2023年1月
桜がまだ入学式の季節に咲いていたあの頃、別れというほどの別れもないまま、不意に訪れる出会いがあった。
異なる楽譜の異なるリズムが、突如としてハーモニーを織り成すことがあるように・・・
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2023年1月
「‥‥単独行動の集合体が社会であると定義出来るか否か。団体行動から自ら離れて個人行動を取ること。それもまた社会では普通に起こり得ますが、それが善とされる場合と悪とされる場合の違いとは。このあたりの議論を深めるために、まずはそもそも社会というものを何をもって定義するのかという点に論点を戻さなければなりません。」
「先生、リモートの人から黒板が見えないってチャットが入ってます。」
「あ、すみません‥」
あるとき突然に、それまで空気で繋がっていた社会は、電波で繋がることを強要した。でもそんな時間もそろそろ終了しようとしていた頃。
教卓に置いたパソコンの画面が「10:10」を表示したとき、教室にチャイムの音が響いて、今日はここまでと口元のマイクに呟いた。
「相変わらずつまんない講義だね。先生、45歳超えてまだ講師らしいよ。ズーッとなんだって。ウケるよね。」
「ちょっとリモートまだ繋がってるよ。」
教室のスビーカーから声を出すためのマイクはいつしかパソコンの中にいる学生につまらない講義を聞かせるためのマイクになり、パソコンの中の学生の質問を聞くためにイヤフォンをつけるようになって、以前なら季節毎の音や、例えば春の入学生の声や夏のセミの声、そんな季節の音にかき消されていた「残念な声」までもが鮮明に聞こえるようになった。
学内の歩道を歩いて、一限目の講義終わりの遅い朝食を買いに食堂に向かうと、横断歩道の向こう、学生会館方面から、太鼓、ベース音、管楽器、ギター…それぞれ個人練習だと思われる楽器の音が聞こえた。
「はね目のエイトビート、レッツ・グルーヴ、なんかのホンセク‥‥この唄は・・・レミオロメン?」
旧学生会館の売店で買った唐揚げを挟んだパンとブラックコーヒーを手に、体育館側のベンチに腰を掛けた。
新学生会館と旧学生会館、体育館とで囲まれた四角い空間、「プラザ」。
体育館前に置かれた複数の自動販売機の間の空間に、トロンボーンを持つ男女が4人並んでいた。
メトロノームはテンポを刻みながら、楽譜に沿ってメロディ、裏メロ、打ち込み‥その時時の役割を4人全員でこなしていく。
「先生?市山先生?」
「はい?」
振り向くと、アルトサックスを首に掛けた女子学生が私の名前を呼んでいた。
「先生は、自分の学部の学生の名前と顔を覚えてませんか?」
「あ、えーと‥」
「あのですねえ、社会学部の3回。去年、先生の講義、あ、今日の1限目の講義取ってました。と言ってもずっとリモートだったけど。学籍番号519245‥」
そこで急に、トロンボーン部隊は爆音でパート練習を始めた。
「凄い迫力だ。ただ、やっぱりびっくりしますね。」
「フフ。そんなんだから学生にバカにされるんですよ。」
急に話しかけられて、はっきりと厳しいことを言われた。
「‥‥いや、私は構わないんですよ。別に。誰にバカにされようが。そもそも、講義を取ってる100人の学生全員が興味を持つような講義というものは、実はそれほど大切な事では無いのかもしれないと思うこともあります。」
「ふーん、そんなもんですかね?まあ、なんていうか、先生、いつもつまんなそうですもんね。講義。」
「‥‥みなさんそう言ってますね‥‥」
「ううん、そうじゃなくて、なんていうか、先生の講義、先生が一番つまんなそうなんですよねえ。やっつけっていうか、どうせ誰も聞いてないんだろう‥って、何か無気力な感じというか‥」
確かにそれはそうかもしれない。いや、図星だ。
人生なんてものは目的が無ければ、気になることや心配事など何もない。
心から好きなもの、取り組みたいこと、やりたいこと。悲しいかな、人はいつもそれを最優先できない事が多い。
「先生はよくプラザでご飯食べるんですか?」
「まあ、ご飯‥というわけではなく、この場所が好きなんです。学生たちのスクランブル交差点のようなね。体育会総部も応援団総部も文化総部も、ゼミ仲間も授業サボっているだけの人も、みんなが入り混じっている。こうやって、劇団の練習や舞台美術の制作も見れますし、楽器の音も聞けますしね。あのトロンボーンはビッグバンドジャズ。さっきの曲はMomentsNotice。いやあ、激しい。」
「先生、文化系?体、大きいのに?楽器できるの?」
「ラグビーができますよ。」
「え?変なの!」
大きな笑い声がプラザの空間に広がった。
アメセル マークⅥ
リラッカーしたのだろうか。珍しい楽器を使っているな。と、少し楽器を見入ってしまった。
次回:甲山でサボタージュ