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 目が覚めると、そこは自宅のベッドの上だった。

 小さな部屋だった。

 高校二年という青春まっ盛さりの少女の部屋とは思えないほど、シックというか質素な部屋である。

 悪く言うなら地味と言ってもいい。

「………、」

 上半身を起こし、少女―――秋川桜はカーテンもかかっていない部屋の窓から外を見る。

 いつの間にか夜になっていたのだろうか。

 見えたのは満月。

 窓の中央に居座るような満月は大きく、丸く、幻想的な風景だ。

「………頭、痛い」

 ゆっくりとした動作で頭を押さえる。

 彼女の耳に届くのは、近所の子供の声と、よくわからない虫の鳴き声だけ。

 その音源があるであろう外はすでに夜の営みを始め、空の星は満天に輝いている。

「あら桜、もう起きても平気なの?」

 少女に声がかかる。

 声のした方に目をやると、見慣れた顔が開いた部屋の扉から覗いていた。

 秋川なぎさ。秋川桜の母親である。

 彼女は心配そうに眉をひそめ、ゆっくりとした動作で部屋へと入ってくる。

「学校で倒れたって話だけど、大丈夫?」

「うん、大丈夫。心配するほどじゃないから」

「そう………あ、そうそう。明日きちんとお礼言っときなさいね」

 お礼? と秋川が首を傾げる。

 そんな娘に微笑を向けながら、なぎさは頬に手をあてて『あらあら』というような微笑ましい表情を向けた。

「桜をウチまで届けてくれたあの子よ。結構カッコよかったじゃない」

「届けて? それってどういう……というか私、どうやって学校から帰ったんだっけ」

「あらあらあらららー。またまたとぼけちゃって、どこであんなイケメンを引っ掛けてきたの?」

 引っ掛ける……? と、もう使われていない言葉(一般的に『死語』と呼ばれる)にクエスチョンマークを頭の上に浮かべ、秋川は目をつむる。

 思いだすような動作をして、一度、ニ度、三度と首を捻った。

「それにイケメンって………ごめん、本当にわからないんだけど」

「そっか……まぁいいわ」

 そう呟き、なぎさは秋川の頭を手で引き寄せ、娘の額と自分の額とを合わせた。

 通じる体温。おそらく体温を測っているのだろうと考える秋川は、その動作を振り払ったりはしなかった。

「うん、やっぱり少し熱があるわね。日頃の頑張りが顔を出したんでしょう」

「誤魔化さないでよ母さん。イケメンってなに? というか、さっき勢いで大丈夫とか言っちゃったけど、私は学校で倒れたの?」

「あらあら、まさか覚えてないってことでうやむやにするつもりなのかしら」

 そ、そんなんじゃないよ、と秋川はふるふると顔を横に振る。

 慌てる娘の表情を見てなぎさはクスクスと笑った。膝を折り、視線を秋川と合わせて気軽に話を続ける。

「ほら、神谷拓海くんよ。桜のカレなんでしょ?」

「神谷って……ち、違う! 違います! あ、アイツが私のか、かかカレのわけないっ」

「えぇー。お父さん泣いて喜んでたのに」

「喜ばないでよ! ていうか、泣いたの!?」

「母さん、泣き笑いなんてものを生まれて初めて見たわ」

 え、ちょっと見てみたいな、それ……と呟く秋川の頭をポンとなぎさの手が置かれた。

 びくっ、と揺れる娘の頭を軽く撫でる。

 日頃からそこまで手入れされていないはずの秋川桜の髪の毛はビックリするほどサラサラで、一人の女性として何か想うところがあるのだろうか、なぎさはひっそりと苦笑した。

「今日はもう休みなさい。夏休みまであと一週間なんだから、もう少しの努力よ」

「………ねえ、母さん」

「ん?」

「もし、私が自分のことがわからなくなってしまったら、どうすればいいのかな?」

「………、」

「………、」

「………ごめん、私、頭弱いからわかりやすく言ってくれないかしら」

「………そうだよね」

 ―――わかるはず、ないんだ。

 そう言って秋川は窓の外を見た。枕元にある時計を手にとって、月明かりを頼りにアラームの時間をセットする。

 小さな頃から使っているせいか、その時計だけが妙に子供っぽくて、月明かりに照らされたせいで余計に際立ったようにも見えた。

「ごめんね母さん、心配かけて。母さんの言う通り、明日こそ倒れないように今日は早く寝るよ」

「………あまり、無茶しちゃダメよ」

「うん……わかってる。おやすみなさい」

「……おやすみなさい」

 と、なぎさはもう一度秋川の頭を撫でて腰を上げた。

 秋川に背を向けて、部屋を出ようとして。

「ねえ、桜」

 首だけを回し、肩越しに自分の娘を見る。

 ドアノブに手を掛けながら、独り言のように呟いた。

「自分がわからなくなったら、過去を振り返るか、今を見なさい。そうすればきっと答えが見つかるはずだわ」

 ぱたん、とドアを閉めてなぎさの姿が部屋から消えた。

 部屋に残ったのは秋川と、よくわからない虫の鳴き声だけ。

「………、」

 秋川は数秒ほど行動を停止させ、その後ゆっくりとベッドに倒れた。

 枕に頭を預けながら、カーテンもしていない窓に映る月に手を伸ばす。

 ―――『大丈夫』。

 つー、と頬に何か冷たいものが伝った。

 ―――『明日の朝には、いつも通りだから。安心して眠って』

 腕を目にあて、涙を拭いながら、秋川は奥歯を噛みしめる。



「ダメだよ神谷。眠れない。眠れるわけ、忘れられるわけ、ないんだ」



 Vasílissa tou Skótous eínai pánta。

 頭に浮かぶ、その言葉。

 その言葉の意味を秋川は知っている。

 Vasílissa tou Skótous eínai pántaバシリッサートウスコトウスエイナイパンタ

 その言葉を訳すと、出てくるものは一つの単語だった。

 ―――常闇の女王(クイーン)―――。

 その言葉の意味を”覚えている”のだ。

 神谷拓海の望みとは裏腹に。

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