赤い城の王妹 その5
お風呂に入ったのかと思った。
人生でこれに似た現象はそれくらいか。
頬に、額に熱気が当たるが、これから死ぬかも知れないのに心地良い。
最後は気持ちよく死にたいものだ。
あたたかく。
炎の馬だった。
いや、虎か。
夕暮れ時の海のような色をした虎に、王妹が乗っている。
跨っている
虎は前足をぬるりと動かすと、床に触れたところで、地が弾けた。
爆発。
爆発が起きても虎自体は、小さな地雷を踏んだ戦車のように、びくともしない。
「………それ、は」
亜紀がやっとの思いで口を開く。
手足の何カ所かに、に爆発のダメージが痺れとなって寄生している。
「それは何………生き物?」
「爆発です」
もちろん、と王妹は続ける。
虎から放たれるオレンジの光が彼女の肌に波紋を映している。
綺麗だ。
言いようのない嫌悪感が沸く。
「王妹の爆発。あなたも見せてください」
亜紀は表情を固める。
え………?
「まだ足りないですか」
王妹はそれまでの堂々とした態度を崩した、弱い表情になる。
戸惑っている?
「私がこれを全部見せているのに――-――、まだ、本気を――-――」
虎が迫る。
亜紀は万事休すかと思った。
もう終わりだ、殺される。
敵の本拠地に侵入し、強すぎたラスボスに負けたのならまあ、いいところまでは行けたのかもしれない。
いい。
不手際があって準備が整っていないうちに城に飛び込んではしまったが。
そこらへんの雑魚戦でやられるよりも運はいい、運はいいのだ、良かった――-――。
よくやったと、そう、考えた。
思おうとした。
思おうとはしたものの心臓があり得ないくらいに跳ねている。
おそらく肋骨に当たっているのだろう、胸が痛い。
痛い。
身体は、王妹とのやり取りでダメージはあったものの、手足は動かせるはずだった。
なのに、壁伝いに一歩、歩くことしか――-――。
「こっち向け!」
兄の声がして、王妹に何かが飛んできた。
虎が身を翻し、後ろ脚で蹴り弾くと、それは燃えて部屋の隅に消えた。
おそらく、ただの石ころだ。
侵入する前にポケットにでも入れておいたのだろう。
投げたのは晴瑠だった。
「晴瑠にぃ………」
「飛べ!早く!爆発で!」
亜紀は………我に返り、壁を足場にして爆発で飛んだ。
移動は不時着しそうなほど、ひどく不格好だった。
何も言われずとも晴瑠をめがけて飛び、お婆さんのカバンを盗むバイクのひったくり魔のように彼を抱き抱える。
二人の目標は――-――。
「出口に、たどり着けば――-――」
ここを出れば………!
王妹もそれに、つまり二人の狙いに気付き、身を翻す。
正確には、翻ったのは、炎の虎。
その動作だけをとっても、気品としなやかさ。
慌ただしさはない。
虎が足を曲げ、
「―――『爆騎沈空』
王妹の虎が爆炎の矢となり、逃げる二人の後を疾駆する。
「く………うッ!」
亜紀は扉を射程内に収める。
極度の緊張と二人での飛行で視界が覚束ないが、それでも扉を爆破した。
果たして、扉が開き、二人はこの地球の青空を再び見ることができた――――。
かと思えば、そうではなかった。
外は闇。
何故かと思い、もしや敵の支配が外にまで蔓延したのかと恐怖したが、よくよく考えれば、侵入したのは夕方だった。
つまり、今はもう夜になったのだ。
入口を通り抜けて脱出する頃に、背中に熱気が当たった。
さっきのお風呂だ。
追いつかれた。
亜紀はついに振り向かずとも観念しそうになった。
やっと外に出られたのに。
爆発は、先程すべて相殺された。
そして今は、自身をはるかに圧倒する戦力に唯、背を向けている。
戦う術を考えている、だが、どれも通用しそうにない。
今は退かないと。
虎の爪が二人の真上に迫った時だった。
その時。
晴瑠と亜紀も気づかなかったが、この闇に紛れてガレキの陰に潜んでいた人間がいた。
追うのに夢中で、王妹すらも反応が遅れた。
『―――『妹は爆発する!』』
亜紀が初めて聞く声だったが、王妹が、虎ごと吹き飛んだ。
ざり、と男の靴がガレキを擦る。
「危なかった――-――オイあんた、大丈夫か?怪我は」
見た感じ普通な制服男子高校生が、二人に声をかける。
晴瑠は亜紀に肩を貸している。
亜紀にはわかった。
確か――-――。
この人たち、確か、あの時ラーメン屋から出てきた――-――。
私が監視していた4人組の子たちだ。
麻衣が被害者を保護するように王妹の前に立ちふさがる。
「お兄ちゃん、虎だよヤバい熱そう――あれ、馬かな、これ」
「ああん?何を馬鹿な――-――えっ うわァッ」
男は炎の虎を見て素でびっくりしていた。
着地した王妹はダメージがそれほどない様子で、じとりと視線を振り、こちらを検分する。
「あ、あんたたちは一体………?」
晴瑠が尋ねる。
「ん、僕は香田。あっちは妹で麻衣―――爆発するんだ」
「………知ってる」
妹が爆発するのは最早、常識。
お前たちの名前は知らなかったけど。
「やれやれ、俺たちが来たからには安心だ」
「ヒーローは遅れてくるモノなんだよ――-――ね、お兄ちゃん」
晴瑠に対して。その兄妹は何か、よくわからないことを言った。
「ヒーローや主人公は遅れてやってくるのがパターンなんだよ、良くあるだろ?」
「待ってくれ」
………主人公だって?
ちょっと待ってよ………え、俺だよね、違う?
俺じゃなかったのか?
「私じゃないの?」
おまえは黙ってろ亜紀。