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いのちの詩(仮題)

僕の相対性理論

作者: 浮き雲

理屈っぽいところや、たぶんに、詭弁的な部分はご容赦ください。歩けないで立ち止まった人を、何とか、うまく丸め込もうとしているだけなのですから。

もちろん、僕は、僕自身の相対性理論を信じていますけど。




時間というものに実感が持てるのは


きみの行動が時間と結びついているからだよね


何かをすれば、そのために時間を使い


何もしなければ、その分だけ時間を浪費する


素敵じゃないか


時間は、誰の上にも平等に過ぎていくんだから




そうだね、もちろん


寿命だって違うし、社会や生活環境だって違う


同じ時間があっても、同じような出来事が用意されているのか


それとも、なにもできない状況なのか


そこまで考えれば、全然、平等だなんて言えないよね




でも、僕はね


人生は、それこそ、地球よりもずっと巨大な球体の上を


一生をかけて歩くようなものだと思うんだ


歩けば、きっと、何かに出会うだろう


もちろん、きみにとって好ましいことかどうかなんてわからない


でも、それ自体が「生きてみる」ってことだよね




試しに、地球儀のような球体を思い浮かべてごらん


球面に点を二つ、こちらが始まりで、こちらが終わり


その2点に、必ず接することを条件にして


好きなところで、球体を切断してごらん


球体の切断面は、必ず「円」になるって、学校で習っただろう




そう、僕らの人生は円周上を歩くようなものだと思うんだ


しかも、この二点を通る直線を軸だとすると


360度すべてが切断円となり得るから


大きさが違う円周が、無限に存在することになるよね




ほら、やっぱり、素敵じゃないか


同じ長さの時間(寿命)でも


辿る道筋(円周の長さ)を決めるのは僕ら自身なんだ


僕には僕の二つの点と円周があり


きみにはきみの二つの点と円周がある


それを重ねている今が一瞬でも、そうでなくても


きっと、出逢うこと自体が運命だよね




最短距離じゃあ、つまらない


なんて言うつもりはないけど


同じ歩くのなら、それなりに大きな円の上がいいと思うんだ


歩く円周の長さは体験であり、記憶なのだから


同じ時間を歩くのなら


僕の力と許容量の許す限り、できるだけ長い距離を歩いてみたいと思う




ねえ、時間の速さは一定じゃないって、アインシュタインは言ったよね


僕は、それを実感できないけれど


経験が時間を豊かにする、ってことは実感できると思うんだ


そうだ、人生の終わりに言ってみたい言葉があるんだっけ


「あんがい短い人生だったけど、ずいぶん、いろんなことがあったなあ」って



きっと、それが、僕の相対性理論だから






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