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何一つ伝わってない カレン・バケンティア公爵夫人の話。


ぽんこつ公爵夫人 カレン・バケンティア

※元 カレン・フーリット伯爵令嬢


可哀想な公爵閣下 クリフォード・バケンティア公爵


物語傾向 ハピエン


「カレン。話があるんだ」


 そう声をかけられて、私……カレン・バケンティアは首を傾げながら振り向きました。

 見れば、そこには私の夫であるクリフォード・バケンティア公爵閣下が立っています。


 黒く美しい、けれども癖が強い長髪に、紫苑の瞳を持った長身の旦那様(イケメン)は、少しだけ困った様子で眉を下げました。


「どうしました、クリフォード様」

 と私が問えば、クリフォード様は逡巡し、それから「明日、時間を貰えないだろうか」と請われ、「はいもちろんです」と私はにっこり笑って答えます。

 その答えにホッとしつつも、不安そうに眉根を寄せたまま「それではまた後で」と去っていくクリフォード様を見送って、私はいったいどうしたのだろうと更に首を傾げ、それからハッと閃めきました。


「……まさか、とうとう好きな方でもできたのかしら」


「だとしたら、すぐに離縁しなくちゃ! そういう契約だものね!」と呟いて、私は公爵夫人らしくない足音を立てながら廊下を全速力で歩いて自分の部屋に向かいました。


クリフォード・バケンティア公爵に契約妻として嫁いで五年。契約の履行も済んだのでタイミングもちょうどいい。

 離縁するなら今しかないと思い込んだ私は、夜だというのに大急ぎで自分の荷物をまとめ始めたのでした。





「というわけでね、ロレンス、エミリー。ほんのちょっとの間だけでいいから、フーリット家に置いてほしいの」

「は?」

「もちろん、ずっとじゃないわ。いつかこんな日が来るって思っていたから、お茶会で知り合った奥様方にお願いして、お仕事の紹介をしてもらえるように前からお願いしているの。でも、すぐには見つからないでしょう? その間ずっと公爵家にいるわけにはいかないもの」

「まってまって、なんでそうなるの!?」

「だってそういうお約束ですもの。二人も知ってるでしょう?」


 昨夜のうちに荷物をまとめ、朝から屋敷を出て実家に戻った私がそう言うと、可愛い最愛の弟と従姉妹は頭を抱えてため息をつきました。

 思っていた反応と違っていて、私は正直困ってしまいます。この二人はきっと喜んでくれるだろうと思ったのに。


 私、カレン・バケンティア公爵夫人はかつて、カレン・フーリット伯爵令嬢と呼ばれていた伯爵令嬢でした。


 実家のフーリット家は領地持ちではない王都貴族で、代々王宮文官の地位につく品行方正な、当たり障りのないごくごく普通の貴族で、私はそのフーリット家の長女として、今から二〇年ほど前にこのディシャール王国王都にて生を受けました。

 長男が家督を継ぐことが絶対なこの国において、第一子が長女というのは持て余されがちです。

 すぐに二人目……さらに言えば弟が生まれればよいですが、生まれなければ優秀な婿を取るために教育をしなくてはなりませんし、その優秀な婿も先んじて見つけて、婚約しておかなきゃいけませんからね。

 例に漏れず、私も優秀な婿を取るために厳しい淑女教育を受け、いずれフーリット家の当主となる旦那様を支えるために当主教育を受けました。

 ええ、それは必死に。両親に甘える暇などないほどに。


 それがポーンとなかったことになったのが七歳の時の事。

 母が懐妊したのです。

 フーリット家は長男どころか第二子も恵まれず、完全に私を跡取りにする方向に舵を切っていたので、まさに青天の霹靂といった大騒ぎ。


いやいやそれでも、そんなうまく男の子が生まれるなんてないないないない。

 と、誰もが期待しすぎないようにと予防線を張った結果、生まれてきたのが最愛の弟であるロレンスです。


 王家の金髪ほどではないけれど、目を引く灰金(アッシュブロンド)の髪に、くりくりとしたエメラルドの瞳をした、赤子の頃から整った顔立ちだということが分かる、将来有望な美丈夫になること間違いなしの弟の誕生に、フーリット家は歓喜しました。

 弟馬鹿(ブラコン)が過ぎないかって? しかたないじゃない、だってロレンスは私の可愛い弟なんですもの!


 ええ、もちろん私嬉しかったのですよ。弟の誕生は喜ばしいことですし、両親も親戚も、邸のみんなも喜んでいましたから。

 ただ、それまで当主教育を頑張っていた私は、そういった教育を全部取り上げられた上に、私を構うことを忘れた両親に寂しさを覚えておりました。


 正直に言えばロレンスのことを嫌いだった時期もあります。多感な少女期ですもの、仕方がありません。

 美しく愛らしいロレンスに比べると、私はとても平凡な令嬢です。髪はまっすぐで地味な榛色で、瞳の色だって貴族にはありきたりな、ほんのり赤みがある紅茶色で、良くも悪くも華やかさがちっともありません。

 でも、そんな私に幼いロレンスは、歩き出して喋るようになると「ねーさま、ねーさま」と慕ってくれたの。


 それはもう可愛くて可愛くて、「ロレンスのお姉さまですよ」と、たくさん甘やかしてしまいました。


 両親はそんな私を見て、「カレン、そんなにロレンスに構わなくていいのよ」「いい子なカレン。もう頑張らなくてもいいんだ。何か欲しいものはあるかい? 私達と少し出かけないか?」なんて声かけてくれましたけど、「いいえ、お母様、お父様。私はロレンスが可愛くて仕方ないのです、身に着けた当主教育をロレンスに全部教えて差し上げて、いっぱい甘やかしていっぱい可愛がりますわ。だから私のことなんかお気にせず、ロレンスにいっぱい愛を与えてくださいな」ってお伝えしたのです。


 二人は少し困っていましたが、今から思えばロレンスを甘やかしすぎなことに困っていたのでしょうね。

 でもロレンスが可愛いから仕方ないですわ。


 そうして日々を過ごしていたある日、私が十五になってロレンスが八つを迎えた日の事。

 大好きな両親が馬車の事故であっけなくこの世を去ってしまったのです。


 悲しかったわ。ロレンスと一緒にわんわん泣きました。

 わんわん泣いて、そうして落ち着く間もなく当主問題が浮上しました。


 直系の男子であるロレンスはまだ八歳。当主になるためには最低でも十五歳にならないといけません。

 それまでの七年は当主不在とするにはあまりにも長すぎたので代理を立てることにしたのは当然でしたが、その代理の候補者がエミリーの父であるオルゲン叔父様でした。

 けれども、血の繋がる叔父を悪くは言いたくないのですが、オルゲン叔父様はとことん当主に向いてない方でした。


 父から三つ離れて生まれたこの叔父は、所謂放蕩息子という奴で祖父も祖母も相当手を焼いて育てたと頭を抱えながら話しておりました。何度もやんちゃを繰り返し、周囲にご迷惑をおかけし、いよいよ伯爵家を除籍してやろうかというところになって、「顔はいいから種だけ貰おうか」と婿にもらうと名乗り上げたのがヴァン侯爵家の女傑と尊ばれる、エミリーの母である、ヴァネッサ叔母様でした。

 オルゲン叔父様は半ば強引にヴァン侯爵家に婿入りして、そこでも割とやんちゃしていたそうですけど、ヴァネッサ叔母様に手綱を握られて、やがてお二人には長男のモーガンと、妹であるエミリーが生まれたのです。

 と言っても直系筋ではありません。ヴァン侯爵家はヴァネッサ叔母様の兄君が継いでいらっしゃいますからね。


 あ、モーガンは私より少し年下で、ヴァネッサ叔母様とオルゲン叔父様のいいところを併せ持って生まれた美丈夫です。ゆくゆくはヴァン侯爵家が持っている伯爵位をいただき、ヴァン侯爵家を支えるそうです。

 妹のエミリーはロレンスの一つ年上。叔母様そっくりの赤髪を受け継いだ美少女で、どちらもとってもいい子です。


 で、話を戻しますと、血筋の近さと侯爵家の婿という爵位の立場からロレンスの後見人としてフーリット伯爵家の当主代理の候補としてオルゲン叔父様が挙がってしまったのです。


 祖父が足を悪くして当主を引退し、地方に隠居してなければ、ロレンスが十五になるまで頑張ってくれたでしょうけど仕方ありません。本人が一番悔しがっていましたし、さすがのオルゲン様も一〇年以上ヴァネッサ叔母様に調きょ……いえ、手綱を握られていたのだから多少は大丈夫だろうという判断で。


 けれどまぁ、お察しいただいていますとおり、オルゲン様は降って湧いたフーリット伯爵家当主代理という立場に……はっちゃけました。

 資産を湯水のように使い、酒博打に飽き足らず、ヴァネッサ叔母様の目が届かないのをいいことに浮気。しかも連れ込み宿のように私とロレンスがいるフーリット伯爵家にお相手を連れ込むんです。ありえません。


 そして終いには、私が十七歳になった時に博打で大負けして借金をし、その返済のために私を地方の悪徳男爵に後妻として売り飛ばそうとしたんです。

 しかもヴァネッサ叔母様がお仕事で隣国へ行っている間の計画的犯行です。


 私は困りました。

 ええ、とっても困ったんです。オルゲン叔父様に任せていたらロレンスが成人するまでにフーリット家は没落します。

 オルゲン叔父様の首根っこを掴んで大人しくさせるには、どうしたらいいかと考えている時に出会ったのがクリフォード様でした。


 クリフォード・バケンティア公爵閣下。


 当時は二〇歳になったばかりで、公爵になったばかりでもあった彼は女性嫌いとして有名でございました。

 なんでも女性が大嫌いで、縁談話はことごとく断り、うら若き淑女たちに視線を向けられたら、ばちりとバケンティア公爵家自慢の雷の魔法で弾いてしまうんだとか。

 さすが雷の天馬を祖先に持つ、十二公爵家の当主です。ちょっと花を咲かせるだけしかできない花魔法使いの私とは訳が違います。


 ご尊顔は王立学院時代に遠くから何度かお見掛けしていましたので知っていました。彼は私の存在すら知らないでしょう。

 だからあれはトチ狂った女の戯言と言われてもおかしくない事だったはずなんです。


「閣下、私と契約結婚しませんか!」


 あの日、紫苑の瞳が驚きで瞬いたのを、私は今でもよく覚えております。





 あれはオルゲン叔父様が「お前の結婚相手に会わせてやる」と無理やり連れてこられた夜会での出来事です。

 悪徳男爵に会ったら終わると思い、私は叔父の手を振りほどいて逃げ出すと、ヴァネッサ叔母様の甥……つまりはヴァン侯爵家の跡取りであるグラダットお兄様に助けを求めようと、会場でその姿を探していました。

 確信はありませんでしたが、グラダットお兄様は王都で行われる夜会に奥方様とよくご出席されていると仰ってましたから、きっといらっしゃると思ってのことです。


 本家であるヴァン侯爵家に叔父様が頭おかしいとお伝えし、私の結婚話を凍結させていただくのが目的だったのです。

 程なくして、グラダットお兄様が誰かと庭に出る後姿を目撃し、私はその後を追いました。


「最悪だ」

「もう諦めて、誰か適当に結婚してしまえよ。女を避けるには女を連れ歩くのが一番だ」

「愛せないが妻になってくれと? それで納得するような女はいないだろう」


 と、グラダットお兄様が誰かと話す声が聞こえ、私は脊髄反射で「はい!!」と手をあげました。


「はい! います! 契約結婚してください! ぜひに!!!」


 そう、相手も確かめずに飛び出した先にいたのがクリフォード・バケンティア公爵閣下でした。

 月に照らされたそのお姿は、とても気高い黒い天馬のように艶々として見えます。


「っ誰だ!」

「カレン!!? どうしたんだ君!」


 久方ぶりにお会いしたグラダッドお兄様に、かくかくしかじか、どうしようもない叔父様の事をお話すると、心優しいグラダットお兄様のお顔が蒼白になりました。

 グラダットお兄様は、誰もが振り返る美丈夫という顔立ちではないですが、優しく、相談すると親身に聞いてくれるお人好……心優しい方だと、王宮文官の中では有名な方で、幼い頃から婚約し、学院の卒業とともに結婚した奥様がいらっしゃらなければ、その人徳に釣り書きが高く積みあがっていただろうと言われるような方です。


 そんなグラダットお兄様が、オルゲン叔父様に振り回された挙句、悪徳男爵に売り飛ばされそうになっているという私の話を聞いて、力になってくれないわけがございません。


「許せない、糞叔父上め。カレン、ひとまず君の身柄は我がヴァン侯爵家が保護しよう」

「ありがとうございます、グラダットお兄様! けれど、閣下。バケンティア公爵閣下、どうか私と契約結婚しませんか!」


 そう言って、私はクリフォード様に懇願しました。

 必死に、それはもう全力で。


「何故そうなる」


 ぎろりと、クリフォード様は私を睨みつけました。

 その紫苑の瞳には、先ほどの驚きは消え侮蔑が宿っているように見えました。


 無理もありません。

 事情は知りませんでしたが、大嫌いな女という生き物の端くれが、あろうことか結婚を求めているのですから。


「閣下は、お飾りの妻をご所望なのでしょう? 私、幼い頃から当主教育を受けましたので、とっても優良物件だと思いますの! ご要望がございましたらお手伝いだってできますし、社交だって亡き母が王妃様のご学友だったので、当時の同級生の奥様方に気にかけていただいておりますからきっと役に立ちますわ! もちろん、そんなの不要だと言うなら、弁えてお屋敷の女主人のお仕事に従事しますし、それすらもしなくていいというなら、公爵邸のお部屋を一室頂けたら持参金の範囲内で慎ましく生活だって致します。決して閣下を煩わせるようなことは致しませんし、不要となったら離縁していただいて構いませんから!」


 ね? とお願いしましたら、クリフォード様は怪訝な顔でグラダットお兄様のほうを見やります。

 グラダッドお兄様は大げさなほどにため息をついて、「カレン」と呼びかけます。


「カレン、そうじゃない。なんで君がクリフォードと結婚する必要があるんだ」

「だってグラダッドお兄様。相手はあのどうしようもないオルゲン叔父様よ! ヴァネッサ叔母様がいない隙に、私を簡単に売り飛ばそうとする、後先を知らない、今を切り抜けることしか考えてないどうしようもないオルゲン叔父様が、ヴァン侯爵家に保護されたからって諦めると思います? 意地になって私を結婚させようとして、またろくでもないことを引き起こして、フーリット伯爵だけじゃなくてヴァン侯爵家にだって迷惑をかけるに決まってますわ」


 わたしが拳を握って力説すれば、否定ができないのでしょう。グラダッドお兄様が苦い顔されます。そんなグラダットお兄様の顔を見て、クリフォード様は眉間に皺を寄せられました。


「……そんなに酷いのか」

「我が侯爵家の不良債権だ」


 クリフォード様「そんな男、なんで身内に引き入れたんだ?」とでも言いたげな顔をしていますね。

 ええ、それはもっともなんですけど、理由を説明すると祖父の代まで遡った上に、時間の無駄ともいえるほどろくでもないので今はやめておきましょう。


「そんなオルゲン叔父様から逃げるには、とりあえず結婚してしまうのが一番だと思いますの。事情を理解できて、お飾りの妻を望んでくださる、オルゲン叔父様がぐぅの音も出ずに諦める、高位の貴族と!」


 私が頑張ってお話してるのに、グラダッドお兄様は「あーうん」とか言って、言葉を選んでます。……もしかして適当に聞いてます?


「フーリット伯爵令嬢」

「はい、バケンティア公爵閣下」

「私は確かにお飾りの妻を求めているが……」

「はい! 承知してます!」

「……聞きなさい」

「あぁすみません! 私、すぐに喋ってしまって。閣下のお言葉を邪魔する気なんてないんですよ!」


 慌てて言い訳しようとする私の口に閣下が人差し指を当てて「しぃっ」と呟きます。

 黒くて美しい癖のある長い髪に、蠱惑的な紫苑の瞳がとても色っぽく見えて、世の貴族令嬢が彼を放っておかない理由が分かった気がします。


「話し終えるまで黙れるね?」


 と、低い声で囁かれて、私はコクコクと頷きました。

 クリフォード様は私が大人しくなったのを確認してから、ふぅとため息をひとつついて話を続けます。


「私は確かにお飾りの妻を求めている。女というものを愛する気はないし、跡継ぎだって養子をとればいいと考えている。貴族令嬢としての幸福を、お飾りの妻には一切与えることができない。我が親友であるグラダッドの従姉妹と結ぶにはあまりにも無体な仕打ちだ。君はそれを望むと? 若い君に、愛も何もない結婚を強制するなど、たとえ俺が女が大嫌いだと言っても、さすがに罪悪感が募るのだが」


 クリフォード様にそう問いかけられて、私は目を瞬かせました。ちらっとグラダッドお兄様を見遣れば、諦めたように「好きに言いなさい」と言われるので、「閣下、お話をしても?」と、許可をとります。どうぞと手で指し示されますので、私はコホンと咳ばらいをしました。


「お気になさらなくていいのですよ閣下。確かに私も女ですから、亡き両親のように仲の良い夫婦に憧れていないわけではないですけれど、今となっては愛する弟がフーリット伯爵家を継いで立派になってくれるなら、そのための政略結婚の一つや二つ、三つだろうと四つだろうと構わないって思っていましたの!」

「一つや二つはまだしも、三つも四つもはダメだろヴァネッサ叔母さまが許すもんか」

「そもそもヴァネッサ叔母さまが選んだ方なら、安心して嫁いでますわグラダッドお兄様。嫁ぎ先がなかったとしても、王立学院ではこれでも成績優秀者でございましたから、伝手をたどって住み込みで家庭教師をしたり、地方都市で教師をしたりして独り立ちして暮らそうと思っていましたので、政略結婚だろうと契約結婚だろうと大して変わらないと思いますの」


 力強く言えば隣でグラダッドお兄様が「変わるだろぉ」と蚊の鳴くような声で言った気がします。

 多分気のせいですね! なんか両手で目を押さえて上を向いていますし!


「閣下、弟が叙爵されて伯爵位をあのろくでなしのオルゲン叔父様から取り上げるまででいいんです。そうしたら離縁はいつだって受け入れますし、貴方様が愛したいと思う方見つかったなら、ご説明したうえでちゃんとお別れします! 信頼は寄せますけど、恋慕の情は決して持たないと誓いますから! 書面を用意していただければ全力でサインしますから!」

「ひどい目に合うと分かっていて、それでも結婚すると?」

「まぁ、何故ひどい目に? 閣下は女を虐げる趣味がおありなんですか?」

「あるわけないだろ」

「なら問題ございませんわ! こうして気遣ってくださる閣下が、契約違反しない限りは理由もなく妻を冷遇するだなんてありえませんもの」


 にっこり微笑んでそう言えば、紫苑の瞳がきょとんとして、それが大層可愛らしいような気がして私はますます笑ってしまいました。





 さて、そう言うわけで私はあっという間にクリフォード様の妻となりました。

 クリフォード様は、一度お飾りの妻を迎えると決めたならちゃんとなさる方だったようで、夜会で出会った素朴な私に一目惚れして求婚したという物語と共に迎えてくださいました。

 花嫁修業と称してオルゲン叔父様が好き放題していたフーリット伯爵家から連れ出してくださり、私の結婚式で断罪してくださった結果、オルゲン叔父様はいまや監視付きで鉱山にて労働なさっております。

 愛する弟ロレンスは、そのすったもんだの最中に相思相愛だったエミリーと婚約し、結婚。昨年フーリット伯爵として爵位を継ぎ、祖父の代から支えてくれたみんなと一緒に、若き伯爵として活躍しているので、そう……今こそ離縁すべきなのです。


 という話を、私は弟夫婦相手に懇々とお話したのです。

 けれども、弟のロレンスは「姉さま……」と呆れた顔をしますし、従姉妹で弟嫁のエミリーには「信じられない」なんて言われます。


「カレン義姉さま。あんなに! あんなにクリフォード義兄様に愛されてて、そんなこと言えるなんて!」

「まぁ。二人は知ってるでしょ。私たちが契約結婚だって」

「ええ、知ってるわ! 契約結婚だって知って、荒れに荒れたロレンスとクリフォード義兄様の決闘を見ましたもの!」

「あの時は大変だったわよね。冷遇なんてちっともされてないし、私はバケンティア公爵家の公爵夫人としての仕事をとっても楽しくこなしていたから、心配しないでって何度も言ったのに、ロレンスったらとっても怒ってしまって」


 思いだしたロレンスがとっても可愛かったなぁと、くすくす笑ってしまったら「笑い事じゃないんだよ!!」と怒られてしまいました。確かに失礼だったわね、ごめんなさいと謝れば「そういうことじゃないんだよ!!」とやっぱり言われてしまいます。


「もーーーー! クリフォード義兄様は何してるんだ!! 馬鹿なの!? 馬鹿なのか?」

「そんなこと言ってはダメよ、ロレンス。不敬だわ」

「これが言わずにいられる? あんな決闘迄したのに、こんな……こんな……馬鹿じゃん!!」


 ロレンスはぷりぷりと怒りながら部屋を後にしました。

 まぁ私だって、新婚の弟夫婦に迷惑かけたくなかったけれど、頼る先がここしかなかったんだもの。そんなに怒らなくていいじゃないと悲しくなってしまうわと、エミリーに話せば「カレン義姉様正気ですか?」って言われてします。

 ひどいわ。私はいつだって正気で本気なのに。


「クリフォード義兄様はカレン義姉様を第四王子と取り合って、決闘したことだってあったし!」

「あれは王妃様が私のことを気にしてくださったのを、殿下が勘違いして気を利かせた結果でしょう? 貴族令嬢を揶揄うのがお好きな方ですもの、クリフォード様は教育的指導をしただけだって」

「クリフォード義兄様を狙っていた駄令嬢達に義姉様が意地悪された時も、義姉様の美貌と頭脳に酔いしれた駄令息どもの前では率先して義姉様とイチャイチャして牽制してましたし!」

「演技がとってもお上手でいらっしゃいましたよね! とってもドキドキして騙されてしまいそうでした」

「騙されてないよ本気だよ!!!!」

「まぁエミリー。大声なんてはしたないわ」


 めっ! と窘めれば、エミリーは両手で顔を覆い机に伏せる勢いで俯きました。

 叱ったのがそんなに悲しかったのかしら? でも淑女たる者大声をあげるのはよくないわ。


「かわいそう。クリフォード義兄様可哀想」

「そうねえ、早く離縁してあげないと」

「ほんっと可哀想!!」


 くすんくすんと泣くエミリーを慰めていたら、ぷりぷり怒っていたロレンスが帰ってきました。

「可哀想なもんか」と怒ったままどっかり座って、悪態をつきます。


「五年も一緒に暮らしてれば、姉さまがこうだって分かるだろ! あんな決闘迄して啖呵切ったくせに、本人にちっとも伝わってないなんて、公爵の名ばかりのヘタレじゃないか!」

「ヘタレだなんて! 確かにそうかもしれないけど、あんなに溺愛してて何ひとつ伝わってないなんて可哀想でしょ!」

「さすがの姉さまだって、愛してるって言われたら分かるはずだ。それすら伝えもせずに現状に甘えててこのザマなら、同情の余地なんて一つもないだろう!」

「二人とも落ち着いて! 私の為に喧嘩しないで! 二人に迷惑なら、私すぐに出ていくから」

「「絶対出て行かないで!!」」


 まぁ、二人の声が揃ったわ。

 とっても仲良しでお姉さま嬉しい。


「義姉様、クリフォード義兄様に愛してるって言われたことないの?」

「まぁ、あるわ」

「あるの!!?」

「ええ、王妃様に契約結婚について問い詰められた時に「妃殿下、はじまりはどうであれ今の私はカレンを誰よりも愛しております」って。そのあと演技で口づけされたのは驚きましたけど、クリフォード様はやっぱりとっても演技がお上手なんだなって……」

「ほらみなさい! ロレンス! クリフォード義兄様可哀想でしょ!!」


 ちょっと涙目になりながら、エミリーがロレンスに詰め寄りました。

 新婚夫婦の喧嘩は、どうやらエミリーの勝利に終わったようで、ロレンスは「ごめんクリフォード義兄様」と言いながら突っ伏してしまいました。可哀想に。



 そんなことをしていたら、突然騒がしくなりました。

 ドタドタと足音が聞こえ、ノックも何もなく私達がいる部屋の扉が大きな音を立てて開かれます。


「カレン!!」


 と、焦った様子で私の名を呼んだのは、私の旦那様であったクリフォード・バケンティア公爵閣下です。

 髪は乱れ、汗をかき、息を切らしてそこに立っていたクリフォード様は私の姿を見て、ほっと紫苑の瞳を細めます。


「カレン、……どうして離縁届なんて」

「は?姉さま離縁届を置いていったの?」

「え? だってお別れするのに離縁届は必要でしょう?」

「君は僕と別れたいのか!!」

「だって別れないと、クリフォード様はお好きな方と結婚できな……」

「わぁぁあああ義姉様! 黙って義姉様!!」

「エミリー嬢、これは夫婦の話し合いだ! 邪魔をしないで……」

「うるさい馬鹿義兄様! 現状だと話あっても誤解しか生まないのよ!!」


「まぁエミリー! 公爵閣下に馬鹿だなんて不敬だわ!」という私に窘めを無視して、エミリーは私に詰め寄ると「あとでたっぷり怒られますから、一〇分……いや、五分そこで大人しくお茶を飲んでてくださいまし!」とだけ言うと、クリフォード様の手を取ってロレンスも交えてコソコソ話をはじめました。


 私が大人しくソファに座りなおしてお茶を飲んでいると、時折「は????」だとか、「そんなバカな」とか「嘘だろ」なんて、クリフォード様の声と、「ごめん、義兄様、ごめん。うちの姉が本当にごめん」なんてロレンスの泣き声聞こえる気がします。

 私、ロレンスが謝らなきゃいけないようなことしてしまったのかしらと、不安になってしまいます。


 やがて顔面蒼白になったクリフォード様が、私を何とも言えない顔で見つめます。


「まぁ、クリフォード様……とっても顔色が悪いわ」

「いや……自業自得とは言え、まさか何も伝わってないとは思わなくて」

「具合が悪いなら早くお邸に帰った方がいいわ。新しい奥様だって心配なさ……」


 私の言葉は、最後まで言わせてもらえませんでした。

 いつだったかの時のように、私の唇にその指をあてて「黙って」と言われてしまい、私は思わず言葉を止めます。

 そんな私を見て、クリフォード様は少しだけ困ったように微笑むと、その唇をちゅっと私の唇に重ねます。


 ……やだ、ちょっとまってください。

 舌! 舌が入ってきました!

 やだやだ、なんで、息できない!


 驚きすぎてトントンとクリフォード様の胸をたたきましたが、クリフォード様はちっともやめてくれず、むしろ逃がさないとでも言うように、さらにぎゅっと抱きしめて私の頭を撫でてはさらに深く舌を差し込まれます。

 逃げる舌は絡めとられ、くちゅくちゅという厭らしい音が頭に響きます。

 初めての経験に頭がぐるぐるして、気持ちが良くて何も考えられません。


 どれだけの時間そうしていたか分かりませんが、やがて名残惜しそうに唇が離れました。

 ようやくの想いでクリフォード様と名を呼べば、クリフォード様は優しくけれども困ったように笑うと、私の頭を撫でながらもう一度抱きしめます。


「別れない、別れないよ。君にその気があろうとなかろうと、いまさら手放すなんてできない」

「……お好きな方ができたのでは?」

「できたよ、君という好きな人が」

「……?」

「首傾げないで」


 いつの間にか、部屋の中には私とクリフォード様しかいらっしゃいません。

 二人きりなのに、なんでこの方は演技をなさっているのでしょう。


「演技じゃないから、本気だから」

「だってクリフォード様は女性嫌いじゃないですか」


 クリフォード様の女性嫌いは、幼少期に御母上から受けた性暴力が原因です。

 クリフォード様の母君はクリフォード様の父君を愛するあまり、生まれたクリフォード様に愛する夫と同じものを求め、気が狂いました。

 お父上が気が付いた時には、言葉にできぬほど悲惨な状態で、クリフォード様は女性を見ると吐き気を催し失神してしまうほどだったのだとか。

 母親と離れ、領地で療養するうちにだいぶ状態は良くなったそうですが、女性から恋慕の情を向けられると当時の事を思い出して気分が悪くなり、魔法まで誤作動する始末だったと言います。

 そういう意味では、恋情を向けない私は本当に都合がいいお飾りの妻でございました。

 そんな彼でございますから、私への愛してるの言葉はとても上手な演技だと疑ったことは一度だってありません。


「そうだよ。私は実の子供相手に恋情を求め、性をもとめた母と同じ女というものが、死にたくなるほど嫌いだった。けれども君はそうじゃなかった。お飾りの妻で、愛さないと言ったのに、君は公爵家の為によく働き、領民や孤児院の子供達にも良くしてくれた」

「……公爵夫人のお仕事は契約内容に含まれておりましたので?」

「母はそういったことはちっともしてなかった」

「義父様が本当に罵倒してましたものねぇ」

「私が風邪をひいた時、看病してくれただろう」

「お加減が悪い時は当然でしょう?」

「その当然を、私はずっと知らなかった」


 ぎゅうっと、抱きしめる力が強くなります。

 私の頭を愛しそうに撫でて、艶めかしい吐息が耳に聞こえます。


「君を愛していると気が付いてから、ずっとどうしようか悩んでいる間に弟君にバレて、第四皇子にちょっかいを出され、王妃にも叱咤され……」

「クリフォード様! 尊称! 殿下達には様をおつけになって……」

「そんなのどうだっていい」


「決闘に勝利し、君を狙う男共も、君に嫌がらせする女共にも牽制し、君にちゃんと愛していると伝えて、仕事を改革して君と愛を深める時間ができるよう調整をしてようやく……、ようやく夜一緒に過ごしてほしいと希おうとしたのに……まさか、君に何も伝わってないなんて」

「……だって契約書が」

「まだ言うのか!」


 クリフォード様はそう言って、今度は咬みつくように口づけなさいました。

 今にもがるがる唸りそうですが、ご先祖様は確か天馬だったはずです。 

 呼吸困難に陥りそうなほどに口づけられる中、そんなことを考えながら甘んじて口づけを受けます。


「……もう分かった」

「はぁ、はぁ……はい?」

「邸に帰ろう」

「……はぁ?」

「邸に帰って、君が私の愛を理解するまでたっぷり愛し合おう」

「え?」

「我が天馬の一族は愛情深く、重いと有名だ。一昼夜でも足りない、そのために二週間も休みをとったんだ。たっぷり分からせてやる」

「旦那様???」

「今までの契約は破棄して、新しく契約を結ぼう。君を生涯愛し続けると、一番上に大きく、誰にも消せぬようにはっきりとした契約書を交わそう」

「……えっとぉ」

「跡継ぎは養子をとろうと言ったが、神が授けてくれるなら俺は君によく似た君との子が欲しい。できるまで永久に愛し合いたいし、たとえ授からなくとも俺の愛は変わらない」


 ……紫苑の瞳が据わっていませんか、旦那様。

 もしかして、もしかしてなんですけど……。


「もしかして旦那様、私の事愛していらっしゃったりします?」

「だからずっとそう言ってるだろう!!」


 このあと、弟夫婦に生暖かい目で見送られ、公爵邸に戻った私は、生暖かい目で邸の皆様に迎えられ、それはもう長い長い時間をかけて旦那様に分からせられました。


 私って、とっても愛されていたんですねぇ。

 全然知りませんでした。




 私の妻。かつて、カレン・フーリット伯爵令嬢と呼ばれていたカレン・バケンティア公爵夫人は、私の妻でいるのがもったいないほど美しく可憐で、頭脳明晰な美少女である。


 幼少期はフーリット伯爵家を継ぐ者として英才教育を受け、弟が生まれた後は王立学院に通い優秀な成績を治め、ご両親が急な事故で亡くならなければ、高位貴族の誰もが妻に望むほどだったと、彼女の従兄弟で私の親友のグラダッド・ヴァン侯爵令息は語る。


 そのことを知らぬのは本人だけで、彼女は未だに自分は平凡で地味な伯爵令嬢だったし、平凡で地味な公爵夫人だと疑わない。


 変な男に捕まるのを防ぐために、後見人に女傑と名高いヴァネッサ様を立てるくらいだ。私との結婚だって、彼女は私が難なく設定したと思っているが、その裏ではヴァネッサ様の許可を得るのにどれだけ努力を重ねたか。


 女嫌いの私が彼女を手に入れるためにどうしてそれだけ努力したのか、疑問に思う者もいるだろう。

 はっきり言って、一目惚れだった。

 

「閣下、私と契約結婚しませんか!」


 と、紅茶色の瞳を煌めかせて強請る姿に、生まれて初めて恋に落ちた。

 それでも長年女嫌いだった自分だ。その想いを素直に肯定することができずいたのに、気取らず俺を友人として接してくれるその気遣いに、公爵としてではなく一人の人間として優しくしてくれるその姿に、二度目の恋に落ちて、気がついた。

 彼女を愛し、愛されたいと。


 幼少期のおぞましい経験から、人として何かが致命的に欠けていた俺は、彼女に人を愛し想うことの幸福を教えてもらったのだ。


 弟君に決闘を挑まれ「姉を幸福にする覚悟もないくせに」と言われ、「幸福にしてみせる」と誓いを立てた。

 彼女を狙う令息どもを蹴散らし、俺の妻の座を狙って彼女に嫌がらせを繰り返す性悪令嬢どもを駆逐し、彼女の優しさと美しさに気が付いた第四皇子に渡してなるものかと、教育的指導をはかり、彼女の亡くなった母君と親友だったという王妃にも啖呵を切った。


 愛していると、ちゃんと伝えたつもりだった。


 なのに、何一つ伝わっていなかったなんてと、頭を抱えることになるなんて思わなかった。

 言葉を惜しんだつもりはなかった。

 言葉と同じだけ行動もしたつもりだ。


 それでも足りなかった。

 何一つ伝わっていないのは、初手を間違えた自業自得と自覚しよう。


「カレン、愛してるよ」


 あれから数年。腕の中に三人目の赤子を抱きながら、最愛の妻は紅茶色の瞳を細めて言う。


「まぁ、クロフォード様。貴方が私の事を愛していらっしゃいますこと、私一番わかっていますよ」


 どうにか得た幸福を、私は未来永劫手放すことは無いだろう。


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