礼をしないと気が済まないなら
彼が部屋を出てから、何があったのか思い起こす。イハリスがくれた、頬や額への親愛のしるしとは一線を画していた。師匠は決して唇には唇で触れなかった。食べかすを拭うために手で触れることはあっても、決してあんな目はしない。
情火に焼け焦がれた紫水晶の瞳。
心臓がトクトクトクトク鼓動を早めている。
オルフィックがしたのは俗に言う、おとぎ話にあるような、ロマンティックな意味でのキスというものではないか。
しかしいま思い返しても現実だったか怪しい。ほんとうに触れたか。見つめ合っただけではなかったか。
「あれぇ……?」
夕ご飯を作ってしばらく待っていても、グラモラがいる時間には彼は現れず。
グラモラはその夜寝れないまま朝を迎えた。
****
翌日に顔を合わせても、オルフィックは普通すぎた。
昨夜が記憶違いとさえ思った。でもオルフィックの唇ばかりに目が行って恥ずかしいので、胸より上を見れない。手を握るだけで緊張してしまう。下ばかり見ていたグラモラはオルフィックの目元が赤いことも、にやりとした瞬間も見逃していた。
「ほどくぞ」
「うん」
オルフィックの手にいつも通り自分のものを乗せる。
「オルフィック、研究とかはいいの?」
こうして数時間、連日に渡りオルフィックはグラモラの呪いをほどいている。しばらく仕事は休むとは言っていたが、オルフィックは仕事や魔法研究こそを生き甲斐にしていたというのに。
「あと一ヶ月くらい仕事も研究もしなくても問題ない」
「ごめんね、せっかくゆっくりできる時間を私がつぶしちゃった」
「これも『ゆっくり』のうちだ」
「呪いをほどくのって疲れない?」
「グラモラと過ごす時間で疲れたことはない」
嬉しいような、恥ずかしいような。
「疲れるか? 俺とこうしてて」
「ううん。オルフィックにわざわざ呪いをほどいてもらうの申し訳なくて」
「お前が申し訳なく思うのか? 師匠が原因だろこれ。俺以外にはほどけないし、難しいことはない」
「拘束時間が……」
毎日数時間とはいえ。されど数時間。家族だからとはいえただ働きだ。
オルフィックが作業を止めて、繋がれた手を離す。
「なにかしら礼をしないと気が済まないのなら。
昨日と同じこと、できるか?」
どれのことだろう。考えていると、オルフィックが両腕を広げた。指だけをくいくいと動かして誘う。グラモラは膝立ちになり、彼の頭を抱えた。腰を強く抱き締められる。これが彼が求めた行為で正解だったらしい。
「これでいいの?」
「ああ」
ふわりと沈黙に包まれて、自分の熱だけが上がっていく。
「いつまでこうしてるの?」
「俺が満足するまで」
早鐘を打つ心臓の音を楽しんでいるに違いない、とそれが癪に障ってグラモラは彼の髪をぐしゃぐしゃにした。オルフィックは意に介しておらず、むしろ嬉しそうに笑った。
オルフィックは体を離し、グラモラの髪をまとめて持ち上げた。色の抜けた首が露わになる。
「もうすぐ終わるんじゃないか」
手足もすっかり白くなって、服を着れば呪われてるなんてわからない。オルフィックもいつもの買い出しに必ずついてきてくれるようになった。外に出るときにローブに頼ることは止めた。
「そうかも」
お腹まわりにしか、色は残っていない。
呪いの腹巻き状態になってしまったグラモラさん。