第五話 放っておけない
明確なサインがあったわけではない。
本人から思わせぶりなことを言われたわけでもない。
だが最後に会ってから10日も経過している。
中西が帰宅のルートを変えたわけでもないのにこれはおかしい。
"路上で歌うのは止めたのか?"
それならそれでいい。
別に自分に断りを入れる必要はない。
しかし不自然な感じはした。
今まで会話した限り、サラはそれなりに義理堅い性格と認識している。
止める場合でも筋は通すだろう。
固定客と言って差し支えない中西にまったく何も言わないのは――いや。
"言えるシチュエーションでは無かったとしたらどうだ"
急な事故、あるいは事件により中断を余儀なくされることもあり得た。
中西はぐるりと辺りを見回した。
サラと出会った街角である。
交通マナーなどどこ吹く風で、人々が思い思いに歩いていた。
ゴミゴミしているにも関わらず、馬車が通ることもある。
交通事故という可能性も考えなくてはならない。
"しかし、どうしたものか"
考えがまとまらない。
苛々しながら髪をかき上げた。
消えたのは故意か、あるいは偶発的な事故か。
前者なら放っておくべきだろう。
けれども後者ならば?
もし放置していたなら大変なことになるかもしれない。
"ローモント救貧院だったな"
サラの住む救貧院の名称を思い出す。
まずはそこを訪ねるべきかと踏み出したところで。
"待てよ"
救貧院が中西に好意的に対応してくれるだろうか。
サラは言っていたはずだ。
普段は救貧院の仕事をしていて、自由時間にこうして路上で歌っていると。
救貧院側がその行動を制約したのかもしれない。
仮にそうであれば。
"俺が訪ねても何も教えてはくれないだろう。俺をさっさと追い払った後、サラにきつくあたるかもしれないな"
ローモント救貧院は中西とサラの関係など知る由もない。
いや、もし知っていたとしても邪険に扱うのではないだろうか。
救貧院からすれば路上で知り合った人間など孤児達の奉仕活動の邪魔にしかならない。
少なくともあまり好意的な反応は期待できそうにない。
"仕方ない、あいつに頼るか"
吹っかけられそうだなと覚悟しつつ、中西はキャロル・ウォーカーの顔を思い浮かべた。
† † †
「――というわけだ。何でもいい、手がかりが欲しい」
場所はいつものパブである。
キャロルに出会い、中西は事情を説明し終えた。
酒を飲む気にはなれなかった。
代わりに頼んだアップルサイダーを啜る。
乾いた喉に染みた。
キャロルは難しい顔で腕組みをしている。
「名前はサラ・フォーデン、歳は13歳。ローモント救貧院の子か」
「それ以上は知らないんだ。すまない」
「いや、いいんだよ。よくあることだからね。私が難しい顔をしているのはさ」
キャロルは腕組みを解いた。
グラスを掴み、中のウィスキーを一口。
そして「きな臭いなあと思ったからなんだよ」と答えた。
「きな臭い?」
「ああ。ローモント救貧院というところで引っかかった」
「何か知っているのか」
「小耳に挟んだだけで裏は取れていないんだけどね。あそこ、人を売りとばしてるって噂がある。私の記憶が間違っていなければ」
「どういうことだ」
キャロルの話の内容に中西は眉をひそめた。
「救貧院から巣立つ子には二通りあってね。一つは成人するまでそこで育って卒院する。大多数の子がこれだね」
「ああ、そうだろうな。もう一つは?」
「運良くどこかの家庭の養子に迎えられる。この場合、身寄りの無い立場から解放されるというわけだ。こちらのケースの方が望ましいよね」
「分かるよ。縁も何もないままこの都市で生きていくのは厳しい」
「うん。だから救貧院には子供を求める家と身寄りの無い子供の橋渡しをする機能がある。なので人材斡旋業者と言えなくもないんだ。ただローモントの場合は」
「続けてくれ」
キャロルを促す。
二人が座るのは今日もカウンターだ。
周囲の陽気な喧騒がやけに遠く聞こえてくる。
「よろしくないところに売りとばしているらしいんだよね。子供を低賃金でこき使う商売人とかに。ま、他の救貧院でもそういった話はあるけど」
「特に目立つってことか」
「そうだね。子供を迎え入れるのも最初からそのつもりなのでは、と思えなくもない。たちが悪いよね」
「やむを得ない部分はあるんだろうけどな」
世の中には救いの無い話はある。
そもそも身寄りが無い子供という時点で半分詰んでいるのだ。
過酷な職業とはいえ仕事が見つかるだけましか。
だが中西はその考えに嫌悪感を抱いた。
「最初から使い走りの労働力としてしか子供を見ていないってのは何だかな。救いが無い話だ」
「そうなんだよね。もっともローモントについては私も噂レベルでしか聞いていないから。裏は取った上でそのサラという子を探してみるよ」
「面倒をかける」
「ノープロブレム。しかしね、ニック。君が特定の人間を気にかけるとは。私はびっくりしているよ」
「……そうかもしれない」
「何があったのかな」
キャロルが聞いてきた。
中西は即答できなかった。
サラがいなくなっても大したことではない。
命に危険があるわけでも、職を失うわけでもない。
だが何故か気にかかるのだ。
「別にどうしてももう一度会いたいというわけじゃない。ただ、いきなりあの子は消えてしまった。戸惑っているんだ、俺なりに」
「へえ、珍しいね。他人に関心をもたない君が」
「そうだな」
サラは今何をしているのだろうか。
幸せなら別に言うことはない。
けれど不幸な目に遭っていないとも限らない。
中西の胸にはもやもやとした気持ち悪さがあった。
「俺は確かめたいんだ。彼女が今どうしているのかを」
「なるほど。その子のことが心配なんだね。それだけ君の中で大きなシェアを占めているんだ」
「だと思う」
あの日聞いた歌声が胸の中でリフレインしている。
交わした会話は他愛も無いものだ。
けれど、サラに関する事柄はいつしか中西の日常の一部になっていた。
認めるのはどこか癪だが認めざるを得なかった。
アップルサイダーを飲み干した。
酒でもないのに胸の奥が熱くなった気がした。