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赤い花、青い花  作者: 河辺 螢
第四章 薬草研究所
42/53

4-14

 ダレンが卒業した翌日、ルビアはいつも通り出勤した。

 朝の植物の世話が終わった頃、所長に呼ばれて所長室に行くと、次の仕事を紹介された。


 北部薬草研究室の研究員。

 北部地方の薬草の調査と、薬師や薬草農家への聞き取り調査、北部にない薬草の生育実験、薬草に関する相談受付、…などなど。ルビアにとってやりがいのある仕事が並んでいるが、この研究所の正式な研究員でもないルビアに回ってくるような仕事とは思えなかった。

 そもそもこんな研究室、聞いたことがない。北部と言っても広いがどこにあるのだろう。

 所長は自身が書いた紹介状を手渡しながら、悟ったような顔をしていた。

「詳しいことは雇用主に直接聞くといい。残念だけど、君には逃げ道はないと思うよ」


 タイミングよくドアが開き、所長から受け取ったばかりの紹介状は次の雇用主がルビアの手から引き抜いた。

 ルビアは驚きのあまり声が出なかった。

 封筒を手にしていたのはダレンだった。もう学生ではないその姿は大人びて、自分より年上にさえ見えた。つけているタイピンはルビアがプレゼントしたもので、柔らかにまとめたクラバットは今流行の華やかなものではないが、上品でいい品だった。

「領をあげて歓迎するよ、ルビア」

 ダレンは笑顔を向けていたが、この話を断ることを許さない圧を感じた。

「まあ、ごゆっくり」

 所長は少しにやつきながら席を外し、部屋には二人だけが残った。



「あの、…この北部薬草研究室って、実在するんですか?」

 はなから疑うルビアに、ダレンはいつもと変わらぬ調子で笑顔を見せながら答えた。

「去年から人を集めてるんだ。場所はうちの家の一室だけどね。ほら一階に使ってない部屋があっただろ?」

 二年間暮らしたあの館の中にあるという研究室。ほぼ詐欺のように思えてきた。


「レイベ草の育成は順調だけど、レイベ草のことを相談できる人がいなくてね。レイベ草に限らず、薬草のこととか薬や香料の開発とか、いろいろ話し合う場所が必要になって部屋は提供したものの、頼れる人がいないんだ。みんなにも、…僕にも」

 ダレンはルビアの手を取ると、その場に片膝をついて恭しくルビアの手をとり、甲に口づけをした。

「一緒に領に来てほしい。今度は年限はない」

 そのしぐさから、ダレンが欲しているのが研究員だけではないことは明らかだった。


 真剣な、熱いまなざしで見つめられ、ルビアは戸惑った。

 学校を卒業したばかりの、自分よりずっと若い人。しかも領主になる人なのに。

 …たぶらかしてしまったんだろうか。

 たとえダレンが自分を望んでも周りが許さないだろう。受け入れられるはずがない。かつてクリフォードに言われ、自分でもわかっていた。身の程知らずだと。

 それなのに、触れられている手が熱い。手を通して体全体に熱が広がっていく。


 断るなら、一番効果のある理由を言わなければ。

 ルビアはずっと秘密にしていたあの事を口にした。

「私は、…一度結婚して、離婚してるの」

「知ってるよ。叔父上とだろ?」

 重い理由だと思っていたのにあっさりとかわされた。少しも驚いていない。いつから知っていたのだろう。

「叔父上には感謝してるんだ。君を領に導いてくれたおかげで僕らは巡り会えた。妻にしながら見向きもしない、あんな扱いをされて君には屈辱だったかもしれないけれど、僕は叔父上が君に無関心でいてくれてありがたかった。叔父上が君を気に入っていたら、僕はこうして君に結婚を申し込むことなんてできなかった」


 はっきりと言われた「結婚」の言葉。ほのめかされていたのはわかっていたが、いざはっきりと言葉にされると、言葉の重みに動揺を隠せなかった。

「け、結婚って…、それは、私では、…無理です。周りの人だって反対します。こんな年上で、身寄りもない平民なんて…」

「誰も反対できないよ。反対なんてさせない。決定権を持つのは領主である僕だ。学校を卒業した今、もう領主代理だって必要ない」


 領主代理。ルパートが領主ではなく領主代理だったことをルビアは今の言葉で初めて知った。しかしそう言われると、ルパートの行動に納得がいった。

 領主としての仕事は他人任せでサインをするだけ。対応は場当たり的で本気で領のことに取り組もうとしているとは思えなかった。それに領主なら契約だろうと自分のような平民との結婚を安易に引き受けはしないはずだ。


「叔父上は領に興味がないんだ。両親を亡くしたばかりの僕を領主にし、自分は代理人として溜まった書類を片付けて領の運営を手伝っていた。僕が大きくなるまでの我慢だと自分に言い聞かせて、あくまで手伝っていただけ。役人が作った案を承認するだけで、自分の仕事だと思っていない。あの人が月に一度僕に会いに来たのもちゃんと育っているか確認していたにすぎない。野菜や薬草の出来を見ているのと同じだ」


 ルビアが初めて会った頃のダレンは笑うことを忘れた少年だった。両親を亡くし、身内である叔父は家に居つかず、家令はよそよそしかった。屋敷の中で家庭教師と一対一で学ぶ毎日。素直で真面目な少年は大人たちの期待に応えようとしながらも孤独に飲まれ、笑うことを忘れ、道を見失っていた。


「屋敷の誰もが僕を遠巻きに見ているだけだった。クリフォードだって僕の気持ちより叔父からの指示を優先していた。執事とはそういうものなんだろう。だけど君は叔父への忖度はなく自分の意思で僕に接してくれた。僕が寂しくないように声をかけ、勇気づけてくれた。君がいると一人じゃないって思えた。楽しいって気持ちを思い出したら、すくんでるだけの自分が嫌になった。大人に言われたことだけをやるのはやめることにした。先生に知りたいことを聞いて、執務室の報告書を読んで、家に来る役人たちに話を聞いて、時々家を抜け出して街にも行った。学校に行ってからも領のみんなと連絡を取り、王都でも僕にできることをやってきたつもりだ。僕が変われたのは、君がいたからだ」

 ダレンはルビアの手を自分の頬に寄せ、その掌に唇を落とした。

 手にかかる息と自分を見つめる目に、心臓がはじけるのではないかと思えるほど鼓動が暴走した。それなのにされるがままダレンの向ける思いを感じ、自分の想いをも強く感じていた。

 その思いのまま、ダレンが絡めた指を握った。


「君ならきっと『同年代の女の子に興味を持て』と言うだろうから、一応勧められた見合いも受けたけど、君より興味を持てた人はいなかった。やっぱり君がいい」

「でも」

「平民の出っていうのも却下。オーウェン所長がアッシャー家に家名を名乗る許可をもらっただろ? 男爵家の一員とまではいかなくても、ゆかりのある人だと名乗っていいということだ。平民であることに難癖をつける奴をかわすには充分だよ」


 ルビア・アッシャー。所長が所報に載せた名前。所長にそう名乗っていいと言われ、祖父と同じ家名を名乗れて喜んでいたが、安易に名乗れるわけがない。所長が許可を取ってくれていたからこそ名乗れた名前。祖父とルビアをつなげるために所長が動いてくれていたのだ。


「そもそも僕は結婚相手の家に爵位なんて求めてない。今の北邱の領は援助なんて必要ないし、下手に援助なんて受けたらこれから僕らが生み出す利益を持ち去られてしまう。僕は領の利益は領のみんなと分かち合いたいんだ」

「…」

「その中には君もいる。君にもいてほしい。一緒に…、一緒に戻ろう、ルビア。僕らの領に」


 戻る。一緒に…

 それは、叶えていい願いなのだろうか。

 自分を知る人達のいる場所に、馴染みの街に、ダレンのそばに、いることは許されるのだろうか。


 穏やかな笑顔で、急かすことなくルビアの答えを待つダレン。

 いつもこうして待っていてくれる。嫌なことならためらうことなく拒否できるのに、決意に時間がかかってしまうルビアが自分自身で答えを出せるまで。


 ルビアは、小さくこくりと頷いた。

「…、はい…」

 それこそが所長の言っていた、元々ない「逃げ道」を自ら塞いだ瞬間だった。


 ぱああっと花が咲くように笑ったダレンは、ルビアを抱き締め、ルビアの唇に軽くキスをすると、戸惑うルビアに隙を与えず持ってきた書類を机の上に積み上げた。

「じゃ、明日までに荷物をまとめておいて。あといろいろ手続きが必要でね、ここの退職願と、手当の請求書、薬草取り扱いの資格も出るからこれが申請書で、それから…」


 ルビアにペンを握らせると、山のような書類を前にダレンはまるで執事のようにここに日付、ここに名前と書き込む指示を出した。その中には北部薬草研究室の研究員の契約書も入っていて、すべての書類にサインし終えると、明日にはここを離れ、北邱の領に向かうことが決まっていた。


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