雛乃と環
立ち眩むような感覚から解放され、雛乃の意識はしっかりと、今自分が【リユニオン】にやってきていることを自覚していた。夢にいることを自覚するというのは、甚だおかしな表現に思えるかもしれないが、潜入者はそれを『夢である』と認めることから始める。
「んっ……ふぅ」
まずは、深呼吸して息を整える。目を開くのは最後にしていた。やはり、初めてくる世界ともなると、お調子者の雛乃でさえ緊張する。そこにどのような景観があるのか、この知覚がリユニオンで自在に動くためには最も重要で、最も覚悟しなければならないことだからだ。
中には瞳の結んだ映像がトラウマとなり、バイトのお勤めを辞めてしまった人もいるらしい。
次に、耳を澄ます。近くからは小鳥たちの鳴き声が、遠くからは何かしらのざわめきが、雛乃の耳に届く。これまでで、確実に分かること。――ここは屋外で、少しひらけた世界だということ。
頬を風は優しく撫で、過ぎていき。
閉じた瞼の裏はほんのりと温かく、太陽の光を感じている。
雛乃は、ゆっくりと目を開いた。
「……!?」
確かに、手紙の差出人の言う通りであった。尋常ではない風景が、雛乃のひらけた視野に入ってきた。
否、雛乃が驚かされたのは場所としての風景ではなく、とあるオブジェクトの存在。
「ここは公園……かな? それよりも――」
ひと。眼下に広がる世界には、およそ両手の指では数えきれないほどの住民がいた。
見た目は、道幅を広くとったような住宅街にある公園、といった具合であり、これ自体は特筆すべき様な異常性はない。だが――
「ここは、一体誰の記憶の中なの?」雛乃は独りごちる。
雛乃がそう思うのも無理はない。潜入した夢の中で、大人数が行動をしているなんてことは今まで一度も無かったのだ。
潜入したリユニオンにおいて、【ひと】と呼ばれるものの全ては依頼者の記憶として存在しているだけのただの人形に過ぎなかった。しかし、このリユニオン――トゥルースでは、確実に今まで雛乃が渡ってきた世界の常識とは異なった何かが作用していた。
雛乃は目に入った五人ほどの集団に平静を装って近づく。
『そんでさ、やっぱし学校って退屈だなぁって』
『まぁ、みんな似たり寄ったりだけどね。そういう私もかまってちゃんなんだろうし』
『キョーコはかまってちゃんというよりも、個性が強いんじゃない? そういうところを憧れて、非難することしかできない雑魚ばっかりなんだよきっと』
グループでは笑いを交え、各々が自発的に会話を展開していた。雛乃は、集団の様子をうかがったうえで確信する。
――ここの人たち、全員、わたしと同じだ。このリユニオンに『潜入』してきている?
つまりは、とある人物の、記憶の世界の人形ではないということだ。住人のめいめいが、自らの意思を持ってこの世界にいる、ということになる。でなければ、明確な意識をもった存在として自立した意識を所有するなど不可能だ。
多人数が一つの夢を共有し干渉するなんてことは、既知の【潜入システム】では起こりえない、と雛乃は考えた。
いずれにせよ、調査してみる必要があるだろう。
「とりあえずは、ここに何があるのかを調べてみましょーか」
覚悟を決め、雛乃はそう呟いた。お勤めとなると、雛乃は文法が時折怪しい敬語を用いはじめる。
さしあたって雛乃は、一時間弱ほどかけて、リユニオンを一周してみた。
大噴水を中心に据え、遊び道具の見当たらない公園が一つ。それを中心に、碁盤の目のように道が縦横に伸び、大小さまざまな家が大量に建っていた。家の色形は独創的なものが多く、現実世界で見られるような一般的家屋然としたものは少数であった。
「そっれにしても、暑いですね」
燦々と輝き座標を固定したままの太陽は、三〇分間絶えず雛乃の頭を照り続けていた。現実世界では今尚冬服の上からコートを羽織るぐらいの寒さなのだが、このリユニオンでは雛乃の服装もいつのまにやら夏服へと切り替わっていた。
「あ、あそこは、落ち着けそう」何より涼しそう。というか休みたい。
雛乃はそう思い噴水から三〇メートルほど離れたところの大木の木陰に身を投じた。
ふと、目を凝らしてみると大木には小さな鍵穴があることに雛乃は気付く。
「……【アトラクタの箱】? まぁ、いっか」
鍵が見つからない以上、箱を開けることはできない。
雛乃は今回依頼で潜入しているわけではなかったので、休息を優先することにした。そもそも、普段なら夢などみずにベッドで熟睡しているのだ。
「よいっ、しょ」
幹を背もたれに地面に座る。ひんやりとした感覚が気持ちよかった。夢の中であるのに、こうも心地よいと眠たくなってくる。
「ふわっ~~……わわっ!」
どすんと鈍い音をたて、足元の地面が小さく揺れた。
雛乃があくびをしているところに、急に雛乃の頭上から青年が出現したのだ。まるで、知らない誰かが実況したならば「気を付けろ! 上からくるぞ!」といわんばかりの登場っぷりである。
「ええ!?……何?」雛乃は両手を斜め上方へと伸ばし、仰天に目を見開く。
「いや、木の上に登っていてさ」青年は答える。
「わ、そうか。そうですよね……じゃなくて!
だれ!?」
妙に納得しかけて、頭を振り問い直す。
「ああ」
そう一言漏らすと、青年はパーマのかかった髪をクシャクシャに掻き、雛乃に体を寄せた。顔を近づけ、雛乃をさも興味深げにまじまじと見つめる。
「ふーん……初めて見る顔だ。君は、初めて【トゥルース】にやってきたの?」
「は、はい」おそるおそる、雛乃も言葉を返す。
「へえ、そっか。それで……あ、オレが誰かって話だったよな?
俺は紫之上環。タマキって呼んでくれ。みんなからも、そう呼ばれている」
青年タマキの突然の自己紹介に、雛乃は少し気圧されたが、取り直すと自分も改め名乗ることにする。
「タマキ君……私は、雛乃。
みんなからは、ピナって呼ばれています」
【ピナ】というのは、本当は小学校の時のあだ名で、今はリユニオンを旅する際のコードネームとしても雛乃は用いていた。雛乃の母は、たまに素で間違えたときにいじってくるが。
「そっか。よろしく、ピナ。ここで分からないことがあったら、何でもオレに聞いてくれ」
「うん! こちらこそよろしくね、タマキ君」
環が差し出した手を、雛乃は微笑みながら握り返した。
「ところでさ、ピナ。まだ、ココのことって全く知らないようなカンジなんだよな?」
「そうですね、全然。実は、どの施設がなんなのかっていうのもさっぱり分かってない」
苦い笑みを浮かべ、正直に雛乃は打ち明けた。起きている現象そのものが不思議であるのは違いない。が、周りを見渡した印象から、ここにいる人たちがみな悪い人たちというわけではないようだった。
「そか、それならオレがよくつるんでいる仲間を紹介するよ!
ちょいと癖の強い奴らだけど。たぶん、大丈夫でしょ」
「え、わ、私……かなり人見知りが強かったり、だったり~……なんてね」
しどろもどろに、婉曲に。ピナは本音を遠回りに伝えた。
「あー、それは平気。あいつらさ、オレと同じでそういうところは問題ないし」
環は短くそう告げると、雛乃の手を取り、走りだした。




