第2話「逃げた先は」
しばらく滑空した後、木々をかわしながらある程度開けた場所に着地した。”ふうちゃん”は着地するとすぐに身体を立てる。搭乗者は耐え切れず転げ落ちた。
トシンッと、草原に落ち、草と擦るような音が混ざる。
「いてて…」
おしりをはたきながら立ち上がる。開けたこの場所はいいが、森の深くはまだまだ怪しい気配でいっぱいだった。
ここなら月明かりがある。魔物が近寄ってきてもすぐに見つけることができる。
それは分かっていた。でも、どこまで追いかけてくるか、いつ追いつかれるか、崖の下とはいえ、まだ油断ならない。どこまで追いかけてくるのかわからないから。その不安には勝てなかった。
息を落ち着かせながら、少しずつ崖とは反対のほうへと歩き出す。
手つかずなのか、森は崖の上よりも大きく深い。場所によっては木の根をよじ登らなければならないほどどれも巨大だ。微妙に下り坂になっているのも、歩きにくさに拍車をかけている。
怪しげな鳥の鳴き声、耳障りな虫の羽音、突き刺すような視線の数々。さっきとはまた違った恐怖を与えてきた。鬱蒼とした木々は、ここぞとばかりに闇を作り出し、”私”の不安を煽る。
だが、気配は確かにつかめている。ところどころにある、えぐられたような地形や、不気味な渦巻きの模様などは、さすがに避けて通れないが、魔物さえ確実に避けていけば、生きてこの森を出られるはずだ。
ーーー
…どれほど歩いただろうか。疲れは大きくなってきたが、段々と気配に慣れ、緊張はするが不安は和ぎつつあった。脳に余裕ができると、余計なことを思い出してしまう。
「さっきまで…」
「さっきまで一緒にご飯を食べていたのに…」
「おかあさん」
「おとうさん」
「…」
「ゔっ…うぇ…ゔうん」
思いがけず、足が止まり、うずくまってしまう。
声をあげて泣くことは許されなかった。
「うっ…あぁ…」
カヒュゥ
変な息の吸い方になる。
”るーちゃん”がペロペロ舐めてくる。
「なぐさめてくれるの?」
「ハウッ」
小さく、でも確かに答えてくれた。
「…ありがとう」
上ずった声で、そう応える。
すると”るーちゃん”が背中を押して、”私”を起こした。そして、鼻先を向ける。
そこには”ふうちゃん”が止まっていた。大きなウロを見つけてくれたらしい。今日はもう休もう。
魔物の気配も、最初に比べれば随分と少なくなっていた。
ウロのなかは、少し冷えたが、”るーちゃん”が一緒に入ってきて、”私”を包み込んでくれた。
「ありがとう…」
ほどけた緊張は、一瞬で意識を手放させた。
ーーーーー
ドクンッッ!!!
心臓の奥から叩きつけられるような気配に目が覚め、バッと身を起こす。
「グルルルル…」
”るーちゃん”はすでにウロの外で唸り声を上げていた。ウロの外はもうほんのり明るい。
”私”も慌てて飛び出す。”ふうちゃん”が木の上で、何かを見つめている。その視線の先は…?
それを確認する間もなく、”私”たちは影に包まれた。
その余りにも大きな影、心臓が痛いほど激しく打つ。
ドシンッ!!
恐ろしくでかい足音が、私のすぐそばで鳴る。
ブワッと風が通り抜けた。
ミシシッ
木々が折れるような音がしたかと思えば、私の目の前に、こわごわとした岩のような何かが落ちてきた。それは地面と接する直前で、ふっと止まる。
岩の切れ目が裂けた。
そこには、目があった。
目が合った。
この影は、巨大な生き物で、目の前の岩はそれの頭だったのだ。
見定めるようにこちらを見つめている。
心臓が壊れたのだろうか、もうどんな速度で鳴っているのかわからない。
ドッドッドッ
眼が渇く。でも、眼をそらしたら、死ぬかもしれない。
息が詰まる。でも、深呼吸なんてしてたら、死ぬかもしれない。
耳鳴りがする。でも、何も聞こえないほうが、マシかもしれない。
そんな恐怖が”私”を支配する。
ーーー
どれだけ見つめられただろうか。もしかすると数秒なのかもしれない。それでも、”私”には恐ろしく長かった。
その生き物は瞬きをすると、頭を上げ、またドシンッとゆっくり去っていったのだ。
「…ッ!はあああぁぁぁぁーーーーーー……」
死んだかと思った。あれは間違いなくこの世で一番触れてはいけないものだろう。見逃してもらえて本当に良かった。
安堵で腰が抜けた”私”に”るーちゃん”と”ふうちゃん”が寄ってくる。
「ありがとう。ふたりとも」
そういって頭を撫でた。
「わうっ!」
「ふうっ!」
”るーちゃん”も”ふうちゃん”も、少し疲れた様子だったが、それに応えてくれる。
しばらくそんな風に、皆で心を落ち着けた。
「もう朝だね」
追手が来てないってことは、もう来ないのだろう。”ふうちゃん”が夜通し見守ってくれていたおかげで、ぐっすり眠ってしまった。寝起きは最悪だったが。
どんなことがあったって、疲れたら眠くなるし、必ず朝はやってくる。
「どうしようかな…」
ふたりがいるおかげで、”私”は泣き崩れて立ち止まらなくて済んだ。
…本当は、ちゃんと泣いたほうがいいのかな。
「わうっ!」
そうだ。おとうさんも、おかあさんも、泣いて立ち止まってるところなんて、許してくれない。
「行こっか!」
”私”たちは、進み始めた。
ーーーーー
何日経っただろうか。相変わらず、微妙な下り坂は続いていた。”ふうちゃん”と”るーちゃん”が食べ物や川を見つけてくれるから、何とかなっているが、もう歩くのが、つらくなってきた。
だが、坂に沿って下れば下るほど、魔物との遭遇は減っていった。その数少ない魔物も、今までのように、こちらを見つめてきたり、刺々しい気配を出しているのではなく、ただそこにいるだけのようなぼーっとしたものばかりになっていっている。このまま進めば、もしかすると、人が住んでいるところにでるのかもしれない。”ふうちゃん”もなんとなく、こちらに進んでほしそうにしているし。
ーーーーー
そうして私は湖にたどり着いた。
湖のど真ん中、人のような姿をした微動だにしない石造のようなものがあった。
様々な木漏れ日が差し込み、風が吹くたびまるで妖精でもいるかのようにキラキラとたなびく様は、神々しかった。石像の肩に乗った鳥たちもどこか安心しているように見受けられる。どこからか、華やかな香りも運ばれてきていた。
光に導かれるがままに歩みを進める。
石像は翼が生えており、慈愛に満ちた顔をしながらも、右手には槍をもち、優しさと厳しさを兼ね備えた出で立ちに見えた。
石像の前にたどり着く。
なぜ、湖を歩けたことに違和感を覚えなかったのか、そもそもなぜ湖に当然のように足を踏み入れたのかはわからない。
だが、そんなことどうでもよくなるような音が、石像の上から響いた。
「雷霆狼に、森閑梟、それに君か…」
「君、面白いね」