがに怯んだが、突っ込み役のお兄ちゃんが視界に入らないのはつらいところだ。
しかし飛び続けねばならない。
普通に逃げても追いつかれる。
しかしあの王妹、日本の街並みの構造には慣れていないはずだ。
私のほうが有利に動けるのではないかと思った。
ビル街に飛び込んだのは正解だと思う―――思いたい。
麻衣は落下物を爆発ではじきながら走っていく。
しかしいつからか、壁の破片だろうか、破砕音もあいまって、視界が心許なくなった。
「前が見えないんじゃ、しょうがない」
たまらず飛び出す。
前が見えなければあの炎の虎といえども、上手く走れないはず。
正常な空気を求めて、高く跳んだ。
僕と九里坂は凛ちゃんの背に乗って、爆発で飛んでいた。
六歳の女の子に高校生二人が捕まって飛ぶさまは筆舌に尽くしがたいおかしさ、歪さがあったが………。
「現状、これが最速の移動手段なのだから、仕方がないよな」
爆歩の風圧に耐えるのにも、慣れてきた。
僕は凛ちゃんの服をがっしりとつかむ。
僕は他人の妹を抱きしめた。
短めのツインテールが鼻先を掠ったので、わずかに身を捩る。
「変なとこ触るなよ」
九里坂が睨む。
………なんだと?
ああ、そういうこと?
「そんな場合かよ………大丈夫だ九里坂、僕は巨乳好きだ」
僕は一つ嘘をついた。
わずかにだが、凛ちゃんが俯いて目を伏せたような気配がした。
「わ、イヤ今の気にしなくていいよ、今の嘘だ、小さい子もいいよ、ね!」
女の子を泣かせるのは良くないので反射的に言い訳をする。
怖い………あの、さっき話した晴瑠先輩風に言えば『怖い』か。
「オイオマエ、離れろ、凛から」
なんか急に怒り出した、九里坂。
「ちょ、なんだようるッさいなぁ、じゃあなんて言えばいいんだよ!」
「何もしゃべんな!」
「あの………暴れないで」
凛ちゃんの背中で見苦しい争いをしてしまう迷惑な男が二人。
ごめんよ凛ちゃん。
ちくしょう、真面目な展開に入れない。
ふざけたいわけでもないのだが………僕の妹の癖が移ったか?
あの愚妹の悪癖が、伝染したか。
………嫌だな。
いまだ爆音が響くビル街に目をやる。
いや、真面目な話をしてどうする。
妹同士の爆発合戦なんて、こんな意味不明なもの―――あいつが大怪我する可能性だってあるし―――。
………。
いや、どうかな、あのふてぶてしい妹が怪我をする絵が思い浮かばない。
そう思っている自分がいる。
でも、戦いはもう、終われ。
できる限り早急に。
とっとと終わらせて、ふざける程度の話に戻したい。
ふざけるの上等。
平和が一番。
これは僕の本心だぜ。
その時、僕らの視界を昇る一つの光を認めた。
ビル街だ。
「あれは―――麻衣か?」
そのあとに続いて、大きな光が飛んだ。
光の強さは六等星と一等星くらいの違いがある。
夜に上る太陽は、ビル街を照らす。
「炎の虎だ!」
「おい、あんなに飛んでも―――」
九里坂の言いたいことはわかった。
あれは駄目だ、まずい。
先に空に飛んだのは僕の妹のようだが、あれは正解とはいいがたい。
というのも、空には遮蔽物も何もなく、隠れる場所がない。
僕の妹は巨大な炎の虎に、みるみる追いつかれていく。
追いつめた。
建物の密集した地形から脱出できた―――『青い世界』の妹、マイ。
逃げ場はない………、虎で組み付いて、地上へ降ろす。
走り回るのは終わり。
そう確信したとき、彼女が頭を下げた。
地面へ向ける。
この状況で、私の『爆騎』から目を離す、この世界の爆妹。
それに驚愕するのもつかの間、彼女の背中の何かが滑り落ちた。
いや、閉じていたものが、開いた。
あの赤いものは、衣料ではなく、この世界の持歩用具?
「なんだ、ランドセルを開けたぞ」
ランドセルを知らない王妹ルパニィと僕たちの反応は意外にも似ていた。
九里坂が困惑する。
僕もそれを見ていたが意図がわからない。
麻衣が留め具を外して、そしてお辞儀のように頭を下げた。
小学生が一度はするだろうと思われる失敗だ。
当然、ランドセルの中から荷物が滑り落ちる。
それは昼間にスーパーでもらってきたお菓子ばかりに見えた。
包装されたそれらは、麻衣を追って跳んでいる王妹に向かって飛散、降りそそぐ。
「いったい何を、こんな―――」
くだらない、流石にこれが何か攻撃のつもりか、だとすればあまりにも見苦しいとばかりに、虎の爪で次々にそのお菓子を弾いて、焼いていく。
「いいかげんに―――」
『青い世界』の妹、マイを見ると、炎の剣を構えていた。
先ほど一度見せた、あの爆炎剣を構えていた。
攻撃する気かと、一瞬、身構える。
『妹は爆炎剣を使う!』
僕の妹は再び作り出した、切り札ともいえるその炎の剣を『投げた』。
「えっ―――?」
形成した武器をすぐに投げて、つまり手放した。
それ自体にも驚いたが、僕が本当に驚いたのは、投げた方向。
その炎の剣は、王妹に当たるのではなく、お菓子に命中したことである。
私は呆然としながらその炎の剣の軌道を追った。
私を狙えば、傷を負わせるとまではいかずとも、宙空で失速はしたかもしれないのに。
炎の剣は、マイの持ち物らしきもののうち、一つに命中した。
突き刺ささり、炎の剣は消え去る。
「小麦粉の袋を結び付けておいたの、いくつも」
そう言って、両手をこちらにかざしたマイ。
「『爆発浄化!』」
炎の虎の周囲に、防壁が張られる。
囲むように。
「それは!」
一度、見た技だ。
爆壁………爆発を跳ね返す領域。
とっさに私は、巨躯を誇る炎の虎を圧縮し、消し去る。
「爆発を跳ね返す壁なら、『爆騎』を一度、消せばいい」
敵も爆壁を長時間展開できるはずがないことは知っていた。
爆発を跳ね返す類の能力を持つ妹なら、今までにもあったことがある。
爆発界の妹、その爆発は決して一様ではない。
「時間を数秒、稼げるだけ―――」
そう言った時に、爆壁の中を転がる異物があった。
炎の剣が突き刺ささって、破けた袋から白い粉が漏れ出ていた。
それは宙空で作られた即席の『壁』の中で、充満していく。
「その粉………小麦粉だよ、って言ったけど、もしかして知らないのかな。お菓子とは違うかもしれない」
マイは呟く。
流石に体力は使い果たした、という風の、疲れが見える表情だ。
跳びきって、疲れて落ちていく。
落下していく。
「―――『壁』で密閉した空間を作って、粉末を充満させる」
麻衣が言ううちに、その物理現象は起こった。
発生した。
袋の端に焦げ付き、残っていた、小さな炎………炎の剣の、残滓。
そのわずかな火種からでも、それは始まってしまえば、止まらない。
「『爆発使い』としては、押さえておきたいよね―――『粉塵爆発』っていうやつ」
爆壁の部屋の中で、爆発が連鎖し始めた。
王妹は気づくのが遅れたことを悔やんだが、悔やむ間も与えず、増殖したそれは襲い掛かった。