*雨傷*
人が死んでしまう話がお嫌いな方は、見ない方が良いと思われます。(死ぬといってもけしてグロテスクなものではありません。)
この日、時也は一人、日直の仕事に追われていた。
本当なら二人いるはずなのだが、彼女との約束があるといって時也を一人残し帰ってしまったのだ。よって時也は二人分の仕事を一人で片付けなければならなかった。
「こんな時ぐらい彼女と逢うのやめろよな。」
下校時刻をずいぶんと過ぎてしまって時也はイラついていた。
だけど最後まで仕事を投げずにいられたのは、二時間ほど前から降り続く雨がとても綺麗で時也の心を落ち付かせていたからかもしれない。
時也は雨が好きだった。だから雨の日はいつも決まって外に出る。雨の色にほんの一滴の黒をたらしたような薄い紺色の傘をさしてそっと、灰色に泣く空を見上げるのが何よりも好きだった。雨が降っている時だけが時也の唯一の安らげる時間だった。
時也は短いため息を吐いた。
昔はこんなことはなかったのに…。
雨の日は決まって憂鬱でガラスに打ち付ける雨はいつでも僕を不快にさせていた。
そんな雨に安らぎを求めたわけ、それはたった一人の弟、智也の存在だった。一卵性の双子で外見は両親すら間違えるほどそっくりなのに性格はまるっきり正反対なそんな弟が大好きだった。だけど、歳を重ねるに連れて二人の違いははっきりし、だんだんと時也を追い込み、今ではコンプレックスとなったのだ。
優等生の兄と素直で優しい弟。
世間的に見れば理想の兄弟だと言われるだろう。
でも現実はそんなに甘くは無いのだ。自分のことを慕ってくれる弟を嫌いではない。ただ、あまりにも違いすぎて自分には何も無いのだと思い知らされる。
智也にあって僕に無いものが多すぎて、見えない何かに押しつぶされそうな自分を維持するのがやっとで…。だから、僕はいつまでも「智也の兄」という認識でしかみられない。だれも僕を時也という一人の人間として見てはくれない。いつでも智也と重ねられて見られる。それが何よりも嫌だった。
時也が日直の仕事を終え日誌を出す為、職員室に向かう途中に通った裏門の傍の細い通路。
「あれは・・・。」
時也は裏門の入り口に以外なクラスメイトを見つけた。
「涼宮?」
時也は足を止めて携帯電話で時間を確認した。
もう下校時刻を一時間も過ぎているのに彼女は帰る気配を見せなかった。
「なにしてんだろう・・・。」
彼女の存在はよく知っていた。何を言うでもなくただ不思議と他人を惹きつける彼女の存在に時也は憧れていた。それが小学校四年の春からの長い長い片想いのはじまりだった。
彼女の名前は「涼宮堵色」。
時也は彼女の「堵色」という名前が好きだった。漆黒の長い髪が印象的でとても可愛らしいその容姿のとのバランスがしっかりととれていたからだ。
二人の通う常葉付属学院はエスカレート式マンモス校だった。初等部から大学までが一つの敷地内にあり、同じクラスでも有に五十人はいるのだ。そのため、クラス替えは二年に一度行われる。
時也の片想いが五年目となった中学二年の春、二人は初めて同じクラスになった。だけど堵色は時也の存在をきっと知らない。
なぜなら時也は堵色と言葉を交わした事も目が合うこともなかったからだ。
どんな人ごみの中でも気が付くと時也は堵色を目で追っている。
偶然日直で裏門の近くを通らなければ、正門から帰る時也が裏門にいる堵色を見つけることはない。その偶然に時也は感謝していた。
足を止めていた時也はなにかを思い出したかの様に急に走り出し素早く日直の仕事を終え、再び堵色の姿を見る事の出来る裏門付近の道に来た。
時也は知っていた。何かに必死に耐えるように寂しそうに空を見つめる堵色を・・・。何度も、何度も自分と重ねながら見てきたのだから。
・・・良かった。まだいる。
時也は寂しそうに空を見つめる堵色に声をかけた。
「涼宮。傘ないの?」
「・・・・。」
振り返った堵色の瞳にはいっぱいの涙がたまっていた。
「へっ?」
堵色はいきなり、傘を差し出した時也のほうに倒れた。時也が堵色を受け止めたのはアスファルトにぶつかるほんの手前だった。
時也は訳が分からないまま意識を失った堵色を保健室へと運んだ。
「なんなんだ?」
三十代前半くらいに見える(が実は二十代前半の)まだ若い保健医はそんな堵色を見て顔色を変え、すぐに堵色の家に連絡をした。
「君!ちょっと見ててくれるかい?もうすぐ来ると思うから。」
「え、あ、はい。ちょっ、来るって誰が…。」
急いで聞き返したがもう保健医はその場にいなかった。何が起こっているのかすらわから
ずに時也はただ保健医に言われた通り、堵色が目覚めるのをじっと待った。だが、堵色が目覚めるより先に保健医がいっていた見知らぬ「誰か」が保健室に入って来た。
「失礼します。迎えに来ました。」
そういって入ってきたのは少しだけ赤身がかった茶色の髪をした人だった。すぐに堵色の親族だとわかった。彼女のその容姿からは堵色の面影がはっきりと感じられる。
「あの、運ぶの・・手伝います。」
「えっ・・・ありがとう。助かるわ。私はこの子の・・姉の沙希。えっと、」
「三石時也です。」
涼宮のお姉さんは家に着くまでの間ずっとなにか思いつめているように笑っていた。
堵色の家は学校からほんの十分ほど離れた所にある大きな名家だった。
お礼がしたいから、と通された部屋はふかふかの絨毯やソファーや高額だと一目でわかる置物などが置かれていて庶民である時也は言葉を失いかたまってしまった。
「そんなに硬くならないでいいのよ?ここには堵色と私と姉しかいないもの。」
「え?あのご両親は・・・、」
沙希の沈黙から時也は聞いてはいけなかった事に気付いた。黙っている沙希とは反対の方向から凛と澄んだ声がサラリと時也の質問に答えた。
「父は音信不通、母は去年他界したわ。」
その声は沙希の反対。つまりは時也の後ろから聞こえた。振り向いた時也の視界に入ったのは堵色のそれより深く黒い髪。
「・・・私は矢夜。その二人の姉。」
矢夜の瞳がまっすぐ時也を捕える。時也はまた、言葉を失った。淡々と話す矢夜にほんの少し違和感を覚えたのだ。だが時也にはまだ違和感の正体に気付いてはいなかった。
沈黙ばかりが続いた。
「お姉さん?・・・」
「堵色。もういいの?」
「ええ。」
沈黙を破ったのは堵色だった。堵色はすぐにその場にいるべき人の数が一人多い事に気が付いた。
「あっ・・・。」
その人物の顔を見て視線をすぐにずらした。
「涼宮、もう平気?」
時也が笑いかけると、堵色は俯いてまた「ええ。」と小さく言った。
「あの、すみません。いろいろと・・・。私、雨が苦手で・・・あの。」
「あやまる事はないよ、欠点が無い人間なんてこの世界にはいないんだから。」
まるで人形のように微笑む時也だったが内心落ち込んでいた。堵色が自分の事を知らないと頭ではわかっていたはずなのに堵色の時也に対する態度はまるで他人だ。そのことが時也の心に重く圧し掛かった。
「時也君にも・・・あるんですか?」
「・・・・・・え。あっうん。じゃあ、もう帰ります。」
そういうと時也は慌てたように立ち上がった。それに続いて矢夜と沙希が立ち上がったが時也は見送りを断った。
「じゃあ、私がいきます。お世話になったのは私ですから。」
堵色は時也の後に続いた。時也は堵色と二人きりにされ緊張のあまり口を開くことはなかった。家の外にでると堵色は「それじゃあ」と手を振る時也に声を掛けた。
「あの・・・時也君、また明日学校で!」
俯いて歩いていた時也はその堵色の一言に顔を挙げて優しい笑顔を見せた。
時也は嬉しかったのだ。
堵色が自分の名前を知っていてくれた事。また明日彼女に関わることが出来ること。
長い長い片想いの中で偶然手にした関わり。
手放したくはなかった。
毎日が当たり前すぎて、まさかあんな形で失うとはこの時の僕は思ってもいなかった。
次の日、彼女が「おはよう。」と声をかけて来た。
嬉しくて仕方なかった。昨日の朝には無かった繋がり。
「おはよ。」
僕は今までにないぐらい心の底から微笑んだ。
「ねえ!今見た?三石君の笑顔。」
「見た!超かっこ良かった。なんで今まで気付かなかったんだろう。」
沢山の人がいた教室で女子達が騒ぎ出した。だけど時也はそんな女子の言葉など聞いてはいなかった。時也にとって堵色以外の人間はみんな同じだ。どんなに想いをぶつけられてもさらりと交わしてしまう。だがその日から時也の机には何十通もの手紙が入っていた。すべて告白するための呼び出しの手紙だった。
屋上や裏庭などさまざまな場所での告白を受けた時也だったが誰とも付き合うことはなかった。それが何日も続いたある日の屋上。時也は一人ため息を吐いた。
「あの、時也君。大丈夫?なんかつらそうだよ?」
心配そうに時也をのぞき込んだのは堵色だった。
堵色の顔を見るなり時也は安心したかのように目を閉じ再び開くとゆっくりと話し始めた。
「涼宮・・・。ずっと好きだったんだ。本当は言うつもりは無かったんだけど、みんなの想いを聞いてるうちに、このままじゃだめだなって。僕は嬉しかったんだよ。涼宮が僕の名前を知っていた事。僕を一人の人間として見ていてくれたって・・・。」
時也がそこまでいうと堵色は膝を折り泣き出した。
「涼宮?ごめん、泣かせるつもりじゃ・・・。」
「違う。時也君の所為じゃないの。わた・・私も時也君が好きだったから。嬉しかった。私なんかを好きになってくれてありがとう。」
二人の黒い髪が風に揺れた。
告白なんて気持ちの押し付けはもううんざりだったはずなのに…涼宮の言葉だけは、とても嬉しかった。
それから一週間もすると時也と堵色が付き合いだしたことは学校中に知れ渡った。時也の笑う回数は日に日に増し、告白は他校生にまで及んだ。
その日、二人は時也の家へ行く途中だった。
堵色が忘れ物をとりに時也の傍を離れた時だった。
「あの、三石時也さん。ずっと好きでした。私と付き合ってください。」
そう言って来たのは制服から見て多分隣にある女子校の生徒だろう。
俯きながらも時也の前に立っている女の子の髪は堵色とはまた違って綺麗なウェーブがとても良く似合っていた。
「ごめん。その、彼女いるから。」
時也が断ると女の子は顔をあげて言葉を続けた。
「涼宮堵色さんですよね。私の学校でもあの人は有名ですから知ってます。だけどあの人の家って…。」
女の子の言葉に時也からさっきまでの優しさが消えた。
「あのさぁ、俺のことは何言ってもいいけど涼宮の事を言うのは許さないよ。」
急変した時也の態度に女の子は泣きながらどこかへ走り去った。
「涼宮…。ごめんね。」
その言葉が合図だったかの様に堵色が物陰から顔を出した。
「時也君が怒ってくれただけでいい。…それに時也君って怒ると自分の事、俺っていうのね。」
時也は赤くなって「家族のがうつったんだ。」といった。
堵色は悲しそうに微笑んだ。
「行こうか。」
二人は横に並んで歩き出した。「涼宮はさ、僕のどこを好きになってくれたの?」
時也は隣を歩く堵色に訪ねた。
「えっ…。」
堵色は少しだけ躊躇ったが、やがて口を開いた。
「一目惚れだったの。時也君は覚えてないかもしれないけどね、小さい頃に一度逢っているのよ。私達・・・。」
「覚えてないや・・・。」
時也は必死に記憶を探ったが幼い頃に堵色と逢った記憶はなかった。
「無理に思い出すことはないの。私が覚えてるから・・・。」
堵色は微かに微笑んで数歩前へと出た。
時也君は自分の事を話さない。だから私は何も知らない。家族のこと、昔のこと、全部。
訪ねれば悲しそうに俯くだけだ。だからいつの間にか私はなにも聞かなくなった。
一番好きな人の一番知りたい事を・・・でも。
「ねえ、時也君あの・・・」
ほんの数秒の時間だった。
「堵色!」
「えっ?」
初めて時也に名前で呼ばれた事に驚いて堵色が振り向いた瞬間、物凄い力で後ろへ突き飛ばされた。
「きゃっ。」
その瞬間まるでピストルを撃ったかのような音と車のブレーキ音が重なった。
「痛…。なんな…の。」
一瞬なにが起こったのかすら分からずにいたがすぐに事故が起こったのだと分かった。しかしさっきの大きな音のせいかしばらくは音すら堵色には届かなくなっていた。視界に最初に入った光景は悲惨なものだった。自分の目の前には大型トラックの急ブレーキの後が悲惨なぐらい大きく残り、堵色はそこが現実の世界なのかすら分からなくなった。辺りのざわめきで現実世界に引き戻された堵色は時也の存在を探した。
急いで辺りを見回すと自分の足元に倒れている人がいる事に気が付いた。
それが時也だったのだ。
「時也君!なんで・・・。」
時也は倒れたまま意識を失っていた。
それから誰が呼んだのか、救急車が来て二人は病院へと運ばれた。どうやら被害にあったのは時也一人だったらしく、二人以外に救急車で運ばれた者は誰一人いなかった。
救急車の中で堵色はなにも言わず座っているだけで口を開いたのは時也が病室に入ってからだった。
「時也君。時也君。ごめんなさい。私のせいで・・・。」
堵色は目の前でたくさんのチューブに繋がれている時也に呼びかけ、泣いていた。もちろん返事は無く、規則正しく響く機械音だけが虚しくその場を包んだ。
事故は丁度一時間ほどまえ、飲酒運転をしていた車が歩道を歩いていた二人に突っ込んだという物だった。
堵色に向かって来る車に気付いた時也が堵色を庇った。病院に運ばれてずいぶんとたつのに時也は一向に目覚めない。
「時也君・・・。なんで私なんてたすけたの?」
堵色の目には涙が絶えることは無かった。
時也がゆっくり目を開くとそこには堵色が悲しそうに俯いていた。
時也は震える堵色の手をしっかりと握った。
「時也君!」
「…それは、助けるよ。僕にとって涼宮を失うことより怖い事はないんだから。」
「私だって、同じなんだよ。時也君が大事なの。ねえ、私ね、あの時、時也君が初めて堵色って言ってくれて本当に嬉しかったんだよ。なのに…こんな時だなんて…。こんな事になるなら一生名前なんて呼ばれなくてよかった。時也君とずっと一緒にいたいんだよ。」
「堵色。笑って。そんな顔させる為に庇ったんじゃないよ。さっきなんで助けたんだって言ったけど堵色は優しいからもしも僕が車にぶつかりそうになれば僕を助ける為にきっと同じ事をするよ。それと一緒だよ。」
堵色は精一杯笑った。それを見て時也は小さく「よし。」と言って目を閉じた。
「時也君・・・死なないで。また一緒に・・・。時也・・・君。」
堵色はハッキリと感じていた。握られた時也の温かい手のぬくもり冷たく消え、重くなって行くのを・・・。そして時也の握られた手はゆっくりと下へと下がった。
最後に笑った時也の表情は変に明るくてもう一度笑えば目を開けてくれるような気さえした。もう一緒に話すことは出来ないのだと言う事を堵色は認めることが出来なかった。
「時也君…。いや。死なないで。目を開けて、傍にいて。」
気が付くと堵色は叫んでいた。
長い片想いの末に通じた大切な時間はたった二ヶ月間だけだった。
堵色は自分を責めた。
私が好きにならなければよかったのかな・・・。
いっそのこと出会わなければ・・・。
涙を止めることすら出来なかった。
「時也君・・・。ごめんなさい。私のせいだ。私がいたから、私があの場所を歩いたから…だからこんな事になったんだ。時也君にはまだ未来があったのに。あの人はこんなところで死んでいい人じゃない。…私どうすればいいの?どうやって償えばいいの?時也君の未来は…」
私が泣いてばかりいるから、もう開かないその瞼の向こうで時也君が悲しそうに立っているのではないかと、そんな気がしてならないのに…涙は一向に止まらなかった。
「堵色・・・今日はもう帰ろ?」
二人の姉に連れられ堵色はその場と後にした。
どうして大切な人だけを失わなければならないのだろう・・・・・・。
視界は彼を最後に包んだ死のように真っ黒となった。悲しみが体中に染み付き堵色は時也の死から立ち上がることが出来なかった。
「堵色、もう自分を責めないで。三石君だってそんな顔させる為に堵色を助けたわけじゃないでしょう。堵色がそんなんじゃ、三石君はずっと報われない。」
病院から帰ってもう一ヶ月経つというのに、ずっと蹲ったままの堵色に沙希は言った。
「わかってる!」
「じゃぁなんで…。」
「…笑う事が出来ないの。…時也君はもういないの。もう生きてる意味なんてない。私と出会ってしまったから、時也君は…私が殺したも同然なの。なのに私、笑っていられるはずがない。」
堵色の今にも消えてしまいそうなその声に沙希は言葉を失ってしまった。
「堵色…。ごめん。」
ちょうどその時、堵色を訪ねて来た人物がいた。どこか見慣れた短い黒髪の男の子。なぜか息を切らして立っていた。
「涼宮さん・・・。」
私を呼ぶその懐かしい声に顔を上げた。
「時也・・君。なんでここにいるの?」
時也がいるのだ。死んでしまったはずの時也が目の前にこうして立っているのだ。矢夜がここまで連れてきたのだろう。その人の横で俯いたまま立っていた。
「時也君。どうして…。」
堵色がゆっくりと手を伸ばした時、時也は言った。
「…俺はあなたに渡すものがあって来ました。」
その言葉で時也に良く似たその人物は時也とは全くの別人だとわかった。外見や声などは似ているが目の前の彼がもつ言葉使いや堵色を見る目などは時也のものとはまったく違った。
時也君が私を見る目はもっと優しくて、それだけで幸せな気持ちになれた。
でもこの人は悲しみに満ちた、孤独な目をしている。
「・・・誰?」
「三石智也。時也の弟です。涼宮さん、これを・・・。」
そう言うと智也は鞄から小さめのノートを堵色に手渡した。
「時也君に弟がいたなんて。」
知らなかった。
堵色はこの時、最後まで何も教えてはくれなかった事に再びショックをうけた。だけどずっと止まらなかった涙だけはいつのまにか止まっていた。
シンプルなノートの表紙には時也の整った綺麗な字で{涼宮堵色様}と書かれていた。堵
色は振るえながらもその文字をゆっくりなぞり表紙をめくった。
時也君の字だ。
{{涼宮さんへ。}}
日記代わりにこのノートに僕の事を記していきたいと思います。いつか二人で読み返して笑えるといいと思います。付き合ってもいないのにずうずうしいと思うでしょうか?でもいいのです。これはきっと、涼宮さんが読むことはないからです。僕は弱虫で誰かに自分の事を話すのも想いを伝えることなど出来ませんから・・・・・。○月○日。
少し読むと堵色はまたパラパラとページをめくっていた。
僕がはじめて涼宮さんを好きになった日のことです。僕には双子の弟がいて幼い頃はそれがとても嬉しかったんです。だけどいつの間にか僕自身が弟の影の隠れている事に気付きました。だから弟と外で遊ぶことが嫌いになり、人と関わることを嫌いになりました。そんな僕を少しだけ救ってくれたのは貴方の存在でした。話をしたことも、目を合わせたこともないのに僕は貴方が好きでした。□月○日。
今日、貴方が学校を休み始めてからもう3日がたちます。お母さんが亡くなられたそうです。心配です。貴方が悲しみに潰されるのではないかと・・・。だけどなんの関わりも無い僕にはどうすることもできませんでした。・・・・・僕に貴方との関わりを下さい。◇月□日。
しばらくノートをつけるのを休みました。もう一年くらい経つでしょうか?でも僕の気持ちは変わりません。昨年最後につけた日記に思いが通じたのか、貴方との関わりが出来ました。本当に嬉しくて僕はとても久しぶりに笑った気がします。○月◇日。
今日僕は貴方に告白しました。貴方はいきなり泣き始めるので正直戸惑いました。だけど
僕のことを好きだと言ってくれて零れそうな涙を堪えるのがやっとでした。僕は貴方・・・堵
色に出会えて本当によかったと思っています。例えば明日僕が死んだとしても堵色が笑っていてさえくれればきっとなんの後悔もしないと思います。だから日記は今日が最後です。十年や二十年後二人で笑えたら…。
堵色は泣いていた。ついさっきの悲しみだけの涙とは違った沢山の気持ちが溢れた涙。そして最後のページで手を止めた。
最後に〜。
僕は堵色に沢山の事を秘密にしてきました。いつも僕の事を知りたがっていたのに、いつも堵色に下を向かせていたと思います。ごめんなさい。だけど僕、三石時也は堵色と出会えて初めて自分という存在を認めることが出来ています。ありがとう。そしてこれからもよろしく。…END
「時也君。」
「出会わなかったらなんていわないであげて下さい。兄さん・・・時也にとって涼宮さんは、初めて自分で掴んだ人なんです。」
智也は優しく言った。
智也は解っていたからだ。堵色がもう次に進む強さを持っている事も。
堵色は閉じたノートを抱きしめ、泣いていた。
堵色は時也が亡くなってから初めて時也の沢山の事を知った。
決して教えてはくれなかった彼の過去。
「時也君・・・。」
堵色は小さく呟いた。
涙はなかなか止まらなかったけど堵色の表情はどこか穏やかだった。
私は時也君と出会えた事や一緒に笑った二ヶ月間を忘れない。たとえこの先誰か他の人を愛したとしても。私の中で三石時也という存在の大きさは変わる事は無いのだから。
雨が平気なわけじゃないし、時也君の事を忘れたわけでもない。
ただ、少しだけ自分を許したの。前を向く為、時也君が救ってくれた命を精一杯生きる為
に・・・・・・。
一年後の時也の命日、二人は時也のお墓の前にいた。
「智也君、これ…。」
堵色は時也が一番好きだと言っていた花を智也に見せた。
「涼宮。それ、兄さんに…」
堵色は少し赤くなって頷いた。
「うん。枯れないか心配だったんだけど、時也君も喜んでくれるかな。…なんで時也君はこの花が好きなんだろう。紫色のチュウリップなんて…。」
堵色は花束を時也のお墓に供えた。
「智也君もいろいろありがとう。智也君がいなかったらきっと私まだ泣いてたよ。」
「俺はなにもして無いよ。でも、兄さんは短い人生だったけど後悔はしていないと思うよ。涼宮っていう彼女も出来て…。」
「智也君ありがとう。」
堵色は笑って言った。
「本当に兄さんが羨ましいよ。兄さんよりも先に出会ったてたら、君は俺を好きになってくれた?」
智也のそのつぶやきは堵色には届かなかった。
「涼宮!紫色のチュウリップの花言葉は『永遠の愛』なんだよ。」
その言葉に堵色はくすりと微笑んで時也の方に向かって口を開いた。
「私も時也君が好き。きっとずっと永遠に。…もう、帰るね。智也君はまだいるよね。」
堵色は小さく智也に手を振って帰っていった。
それから半年。
堵色は真新しい高校の制服に身を包んでいた。
暖かい日が差す昼休み、堵色は学校の裏庭にいた。差出人無しの手紙での呼び出し。指定の時間にはまだならない。堵色はすぐ近くにある、花壇を眺めていた。
そこに咲いているのは色とりどりのチュウリップ。
「涼宮さん。世界で一番好きです。」
堵色は花壇から目をはなし、その男子生徒に向き合った。
「ごめんなさい。わたし、付き合うことはできない。他に好きは人がいるから。」
堵色はそういうと頭を下げた。少年は「そっか、」と言ってどこかに走っていった。
「あれからどれだけたったんだろう。時也君。わたし、時也君以外の人を好きになんてなれるかしら。」
堵色は小さくわらった。堵色がさっきまで眺めていた花壇のほぼ中央には紫色のチュウリップが揺れていた。
紫の花。時也君と私の一番好きな花。
これ(雨傷)は超短編以外で私が初めて完成させた話です。思い入れがあって何度も何度も書き直して出来た私だけの物語です。そんな物語を顔も知らない人が読んで面白かったとか感動したとか言ってくれたらいいなぁと思っています。