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なりそこないのエステル

「七歳の誕生日おめでとう」


 ぽとりと床に捨てられた薄切りの燻製肉を、エステル・スターレットは冷めた目で見つめていた。

 ひそやかで、しかし明確な悪意を臭わせる周囲の笑い声が煩わしい。

 日々綺麗に掃除されている食堂とは言え、衛生的とは到底言い難い床に落ちている小さな肉は、口にすれば程よい食感にくわえ、ハーブの爽やかな風味と酸味のあるソース味わいが広がるシェフ自慢の料理であることをエステルは知っている。

 こうして【恵み】を与えられたのは、今日が初めてではないからだ。

 丹誠込めて作られたその一品を、だが彼らは些細な自尊心を満たすくだらない余興のために平気で無駄にするのだ。

 だが胸中に巣くう怒りが表情に出る前に、首筋にチリチリとした感覚を覚えてエステルはふ、と気持ちを落ち着かせるために短く息を吐く。


「ほら、餌よ。恵んで差し上げるからお食べなさいな」


 そう言って床に座らされているエステルを見下ろしているのは姉のローザだ。大輪の赤い花を思わせる鮮やかな赤い巻き毛をかきあげて、つり上がった猫のような目を楽しそうに細めている。

 艶やかな生地で仕立てられた深紅のドレス。細い首から開いた胸元を彩るネックレスには髪の色と同じ、大粒の赤い石がふんだんに鏤められている。

 扇の下に隠された口元は、見えずとも意地悪げに弧を描いているのだろう。


 華美な装いのローザに対して、エステルの身につけている服はとても質素なエプロンドレスだ。薄手でざらついたドレスは所々に染みやほころびが出来ていて、部屋の隅に控えている使用人の制服の方が余程良い仕立てであるのは誰の目にも明らかだった。


 食堂全体にちらりと目を向ければ、好奇心と嘲りの入り交じった視線がエステルに集まっている。

 母のメレディスはお行儀が悪いと言いながらもうっすらと笑みをたたえ、蔑むような眼差しをエステルに向けていたし、兄のリカードは隠しもせずに声をあげて笑いながら、ローザをなんて優しい妹だと賞賛する。

 妹のグロリアはまだあどけない瞳をぱちりと瞬かせて、姉たちが今何をしているのか興味津々といった様子で食事の手を止めていた。

 父のヴィクターは僅かの興味もないのか、何も言わずに食事を続けている。


 彼らは正真正銘、エステルの血の繋がった家族だった。




 魔導国家ウィザンドラにおいて、人の価値を決めるのは生まれながらに持つ内包魔力の絶対量である。

 スターレット家はウィザンドラ有数の名家であり、代々城仕えの魔術師を多く排出してきた。中でもウィザンドラ存亡の危機を救ったとされる大魔術師エルマー・スターレットの名は歴史書にも記されており、他国にまでその名が知れ渡っている名門中の名門だ。

 当然その家の子供は産まれながらに高い魔力を有しており、将来は約束されたも同然であった。


 だが、エステルは生まれつき魔力を持たない。

 殆どの人間は生を受けたときから少なからず体内に魔力を宿している。どのような生まれであっても例外はない。

 だが、ごく稀に体内魔力を持たずに産まれてくる子供が存在する。

 当然魔力を重要視しない他国などでは取り立てて騒がれることでもなく、珍しい事例として処理される程度のものではあったが、ウィザンドラにあって魔力を持たない人間は人として扱われない。


『なりそこない』


 彼らはそう呼ばれていた。





 与えられた【恵み】を手に、エステルは冷たい石造りの階段をおりていく。

 産まれてよりただの一度も靴を与えられていないその足は、床が冷たいと感じることすらなくなっていた。

 蝶番のきしむ金属製のドアを開けば、そこがエステルの『城』だ。

 部屋にはいるとガチャリと外から鍵をかけられ、硬質な足音が遠ざかっていく。


 窓一つ無い石壁。苔むした床に置かれた汚い毛布。仕切りで塞がっている部屋の奥には汚水の臭気がただよってくる手洗がある。

 冷め切った空気の中で唯一、壁かけ燭台の上で儚げに揺れる灯火が温もりを帯びていた。


 この場所は一日に一度使用人の手で運ばれてくる食事と。二日に一度運ばれてくる水桶を除けば誰も寄りつかない屋敷の地下牢だ。

 今日のように兄姉の気まぐれで呼びつけられでもしない限り、エステルの一日はここに始まってここで終わる。

 なりそこないであるエステルは、スターレット家の恥になるというそれだけの理由でここに幽閉されていた。許可無く屋敷内を歩くことを禁じられ、外に出ることを許されたこともない。

 そも、スターレット家の人間以外にエステルの存在を知るものはおらず、彼女は殺されることも生かされることもないまま、ここで飼われていた。


『なりそこないを手にかけたモノは なりそこないになる』


 スターレット家において厄介者でしかないエステルが殺されずにいるのは、ひとえにその古い言い伝えを彼らが恐れているからだ。

 病気で死ぬのならば大丈夫だろうと、こうして地下に閉じこめられて早七年。

 だが、エステルは弱るどころか日に日に美しく成長していった。


 星を織り込んだような艶やかな金糸の髪は、わずかも絡むことなくさらさらと背に揺れている。日光を殆ど浴びていないはずの肌はとても白かったが病的という程でもなく、きめ細やかで瑞々しい。

 大きな緑玉の瞳は長いまつげが僅かに影を作り、小さな唇はふっくらと淡く色づいていた。

 姉のローザが扇で顔を隠すようになったのは、去年からだ。

 顔に出来たそばかすが気になっているらしく、特にエステルの前では必ず目元から下を覆い隠すようになった。

 メレディスは美しかったが、家の中であっても化粧を怠ったことがない。

 血筋だけで誤魔化すには無理を感じるほど、エステルの美しさはスターレット家において異質であり、それがまた彼女たちのエステルに対するあたりをきつくさせていた。


 それもこれも全部あいつのせいだ。

 胸中でそう独りごちる。首筋がチリチリとしていて、それがまた煩わしい。

 敷かれた毛布に腰をおろして燻製肉に唇を寄せると、ふいに細い手首が強く引かれた。


「殺してしまおうエルマー」




 全ての元凶がエステルの耳元で囁いた。

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