第一章[紅き月下の元、黒猫は歩く]―――〈7〉
〈7〉
《ぎ、ひひ》
神谷拓海が己の仲間を瞬殺したのを見たガイコツは、思わず口から声を出して笑っていた。
《ぎひひひひひひひひひひひひひひひひ!! どぉやらそこらの魔術師ではないようデスねー。”情報”によると、アナタは『教会』にも所属していないらしいじゃないデスか。魔術の総本山にも所属していないアナタにそこまでの戦闘力があるとは、予想外デしたよ》
その情報とは、事前に調べられたものではない。
『堕天人形』は、半径一〇キロ程度の範囲ならば個体同士で情報を共有できる機能がある。
その場での助言や、援助などは出来ないが、戦闘相手の武器や能力などの情報を直接戦わずとも複数の仲間へと伝達できるのである。
《神谷さん……神谷、拓海さん? ぎひ……アナタ随分オ強いようデスね。今回は『堕天人形』を三十体も用意した大規模作戦だったのデスが、まさかアナタ一人にすべてをひっくり返されるとは思ってませんデした》
そのため、少年の情報は少なからずガイコツ人形の方へ入っている。
神谷拓海が、自分を除く全ての堕天人形を一人で破壊したこと。
神谷拓海が、秋川桜へ異常な執着を見せること。
神谷拓海が、自分では太刀打ちできないほどの化け物だということ。
《ぎひひ》
だが。
それでも、相手の戦力と己の戦力を鑑みて、人形は思わず笑みを浮かべる。
《ミカエル様はどうしました? 確かアナタと戦闘していたはずデスが……》
「知らないよ。そこらへんに転がってるんじゃない?」
冷やかな微笑を顔に張り付けて、神谷拓海がこちらの方へと身体を向けた。
首元のネクタイを鬱陶しそうに緩め、足を踏み出す。
「もうアンタで終わりだよ。めんどくさいのは嫌だから、あんまり抵抗してほしくないんだけど」
そう言って目を細める神谷に、堕天人形は余裕の表情を見せた。
絶対的な戦力差だと言うのに、ガイコツは不敵に笑う。
《えぇ、抵抗はしません。悪あがきは嫌いデス。信条に反しますから》
デスので、とガイコツ人形は言葉を切った。
肩越しに後ろをちらりと見る。広い運動場の中に自分と神谷拓海しかいないのを確認する。
”すべての準備が整ったことを理解して”ガイコツは最後の手段を行使した。
《今回は、逃げさせてもらいましょう》
キュゥゥ、とガイコツの足元に奇妙な魔方陣が現れた。
黄色に輝くそれは、六芒星の中に一つの五芒星という不思議な形で、普通の魔術師の使えるものとは異なっているものだった。
『堕天人形』の印ともいえるもの。それこそが、『堕天人形』であるという証拠である。
《『空間転移能力』。長距離を移動する力を溜めるには少々時間がかかりますが、その準備もたった今、この瞬間整いました》
ガイコツ人形の、縦線と横線が直角に交差する瞳の中心に、淡く黄色い光が灯る。
徐々に輝きを増す魔方陣の光の中心で、堕天人形が薄く笑った。
《残念デしたね。こちらは勝てやしませんが、負けもしません。アナタの情報を土産にすれば、主も今回の失敗をお許しになるデしょう》
それは、今回失敗したとしても次がある、と言外に言っているようなものだ。
今日負けたことを反省し、次に活かす。さっきの赤ちゃん人形のように怒りに身を任せて格上にケンカを売るのは愚の骨頂である。
勝てなければ逃げる。
その考えは、前線で戦う『尖兵』として一番ベストなものだった。
《さようなら、神谷拓海さん。すぐに帰ってくると思うのデ、首を洗って待っておくことデス》
バカにするように、嘲笑うかのようにそう言ってガイコツ人形は天を仰いだ。
そして、魔方陣の輝きが一層に増す。人形の能力が発動し、『空間転移』が開始される。
だが、ここでガイコツ人形は一つミスをした。
それは、逃げるという行為を取ったことではない。
それは、逃げるということを神谷に宣言したことでもない。
それは、『空間転移能力』を使えば逃げられる、と思ったことである。
「逃がすと思ってんの?」
その言葉は、何故か真横から聞こえてきた。
直後。
ゴッガァァァァァン!! とありえない音を炸裂させて、神谷拓海がガイコツ人形の頭を鷲掴みし、地面へと叩きつけた。
唐突のことに能力が中断させられ、ガイコツの口から思わず声が漏れる。
《オ……がァ?》
「言ったでしょ、『ウサ晴らしさせてもらう』って。”俺の”秋川に手を出しておいてただで済むと思ったなら大間違いだよ」
ミシィ、と人形の頭に亀裂が入った。色素の薄い瞳が冷やかな視線をこちらに向ける。
《ば、バカな……むちゃくちゃ過ぎる……ッ!!》
「そんな外見してるヤツにむちゃくちゃだなんて言われたくないな……」
そんなことを言っているんじゃない、とガイコツ人形は思わず叫びそうになった。
むちゃくちゃなのは神谷の動きの方だ。
恐らくまっすぐこちらに近づいてきて地面に叩きつけたのだろうが、人形にはその動きがまったく見えなかった。
見えなかった。
そう、見えなかったのだ。
光の速度を超えている。
人間の限界を、超えている。
《こ、の……化け物め!!》
シュン、と風を切るような音が響き、人形の姿が神谷の前から消えた。
『空間転移能力』。
長い距離を移動するのには準備に時間がかかるこの能力だが、短い距離の移動ならばそれほど力を溜める必要はない。
一度体勢を立て直すために、人形は神谷から五〇メートルほど離れた場所へと移動した。
しかし。
「何度も言わせないでよ―――」
ズバン!! とそこに狙いを定めたように投擲された何かに、白銀の腕が両断された。
爆散する腕の音と重なるように人形の叫びが運動場に轟く。
《あガああああああああああああぁ!!!!》
「―――逃がさない」
バチン!! と神谷の手から火花が散った。
まさに圧倒的。
いや、絶対的と言っていいだろう。
使っているのが、魔術なのかそれ以外のなにかかもわからない。
事前の情報もクソもあったもんじゃない。
もし逃げれたとしても、ここまでの戦力差など想像もしていなかった。
これではまるで―――
《…………まるデ……? ……まさか……そんな、バカな》
そこで、堕天人形はあることを思い出していた。
五年前の魔術師と堕天人形の大規模戦争、天界戦争のことを。
『常闇の女王』の裏切りにより決着がつかなかったあの戦争を。
そこで見た、あの少年を―――
《バカな、貴様は五年前に…………死んだはずじゃ》
「……………、」
人形の目の前に、神谷が立つ。
色素の薄い瞳に、少し茶の入った髪。
五年前の少年の情報と照らし合わせると似通う点がいくつもある。
《生きていた? ぎひひ、間違いない……貴様っ》
人形の喉が急激に干上がる。
《始まりの―――》
それは、死んだはずの名前だった。
それは、忘れられない名前だった。
それは、信じられない名前だった。
《―――魔法使いッ!!!!!!》
直後、ガイコツ人形の力の源である『結晶』に、漆黒の槍が突き刺さった。
人形の中の力が外に解放され、大きな爆発が生じた。
ゴッガァァァァァン!! という爆音が運動場へと叩きつけられる。
その爆心地の中心。髪と服を爆風に揺らされる神谷拓海は、天を仰ぐ。
固有結界『紅月』が解ける。
紅く染まっていた星空が、元の色へと戻っていく。夕暮れの空も、部活動生の声も、壊れた校舎も、傷だらけの運動場もすべて元通りになっていった。
風が吹く。
完全に元通りとなった運動場には、すでに神谷拓海と秋川桜の姿は消えていた。
それはもう、幻想のように、こつぜんと。
第一章終了!!
物語も四分の一を消費しました
これからも遅筆ながらに頑張って書くので、よろしくおねがいしますね!!