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赤い花、青い花  作者: 河辺 螢
第三章 北邱の領
16/53

3-1

 馬車がその日の旅を終え、用意されていた宿に着くと、ノートン氏の知り合いの男が現れた。

 斡旋されたのは仕事ではなく縁談だった。二度とジェラルドの元に戻ってこないように仕組まれたのだろう。あの金貨は支度金代わりらしく、受け取った以上は断れないと半ば脅すように言われた。自分が今どこにいるのかさえわからず、元の農園も谷の村もどっちの方角にあるのかもわからない。わかったところで戻る気もなかったルビアは、かどわかされて売り払われるよりはましだろうと従順なふりをして、とりあえず終着地まで行くことにした。

 見知らぬ土地での見知らぬ男との縁談。相手は薬屋に借金があり、縁談を断り切れなかった町医者だと聞かされた。

 男は紹介状のような封筒を手渡すと、そのままどこかに立ち去った。旅には同行しないと知って安心した。


 一度も足を向けたことのない土地への移動だったが、平民なら移動は乗合馬車が当たり前なのに貸切の馬車が手配されていた。逃げれば馭者をむち打ちにすると言われ、人のよさそうなおじいちゃんが罪に問われるのは避けたかったが、脅されなくても逃げる気はなかった。間違いなく目的地に送り届けるためだろうが、それなりにいい宿が用意され、ゆっくり休んでおいしい料理を味わうことができた。ずっと座ったままで揺れとお尻の痛さがなければこの旅がもっと続いても苦には思わなかっただろう。


 明日には目的地に着くと言われた日、最後の宿に明日会う人の代理人を名乗る男がやってきた。

 代理人から渡された手紙には、こう書かれていた。



 前略


 遠方よりはるばるお越しいただきながら、このような手紙を送ることをお許しいただきたい。

 そちらの事情は把握していないが、当方は借金のカタに結婚を余儀なくされた身である。

 お互い思うところはあるだろう。

 借金の返済は順調に進んでおり、あと二年もかからない予定だ。

 そこで、もしそちらが了承してもらえるなら、二年間は妻として受け入れるが、その後は互いに自由な身となる事を提案したい。衣食住に不自由させないことは保証する。

 ただし、

  当家のことを詮索しないこと。

  別館で暮らし、本館には極力立ち寄らないこと。

  本館に住む者と接触しないこと。

 この三つをお守りいただきたい。

 この条件を飲んでいただけるなら、二年間の結婚の後、手切れ金として金貨五十枚を提供する。

 ご検討いただきたい。


                        ルパート・バスティアン



 自分が結婚する相手の名を手紙で初めて知った。

 二年間我慢すれば金貨五十枚。平民には破格の申し出だ。

 町医者だと聞いていたが、別館があるようなお屋敷で暮らしているようだ。貴族だとしたら、ルビアは何の作法も知らないが、恐らく社交は要求してこないだろう。大人しくしていれば二年後はお金をもらえる。そのお金でどこかに家を借り、小さな畑でも耕しながら生活すればいい。

 たった二年間。

 夢のような話だ。…もし本当なら。


 借金をするような貧乏医者に五十枚もの金貨を用意できるのだろうか。もしできなくても五枚くらいもらえれば当面の生活は何とかなるだろう。金貨がなくったって二年後には円満離婚に応じよう。その後のことを考える時間は充分ある。


 少なくとも自分の「見える」目を当てにされているわけではない。それだけでも気楽だ。レイベ草がらみの勝負に負けているのだから、そこに価値は見い出されないだろう。

 ようやくレイベ草と縁のない生活ができる。それだけでもありがたい。



「お受けになりますかな」

 ルビアが手紙を読み終わるの待ち、代理人は結婚申請書と離婚申立書、それに婚姻に関する契約書を差し出した。どれにも既にルパート・バスティアンと署名が書かれていた。

「わかりました。この内容で構いません」

 ルビアは結婚申請書と離婚申立書にチラリと目を通し、わからない単語を聞きながら婚姻に関する契約書の内容が手紙で書いてある以上の要求がないことを確認し、三枚全てにサインをした。

 結婚申請書と同時に離婚申立書にサインを書くなど、滅多にない経験だろう。


 代理人は、このサインをもらうために足を運んだにもかかわらず、素直にサインに応じたルビアに驚いていた。

「私は親もいない平民です。その分しがらみはなく、結婚も離婚も自分一人で決めることができます。もしこれからお伺いするのが高貴なお家でしたら家風に合わないかもしれませんが、そこは大目に見ていただければ…」

「お気遣いありがとうございます。このような無茶な申し出を受け入れていただき、…申し訳ありません」

 代理人は書類を鞄に入れると、一足先に依頼人でありルビアの夫となるルパート・バスティアン氏の元に戻っていった。


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