第一章[紅き月下の元、黒猫は歩く]―――〈3〉
これからのお話をするにあたって神谷拓海という男について話をしなくてはならないだろう。
正直な話、なんであんな男の話を私がしなくてはいけないのかとも思うが、必要ならば仕方ない。
友達を作らない孤立無援の一匹狼、神谷拓海。
私のことを軽々しく、『あきちゃん』などと呼ぶあの男を一言で表すと『天才』だけで事足りるだろう。
何もかもが『天才』。容姿も頭も、身体も、全てが才能だけで事足りるなんていう努力と言う言葉を根底からバカにするような男。
まずは、容姿の話からだろうか。天性のものを持っているらしく、あの男は異常なまでに異性にモテる。
強調するが、異常なまでに、だ。私が知るだけでも一週間に一度は告白されている。
一週間に一度。しかも、私が知る限りだからもっと告白している人は居るかもしれない。
一年間に換算すると、単純計算で四八人。学校の女子の何割に相当するかなど、考えるのがバカらしくなる。
私が言うのもなんだが、女心というものはよくわからないな。
で、神谷拓海はその告白を例外なく断る。誰一人として、OKを出すことがない。
さっさと女でも作れば告白も減りそうなものなのに、あの男は絶対に告白されても首を縦に振らないのだ。
どんな美女でも。どんな悪女でも。どんな女でも、だ。恋愛を命ともする女子生徒の願いを、一つも受け入れずに断り続ける。
そんなことを一年間も続ければ、自然様々な噂が流れてくるものだ。耳を疑いそうになるものや、正反対の噂が同時に流れることもざらだ。
実際、生徒会長と言うある意味で噂の入りやすい位置にいる私は、かなりの量の噂を耳にしている。
実は年下が好みで、中学生以上に興味がない、とか。どこかの人妻と激しい恋愛をしているから、学校なんて言うちんけな場所での恋愛に興味がないとか。
女とは付き合えない理由があるとか、女にはすでに興味がないとか。
どれもこれも根拠のない、根も葉もない噂。話半分、面白半分で聞く分には面白いかもしれないが、真剣に聞く話ではないだろう。
噂は噂。本人との関わりがなければその事実はわからないのだから、他人との関わりを持とうとしない神谷拓海にそんな噂が立つのは当然の結果でもあるのかもしれない。
事実、去年の冬まで一度も神谷拓海と話したことのなかった私は、あの男のことをただの超人としか思っていなかった。
ただの超人、というのもまた往々にしておかしな言い方だが、そうとしか言いようがないのだから仕方のない。
容姿端麗、頭脳明晰、冷静沈着。運動神経抜群の天才。少し一人の好きなクラスメイト。
今、思えば愚かしいことだが、私は神谷拓海のことをそんな曖昧なものとして見ていた。
まあ、同じクラスではいたが一度も話したことのない男のイメージなんてものを、明確に正しく表すことなど無理に等しいことなのだろうが。
しかし、一度も話したことがないのに、小さくともイメージを持っていた理由はひとえにその異常さ故だろう。
ニ、三年生は知らないが一年生の私たちの中(現在は二年生となるが)で、有名人と言えば自然と神谷拓海の名前が挙がってくるぐらいに知名度が高かった。
入学から一年たった今ならば、生徒会長の私と同じくらいの知名度をほこっているかもしれない。
学校と言う社会からある意味隔離された空間でしか通じないものと言う事を考えると大したことのないように思えるが、その学校内だけでも『誰でも知っている』というのは自慢してもいいほどだろうと思う。
有名になっていく過程は知らない。同じクラスということもあり、神谷の姿を普段から見ていたから気付かなかったのだろうが、いつの間にか有名になっていたのだ。
そんな有名人と、初めてまともな会話をしたのが去年の冬。席替えをしてたまたま神谷拓海の隣だったという不運な出来事が私の身に起こってしまった。
いや、『不運な』というのは違うかもしれない。
ここで彼と出会っていなかったら今の私はここに居ないのかもしれないのだから。
けど、『幸運な』というのも違うのかもしれない。
彼との出会いもなければ、私は普通の学生で居られたのかもらしれないのだから。
でも、そんなことを今更言っても意味もないし、変わりはしない。
あのときこうすればよかった、なんてことを悩んでも過去は変わらない。
意味がないなんてことを言うつもりはないが、それを繰り返して『次』を失うわけにはいかないから。
さて、話を戻そう。席替えをして、私が神谷拓海の隣の席になった時。
その時気付いたのだが、神谷拓海は相当な面倒くさがり屋のようだ、ということだ。
テキストはいつも学校に置いてるし(ちなみに全教科だ)授業中に当たられても『わかりません』。
授業への興味をなくせばすぐさま空でも見てるし、授業が終われば、すぐに学校から去る。
他人から話しかけられても適当な相槌しか打たない、なんとも友達甲斐の無い男だった。
初めて会話した日、神谷拓海は、何の気まぐれか、テキストを家の持って帰ったらしい。それをそのまま家に置き忘れたため、テキストを私に貸してくれと頼んできたのだ。
今、思えばこれが神谷拓海が私にちょっかいを出してくるようになった理由なのかもしれない。
普通に考えれば、テキストを貸した程度で相手が自分に興味を持つなどと考えることもしないが、これ以外に思い当たる節がないのだ。
命を救うとか、二人して危機的状況に陥るとか、そんなドキドキイベントに遭遇したわけでもなく、神谷拓海はこの日を境に私にちょっかいをだしてくるようになった。
そのちょっかいと言うのも、誰か他の人が居る前ではなく、何故かいつも二人きりのところでである。
帰り道に回り道されてたりしたこともあったな。あれはもうストーカーだ。恐らく、訴えればこちらが圧勝できるだろう。
圧勝と言えば、神谷拓海は何事においても圧勝らしい。らしい、という表現の理由は圧勝の種類の噂が多すぎてすべてが真実かどうかがわからないのだ。
スポーツや勉強といった健全なものから、果てにはケンカや賭けごと等という不健全なものもたくさんある。
一度だけ、友達に連れられ神谷の授業中の運動を見たことがある。
率直な感想は、対戦相手が可哀そうだった。
抵抗できないほどの圧倒的実力。バスケはダンク。サッカーはオーバーヘッドといったトンデモ技がころころころころ飛び出してくる。
と言っても、出場する時間は五分にも満たずすぐに退場してしまったが(恐らく、面倒なのであろう)、それだけの短時間でも神谷拓海は仲間チームの大きな助けになり、相手チームの大きな損害になっていた。
一瞬、人間ではないと思うほどに、アイツは常軌を逸してる。
勉強についてだって、試しに『どうやって勉強しているのか』と聞いたら『勉強しなくても点数取れるからしてない』と返された。。
授業さえ聞いていれば、理解は出来る、なんて今時誰も言わないであろうことを平然と言ってのけやがったから、思わず殴りかかりそうになった。
そんな私を神谷拓海はからかって遊ぶのだ。「あきちゃんは可愛いね」なんて馬鹿げたことを言いながら、話しかけてくるのだ。
そうだ、ここで一つだけ確認しておこう。
アイツは私にその気にさせるようなセリフをいつも吐いているが、それは心からの言葉じゃないことなんて私にはわかってる。
勘違いなどしていない。アイツは私をからかって遊んでいるだけだ。そんなこと自覚している。
だからこそ、私はアイツのことが嫌いだ。
軽薄そうな、あの男のことが大嫌いだ。
あの変態ストーカー男を見るだけで、殴りたくなる。
それでも、いつかは終わると我慢していた。それだけで時間が問題を解決してくれるのだから。
それでいいと思っていた。
私は、それでいいのだと思っていたんだ。
あの男は、いつかは私から離れてくれると、思っていたんだ。
あぁ、最後に言っておこう。
これからお話しする物語は『バッド』エンドだ。
結果、何かを救えるのかもしれないけれど、少なくとも私にはこの物語が『バッド』エンドだと思える。
救えるのは、私か、それ以外の誰かか、世界か………………神谷拓海か。
これの中のどれかを救えたところで、私にはとても『ハッピー』エンドなんて思えない。
『ハッピー』のために誰かが犠牲になるなんて私は認めない。
だから、この物語は『バッド』エンドだ。
どこかのヒーローが助けに来てくれるような。
誰もが望む『ハッピー』な終幕を迎えず。
とことん、絶望の広がる『バッド』エンド。
それが、終幕へと歩く、私が言える唯一のことなのかもしれない。
靴箱を開くと、そこには見慣れたものが置いてあった。
便箋が入っているであろう封筒が、ハートマークのシールで綴じられている―――いわゆるラブレターだろう。
ラブレターを貰った。
内容はありきたりな文章で、簡単に言うと昼休みに屋上に来てほしいとのことだった。
「………、」
少し茶色の入る髪に、色素の薄い瞳を持つ少年―――神谷拓海はそんな手紙を貰ったという事実に眉ひとつ動かさずにただ無言で反応した。
手紙を封筒の中に入れて、そのままバックに入れる。少しぐちゃぐちゃになってしまう気もするが知ったことではない。
正直な話、面倒だ。
隣を見る。
さっきまで、会長が隣に居てくれたというのに、ラブレターが入っていることに気付いた秋川は『私が内容を読むわけにはいかないだろ! もし読んでも捨てるなよ! ましてや、約束の場所に行ってやらないなんてことしたらぶっ飛ばすぞ!!』という物騒な言葉を残して教室へと向かってしまった。
「…………つまらないな」
もう少し、嫉妬の色を見せてくれてもいいのに。
そう思いながら、神谷は自身の教室へと足を向けた。上履きに履き替え、前より少し綺麗になった床を歩く。
ちなみにもう授業の始まりの鐘は鳴っている。
秋川が急いでいた理由はこれなのだが、神谷にとっては授業より秋川との時間の方が大事のため、その時間を邪魔された鐘に理不尽と理解しながらも少々怒りを募らせていた。
そんな状態で授業に間に合うように走る気も起きず、ただゆっくりと歩いて教室へと向かっているのだ。
一年の教室の隣を通ると、数人の女子がこちらを見つめてきた。
極力目を合わせないようにして、気付かないふりをしておく。
「あっつ………」
少しだけ、ネクタイを緩める。
あまり緩めすぎると秋川が怒って相手をしてくれなくなるので、ほんの少しだけ緩める。
夏休み前だからなのか、今日はかなりの気温の高さだ。確かお天気お姉さんが言うには36℃ぐらいだっただろうか。
通りで暑いわけだ、と心の中で呟きながら自身の教室へとたどり着く。
ドアの間からほんのりと漂う、クーラーの効いた冷たい空気を感じながら扉を開くと、教師と生徒の全ての目線がこちらへと向いた。
「神谷……お前、また遅刻か」
「すいません、寝坊しました」
教師に適当な返事を返し、自分の席へと座る。どうやら、一時間目は数学らしい。
小テストでも行うのか、神谷以外の生徒の席にはまだ表になっていない問題用紙が置いてあった。
(めんどくさ……)
教師に促されて、適当に筆記用具を取りだしている時に、隣の席の相沢が顔を寄せて話しかけてきた。
「なあ、神谷。お前授業の始まる十分前には学校の校門通ってたよな? 何で遅れたんだ」
「別に………何となくブラブラしてたら遅れただけ」
「へえ、俺はまたお前が女子に告白受けてるのかと思ったよ」
つまらなそうに肩をすぼめ相沢は、神谷の方から黒板の方へと顔を向けた。
ニヤニヤと顔をほころばせるクラスメイトを見て、告白ならば会長から受けたいよ、と神谷は誰にも聞こえない程度で呟く。
神谷が相沢に秋川と会っていたことを言わなかったのは、単に面倒だからとかそんな曖昧な理由ではない。
神谷拓海は会長、秋川桜との関係を周りに知られたくないのだ。
自身で『独占欲が強い』と評価する神谷は秋川が可愛いことを絶対に周りに気付かれるわけにはいかない。
自分のライバルを増やすわけにはいかないから。モテモテ神谷拓海が、秋川桜を狙うと気付かれた時には、すでに恋人になってなければ困るのだ。
でなければ、他の男子がいつ秋川に惚れてしまうかわからない。
今は鬼の生徒会長となって男子に煙たがれているが、もし少しでも笑顔を周りに振りまき、怒ることがなくなれば絶対に、秋川はモテる。
そう、神谷は確信していた。
(……せめて、会長がクラスに居ればやる気が起きるんだけどなぁ)
自分の方へと問題用紙を渡す教師の顔を見て、神谷拓海は大きくため息をつく。
切に思う。どうか、自分の知らないところで秋川が周りの男を惚れさせていないように、と。
―――まあ、負けるつもりはないが。
結論から言おう。
神谷拓海のその不安はまったくもって徒労に終わった。
「貴様ッ!! 授業中に弁当を食べるとは何事かァあああ!!」
「ひぃ!? 許して会長、今少しだけでも食べないと昼休みまで持たないんだ!!」
「知ったことかぁ!! お前が朝飯をキチンと食べてないからそんなことになるんだろうがぁぁぁぁぁ!!」
バチコーン! と秋川のゲンコツがクラスの男子の頭にクリーンヒットする。
あわわわわ、と顔を青くする周りの男子は極力被害を受けないようにその場から早急に避難していた。
『やべーよ、うちの母ちゃんより怖え…』
『いや、俺んちの父ちゃんより怖えよ…』
『鬼だ…』
『鬼の生徒会長だ…』
『逃げろ! 巻き込まれたら死ぬぞ!!』
『退避ーーー!! 退避ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!』
そんな言葉が教室に巻き起こり授業の終わりを告げるチャイムが鳴った瞬間、男子と教師は逃げるようにその場から立ち去った。
ちなみに、教師までもが逃げるように教室を立ち去ったのは早弁を黙認しているのを秋川にバレたのではないかと恐怖してのことだった。
どうやら、鬼の生徒会長は教師をも恐れさせるらしい。
残ったのは数少ない女子と、全員退避した男子に見捨てられた早弁少年Aだけ。
今にも食い殺しそうな秋川の目線に身を震わせながら、
「ゆ、許して会長………もうしないから、しないって約束するから…」
「お前は何度もそう言ってただろ!? 今度ばかりはこの程度で済ますわけにはいかん!!」
「ほ、ほら三度目の正直って言うじゃん!! 俺もさ、気持ちを改めるから!! 悔い改めるから!! 母さんもビックリの大変身を遂げてみせるからッ!!」
「適当なこと言うんじゃねえよ。お前、中学でも同じこと言ってたじゃねーか」
「オイ、誰だコラァ!! あの時はきちんと一週間は耐えられたんだから文句を言われる筋合いはねえぞ!!」
早弁少年Aが教室のどこかから聞こえてきた言葉に過剰反応を見せた所で、真剣に怒っていた秋川の怒りが爆発し、拳を握る。
「貴様ァ!! いい加減にその適当さをどうにかしろと何度も何度も言っているだろうがオンドレェええええええええ!!
「適当じゃない!! これはおそらく社会に出てからも必ず論議する必要があると思われる絶対的なゴハッ!!」
そんな叫びと共に、正拳突きを喰らった早弁少年がくるくると回転しながら教室を転がっていく。
ゴン!! と誰かの机の脚に激突したところでようやく勢いが止まった。うー、と唸りながら頭を押さえる少年。
そんな少年の耳に恐ろしくほどに教室に響く足音が聞こえた。
「ひッ!?」
一歩一歩に、ドスン!! という効果音が付きそうな表情で秋川はゆっくりと近づくと、とびっきりの笑顔(額に青筋付き)でこう言った。
「お・し・お・き・だ」
アァー!! と叫び声が教室に轟く。
そんな執行が行われ始めた瞬間、教室のドアが開いた。
このクラスの担任の教師、真貝洋介が眠そうに目を擦りながら教室へと足を踏み入れる。
「おー。次は皆大好き世界史の時間だぞ~。この前のギリシア神話のレポートの提出は今日なんだからお前たち出さなかったらそれ相応の罰を受けると………って秋川何をやってるんだーーーー!!??」
ふんぬぁー、と合気道で少年を組みふせている秋川を見て、真貝は眠そうな目をカッ! と見開き叫ぶ。
「瀬川がッ!! 瀬川が死にそうじゃないか! 殺るならもっと誰にもバレないように山奥でやれよ!!」
『そっちかよ!!』
クラスメイトのほぼ全員が同時に突っ込みをしかける。
そんな先生の姿を目の端に捉えた少年、瀬川新は、今にも泣きそうな顔でこう呟いた。
「女子特有の膨らみがあるべきところに手を当てても、何の感触もないよーーー!!!」
「「「お前死ぬ気かーーーーーーー!!!!」」」
教室に残った生徒や真貝先生。そして、廊下にいた他クラスの生徒や、一時避難していたクラスメイトの全員がその言葉を聞いて、そう叫んだのだった。