ロングトーン
2023年1月
阪急山本駅から北側には、兵庫県三田市へ繋がる山道が続く。国道でも県道でもない。
「宝塚市道3259号」
見晴らしも良好な閑静な住宅街。頂上付近にあるのが、
「山本山手中央公園」
この先は、中山五月台を経て、長尾山トンネルへ・・・
山本駅を越えて山手公園まで原付で。肩にセミハードケース、足元には大きいハードケース。危なくね?ってのもあの頃から変わっていないなと少し笑えた。
原付を停め、二つの楽器を持って山手公園の奥へ奥へ。とても広く、森を切り開いてもう一度木を植えたのだろうか、住宅街とは切り離された自然の防音室。
あの頃と変わらず、まずはテナーサックスから。
セミハードケースは長年同じ形をしていたからだろうか、開くのがしんどそうだった。
金色の様相は完全に燻り、茶色と、時々緑色がちらほら。
こんなに剥げてたっけ、あと緑青がでちゃってるな・・・と長年放置してしまったことを痛感する状況に圧倒されながら、スワブ(楽器を手入れするための布)で楽器を磨いた。何度か咳をしながら。
ベルグラーセンにヘムケをセットし、リガチャー(マウスピースとリードを止める治具)は革製のものを別に購入したことを思い出したほど、随分触っていなかったんだと思い知らされた。
ストラップを楽器に掛け、首に通すと、楽器の重みを感じた。
右手の親指をサムフックに。左手の親指はオクターブキーのすぐ下の台座。
「そうか、ここも金属に代えたんだ。」
左手の中指でB♭キーを押して・・・大きく息を吸い込んだ。
「もう、吹かないつもりだったんだけど・・。」
楽器を抱えたまま、大きく深呼吸をして、ある時に覚えた絶望感と不思議な高揚感を覚えながら、マウスピースを加えて、大きくゆっくりと息を吐いた。
(まずは、ロングトーン。太く、長く、真っ直ぐに・・・)
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1994年4月
「市山君、見えるかな?あの甲山の向こう、神戸まで届けるイメージで真っ直ぐに音を伸ばす。まずはこのロングトーンをしっかりやって欲しい」
石川さんのアルトサックスは、左手の人差し指、中指、薬指の三か所をおさえて、B♭の音が出る。同じサックスでも、運指(指使い)が違う。
「力づくで吹くんじゃなくて、なんて言うか、実は市山君はできちゃってるんだけど、腹式呼吸が大切。」
「腹式呼吸?」
「そう。胸じゃなくて、お腹で呼吸するの。」
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2023年1月
「喉を開いて、お腹で呼吸をする。最初は魚か何かを包丁で切り開くようなイメージしか湧かなかったんだよな・・・。」
ほんの少し思い出して、ほんの少し笑った気がした。
自分の中の良い音を大切にイメージして、音の高さ、音の太さ・・・音程と音質という簡素な言葉だけでは言い表せない音の雰囲気。一音に含まれる多くの音程、単音でありながら和音であるような・・・。
ほんの何年かぶりの何十年かぶりのロングトーンは、カフェオレ色の街の中の森の木々に語りかけるように優しく響いた。
テンポ60、2小節、吹けば2小節休み。テンポ60、2小節 また吹いて2小節休み。
正確に刻まれるDr.Beatの足跡の上に、均等に分かれた破線が刻まれる。
(ロングトーンで自分の音を作るの。まだ頭の中に市山君にとっての良い音みたいなものはないかも知れないけど、自分の理想とする音に近づけるの。)
お腹の中からサックスのベルまで一体となる感じが大事だ。
(もういいよ。十分だよ。あなたが欲しかった物は、ありましたか?)
森は語り返してくれるように、B♭に共鳴する。
どんな難しいフレーズよりも、美しいロングトーンには勝てない時がある。
一つ思い出すたび、同時に思い出したくない事も思い出すもので。
さっきからB♭一音しか吹いていないのに、いろんな音が頭の中を流れていく。
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「ホーネットの音は悪くねえ。いや、良い音だ。指導者が良いからだろうがね。海老川はテクニック重視だからなあ。もう忘れちまったんじゃねえのか。一音の大切さ。」
「わかったようなこと、言うようね。坪内君は。」
「わかったようなって・・わかってんのよ。俺は。」
プラザに吹く風もまた、薄らデカ男の音に語りかけていた1994年だった。
次回:スケールスタディ致しましょう。




