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競馬雑文学その2取捨択一の命

昼時。雑多な騒音が入り乱れるファミレスに私はいる。

騒々しい人々の生活の営みで、店内は賑わっていた。サラリーマンが仕事の重圧から開放され、束の間の食事を楽しんでいる。その別のテーブルでは老夫婦が人生の晩年、麗らかな一時に、甘いケーキを添えて、孫の話に心を踊らせている。美味しいねと笑うその口元には、長い歳月に味わってきた幾多もの経験が染み込んでおり、汎ゆる事象に対する諦念と、そこから生じる安堵が浮かんでいた。そのすぐ背後の席では夫と子供の帰りを前に、束の間の休息を楽しむ主婦の集団が、ゲラゲラと日常の不満を吐き散らしていた。吐いた言葉が通路を転がりジャラジャラと鳴る。それを拾うこともなく、止めどなく次を吐き出すのは、夫と子供を想う愛情の裏返しであると、私は勝手に祈る。


扉を開けて、その鬱蒼とした騒がしさはすぐに伝わってきた。

私はその騒がしい営みを掻き分けるように入店し、店の片隅の席にそそくさと座った。すぐさまドリンクバーを注文し、ノートパソコンと競馬新聞、赤ペンを取り出し、本来温かな料理と家庭の喜びが乗せられるテーブルに無愛想に広げた。


心の中で思う。何故自ら苦しい労働に縛られて生きているんだ。こんな不景気の時代。正規社員になって誰かの飼い犬みたいに生きて、束の間の楽しみがこれか。本当に家庭が良いなら、何故ファミレスなんかに逃げ込んで、馬鹿みたいに騒いでいる。せっかく生きてきて老後に行き着いたのが、ファミレスでの時間潰しとは。世間の人間はなんて哀れなものか。


時代には時代に合った生き方があるものだ。

私は独身だが、自由である。非正規の稼ぎでも独身なら充分に贅沢ができる。非正規なら家庭にも、雇用主に魂を縛られることがない。私は最も自由かつ、気高い生き方をしているのだ。だから、ファミレスで燥ぐ大衆を哀れに思う余裕があるのである。


とても気持ちは高揚していた。道具を広げると、汎ゆる雑多な音、哀愁漂う人々の営みは私の五感に触れなくなった。テーブルに広がった数字が実態として、私の居る世界とは別の世界を表出させていた。

私は主婦の抱える饐えた人間臭い現実ではなく、これから始まるレースを視ていた。サラブレッドの筋骨隆々とした逞しい馬体が、私の見据える未来に浮かんでいた。


今日は久々の休みであった。だから何レースもやろうと思い、張り切っていた。広げた新聞でその日のレースをざっとみて、なんとなくやりやすそうなレースを選ぶ。並ぶ馬柱、予想屋の意見、数字、印。その知的な情報の集積、全てが私を至高の時間へと導いてくれる。私は違う。安いハンバーグで燥ぐ、大衆とは決定的に違うのだ。


こんな張り切っている時の未勝利戦は、怖かった。

未勝利戦は言ってみれば一度も勝ったことのない馬の“初”を当てる勝負である。どの女が一番モテるか、の予想ではなく、このモテない童貞の中で、一体誰が最初に童貞を捨てるかという、実にネガティブなレースだ。

そんなレースは気持ちが落ちるだけだと思った。競馬とは勝利に向けたサラブレッドと人々の熾烈なプライドのぶつかりあいであり、それを予想する馬券師は気高く、至高、孤高の存在なのだ。未勝利の馬などに用はないのである。


それとは対なのがメイクデビュー、新馬戦である。良く言えば希望に満ち溢れている。こちらも言ってみれば童貞、処女ばかりのレースであるが、正真正銘一度も戦ったことのない、まっさらな純粋無垢。何にも汚されていない馬。勝ちも知らなければ、負けも知らない。ただ、勝ちの希望だけを抱えてトレセンで走り続けてきた馬である。

馬主、厩舎関係者、ファンの希望を乗せていざ初戦に向かう馬たちである。しかし、逆を言えば何も根拠のないレースである。一度も走った事がないのだから、調教だってあてにならない。馬体もその大きさが大きいのか小さいのかは、一度もレースで試していないので予想まで行かない勘の域をでない。そんな新馬戦も私は千切っていく。


やるならば実績のある馬の走るレース。できれば二勝クラス以上がよい。たった一度の勝ちはまぐれの可能性もある。場合によっては新馬で勝っただけで乗り込んでくる馬もいる。一度走っていれば、それも勝ったとなれば、新馬戦よりはマシだが、マシなだけ。一度のまぐれを見抜くのも予想だが、情報は多いほうがよい。


そんなわけで、いつも二勝クラスからの参戦になる。

私は目当てのレースの馬柱を広げてうんざりする。

「なんだぁ、十六頭もいるぞ」

競馬は一等賞を争う競争である。そして5着までは特別に賞金がでるし、ファンにとっては馬券があるので三着が一つの指標になるが、競争の頭数が増えたところで、その枠が広がるわけではない。純粋に難易度が上がるだけなのだ。だから十六も馬がいて一頭だけを当てようと思うと、それは至難の技である。


溜息が出たのも刹那のこと。私の心に産まれた勝利への炎の種が、徐々に燃え広がっていた。

頭数が増えれば、それだけ意見は割れやすくなる。勝ち馬券の価値が上がるというものである。

私は一番人気に推されている馬の、これまでの経歴をざっと確認する。レースの中心になる馬の様子を知ることから、私の予想は始まるのである。簡単に言えば一番人気が勝つか負けるか、は最初の選択だと考えている。その馬のことを知らずして、予想は出来ない。

その後は一頭一頭、順々に見ていく。


一番。ほう、なるほど。この馬は人気がない。何か親近感がわくな。どんなレースをしてきたんだ。なるほど。新馬戦は負けたがそれでも頑張って未勝利を勝ち、その後は連対したりして、強力な馬に三着で食い下がったり。三歳の時はクラシックにも挑戦していたのか。でもな、分不相応だったのだろうな。その後は泣かず飛ばず。負け犬同志を集めたレースでクビ差で何とか二勝クラスに上がってきたと。厩舎の人も喜んだことだろう。ジョッキーも若手のジョッキーだったのか。最初はルメールが乗っていたのにな。よしよしわかったぞ。

「切り」


次は二番、この馬か。なるほど。地方から転入してきたのか。地方ではほとんど無双といってよい強さだったんだな。これなら中央でもやれると陣営も思ったんだろう。地方のサイトも覗いてみよう。うん、うん。確かに。ほとんど千切ってるな。これは夢見ちゃうよな。中央でも勝てるだろうって。でもこっちに来てからはなるほど。地味なレースが続いている。やっと二着に連対していることもあるけど、それだって相手が弱かったり、一馬身も二馬身もつけられて負けてる。別に強力なGⅠ馬とかでもないし、重賞でもないのに。よし、よしわかったぞ。お前は

「切り」


次は三番の馬か。ほう、なんとも有望そうじゃないか。若い牝馬だ。先行する馬か。今日なら、一番人気が後ろからいくからいい勝負するかもな。まだこのクラスに上がってくるまでそう走ってない。比較的スムーズに上がってきた馬だ。牝馬だからハンデで斤量も軽い。若い牝馬だから急に太ったり産気ついたりしてたら心配だけど、充分馬券に絡む可能性はあるだろうな。よし、認めてやろう。お前は

「残し、と」


あぁ、時間がない。と私は急ぐ。細かい戦績などは気にせず次々に予想を進めた。あまり見すぎると情がわく。競馬で最も邪魔になるのが情なのである。馬名に愛着がわいたとか、過去に勝たせて貰ったジョッキーが好きだとか、誕生日の番号だとか、調教師のコメントに気合を感じたとか。全て無駄な情報である。実績だけ。それだけが予想に唯一必要なのである。


四番、面白いが、切り。五番、オープンでこの負け方なら、切り。六番、放牧明けでこの馬体重か。調教もよくない、切り。

何事も判断の速さが重要。サラブレッドは経済動物。私達の掛け金がなければ生きていけないし、勝てない馬は馬券を買う私達に、価値はない。

七番、八番、九番、十番と切っていく。十という区切りにつくと、一息つける。

私は店員にビールを注文する。とても気分が良い。今日は思い切りがいい。こういう時の予想はよく当たるものだ。


今日は、自信を持って買えそうだと思った。アルコールは私の感情をより高ぶらせてくれる。心の火種の火力を一気に上げてくれる。切った馬の情報など、この燃え上がる炎に焼き尽くされ、瞬く間に、忘却の彼方へと消え去ってしまった。

時計を見る。出走まで時間がない。そろそろ残りの馬を切る番だ。


「ええっと。それから、十一番。

この馬は、なんだ。もう一年も勝ってないじゃないか。ずーっと掲示板の外。一体なんの為にレースに出ているんだ。馬主は何を考えているんだ。レースに出さえされば参加料がでるからと出しているのか。せめて自分の飼い葉代金くらいは走って稼いでくれよ、ということか。今の時代、競走馬は馬刺しにもできないからな。それにしたって、この馬も何を考えて走っているのだろうな。哀れなものだ。毎週、毎週、勝ちもしないのにトレセンで知らない馬の踏み台みたいに併せ馬に使われて、自分も一応はレースにでるが、結局強い馬のスターダムへの踏み台。一番で駆け抜けるその姿にしか観客は興味がないのに、もう誰も見ていないゴール板を一人で駆け抜けるんだ。その面倒を見なければならない調教師も、その勝負に突き合わされるジョッキーもたまったものではないわな。たまに偏屈な予想屋が星印とかつけてるみたいだけど、自分でも悲しくなってくるだろう。ないよって。そんなのないよって。勝つわけない。有望な若い馬の踏み台になってるだけだって。恥ずかしいから、印なんてつけないでくれって。目立ちたくないんだよって。もう隠れていたいんだって。観客に隠れて内枠でこっそり走っていたいんだって。誰がこんな馬買うんだって。馬刺しにもできない、乗馬にもさせてくれない。いつまで中央で走らせるんだ、馬主は。俺なら地方に回すけどね。それのほうがまだマシだろう。たまに連対くらい出来るかもしれない。でも馬鹿な馬主だから、それに味をしめてまた中央に戻しちゃうかもな。まぁ、馬からしたら関係ないか。どっちにしたって、自分じゃ決められないだろうからな。走りたくなくたって、走らないと生きていけないんだ。」


一人、ぶつぶつと呟いて、それから私は暫く考えて、ノートパソコンでネット投票の画面を触る。東京第七競争、複勝十一番。

「まだ、他にも切ってない馬は居るからな。でも今日だけは特別だ。複勝で買ってやるよ」

私は十一番に百円だけ投票した。

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