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第12話「逃げている2」

新章開幕です。



 逃げている



 鬱蒼(うっそう)とした森を駆ける小さな影が一つ。


 それを守るように追う、二つの影。


 「ハァ、はぁ…」


 様々な轟音(ごうおん)とともに、信じられないほどの余波がー小さな影ーユナを襲う。

 生素(きそ)とも魔素(まそ)ともとれるような、奇妙な色の風が、強烈に吹き付け、枝や葉から、積もっていた雪がボロボロとこぼれ落ちる。


 何度か足を取られそうになったが、寒いのが幸いし、走り続けることができた。雪が解け始めて、ぬかるんでいたらと思うと恐ろしい。


 得意の魔素探知(まそたんち)が、脳内の警鐘(けいしょう)は鳴らし続ける。逃げても逃げても、ずっと恐怖がまとわりついて離れない。

 再び大きな余波が襲う。


 「キャッ!」


 「ホウ!」


 吹き飛ばされ、木に頭からぶつかる寸前のユナだったが、二つの影のうちの一つ、森閑梟(フウルフォール)のふうちゃんが咄嗟(とっさ)に間に入り、風の魔法で受け止めてくれる。


 (ありがとう…)


 そう思うのに、どうしてか素直に言葉がでない。


 心が、言葉が、せき止められているような、壊れてしまったような、口から零れ落ちて、目から零れ落ちて、手からも零れ落ちてしまったような感覚。


 ユナは、偽神(にせがみ)の言葉が何度も何度も頭の中を(めぐ)って巡って、巡り(めぐ)っていた。


 (「死にたくない!!!」)


 (「バイバイゆーちゃん」)


 修行をしてきた今だからこそわかる、この圧倒的な力のぶつかり合いでさえ、ユナの頭の中を吹き飛ばしてはくれない。


 あの言葉が、頭の中で(よみがえ)るたびに、死にたくなる。


 (「死にたくない!!!」)


 (「バイバイゆーちゃん」)


 足が、止まる。


 (お父さん)


 「はぁ、はぁ」


 (お母さん)


 それは、走ったから?


 (にーちゃん(・・・・・)


 (()…)


 「ハァ、ハァ」


 悲しいから?


 「はァ、ハァ、は、はあ」


 呼吸が、乱れているから?


 「はぁはぁハぁハァ」


 心が、おかしいから?


 涙が


 (ハァハァ、ハァハァ)


 「はぁはぁ、ハァハぁはぁあはあは」


 感情が


 「はあ、ハァ、はァはァはあはあはあは、はっはっははあはあ(ハァ「は)ァぁ(あはあハァはぁはァハ」はア)はあハア(「はあはあはは」はあハ、はハァハッはあっ!!!」


 「バウアアア!!!」


 二つの影のうちの一つ、雷霆狼(ルヴスウォンド)のるーちゃんが絶妙な威力で雷の魔法を放った。

 ユナにめがけて。


 パアンッ!!


 雷霆狼(ルヴスウォンド)の習性の一つ。まだ幼い子どもを、急な外敵から守るとき、痺れて動けなくさせ、首根っこを(くわ)えて逃げるというものだ。


 しかし、人間のユナには少し強すぎて、あえなくユナは気絶したのだった。るーちゃんが慌てて呼吸を確認するが、無事なようだ。

 だが、気絶してよかったのかもしれない。


 過換気症候群ハイパーベンチレイション(おちい)り、(うずくま)って動けなくなったユナを、この二人が連れていくにはこれしかなかった。


 るーちゃんがうまく咥えて、ふうちゃんの背中に乗せ、ふうちゃんお得意の風魔法でユナの落とさないようバランスをとる。

 そしてそのまま、木々の上まで羽ばたいた。余波をもろに食らう決死の覚悟だったが、ユナを素早くこの恐怖の外へと連れ出すために、木々を避ける時間すら惜しい。るーちゃんとふうちゃんは必死だった。



ーーー



 余波を相殺(そうさい)しながら、自分と同じくらい重いものを乗せて飛び続けたふうちゃんは、ギリギリ余波の影響が及ばなくなった、森の外で力尽きた。るーちゃんが魔物を雷の魔法で威嚇してくれなかったら、一度でも正面から戦闘になっていたら、皆どうなっていたかわからないほど、ギリギリの状況だった。

 意識はあるものの、もうろくに飛ぶこともできない。間もなく墜落する。


 ズザザーッと草原に身体を滑らせながら、何とかユナを抱え込む形で地に降りたふうちゃん。少し滑ったところで、るーちゃんが受け止めた。

 しかし、転がらないようユナを抱きかかえていたせいで、ふうちゃんの羽根は酷く()れ、摩擦熱(まさつねつ)で焼け焦げていた。るーちゃんが止めていなかったら、羽根だけでは済まなかったかもしれない。


 それでもユナは気絶したままだ。心なしか顔色はよくなったような気がするが、それでも目は覚めない。身体も傷だらけだ。

 るーちゃんもふうちゃんも、ユナを治すような魔法は覚えていない。そうでなくとも、満身創痍(まんしんそうい)だった。

 身を隠せるはずの森は、余波のせいもあって恐怖でしかない。草原のど真ん中に居続けるわけにもいかない。ふうちゃんも、もう飛べそうにない。るーちゃんも、道中の魔物を追い払うために魔素を使いきっていた。自分たちを、ユナを守るすべがない。


 遠く、灯りが見える。

 それは、人間のもの。何やら光の魔法で照らしながら、何人もの人間が、自分たちのいる森のほうへと向かって進んでいるようだ。その人間たちの遠く向こうに、彼らがやってきたと思われる街の外壁が見える。


 るーちゃんとふうちゃんは、ユナが修行している間、何もしていなかったわけではない。偽神が、手が空いているときではあったが、いろんなことを教えてくれていた。ユナが”人間たちとの生活に戻ったとき”のために。

 人間の街に行けば、人間を治療してくれる人がいるはずだ。それをるーちゃんとふうちゃんは知っていた。だが、同時に自分たちが、人間たちに恐れ憎まれる魔物であることも知っていた。

 迫ってくる人間たちと、ユナの治療のために行きたい人間の街と、ろくに動くことができない自分たち。そしてまだ目が覚めないユナ。


 るーちゃんとふうちゃんは、必死に考えるが何も思いつかなかった。るーちゃんが、ユナを抱えたままのふうちゃんを咥えて、ずるずると引きずる。

 だが、人間の足のほうがずっと速い。そして行く当てもない。


 それでも、逃げなくてはと、森でも人間でもない方へと、ずるずると引きずる。


~~~


 「止まれ!!」


 人間たちは、その一声で止まる。

 総勢12名。日付も変わった深夜にしては、多く集まったほうだろう。それも、あの”カストルファの森”へ向かうのに、だ。


 「どうした?」


 「探知の魔法に引っかかった。魔物がいるかもしれない。頼めるか?」


 そう声を掛けられたのは、軽装の男。


 「…ああ」


 しぶしぶといった様子で、一人抜け出し、魔物を偵察に向かう。


 「…チッ。スキルなんてものが無ければ斥候役(せっこうやく)なんてぜってぇやらねぇのによ」


 自分のスキルを呪いながらも、自分の役割を果たすために、一人先行する。


 やがて森が見えてくる。


 「ゲッ!もうカストルファじゃん…。絶対一人じゃ入らないからな」


 そこで足を止め、息をひそめる。草原に立っているのにもかかわらず、その男の気配は恐ろしいほど薄い。


 「魔物は…っと」


 辺りを見回す。不自然に草原が無い場所があった。


 「…なんだこれは?」


 そこには、何かが滑って焼け焦げた後が、森のほうからまっすぐ伸びていた。



~~~



 ずるずると引きずるるーちゃん。それでも、もう光がわかる位置に人間たちが来ている。


 ピクン


 今、明らかに何かをされた感覚があった。るーちゃんとふうちゃんが目を合わせる。二人とも感じたようだ。

 もしかすると、見つかったのかもしれない。


 「ホウ」


 小さく、だがはっきりとふうちゃんが鳴く。るーちゃん一人でも、ユナを咥えて行けと。


 「グルル…」


 だが、その決断ができないるーちゃん。


 何かが光から跳び抜けたのが見えた。


 人間が、もう来てしまう。


 「ホウ!!」


 「グル…」


 もう時間がなかった。その時、それは現れた。


 ーーーそれは闇より黒い。まるで、そこだけ黒く穴が開いているようで。


 「やっと見つけたと思ったらこの(ざま)か」



~~~



 「やっと、帰れる…」


 夜の街を歩く一人の女性。

 ピシッとしていたであろう制服はヨレていて、疲労の色をうかがわせる。


 「週末だからってしこたま残業させるし、最後の最後で緊急依頼が入るなんて…。見送りだけで出てやったけど、残ったギルド長は徹夜だろうな…」


 どうやら先ほどの集団を見送ったのはこの人たちのようだ。


 「もうこんな時間じゃ晩御飯を作る気もしないし、明日も寝て終わるんだろうな、私の休日…。いや、もう今日(・・)か…」


 日付も変わった今日に思いを馳せ、酷く落ち込みながらとぼとぼと歩く。


 「にゃうん」


 「ん?」


 深い穴と見間違えたかと思うような、真っ暗な、真っ黒な猫がそこにいた。


 「にゃうん」


 気づいたその女性を呼び寄せるように、もう一度鳴く。

 目が合った気がした。

 ついてこいと言わんばかりに、背を向け歩き始めた猫を、自然と追いかけていた。


 街灯もなくなった通りの外れ、路地裏。闇より暗い猫は、そこにいるのかわからないが、確かにいる気がして、追いかける。


 猫が跳ね、こちらを向いた。暗闇で、目だけがある。合う。


 「にゃうん」


 その猫が横を向く。暗くてよくわからなかったが、よくよく見てみれば、そこには人が倒れていた。


 「…え?ちょっとちょっと、え?え?…大丈夫ですか!?」


 慌てて取り乱しながらも、その人に即座に駆け寄り、声をかける。

 そして、それが子供だとわかると、混乱はより酷くなった。


 「え?え??そうだ!!」


 ここまで連れてきた猫なら何か知ってるのではないかと、周囲を見渡す。

 しかし、猫はいつの間にかいなくなっていた。


 「…もう!!!」


 その女性は、ーその子供ーユナを背負うと帰路(きろ)へと着いた。


 それを見届けた猫は、今度こそ姿を消した。


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