お兄ちゃんが妹にお使いを頼んだ。
「じゃあ本当にあなた、日本人じゃないのね?」
某ショッピングセンター店員、砂原郁子はその幼い少女に問う。
問いというよりは確認か。
「うん、そうだよ」
この年頃の子ども特有の、舌っ足らずな声で返答する、金髪の女の子。
服装は――-――良くある子どもの服という感じで、それがまた、妙だった。
お店でよく見る。
赤い瞳からは、しっかりとした子、という印象を受けた。
今日も、お兄ちゃんからお使いを頼まれて一人で来たらしい。
ショートカットの髪………これも子供っぽいが、そのふもとについている、ほっそりとした首が羨ましい。
――-――いや、私にもこんな時代があったはずだ。
時代とは不思議な物だ。
私もこんなふうな、特に何の努力をしなくとも、全力で楽しんでいるだけだった。
ただの綺麗ないきものだった頃があり、しかしそういう無敵な時期に限って、親のいない時間をねらって化粧道具を顔に纏ったりするものなのだ。
纏おうとして、濁して、上手くいかず、見つかって、叱られる。
あァ、懐かしいな。
化粧台にファンデーション溢さないように広告の紙を敷いたんだけど。
それでも叱られたな。
よほど下手だったのだろう、あの頃の私。
――-――などと。
脳細胞の中で凄まじいおばさん的思考が展開されている。
断ち切らねば。
落ち着け砂原郁子。落ち着くのだ。女の加齢は考え方からだ。
こんな幼女、取るに足らない。
「えっと、何の話だっけ」
取るに足らない幼女に、やや挑発的に言うわたし。
「ありがとう、買い物は終わったよ!終わったはず」
「本当?確認した?ほぉら、メモ読んで」
「ファンタのぶどう味と、がーりっく、のポテトチップス………あと、コガシ醤油?ノせんべい、あったらチョココロネと、」
女の子は言う。
メモに視線を落としている隙に、外見をまた検分しようかとも思った。
しかし気になることがある。この子の『お兄さん』に渡された買い物のメモ。
「ねえ、カリヴァ………ちゃん」
私は最初に教えてもらった、その子の名前を口に出す。
いまだに半信半疑だが、少なくともこの子が日本人ではないことは確かである。
先祖代々、おしなべて黒髪のアジア系だったということはないのだろう。
「なあに?」
瞳の中に吸い込まれそう――-――というのも月並みな表現だけれど、この子は紅茶だな、目の色が。
ミルクを入れていない紅茶のような瞳。
はいりたいな。
………おっと、言っている場合か、考えている場合か。
私は質問を選ぶ。
選ぶうちに、じっとりと、いよいよ肌から水分がにじみ、形を為し、玉になってきた。
「カリヴァちゃんのお兄さんって?」
「うん?」
質問の意図がわからない。
首をかしげる
「日本人なの?」
「うん!この世界の男の人!」
「………」
この世界の。
「私がルパニィのところに行くって言ったらね、お兄ちゃん、やめなさいって、それでここが安いって言って、それで、お菓子を買ってくるように言って――-――あ、でもね、でもね、『城』の位置はそろそろ『とくてい』できるんだって、お父さんが――-――もう、懲らしめていやらなくちゃ、あいつ」
「………あいつ?」
「ルパニィ」
「るぱ………?」
また知らない単語が出てきた。人名らしいけれど………?
「ああ、お姉さんにはあまり言っちゃいけないね、これも王族限定情報だし」
「………」
妙な言葉だけ言い慣れている様子である、この幼女。
なにかおかしい。
どういう………?
「でもお姉さんには教えてあげる」
にんまりと笑って言う。
おつかいのことで色々世話を焼いたので、私のことを気にいってくれたらしい。
結構なことだけれど。
果たしてこれでいいのか。
「赤い城を見かけたらゼッタイ近づいちゃ駄目だよ、絶対だからね」
幼女は言う。
この幼女の目は赤いが。
「赤い――-――城?」
「うん、イデアの王妹は赤い城が好きなの。本当、下品な色よね、爆発を意識?見ていられない」
捲くし立てるカリヴァちゃん。
正直言って、良くわからないとしか言いようがないが、この幼女は本当にその『ルパニィ』とやらが憎たらしいらしいということは、理解できた。
おうまい?
王の。妹?
いや、まさか。麻衣ちゃんたちのことがまだ連想される。
すぐに『妹』と話を結び付ける。
「近づいたら危ないよ」
「うん――-――?う、うん」
別にふざけているわけではないらしい表情。
「私と――-――」
少女は指を髪の下の置き、続ける。
「私とね、目の色は違うの、この世界の、何に似ているかなぁ………でも髪は同じ色。それで、三つ、上なんだぁ、歳が」
「………その子は女の子?」
「うん、イデアの、王妹」
「………」
「まあ、私が止めるけれど」
言って、幼女は飛ぶ。
吹っ飛んだ。
歩くような気軽さで、舞った。
私の顔に風は感じなかった。
しかし爆竹のような快音を発し、幼女は二、三メートルほど飛びながら身を翻して、ガレキの上に立った。
「お姉さんありがとう、早く帰らないとお兄ちゃんに叱られるし、あと、そのあと、ルパニィは倒す」
最後の方は真剣な調子の声だった。
「………倒す」
少し弱く、二言目を繰り返す。
自分に言い聞かせるような、つぶやき。
夕日が落ちるところだった。
いよいよこの世界が、闇に包まれるのだろうかという時だった。
それと半比例し、私の目を細めることに成功したのは、カリヴァだった。
「ん、しょ」
何か、掛け声ですらないものとともに、幼女は服の背中側の布をまくって、肌をあらわにした。
それは私がブラジャーを外すときのしぐさと似ていた。
小さな手の先で服の生地がくしゃりと丸まっている。
私は理解ができないまでも、手を上げかけてその子が行おうとしている行動を止めようとしたが、その先を見て中断せざるを得なかった。
幼女の白い背中から、熱して溶けたガラスのようなものがぬるりと足首のあたりまで落ち、するすると、床を滑っていく。
熱が、自分の頬を撫でる―――少し身構える。
幼女の背中から落ちたものが、二つの翼を形成する
オレンジ色が、肌にあたたかかった。
本当の生き物のようにばさり、と身震いする。
私、は呆けながらそれを見る。
「ありがとう!」
幼女はいちいち声が拙かったが、礼儀正しかった。
金色の幼女は光の翼をもつ天使となり、おつかいで兄から頼まれたお菓子やペットボトル飲料を入れたビニール袋を片手に持ち、舞いあがり。
空気の弾けるような音を残して飛び去った。
遠くで風が炸裂したが、ガレキを軋ませただけで、私の頬には、扇風機の弱風のような何かだけが触れ残った。
あの、お兄ちゃんのためのお使いに来たという幼い妹が、遠い地で再び跳ねる。
黒くなりはじめる空で、まぶしい、小さな光が飛んでいく。
私は何か、とんでもないことに巻き込まれてしまったのではないだろうか。
物語の主人公になったような気がして、それに酔った。