02. Case Hector Close
タクシーを捕まえ、僕達三人は乗り込んだ。
シナガワは携帯を取り出し、電話を始める。急かすような口調は相変わらずだった。
彼が電話を終えた時に、僕は何を喋っていたのか訊いてみることにした。
爆発するにしても方向性だけは確かめておきたい。
「どこに電話をかけてたんだい?」
シナガワは僕の質問に短く答えた。
「ハッカーだ。情報を取り出さなくては作戦が立てられない。これから踏み込む場所がある。ついて来い」
嫌な予感がしたが、ヘクターは何でもいいらしい。彼の手には日本刀。以前に購入したものだ。
ニ尺五寸の刀身は、抜き身でなくとも殺気を放っていた。苛立っているらしい。剣を掴んだ手がしっかりと握りしめられている。彼の隣のタクシーの運転手は真っ青になって震えていた。
「待ってろよ、ダリア。今、助けにいくからな」
タクシーはホテルへと着いた。立派な建物で空まで届きそうだ。
フロントに入って真っ直ぐにエレベーターへと進む。ホールに敷かれた絨毯は毛が長い。足を置けば、床が沈むような感覚。
エレベーターに乗って僕達は最上階へと直行した。フロアーに着くと正面にドアが一つ。向こう側は、かなり大きな間取りになっているらしい。パーティー会場か何かだろう。
木製のドアは黒寄りの茶色をしており、見るからに重そうだった。
「シナガワ、こんな所でどうしようっていうの?」
「どうでもいい。ここへ踏み込むぞ。飽浦、ヘクター」
取っ手を掴んで開けようとしたら、鍵がかかっている。とてもじゃないが開きそうもない。
シナガワがそれを見て言った。
「ヘクター、蹴破ってしまえ!」
ヘクターがドアを蹴破った。
流石は元狼。大した蹴破りっぷりだ。この僕が惚れ惚れするほど。僕はヘクターを褒めることにした。
「グッド・ボーイ、ヘクター。グッド・ボーイ」
「飽浦、時々お前はわけがわからなくなるよな」
僕達は部屋へと踏み込んだ。背広やドレスを来た連中が談笑していたが、楽しげな雰囲気は霧散する。
シナガワは言った。
「警察だ!」
「ええっ! 何それ?」
思いもしなかった一言に僕は驚いた。シナガワが僕を睨んでくる。
なるほど、ここは合わせないといけないらしい。僕は目の前に並んだ連中を怒鳴りつけた。
「僕達は警察だ! 動くな!」
僕の声に皆は震え上がった。彼らの背筋は伸ばされ、まるで落雷にでもあったかのようだ。少しだけ僕の気分が良くなった。調子に乗ってもう一言付け加えた。
「動くと全員射殺するぞ!」
全員射殺と聞いてシナガワが眉をひそめたようだが、そんなことはどうでもいい。
国際基準的には僕の方が正しい。
ここに居る連中はセレブか何かだろう。着ている服は上品で、見た限り仕立てや生地もいい。髭をはやしたセレブの一人が震えながら言った。
「警察が日本刀を持っているのか?」
隣を見ればヘクター。手には抜き身の日本刀が握られていた。
セレブ達の間から不審感が漂い始める。
怪しいと気付いたのだろう。鼻ピアスをしたセレブが、懐から携帯電話を取り出した。どこかに電話をしようとしている。面倒なことになりそう。
ヘクターがそれに気付いた。苛烈な気合いがパーティー会場を一閃した。流石は戦士。だてにドアを蹴破っているわけじゃない。
鼻ピアスが携帯電話を落とし、腕を押さえてうずくまった。
圧倒的な一撃。ヘクターは恫喝するように言った。
「安心しろ。峰打ちだっ!」
「いやいや、ヘクター。峰打ちでも骨折れてるよ、アレ」
とにかくヘクターが見せた気迫で、パーティー会場の空気が変わった。
それを察してか、シナガワは強引に言葉を続ける。
「こういう事態に備えての新装備だ。とにかく、覚せい剤取締法違反でお前達は全員逮捕。机の上にある白い粉。それが証拠だ」
見れば置かれたローテーブルの上に白い粉が置かれていた。砂糖のように見えるが、どうやらドラッグらしい。ドラッグ・パーティーが開かれていたようだ。
髭セレブが疑わしそうに言った。
「本当に警察か? 証拠になるものを私に見せてみろ。どうにも怪しい」
「疑い深いものだ。ほら、これだ」
シナガワは携帯電話を取り出して向けた。これが警察の証拠になるのだろうか?
疑問に思っていると、髭セレブは顔を真っ赤にして怒りだす。
「私を馬鹿にしているのか? 私を誰だと思っている。警察幹部にも知り合いがいるんだぞ! OBだって知っている。違法捜査か何かだろう? 警察幹部に連絡して、懲戒解雇にしてやるぞ!」
シナガワの乾いた笑い声はフロアーに響き渡った。
「まあ、実際の所、俺は警察ではないんだがな」
「ほらみろ! 馬鹿にしやがって! マフィアか何かか?」
「だったらどうする?」
「私の知り合いにマフィアの幹部がいるんだ! お前らただで済むと思うなよ!」
憮然とした髭セレブ。シナガワは相変わらずに人の悪い笑顔を浮かべている。
「ほお、どこのマフィアだ? 知っての通りマフィアと言っても色々ある。マフィアだけじゃ何もわからない」
「聞いて驚け、私の知り合いは中国マフィアの幹部なんだよ!」
激怒した髭セレブの髪の毛は逆立ちそうだ。髭まで逆立って見えた。最近、中国マフィアは急進しているらしい。なるほど、色々な所に潜り込んでいるようだ。
シナガワはまだ笑うのをやめなかった。
「恐ろしいと言えば、お前は満足するのか?」
「笑うのを止めないか! 貴様など直ぐに殺してしまえるんだぞ!」
「どうでもいい。ただな、お前が喋った内容は、この携帯で録画した」
髭セレブは苛立ちを隠そうともしない。シナガワが何を言っているのか理解していないようだ。シナガワは続けた。
「警察と知り合い? マフィアの幹部と知り合い? だからなんだ? 覚せい剤取締法違反、暴力団対策法違反。俺がこの録画をネットに流せばお前はどうなるんだろうな?」
理解ができたらしく、髭セレブは顔色を失い、震え始めた。
「やめてくれ」
「お前は警察幹部を知っていると言っていたな? 警察に助け出したい女がいる。ドラッグ・パーティーを誰にも知られたくないのなら、俺のいうことを聞け。取引をしよう」