第六話 調査結果
キャロルの報告を待つ間、中西は何もしなかった。
闇雲に動いても無駄足を踏むだけだ。
彼に出来ることはただ待つのみ。
サラの無事を願いながら日々を滞りなく過ごす。
焦燥感はある。
だが自分をなだめるだけの冷静さも持ち合わせていた。
"ひょっとしたら良い家に養子として貰われたのかもしれないし"
確率的には低い気もしたがあり得なくもない。
それならそれで良いと思う。
義理とはいえ自分を見出してくれた家族は価値あるものだ。
その場合、中西は何もするつもりは無かった。
連絡さえ取らないだろう。
"俺が動く場合は"
サラが何かトラブルに見舞われていた場合だけである。
あってほしくない事態ではある。
だが残念ながらこちらの方が確率は高そうだ。
ちりちりと自分の感覚が鋭くなってゆく。
ふとした瞬間に人の気配を察することが出来る。
日常をこなしながら、中西は己を研ぎ澄ませていた。
銃職人ではないもう一つの自分の目を覚ましていく。
そしてキャロルに依頼してから6日後、小雨降る晩秋のある日のこと。
中西はキャロルに呼び出された。
場所はいつものパブである。
「先に一杯やってるよ」
中西が店に入ると、キャロルが手を挙げた。
いつものカウンターではなくボックス席である。
頷き、中西もそちらに身を滑り込ませる。
頑丈な樫の椅子がキィ、と微かに軋んだ。
「悪いな、忙しいところ」
「依頼だからね。しかも君からとあっては無下に出来ないよ。情報料は2シリング」
「安くないか」
中西は首を傾げた。
財布から1シリング硬貨を二枚、卓の上に置く。
「どうも」と言いながらキャロルがその硬貨を素早く手のうちに収めた。
じぃ、と彼女のブラウンの瞳が凝視してくる。
「今のは前払い金としてだよ。残りは成功報酬として後払いね」
「――へえ、つまり」
「そう、これを聞いたらね。ニック、君はサラさんを助け出そうとするだろうってことさ」
「覚悟はしていた」
何となく嫌な予感はしていたのだ。
軽くため息をつく。
タイミングよくエールが運ばれてきた。
ぐい、とジョッキを傾けた。
雨に濡れた体が暖まる。
ジョッキを卓に置き、中西はキャロルの視線を受け止めた。
「教えてくれ」
「うん。この用紙にしたためてきた。まずはこれを読んでほしい」
キャロルの取り出した一枚の紙を受け取る。
報告書というわけだ。
タイプライタアで几帳面に印字された文字を素早く読み取った。
中西の顔が険しくなる。
思わず舌打ちが漏れた。
「キャロルさんの調査なら疑う余地はないが、まずい事態になったな」
「君としては望まぬ調査結果だろうね」
「ああ。彼女が幸せとは考えにくい事態という意味でね」
中西はもう一度報告書を読んだ。
サラ・フォーデンの現在の状況は次のようなものだった。
『ローモント救貧院からロンドン西部のベクスリー地区に移送。
現在はその地区にある貴族の私有地内の屋敷に幽閉中。
なおこの屋敷は政財界及び貴族達の一部がよからぬ個人的趣味の為に使用している。
サラ・フォーデンはその趣味の充足の為に当該屋敷に幽閉されている模様』
意味するところは明白だった。
サラの失踪と先日キャロルから聞いた話と繋がった。
あのときの会話が甦る。
† † †
「そうなんだけどね……複数の政府の役人と貴族層が組織的に売春宿を経営してるって聞いたらどう思う?」
「組織的にってどういうことだ。売春宿があるにしても下層階級の人間の縄張りだろうに」
「売春宿というか政府管轄の娼館が近いかな。奥方には秘密の花園。ごく限られたメンバーしか入館出来ない小規模の私的娼館があるらしいよ」
† † †
つまりはそういうことだ。
ローモント救貧院は孤児に救いの手を差し伸べる慈善施設などではなかった。
立場の弱い子供を招き入れ、一部の性的好事家に引き渡すための組織だった。
"だからか"
サラと初めて会った時のことだ。
救貧院にいる割には小綺麗にしていると感じた。
あれは慈善活動の結果ではない。
商品としての価値を落とさないため、救貧院側も気を配っているからだ。
栄養状態も含めて見た目は重要である。
中西は黙り込んだ。
報告書を睨みつける。
しばし沈黙が流れた。
キャロルが「ここからは私見だけど」と前置きした。
「彼女はまだ手はつけられてはいないはず。移送してからしばらくは商品としての仕込みの期間があるらしいから。それに調査によると秘密の会合はつい二週間ほど前にあったばかりだ。恐らく次の会合までは無事だよ」
「次の会合の時期は分かっているのか?」
「もちろん。このキャロルさんの腕は確かさ。4日後だよ」
「4日後か。なら、それまでに助け出せばいいわけだな」
「言うと思ったよ」
キャロルは中西の言葉を予期していたらしい。
肩をすくめた。
「これはついでに聞くけれども」と中西に尋ねる。
「そのサラという子、その屋敷に囚われている限り一応衣食住は保障されるとは思う。自由はまるで無いだろうけど」
「それで」
「ニック、君が首尾良く助け出したとしよう。その後どうするかは考えている?」
「……いや」
「君が責任取って面倒見られるわけでもないよね。嫌みに聞こえたら申し訳ないけれど」
キャロルの指摘はもっともだ。
その点について中西は思案してみた。
幽閉される女の立場は籠の中の鳥と同じ。
餌は与えられる。
だが自由は無い。
もしかしたら気に入った相手に引き取ってもらえるかもしれない。
そこに幸せがまるでないとは言えないのではないか。
"だが……いいのか、それで"
歌手になりたいんです。
あの時のサラの声が、表情が、中西の脳裏に焼き付いている。
籠の中の鳥では夢を追えない。
仮に危険があったとしても、中西はサラを信じてみたかった。
「俺はあの子の強さを信じる。夢を捨てて生きるよりはましな人生があるはずだ」
決意は固まった。