06. Case Aika Close
中国マフィアは随分と事業拡大をしているらしい。とても大きなビルだった。
顧客にセレブや博士がいるくらいだ。中国マフィアが大きなビルを所有していても不思議ではない。シナガワの言うことによると、表向きは普通の企業となっているらしい。警察もマスコミも何も言わずにだんまりを決め込んでいるのだそうだ。
僕達は高層ビルの屋上に立っている。中国マフィアのビルの向かい側になる。
高層ビルの屋上には何もなく、僕達しか人影はない。
風が吹きすさび、少し寒い。シナガワを見ると電話をしている。また、ハッカーと連絡しているようだ。情報収集に余念がない。
早いところ作戦を完了させて、部屋に帰りたい所だ。
僕とシナガワとアレク。三人をしげしげ見つめた後に愛佳が言った。
「何かハーレムのようだねえ。僕はちょっと気分が良いよ。フラグはどうなっているんだろう?」
アレクは女性だが、身なりや口振りはどうしたって男に見える。
「愛佳ちゃん、言っておくけど、アレクちゃんは女の子だよ?」
「……そうかい。残念だよ。憂さ晴らしにチョコレートが食べたいね」
まずい。
愛佳の世界は色々と停滞しているらしい。彼女から崩壊の音が聞こえてくる気がした。
僕はそこには触れないことにした。踏み込むと長い話になりそう。
シナガワの方を向いた。丁度電話も終えたらしい。
「情報収集は済んだのかい?」
「ああ、大体の状況は把握した。ついでに仕事を頼んでおいた」
作戦開始だ。僕は気を引き締めることにした。
「さて、悠馬君を助けなきゃ。シナガワ、作戦を教えて欲しい」
シナガワは僕の方を見ず、アレクに言った。
「アレク、飽浦をあのビルに放り込め。部屋はあそこだ」
「ええっ! 何それ!」
僕はシナガワに詰め寄る。
「飽浦。その部屋に悠馬が監禁されている。後で愛佳と俺を放り込んでもらうから、お前はしっかりキャッチしろ」
「乱暴な作戦だね!」
そう言って僕はシナガワを見る。少し髪が乱れていた。流石に疲れているようだ。救出につぐ救出で、精神的にも摩耗しているのだろう。
「まあ、どうにかなるだろう」
いつもは綿密な計画を立てるシナガワだが、限界がきているように思われた。これ以上、彼を悩ませてもしかたない。
「わかったよ、シナガワ。でも、何か嫌な予感がするんだけど」
「気のせいだ」
僕はアレクに投げられて、弾丸のように窓を突き破った。
何かを押し潰した感触があったが、些細なことだ。作戦遂行時に細かいことにこだわってられない。
飛び込んだ部屋は照明が落とされており暗い。異臭が立ち籠めており、動物小屋のような有様。
部屋の隅には大小様々な檻が積み上げられている。
希少動物か何かだろうか。派手な色をした鳥達が甲高い声をたて、ホエザルが喚き散らしていた。アマゾンのジャングルのような騒ぎ。中国マフィアが密輸をしているとシナガワが言っていたが、このことだろう。
それにしてもアレクの腕力は相当なものだ。
ただ、言わせてもらえば、僕が飛んでいる間、五回転半もしてしまっている。スナップが効き過ぎているようだ。アレクは手首をしならせ過ぎている。後で言っておかなくては。
床には細かくなったガラス片が散りばめられていた。かなり派手に僕は飛び込んだらしい。
「悠馬君、怪我してなきゃいいけど」
僕は悠馬を探すことにする。確かこの部屋に監禁されているはず。分類的には希少動物で間違いない。
しかし、さっきから足におかしな感触がある。まずは足下を確認しなくてはならない。戦場に立つ者は、まずは立ち位置を確認することが大切なのだ。
僕は足下を見る。
すると悠馬が倒れていた。
どうやら、僕は悠馬を直撃したらしい。彼は床にだらしなくのびていた。
アレクのコントロールが良いのは認めよう。小さくアレクを誉め称えることにした。
しばらくして、愛佳が放り込まれてきた。小さな彼女の身体は軽く、キャッチしてもそれほどの衝撃はなかった。
愛佳は動揺もしておらず、冷静な口調のままだった。
「次はシナガワだね」
「そうだね。愛佳ちゃん、危ないから、ちょっと向こう側に行っててね。あっ、シナガワが飛んできた」
風切る轟音。真っ黒いコートを着たシナガワは黒い弾丸。
僕はシナガワをキャッチした。僕の手の中にシナガワがすっぽり収まった。
ナイス・キャッチ! 見事というより他ないだろう。
シナガワをどこに下ろそうかウロウロしていると、不穏な気配を感じた。
背中に感じる愛佳の視線に邪悪が混ざっている。
振り返れば愛佳が頬をやや上気させ、こちらを凝視している。
挙動から察するに、あらぬものをスキャンしている可能性がある。
愛佳の崩壊具合は予想以上に深刻かもしれない。
「おい、飽浦。早く俺を下ろせ」
「わかった」
シナガワを下ろすと、愛佳から舌打ちが聞こえた。
愛佳の挙動があからさまにオカシイ。色々と手遅れかもしれない。
ただ、僕も疲れているから、見間違いをしているかも知れない。
もう一度確認しよう。
僕はシナガワを抱きしめる。
「うほ!」
愛佳から思ってもみない反応。少しだけ寒気が走った。見てはいけないものを見てしまった気がする。きっと、彼女は僕達の世界にやってきて疲れている。
元の物語世界に戻れば、自分を取り戻すはずだ。
「おい、飽浦。何をしてるんだ? 離さないか」
「うん、ちょっと確認したいことがあったもんだから」
シナガワを離すと、再び愛佳から舌打ちが聞こえた。
シナガワが悠馬のパーカーの襟首を掴み、引きずりながら言った。
「おい、飽浦。悠馬をアレクに投げ返せ!」
なるほど。
その後、愛佳とシナガワを投げ返す。即時撤退というわけか。
しかし、どうも話がオカシイ気がする。何か忘れているのではないだろうか?
「飽浦、お前は自力で脱出しろ」
「ええ! ちょっと待ってよ! それなら愛佳ちゃんとシナガワがここに来た意味がないじゃないか!」
シナガワは返事もせず、部屋の奥に歩いて行った。戻ってきた時には、彼の手に小さなペットケージが二つぶら下げられていた。
「お前はレッサーパンダが欲しいんだろ?」
「そりゃ欲しいとは言ったけど。二匹も要らないよ」
「勘違いするな。お前の為に一匹。そして、もう一匹は関税局に捻り込む。密輸の証拠になる」
「警察でいいんじゃないのかな?」
「髭セレブを思い出せ。警察幹部やOBと繋がっている。中国マフィアを告発しても、警察は身内を庇おうとして必ず揉み消す。だが、別組織を巻き込んでしまうと話は別だ。中国マフィアを摘発せざるを得なくなる」
シナガワは一つのケージを愛佳に渡した。もう一つは彼自身が手にしている。
「わかったよ。とにかく悠馬君を投げ返そう」
何だかよくわからない。シナガワが言うからには確信があるのだろう。僕はため息をついて、悠馬のベルトを握った。
窓は大きく割れており、向かいの高層ビルまで障害物はない。
アレクが米粒ぐらいの大きさに見える。距離は結構ある。そして、風向きはこちら向き。アゲインストになるようだ。
悠馬を投げようとしていると、アレクがスナップを効かせ過ぎていたことを思い出した。
そうだ。手首をしならせすぎてはいけない。
「よし。それじゃいくよ」
僕は勢いよく悠馬を投げることにした。大きく振りかぶって悠馬を高層ビル目がけて投げつける。余りの勢いに床に飛び散っていたガラス片が舞い上がった。
しまった!
手首を固め過ぎた。思っても見なかった方向に悠馬が飛んでいく。
悠馬は向かいの高層ビルの真ん中に突き刺さり、そこを中心にしてビル全体に放射線状のヒビが入った。力も入り過ぎていた!
「飽浦! どうなっている!」
「うん。シナガワ、僕も疲れているらしい」
シナガワの方を見ると、彼は目を押さえている。
「どうしたんだい、シナガワ?」
「先程の舞い上がったガラス片で目がやられたらしい。何も見えない」
すると、畳み掛けるように愛佳が言った。
「アレクさんが悠馬を回収しにいったみたいだよ。屋上にアレクさんの姿が見えない」
僕達は正面玄関から脱出するしかなくなった。このフロアーは二十階ほど。
気が遠くなったが、ケージの中で楽しそうにしているレッサーパンダを見ていると気分が和んだ。
やはり、飽浦式治療法は世界に広がると思う。