僕の妹は元気よく飛んで行った。
イデアの王妹、ルパニィは駆ける。
『青い世界』の大気の色、重力の具合にも、いい加減慣れてきたところだ。
あのベヌリの王妹………カリヴァはそうでなかったのかもしれない。
彼女は移動を終えたばかりだったのだろうか。
時空酔いまで残しているわけではなかったようだが、万全ではなかった。
だからこうして、逃げ切れた。
しかしそもそもどうやって。
裏で誰かが手を引いている?
しかし今は、些事に気を取られている場合ではない。
ベヌリ国の相手など、いつものこと………あの世界に帰ればいくらでもできるのだから。
まずは、今この『青い世界』を見ることだけを考えるべきだ。
「早くしないと………護衛隊も、爺も………」
転送が済めばやってくる従者たち。
「皆が到着すれば、きっと私が一人で『青い世界』を見る機会はなくなる………」
彼女が兄から離れて城の外へ繰り出したこと。
それ自体に王妹としての使命は関係なかった。
しかしこれを知らないと後悔するという確信はあった。
色眼鏡無しに、命令せずとも解説を口にする従者なしに、この世界を見るなら今しかない。
予想以上に従者たちの転送に時間がかかっていることは好都合だった。
城を出る前に装置の転送状況も見てきたが、まだ余裕はある。
辺りは暗闇。
いや、『爆騎』たる王妹の炎の虎の光で、周囲は照らされていた。
そのため、ある程度は見渡せた。
「舗装されていた道路が破壊されている………人々は姿を見せない」
その光景は予想されていたことではあった。
異世界侵攻の際に起こるそれは改革のための犠牲だと、多くの優秀な教師から言い聞かされてきた。
自分の乗る、爆炎の虎の背に目を落とすルパニィ。
力強く、雄々しい炎の鬣………。
王国の頂点で、国の象徴である自分。
であるはずだ………しかし。
自分がひどく心細く感じる瞬間がある。
酷く背中が寒い。
………いや、まだ護衛隊も制圧本隊も来ていない、この初めて世界で、私は独り。
酷く、一人だ。
だからどこか気が弱っているだけ、きっとそう。
新しい『兄』が出来て嬉しいはずなのに………いや。
私は爆発の支配者。
イデアの民が住める新しい世界を探し求める。
この異世界侵攻は成功させなければ。
熱い視線を感じて、表情がわずかに緊張する。
「この熱は………」
肌を撫でる熱、攻撃の意思を感じる。
「さっきの………?」
火種が送られた方角を見る。
直後、爆発が王妹を襲う。
炎の虎は爆炎の中から、すぐに復活する。
「また来てくれたのですね」
心底、喜んでいた。
戦いはあらゆる不安を消し去ってくれる。
「『青い世界』の………最初の人っ!」
虎がひび割れた道路を蹴り、ビルの壁面を蹴り、初めて見るこの町を俯瞰図とする高度まで、高く高く飛んだ。
敵の位置を探せるように。
それはさながら、夜に昇る太陽であった。
「くっそ、ガードされた!やっぱり気配読んでるよアイツ!」
亜紀が毒づく。
「次だ次、爆れ爆れ、やらんと死ぬし」
晴瑠がフォローともつかないやる気のない返事をする。
「やる気あんの、晴瑠にぃ」
「いやいや、やる気出してどうすんだ、『逃げる』んだろう、今回の任務は」
「ッ………」
それは、そうだけど。
「一発、爆発入れてあとは目的地………転送場所だっけ?行くぞ。ちなみにお前、逃げながらやれるのか、爆発は?」
「できるできる、余裕」
応対して、兄を乗せて、後ろ向きに爆発で飛行した。
果たして逃げ切れるか。
「始まったね、王妹ルパニィ対『青い星』の妹たち」
元王兄、ベルトラムが双眼鏡を構える。
「ふーむ、遠距離からの爆発か」
サングラスに覆われた表情は窺い知れないが、声色は心なしか、軽い。
変装目的のサングラスなので、日が落ちたとしても外さない。
「爆発には妹ごとに個性が出る………彼女はどうも長距離での爆発の素養があるみたいだね。イデアの爆妹護衛隊でも、なかなか見ないよ、あの距離は」
「………」
「心配かい?」
「当然です」
笑顔を作れないメニン。
「さっき、爆発による歩法は教えたじゃないか。彼女たちには無理だと言うのかな」
「助言は、しました。しかしあれは………あんなものは気休めです」
爆歩の。
確かにコツさえ教えればレベルアップは可能かもしれない。
だが今回の相手は、あの王妹、ルパニィ様………。
炎の虎はガレキの山を疾駆している。
爆発の上の技術、爆炎のコントロールを完全に極め、生物の形態にまで昇華するあのレベル。
四足歩行獣の形態を持つルパニィの地上においての速度は、他に類を見ない。
ガレキの影響でトップスピードに乗るということはないにせよ。
彼女が相手では勝ち目などという発想がまず、おこがましい。
100あった実力差を、助言をして、99にした。
それだけのことで………。
そもそも。
その助言ですら、実行を迷ったのだ。
直前になって急に吹き込んだコツは、彼女たちの危うい実力にとって、毒になる可能性すらある。
どう無難に伝えたものか迷った挙句、無愛想な話し方になってしまったのを、後悔していた。
メニンは爆妹としての実力は護衛隊でも上位だが、自らの技術を赤ん坊同然の素人に教えると言う経験はなかった。
なんだかんだと言って、私は人にものを教えるような歳でもないし、教えたところで可愛いなといわれて適当に笑われるだけなのである。
それに、100%伝授できたところで使いこなせるか。
それがわからないベルトラム………元『王兄』でもないはずだ。
ああ、今はサングラス?か。
名前を変えると言うのは冗談かどうか、判別しがたい。
この男はどこまでが本気か、わからない。
この男の底抜けな気楽さ、感情に依る喋り方に、自分の上司といえども苛立つことはあった。
それを掘り下げても不毛なので、今は作戦である。
今回は目的地まで逃げることが目的であるとはいえ、そうはいっても王妹が爆炎を使う以上、戦闘は必至。
実際に目の当たりにしても、戦いは避けられないことは明白だった。
転送装置まではまだ距離があると言うのに。
控えめに表現して―――絶望的。
「実力差があるなら、あれは正解だと思うけれどね」
「遠距離からの、爆破がですか」
見えないような位置からでも攻撃できる、あれはアキという爆妹だった。
決して実力不足というわけではない。
だが、王妹の虎なら、距離を詰めることは可能。
爆炎の虎が近づく、高速で――-――威圧感は、相手の爆破の精度を奪う。
近づかれて、終わり………残念だけど。
「残念だけど、それが妥当………必然………」
不機嫌そうに目を細めるメニン。
「あと二人いるじゃないか」
その男はまだ笑みが残っていた。
「お兄ちゃん、じゃあ行って来るよ」
「………」
「お兄ちゃん?」
「あ、ああ………」
まるで朝、学校に出かける際のような口調なので調子が狂う。
まあどんな口調で言おうと、切羽詰まった状況であることに変わりはないのだが。
「状況に緊張していないのはいいけどさ、本当にそれで何とかなるのか?」
「うん、秘密兵器があるんだよー」
そんなことを言う、この小学生。
僕の妹は赤いランドセルを背負っていた。
今までそれは、戦闘の際には邪魔になる気がして僕が持っていてあげたりしたのだが。
はて。
――-――スーパーでもらったお菓子と、あとは………教科書とふでばこ等が入っていると記憶しているが。
「お前がそう言うのなら、頑張ってくれ、死ぬなよ」
「うん!………でもあんなに凄い敵にやられるのなら、主人公として嬉しいかなあ、なんて」
「………いや、必死こいて逃げろ妹。目的地まで行けば何とかなるんだから」
「しゅつじゅ………出陣だね!!」
僕の妹はランドセルのベルト部分をきつく締め、身体に密着させる。
ていうかここに来て急に台詞を噛むとか、無駄にあざといぞ。
どうしたんだ。
これは新手の死亡フラグなのか?
「気が昂ぶってるんだよ――-――行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
たん、と小気味良く駆け飛んで。
爆発――-――僕の妹は元気よく飛んで行った。