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憂いの理由

「歌姫、見付からないのか」


 ティルはいつも仲間の話を楽しそうに聞かせてくれた。語るティルの表情や弾む声音だけで、彼にとって仲間というものがどれほど大事なものなのか窺い知れる。

 だが、行方の知れない歌姫のことを、彼は意図的に話題から遠ざけているようにも感じていた。

 仲間の話をする時、ふいに言葉が詰まるのだ。

 ほんのわずかな空白。不器用にすり替えられる話題。ティルは誰のことを話そうとして、なぜ言葉が出ないのか。それらは全てエステルの憶測に過ぎなかったが、そうだろうという確信があった。


 ティルはエステルの率直な言葉に苦笑を浮かべて、苔むした地下牢の床を見つめた。


「仲間から手紙が来ました。行方はまだ解らないッス」

「ティルも捜しているんだろう?」

「いえ、オレは……」


 そう呟くティルの表情に、エステルはぎくりと肩を震わせた。

 ティルは笑っていた。笑っていたが、はり付いたような笑顔だった。まるで他の感情の一切を塗りつぶして、上から絵で描いたような。


「ティル」

「大丈夫ッス。エステル様はお気になさらないでください」


 有無を言わせず言葉を被せられて、エステルは口をつぐんだ。それ以上はどうか問うなと、感情の見えないその一言が如実に語っていた。

 なにか、言いたくないことがあるのだ。

 そこには、見せたくない感情があるのだ。






 ティルがいつもより少し足早に地下牢を去った後、エステルは一人思案していた。


 ティルは、歌姫のことが気がかりだ。これはおそらく間違いない。そして、仲間からは彼女の捜索結果が手紙によって報告されている。これはさっきティルが話したとおりで間違いないだろう。

 気がかりなのは、ティル自身が彼女を捜索出来ていないことだ。

 はっきりとした言葉ではなかったが、捜しているのだろうという問いかけを、ティルは惑うように否定した。

 捜しに行っていないのか。きっとそうではない。捜しに行けないのだ。だからティルは憂いている。ではなぜ捜しにいけないのか。


 ティルは自分の食事を運ぶ以外に、どんな仕事をしているのか。

 これは一度だけ尋ねたことがある。

 暖炉の掃除、床拭き、水回りの片付け、門までの雪かき、この時期はいやでも使用人の仕事が増えるらしいとティルは教えてくれた。あまり人がやりたがらない仕事ばかりまわされると、赤くなった指先を見せておどけていたのを思い出す。

 では、屋敷の仕事が忙しいから捜索が出来ないのか。

 これはよく解らない。彼が日々どのように仕事をしているのか、エステルはその目で見てきたわけではないからだ。

 だが、エステルの食事が終わるまでの間、ここでお喋りをするくらいの余裕はある。そうでなければ今頃彼はここに来ていない。つまり、ここに留まること自体を咎められているわけではないのだ。

 それは間違いなく、彼の口からも確認している。


 彼はどうして笑っていたのだろう。

 多分、彼にとって一番作りやすい表情が笑顔だからだ。普段あまり笑うことのないエステルに、客商売で一番大事なのは笑顔だとティルは教えてくれた。笑うともっと綺麗だろうにと、エステルの表情が乏しいことを惜しんでくれもした。

 ではどうしてあの時彼は、笑顔を作らなければならなかったのだろう。

 彼は常に笑顔であろうとしていたわけではない。重労働の愚痴を吐くときは拗ねたような顔をしていたし、使用人のエステルに対する扱いを憤ってくれたこともあった。

 彼の笑顔はいつだって輝かんばかりだった。だからこそ、今日見せたあの表情が作り物であるとエステルはすぐに気づけたのだ。


 考えたことを、今度は順序をかえて反復する。

 くわえて事実と仮説。これらを混ぜないようにより分けて考える。


 歌姫を捜しに行けない。

 仕事が忙しい。

 歌姫の話をしたくない。

 笑顔を作っていた。


 これは仮説。あるいはエステルの主観であり、確証を得られていない事だ。


 歌姫が見付かっていない。

 仲間は彼女を捜している。

 人がやりたがらない仕事をさせられている。

 ここでお喋りをする程度の余裕はある。


 これは事実。ティルの口からはっきりと聞いた事だ。


 仮説と事実のなかで食い違っているのは、仕事と時間の余裕に関する点だ。なりそこないに割く時間はあるのに、仕事が忙しい、というのは矛盾している。

 だが、短期で仕事に就いた自分は使用人の中では一番下っ端だから、嫌がってもいられないとティルは零していた。

 寒いのは苦手だからエステルに食事を運ぶ仕事が一番楽で、だから食事はゆっくりして欲しいとすら言われたことがある。

 だが、ウィザンドラの使用人にとって、この食事係も間違いなく「やりたがらない仕事」だろう。誰が好きこのんでなりそこないの世話などしたがるのか。

 なりそこないに抵抗感のない短期の使用人は、この役割も含めた雑事を押しつけるのに丁度良かったのだと想像は出来る。


 そこでふと、エステルは自分の考えに違和感を覚えた。

 もともとエステルの食事を運んでいたのは壮年のほっそりとしたメイド。あるいは同じく壮年とおぼしき恰幅のいいメイドだった。二人ともエステルが物心ついたころからこの役割をしている。

 彼女たちはおそらく、長い間この屋敷に勤めていた使用人だ。


 なりそこないの存在は、絶対に外に漏らしてはいけない。

 万が一漏れたりすればスターレット家の存続に関わる。

 ならば果たしてこの食事係は、雪が溶けると同時にこの地を去らなければならないような年若い使用人に、任せて良いものなのだろうか。


 いや、『言葉の誓約』がある。エステルに関する事柄を、金輪際口に出来ないようにすることは可能なはずだ。

 だが彼はエステルと話すとき、この仕事やエステル自身のことを普通に話していた。

 おそらく今はまだ誓約をかけられていない。




 彼は、歌姫を捜しに行くことが出来ない。

 彼は、エステルのことを決して外に漏らしてはいけない。


 だが、彼はまだ誓約の魔術をかけられてはいない。

 かけられないのはおそらく、仕事に差し障りがあるからだ。


「そうか」


 掠れた声がエステルの口から漏れた。

 彼はエステルの境遇に同情的だった。エステルに優しかった。

 だから、笑顔で隠したのだ。

 その感情を、その言葉を、エステルにぶつけないように。




 ティルは、屋敷から出ることを許されなかったのだ。

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