08. Case Satan Close And Coming To Town
レッサーパンダは関税局に持ち込まれ、世間の目は中国マフィアに引きつけられている。
テレビ局も新聞もいつものように、だんまりを決め込みたかったろう。
だが、タニヤの作った爆弾の威力がスゴすぎた。突然、高層ビルのど真ん中にキノコ雲が立ちのぼれば、ニュースにしないわけにもいかない。
僕達に集まっていた悪評もその内忘れ去られるだろう。
「これで中国マフィアも少しは規模を小さくするだろう」
「髭セレブと白髪博士はどうなったの?」
「後で教えてやる。だが、あんな小物のことなど忘れろ。相手にしていると時間がいくらあっても足りない。他の連中に任せておけ」
今、僕達は僕の部屋に来ている。それはそうだ。今日はクリスマス。
日頃、緊張を強いられている僕達にも休息は必要だ。当然、他の物語世界の連中もそうだ。
僕の部屋は随分と賑やかになった。
悠馬は料理を担当した。
結構な腕前。愛佳の食事を給仕させられている為か、腕並みもあがっている。
彼は冷えてゆく料理を悲しそうに眺めていた。
「早くしてくれないかな」
悠馬の気持ちがわからないでもない。シナガワが言った。
「しかし、女達は隣の部屋で何をしているんだ?」
「ドレスアップでもしているんじゃないのかな」
女性の支度は時間がかかるもの。パーティー前となれば尚更だ。
僕はソファーに腰掛け、優雅に待つことにした。
どんな姿で女性達が登場するのか楽しみだ。やや賑やかな感じがするジャズをBGMとして流すことにした。
僕の部屋の雰囲気が更に賑やかになった。パーティーの時間が待ち遠しい。
その楽しげな気分を壊したのはマティウスの言葉だった。
「そういや、タニヤが何か薬瓶を持っていた」
たった一言で部屋が暗転した。空間にヒビが入ったようだった。
ヘクターがマティウスに問いかける。
「何をやらかすつもりだ? また、爆発とか勘弁してくれよ。てか、ダリアも一緒じゃねえか」
連鎖反応はそこで留まらない。疑惑の連鎖が悠馬へと続く。
「そういや、愛佳も今日はおかしかったな」
まあ、確かにおかしかった。
そして、愛佳は笑気ガスを吸い込み大笑いしていた。笑いたくもないのに大笑いさせると、さぞかし憤懣も溜るだろう。
タニヤの爆発があって、愛佳に引火したら、かなり大変なことになる。
「どうしよう、シナガワ?」
「とりあえず、隣の部屋の動向を探ろう」
それを聞いて、ヘクターが眉を上げた。ただならない雰囲気を察知したのだろう。
「どうするつもりだ?」
ヘクターの問いには僕が答えることにした。
「まずは情報収集だよね」
作戦を立てるにしても、まずは情報が必要。そうでなければ対策が立てられない。
よく理解できなかったのか、マティウスが質問をしてきた。
「それってどうすんの? 情報収集ってどうするの?」
悠馬も興味を示している。迫る危険の為か、彼の顔色が青白くなっていた。
「俺も頑張るよ」
僕は壁に耳を押し当てた。壁の向こう側で行なわれている女子会。そこでの企みを暴かなくてはならない。事態は急を要するのだ。プライバシーなど言っている場合ではない。
「何だよ、それ?」
ヘクターが呆れた声をあげると、制するようにシナガワが言った。
「事件を未然に防ぐ必要がある。盗聴というのは情報戦の基本中の基本だ」
揺るがぬシナガワの物言い。男性陣は全員頷いた。
この部屋にいる男達の見解は一致。
「いいか。物音を立てるな。聞かれているということを相手に察知されるな」
シナガワの言葉で部屋に緊張が走った。僕は諜報活動を気付かれないようにする為、BGMの音量をあげる。
「準備はオッケーだよ」
オペレーション開始を合図すると、戦士の顔をした男達は全員頷いた。不退転の表情をしている。
僕達は壁に耳を付けて、隣室で行なわれている女子会に耳を傾けた。
タニヤの高い声が耳に飛び込んでくる。弾んだ声で嬉しそうだった。
「じゃーん。私が開発した新薬を発表します。これは媚薬なんです」
得意そうなタニヤ。有頂天になっているに違いない。彼女の頭の上から、小さなタニヤが出てきて万歳をしている光景が目に浮かぶ。
アレクが心無しか冷めた声で質問をした。
「また大変なコトになるんじゃないだろうな?」
「前回のは失敗なのよね。誰にも失敗はあるものよ。それに挫けちゃダメなの。今度は完璧。塗り薬タイプ。これを塗れば男のハートは一撃よ」
キョトンとしたダリアの声がした。
「塗るんだあ。その発想はなかったなあ」
「クスリの発明は閃きと勘なのよ、ダリアちゃん。これを全身に塗りたくれば。ダリアちゃんの彼氏。ヘクターさんも夢中よ。クリスマスの夜も間違いなしね!」
タニヤの独壇場。
女子会から称賛の拍手がいくつか送られているようだ。
そこにダリアの声が差し込まれた。
「ん? ママはいつも私を大切に可愛がってくれるよ」
ダリアの一言に女子会は静まり返り、まるで葬式のようになった。
ダリアはヘクターに可愛いがられているらしい。
突然、僕は不穏な雰囲気を感じた。異常事態が発生したらしい。
意識を部屋に戻すと、マティウスがヘクターを凝視している。目が血走り、鼻息が荒くなっていた。何を想像しているのかわからないでもない。全力投球をしていそうだった。
充電が完了したらしい。
マティウスから何かが切断される音がした。彼の鼻から間欠泉のような勢いで真っ赤な血しぶきが飛び散りだした。
鼻血だ!
話には聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった!
「何だ! これは!」
シナガワが慌てて飛び退いた。切れ長な目が驚いたのか少し開いている。
異常事態を感知したらしく、ヘクターがマティウスにかけより肩を揺すった。
「どうしたんだっ! しっかりしろ、マティウス!」
マティウスの首からは力が抜けている。揺すられるままに首がガクガク動いていた。
急激な出血でショック症状が出ている。マティウスは壊れた人形のように手足をバタバタさせ始めた。シナガワが事態を察知したのか足を押さえこんだ。まるで戦場。彼の鼻血は留まることをしらない。
阿鼻叫喚の中でヘクターはマティウスの鼻を押さえた。いい判断だ。だが、若い血潮は収まらない。ヘクターの指の隙間から細い水流となって鼻血がほとばしる。
僕はヘクターに指示を出した。
「ヘクター! 鼻の穴を塞ぐんだ!」
一瞬の判断で生死は決まる。決断を遅らせれば、マティウスの命は失われる。
「わかったっ!」
ヘクターは短く返答を返し、マティウスの鼻の穴を閉じる。流石は戦士。血を見ても焦らない。応急処置は完了した。
小鼻が押さえられ、マティウスの真っ直ぐな鼻筋が、ボールのように膨らみ始めた。行き場を失った鼻血が鼻を広げているのだろう。とりあえず、出血は止まった。マティウスは一命を取り留めたようだ。
僕とヘクターは脂汗を手で拭き、笑みを交わした。戦場で芽生える友情。
だが、その安らぎは悠馬の声で破られた。
「何かヤバい! 飽浦さん! ヘクターさん!」
見ればみるみる内に、マティウスの目が充血している。応急処置は失敗。白目が真っ赤に変わり、ついには黒く染まった。瞳までが黒くなっている。もはや人間の顔ではない。
マティウスの鼻筋にあったボールは小さくなり、目から血の涙が流れだした。鼻に栓をしたことで、血液が目に逆流をしたらしい。目玉が流れ出る程の勢いだ。
人体がこういう構造になっているとは知らなかった。僕達は余りにも無力だ。
ついには、マティウスはガクガク震え、動かなくなった。血の噴水は止まり、部屋は沈黙をする。マティウスの血は床や壁を赤く染め上げ、天井まで血飛沫を飛ばしている。
悠馬を見ると、両手を口にもってゆき、小動物のように震えていた。かなり衝撃的な光景だったのだろう。唇は青ざめ、擦れた呟きが漏れている。
「助けて、助けて」
悠馬の心にしっかりとトラウマが刻まれたらしい。
無理もない。少年にとっては凄惨すぎたのだろう。
脱落者二人。仕方無く、僕達は壁に耳を押し付ける。
女子会の動きを探らなければならない。
戦場に立つ者は非情であることを求められる。落伍者は見捨てなくてはならない。
男はいつだって前のめり。屍を超えて僕達は前に進まなくてはならない。
部屋の向こうでは賑わいが戻ってきている。その中でポツリと愛佳の声が聞こえてきた。
「僕は興味ないから」
タニヤはニンマリ笑っただろう。スキップをするような足音が聞こえた後、愛佳に囁きかける声がした。
「愛佳ちゃん、タニヤ姉さんには正直に言っちゃいなさーい」
「僕は別にいいよ。面倒臭そうだよ」
チッチッチッとタニヤが舌をならした。
「女の子がそんなコト言っちゃダメダメ。愛佳ちゃん。モテるっていうことは悪いことじゃないの。むしろ心地良いことなのよ。そして、男を振り回すっていうのはとっても楽しいことなのよ」
タニヤは少女に向かって何を言っているのだろうか?
しばらくすると、壁の向こうから衣擦れの音。タニヤの声が嬉しそうに響いてきた。
「姫様! これでマティウス君もメロメロですよ!」
「ええー。ちょっと恥ずかしいかな?」
「問題ないはずですから!」
はず、だと?
もう一度言おう。
はず、だと?
タニヤは試験をしていないらしい。新兵器をいきなり実戦投入するのは勇気とは言わない。それは蛮行だと言うより他無い。
僕はシナガワの方を見て、囁き声で話かけた。
「どうしよう、シナガワ? 強制介入するべきかな?」
「いや、待て、飽浦。女達は話をし始めたようだ。まずはそれを聞いてからだ」
意識を壁の向こうに投じると、アレクの声がした。
「ところで、タニヤは誰狙いなんだ?」
「ヒミツー」
はしゃいだ声でタニヤが答えた。おそらく、誰かにクスリを塗りながらなのだろう。粘質と思われるものを塗布している音が聞こえてくる。既に女子会の作戦は開始されたらしい。
そんな中で愛佳の声がした。笑気ガスで笑ったことなど忘れてそう。誘爆する可能性は取り除かれていた。
「女しかいないしさ。良いじゃないか。僕にも聞かせてよ」
ティアラがそれに乗ってきた。少し興奮しているようだ。
「私も聞きたいよ。教えてよ、タニヤ」
興味を隠せないのはダリアもらしい。華やいだ声を出している。兎耳を振り回しているのか、風切り音も聞こえてきた。
「私も聞きたいなー。タニヤさん、もったいぶってないで教えてよー」
小さく咳払いをした後にタニヤは答えた。
「ええとね。飽浦さん狙い。あの人、見栄えがいいじゃない。時々、ちょっと変だけど。クリスマスだし、とりあえず媚薬でゲットしちゃおうかなあって」
それを聞いて、アレクがポツリと応えた。
「そうか。オレはシナガワ狙いだ」
意外とばかりに女性陣からどよめきがあがる。
「えーそうなんだー。どういう所がよかったの?」
ダリアの黄色い声が耳を突き抜ける。もはや壁に耳をつけずとも聞こえるほどだ。
平坦な口調でアレクが答えた。
「シナガワは華奢だしな。ああいうのを見るとオレは守りたくなるんだ」
シナガワがそれを聞いて壁から耳を離した。
「さて、情報収集を終了しようか。特に問題はなさそうだ」
いつの間にか鏡の所へ移動し、襟を正している。
僕も壁から耳を放すことにした。
「同感だね。これ以上の詮索はレディー達を汚すことになる。僕達は何も聞かなかったんだ」
そこに異議を差し込んだのは、ヘクターだった。
「いいのかよっ!」
シナガワはコロンを振っている。
「考えてもみろ、ヘクター。女は男を引きつけるべく様々な工夫をする。化粧や衣装も言ってしまえば媚薬みたいなものだ。さて、マティウスと悠馬を起こすとするか」
シナガワもたまには良いことを言うものだ。僕はその言葉に頷き返す。
「まさしく、そうだよね。女性が美しくあろうとするのは男性に期待をしているからだよ。そして、男性はその期待に応えなくちゃ」
シナガワに起こされて、マティウスと悠馬がこちらに向かってやってきた。やや正気を失っているようだが、頭数は揃えておかねばならない。
頭を振っているのはマティウス。余分な血の気が抜けてスッキリしているようだ。
悠馬はまだブツブツ言っている。だが彼は男の子。生きていれば色々ある。それを乗り越えてこそ、良い男になるというもの。
ヘクターはまだ壁に耳を付けている。警戒心の強いことだ。ネクタイを締め直していると、急に彼の表情が引き締められた。
「おい、どうも様子がおかしいぞっ!」
無粋とばかりにシナガワが言葉を返す。
「なんだっていうんだ、ヘクター?」
ヘクターの報告は僕達の予想を超えるものだった。この部屋に居揃った戦士達は慄然とした。
「女共がお互いにイチャ付き始めた! これはっ! これはっ! これはっ!」
相手構わず媚薬の効果は発揮されるらしい。思惑が破られ僕達は愕然とした。
「媚薬の効果は無指向性なのかい! シナガワ、どうする?」
「ヘクター、ドアを蹴破れ! 強制介入だ!」
「わかったっ!」
リンゴが地球に向かって落ちるのは引力によるもの。
それに例えるなら、男性のハートはリンゴで、母なる大地に引きつけられるとも言えるだろう。
タニヤの媚薬はブラック・ホール。何もかもを凶暴に吸い込みつくす。
引きつけられる所ではない。むしろ、引き千切られる。
ドアの向こう側には五つのブラック・ホール。僕達はもう戻れないかもしれない。
「まずい! まずいよ! シナガワ!」
「やべえっ! 何だこれ! シャレになんねえっ!」
「うおおお! タニヤの奴、またとんでもねえものを!」
「相手を間違わなければ問題はない。お前達の武運を祈る」
「助けて、助けて……」