第45話「コッケツ」
ユナの身体が、白く、淡い。
透けている。
膝立ちで、微動だにしない。
まるで、そのまま消えていくんじゃないかと、誰が見てもそう思うような。そんな儚さ。
おとぎ話に聞く、神様や、妖精のようにポワポワとしているようにも見える。
「やっと、やっとか…」
突如聞こえたその声に、サリナが振り向く。もう敵が来たのかと、最悪の予想をしながら。
「やはり貴様が、ユーリの…ん?」
だが、そこにいたのは深い穴のような暗闇だった。真夜中で月明かりも微かなこの森の闇よりも、真っ暗な、真っ黒な猫がいた。ユナの方へ進もうとして、サリナに気づいたのか、振り向いた。
目が合い、お互い固まる。
サリナは場違いにも、その姿を見て警戒するのではなく、見惚れてしまった。
その美しい、淡い金色の瞳に。
だが、そんなことは露ほども知らないその猫は、今まさに踏み出さんとした片足を上げたままに、取り繕う。
「にゃ、にゃうん」
それでサリナは我に返った。
「いやいやいやいや、今喋ってたよな!?」
我に返ったとて、驚いたままではあったが。
そのサリナの言葉を受け流すかのように、その猫はその場に座り、もっともらしく居ずまいを正し、また鳴く。
「にゃうん」
「いやいや、騙されないから。って、もしかしてこいつが群れのボス…なのか?」
緊張の沈黙がサリナを支配する。
「…………はぁ~………。儂としたことが平静を欠いたか」
「やっぱ喋ったなお前!」
「そのお前というのは、この霊験あらたかなる儂を指して言っているのか?」
「ぐっ」
サリナは、得も言われぬ威圧を感じ、思わず両腕で顔を覆う。
「ん?お前、その腕…」
「ああ、この腕は…って、いやいやいやいや、お前は一体何なんだ?ユナを、俺の弟子を襲うってんなら」
「ちと黙っとれ」
「う”っ…」
背筋が凍って、冷汗が噴き出る。瞬きができない。その猫が、真っ黒な穴が近づいてくるのに、何もできない。まるで、子どものように。
「よく生き残ったとは思ってたが、なるほど、なるほど。あの状況でも識別して加減したというのか?確か探知系だったか。それならやつらも生きてるかもな」
その猫の言っていることが、サリナには理解できなかった。
「まあ、貴様がキッカケだ。少しぐらいは褒美をやろう。腕を下ろせ」
言われるがままにサリナは腕を下ろした。いや、下ろさせられた。
猫がサリナに近づき、いよいよその腕に触れた。
「………ッ」
左腕の先と、猫の額。そんな距離なのに、その猫の呟きは、最後の文字が微かに聞き取れただけだった。
すると、サリナの左腕に異変が起きた。かさぶたのように凸凹でガサガサだった赤紫の塊が、少しずつ変質していく。
「なんだ…これ」
サリナの左腕の先が、ぐにゅりぐにゅりと波打ちながら、整えられていく。
サリナは、自分の身体と完全に別物だと思っていた、ただ腕に引っ付いていただけの赤紫色の塊が、自分の感覚と繋がっていくのを感じていた。
「その体質に生まれたことを感謝するんだな」
そう猫が言い終えるのが先か。サリナの左腕の先は滑らかに丸まり、赤紫は完全にサリナの身体の一部となっていた。
「うぉ」
サリナはその腕に見惚れていた。
「感謝もロクにできんのか」
「へ?あ、ああ!ありがとう。いや、ありがとうございます」
さっきまで敵かと思っていた魔物かもわからない猫に、感謝を述べていることが、サリナをまた戸惑わせた。だが、戸惑ったときは冷静に。それがソロで生きてきたサリナの性分だった。それが、最も大切なことを思い出させる。
「そうだ!ユナは、ユナは大丈夫なのか!?」
サリナは、ユナを知っているように見えたことと、腕を直してくれたことを鑑みて、その猫に尋ねる。
「ダメだろうな」
「は…?」
それは、サリナの性分なんて軽く飛び越え、脳内を、思考を激しく乱した。
「見たらわかるだろう。このままでは消えて跡形もなくなる。魔核が残る分、魔物のほうがまだマシかってくらいにな」
「…喧嘩売ってんのか?」
「若人は血気盛んで羨ましいわ」
「お前ッ!!」
「だから、儂が来た」
「あ??」
その挑発のようなサリナの問いかけを無視して、猫はユナへと歩みを進める。
「この時を待っていた…」
猫は、ユナと正面から対面する。そして続けて、呟いた。それは、誰に向けてか。
「こんな予想が当たるなんて、やはり貴方様はすごいお方です…」
束の間、感傷に浸っているかのように猫は目を瞑っていた。
そして目を開くと、飛び跳ね、膝立ちで天を仰いだままの体勢でいたユナのおでこを、前足で蹴りつけた。
なすがままに、ユナは背中から倒れた。いくつかの淡い光がポワンと零れ弾ける。
「おい!!」
サリナが叫ぶ。だが、猫はそれも無視する。
猫は、自分のおでこと、倒れたユナのおでこをくっつける。
「【コッケツ】」
今度はサリナの耳にもはっきり聞こえた。
その瞬間、サリナの目には、その猫の形をした黒が、明るく、それでも灰色程度だが、明るくなったように見えた。瞳も、キラリと白く光ったように見えた。
そして、ユナを不思議な光が包み込み始めた。
まるでユナを中心に、花の滝ができたようだった。淡く光る、赤く白い光や、青白い光が、花弁のように波打ちながら、ユナを包み込むよう四方八方から流れ込む。
やがて真っ白になり、サリナも光に飲み込まれた。
ーーー
サリナが目を開くと、そこには元通りのユナがいた。白くも、淡くも、透けてもいない。
「助かったのか…?」
サリナが独り言ちる。
「やはりお前たちも生きとったか」
その声は、ユナの胸に乗ったままの猫からだった。サリナに返事をしたわけではないようだ。
「…そうだな、儂は休む。お前たちに運んでもらうとしよう」
「ホウ」
別の声が聞こえた。その声の主と話しているらしい。しかし、サリナは意識が薄れ始めて、その声が何なのかうまく認識できなかった。白い光に中てられたのか、ユナが助かって緊張の糸が途切れたのか。
「…なに?見られたくないと?もうバレてるだろうに」
「ホウ」
「まだわからない?ったく、しかたない、気絶させるか。…いや、その必要なさそうだ」
そこでサリナの意識は途切れた。




