家族になろうよ(後)
頭の中にあったほんのりとした熱が途切れる。オルフィックが魔法を止めたのだ。
「師匠を愛に目覚めさせたのは、オルフィックだったんだね」
重なる手にこぼれたのは、頬を垂れる流れ星じゃなかった。透明でひんやりしている。少女は驚いて顔を上げた。
彼の両頬が濡れている。
師匠は人前であってもよく泣くことがあったけれど、兄弟子が泣くところなんて見たことがなかった。
「オルフィック、泣いてるの?」
両腕を伸ばし、彼の頭を抱きかかえた。
成人とはいえグラモラの胸元はごくささやかで、心地の良いとは決して言えないけれど。気持ちの問題だから構わない。
親だったイハリスがいなくなって、オルフィックも人間だから泣くし、感情をぶつけたくても我慢してたから、やるせなさが行き先をなくした?
グラモラの思考は無秩序を極めた。
なぐさめなければ。オルフィックの涙をみたのは自分ひとりで、止められるのもいまここにいるグラモラだけ。それだけはちゃんとしなければ。
指通りのよい髪を手ぐしで梳りながら、オルフィックは小顔なのにこうしていると頭は大きく感じるなぁ、頭がいいと脳みそも大きいのかなぁ、などと思考は飛んでいく。
「泣いていいよ、私もたくさん泣いたよ」
オルフィックの手が背中に当たった。広げた手のひらが、シャツの上からぴったりと張り付いている。じゅわっとする熱だった。そのうちに腕が腰に回った。
薄いし細い。
オルフィックはグラモラをまざまざと実感している。
一生こうしてくっついていたい。髪に絡むグラモラの指先から優しさが滲み入ってくる。彼女しか自分に与えられない慈しみが、この世界のどんな魔法よりも貴重だと思えた。
「一緒に悲しもう。家族なんだから目の前で泣いても恥ずかしくないよ」
家族。
イハリスの消失は想像以上に大きな心の負担になっていたようで、理性が麻痺するくらいには疲弊していた。
膝立ちになったグラモラの頭を手で下げさせる。
からかいでも戯れでもなく。
初めて真っ向から愛を伝えたい、と思った。
「家族だけど、俺はグラモラとこういう家族になりたい」
「うん?」
瞬きするたび綺麗な顔が近づいてくる。
オルフィックの顔がぼやけて瞳が見えない、と思った次の瞬間には離れていた。至近距離で弾けた流れ星で頬がほんの少しピリピリする。呪いをほどくときは、いつもこんな感覚がするのだろうか。
「…………?」
音もなく、他愛もない一瞬だった。
オルフィックは難しい顔をしている。
ぽかんとしている彼女を逆に包み込んで、耳元に口を寄せた。
「悪い。……感傷的になった。今日はもうほどくのやめる」
まだ早めの夕方なのにおやすみと言ってグラモラの頭を撫でる。
温もりが離れて、グラモラはぶるりと身を震わせた。
グラモラにかかった呪い。毛糸をほどくように絡まった文字をほぐして肌から剥がすたびに、オルフィックの中に師匠が残した思い出が溢れてくる。
息子として引き取ったオルフィックが吸収するままに魔法のあれこれを仕込んだものの、そのうち一人前になったら勝手に出て行くと覚悟していたらしい。それがいつしか仕事の片腕になり成人しても家に居座った。
人生でまさか子育てする羽目になるとは思ってなかったから、オルフィックの情緒がひねてしまったのはイハリスのせいだと呪いをほどく過程で告白していた。
違う。態度が悪いのは家の外の人間のせいだ。証拠にイハリスとグラモラに対しては、オルフィックは真っ直ぐなのだから。
イハリスの視点ではグラモラは落ち着いてしっかりした娘に育っていた。イハリスがその方面に壊滅的なせいか料理洗濯ができることへの評価が異様に高い。それを抜きにしても、大したわがままも言わない素直なグラモラ。師匠の持つ妹弟子への愛おしさはオルフィックが抱くものとは決定的に違った。
目に入れても痛くない、やりたいことを自由にさせてなにをされても許すというイハリスの親心。
他を遠ざけてでも独り占めして大事にしたい、自分だけを見てほしいというオルフィックの男としての欲望。
イハリスの目線から三人の思い出をなぞっていく中でそれが浮き彫りになった。
イハリスは早いうちにグラモラも正式に養子にしようとしていた。そうなると悪因の後見人とされている相手側との接触は避けられない。オルフィックのときとは違い、彼女は自分の出自を話すことができた。しかし連絡をとることで彼女に及ぶ先々の危険を懸念し、養子縁組手続きは見送られた。完全に生家との繋がりを遮断し少女を隔離、堅固な守りの下に置くことに徹した。
グラモラは間もなく晴れて成人する。後見の必要がなくなりしがらみから解放されるという目先に、イハリスは生活習慣病を起因として命を落とした。