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月に一度の領主家での仕事をこなすためいつものように屋敷に戻ると、家の雰囲気に違和感があった。何が変わっているという訳でもないのだが、クリフォードやアンナをはじめ、屋敷の使用人に妙なよそよそしさを感じた。
甥のダレンはこの夏休みにまだ領に戻っていなかった。気にかけなかったのがよくなかったのだろうか。しかしダレンくらいの年なら、学校の友人に誘われてどこかに出かけることだってあるだろう。王都の学校は勉強だけのために行っているのではない。交流もまた大事な経験だ。
執務室の机の上には、いつものように積み重ねられた書類があった。
その手前のスペースに封筒が置いてあった。手に取ったが、送り主の名はなかった。
「この手紙は?」
ルパートの問いに、クリフォードは
「奥様からです」
と答えた。
「…奥様? …ああ、ホーソンから頼まれた…。何て言ったかな」
自分の妻の名でありながら道端の花の名でも聞くように普通に尋ねられて、クリフォードは言葉が出なかった。しかし主人の問いに答えなければ。ゆっくりと呼吸を整え、答えた声はいつもより小さくなった。
「ルビア様です」
「今どこに?」
「いらっしゃいません」
いないといわれてもなおルパートの反応は薄かった。ちょっと出かけていると思っているようだ。
「約束の二年が過ぎ、お屋敷を出て行かれました」
それを聞いて、ルパートは自分から提案した契約を思い出した。
「ああ、そうか。二年の約束だったな」
二年間、一度も会わないままだった。いつの間にそんなに時間が過ぎたのだろうと思いながら、ペーパーナイフを取り出し、封筒を開けた。
裏庭に植えてある草は、レイベ草という薬草です。
種ができるまで抜かずに植えたままにしてほしいです。
花の後は種を集めて、納屋の薬草と一緒に
街の薬師のドーンさんという人に渡してください。
中にも署名はなかった。手紙を書き慣れているようには見えず、字はあまりきれいではなかったが丁寧に書かれていた。その短い文をもう一度、さらにもう一度読み直し、ルパートは手紙を握りしめたまま裏庭に走った。
裏庭は青かった。
庭の草の四分の三は既に刈り取られ、残った株には青い花だけが咲いていた。
レイベ草はこの国の中央から南部に広く自生し、呼吸器系の病によく効く。ラスール風邪が流行してからよく知られるようになった薬草だ。
しかしレイベ草から作る薬には当たりはずれがあった。その原因は花の色にあると、どこかの薬問屋が言っていた。青い花をつけるレイベ草が多いほど薬効が高いが、花が咲くと薬効が落ちる。だから花の前に刈り取り、種を取るために残した花の色の割合で効き目を推測するのだと。
目の前に咲いている花は青一色。もしこれが手紙に書いてある通り本当にレイベ草なら…。
後を追ってきたクリフォードに、ルパートは尋ねた、
「これを植えたのは、…彼女か?」
クリフォードはゆっくりと頷いた。
「はい。奥様がお世話されていました」
「彼女は、出て行ったのか」
「はい」
「いつ」
「一週間ほど前でございます。離婚の手続きも既に済ませております」
契約結婚をして二年と一週間。世間でいう結婚記念日など覚えてはいなかった。妻にした人の名前さえも覚えていないくらいだ。
会ってみたい。会って話を聞いてみたい。
レイベ草を知っていた理由を。青いレイベ草だけを見分けて植えたのか。花の咲く前に刈り取ってあるが、薬草を育て慣れているのか。それとも薬師なのか。ドーンに薬草を託した理由は? どうやって知り合ったのか? …
聞きたいことはたくさんあった。しかし追いかけるにもあまりに遅すぎた。
「どこに行くと言っていた?」
「存じておりません」
クリフォードの返事はいつになくそっけなかった。
「契約結婚の報酬も辞退なさいました。…ここにいる間、ダレン様のお話し相手になり、励ましてくださいましたが、それは契約違反だからと」
学校に行く半年ほど前からダレンがかつてのような笑顔を見せるようになっていた。学校に行くのが楽しみなのだろうと思っていたが、それだけではなかったのだ。
報酬に金貨五十枚。軽く書いた金額は、借金を抱えた田舎の町医者には簡単に準備できる金額ではなかった。もし請求されていたら、領の金を借りるか、どこかで借金するしかなかっただろう。
名家の令嬢の結婚相手に手を出す質の悪い女だと聞いていた。女なんてみんなそんなものだと思い込んでいた。薬のために、領のために、無理をしてでも自分さえ我慢すれば、自分さえ…
自己犠牲は、独りよがりだったのだろうか。
風が青い花を揺らしながら通り抜けた。




